河内型戦艦の主砲が短砲身・長砲身の混載になったのは
東郷平八郎の「首尾線方向の火力は強力にすべき」という意見が原因だそうですが
東郷が経験した日本海海戦や諸々の海戦で首尾線方向の火力を意識させるような戦訓ってありましたっけ?
もしかして東郷ターンのような局面で首尾線方向の砲が強力だったらもっと善戦できたのにという悔いなんですか?