★ WW2の戦車について広く浅く語る2 卍
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第二次世界大戦に登場及び計画された戦車について、生温かく語るスレです
AFV、ガルパン等の話題もOKの、新兵からヲタまで垣根無しの書き込み寺です
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★ WW2の戦車について広く浅く語る 卍
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1538748277/ ほんとだ
単発自演しているバカがなんか言ってるwww 話題変わっていい?
中国って大陸国なのに
なんで戦車強くなかったの? 戦車に限らず、近代兵器を自国で開発するだけの基礎工業力が無かった 日本が欧米から工業製品の作り方を学んでいる時、中国は欧米から製品を購入するばかりだった 戦後はソ連の援助で兵器のライセンス生産を始め、開放政策から1990年代前半までは西側諸国から技術を導入、
天安門事件によりそれがストップしてからはスパイしたり自力で研究開発したり、昔と比べたら相当進歩した アヘン戦争が起きる前に英国の工業製品をもっと買っておけばな
なら、英国との貿易摩擦は起きなかったのに
そんときにお互いにWINWINならもっと早い段階で戦車輸入できてたかもしれなかったね 教えてほしいんだけど
1号から6号戦車まで全部の戦車に乗ったことがある戦車乗員ってのはいるの?
いても稀なの?その人百戦錬磨じゃないの? 1号は訓練用で2号は偵察用の色合いが強く3合が正規の中戦車だから
それいうなら3号から8号戦車だと思うわ I号にはシャーシだけの操縦訓練専用型があるし、その後IIからV号まで乗り継いだ人はいたかも
VI号は殆どが独立重戦車大隊所属なので、一般的な機甲師団から転属しないと乗れない 困った子だね
ハインツ・グデーリアンは後に「まさかこれら訓練用戦車で大戦に突入するとは思ってもみなかった。」と語っている
実際にポーランド戦後、III号、IV号の生産がある程度軌道に乗り始めると、II号戦車は偵察・連絡を主任務にするよう格下げ ドイツ陸軍自体はそうは考えていなかった
1936年頃の陸軍総務局では1号戦車と2号戦車を主力に使うつもりだった
3号戦車や4号戦車は高価過ぎて主力戦車にするには大仰だと考えていた
グデーリアンは装甲部隊の訓練や教育に深く介入してるが1号や2号戦車の開発中に全体の責任者とかではなかったので
グデーリアンが1号戦車は訓練用だとか決められる地位にいたわけではない ポーランド戦ではU号戦車の20mm集中射撃で
ポーランドの走行車両はほとんど撃破できてるね ドイツ陸軍自体はそうは考えていなかった=ただの感想
軍の方針で断言するならソースを付けて語ってほしいね。ある将軍が、ヒトラーが何年にそういったとか
そんな本は持ってないのだろうけど。
というかグデーリアンが機甲総監の責任者なのだから個人の妄想にしても気分で全面否定はウマくない 総務局ってのはつまりは事務屋、予算的に苦しいのでI号II号で我慢して、というものであって、
装甲兵総監の目指している主力戦車III号と支援戦車IV号による機甲師団とは違う、暫定的なもの >>384
歴史群像2007年8月号28ページ-32ページ田村尚也の「T号、U号戦車」に書いてある
1936年1月22日付陸軍総務局から陸軍参謀総長への報告書を引用して
・戦車の主任務は歩兵支援であること
・敵戦車との戦闘の機会はめったにないと思われる
・機関銃でも敵戦車にはある程度有効
・3.7cm砲は有効だが重く、高く、大き過ぎる
と当時考えられていた事を主張し1号戦車や2号戦車はドイツ戦車隊の主力と考えられていたといえる
と結論している うん、だから事務屋がそう言ってるのであって、現場は違うだろ そう言われても俺はグデーリアン一人の考えと陸軍総務局の文章のどちらが当時のドイツ軍全体の思想を表しているかと言うと陸軍総務局だと思うが 陸軍総務局が何かを説明しないと。
ドイツ陸軍の後方分野は(軍備や装備開発のすべてを含めて)
予備軍司令官兼陸軍装備局長が握ってる。
陸軍兵器の開発を担当する陸軍兵器局も、
陸軍装備局長の指揮下。
映画「ワルキューレ」に出てくるフロム上級大将だな。
直接の上司は陸軍総司令官のヒトラー。
陸軍参謀総長は、野戦軍の参謀の長にすぎないから、
フロムに命令する権限などはない。
その予備軍司令官兼陸軍装備局長の事務部門が陸軍総務局。
総務局長は「ワルキューレ」に出てくるオルブリヒト大将だな。 なんか「総」と付いてると組織全体を代表するイメージがあるけど、会社務めが「総務」と聞けば、ああ事務職だよね、と思う まあこの頃(1940年まで)は装備局長と総務局長が兼任だし
総務局から出た文章だからと言われてもドイツ軍全般の方針としか言いようがないと思う III号戦車が当初5cm砲でなく3.7cm砲装備になったのも、こいつらのせいなんだよな
現場にとっていい迷惑なのは、アメリカのマクネアー中将のAGF(陸軍地上軍総司令部)と同じだな なにもかもグデーリアンの欲しがったものを全部作ってあげるわけにもいかんからな
フランス軍のハーフトラック化歩兵も欲しがってたし
シャール2Cみたいな鈍重な超重戦車も羨ましがってたし
そんな色々再軍備時代から手を出してたら1939年には何も揃えられなかったかもしれん
まあ機械化歩兵も重戦車も最終的に活躍はしたけども できるだけ兵器を安くおさえようと考えるのはまさに事務方の考えだわな で結局、やっとIII号戦車を5cm砲にしたけど総統閣下に長砲身にしろと言われ、しかしわざわざ長砲身の対戦車砲を元に
単砲身の戦車砲型を作ったのにすぐには変えられず、なかなか実行しなかったのがバレて総統閣下に激怒される流れ 日本でもチハが開発されたときはもっと軽くて安い方が数を揃えられると反対されてたな
ハ号みたいなのを大量に配備したところでソ連の軽戦車と同じ運命にしかならなかっただろう。 大部分の戦場で対歩兵戦闘がほとんどだからハ号やチハで無双出来んじゃね?
敵が37ミリならチハが対応、
中華みたいにモーゼル銃、チェコ軽機、迫撃砲の小部隊ならハ号で問題ない
機動戦に持ち込むと中華が75ミリ砲を射撃態勢にする前に蹂躙することになるか まるまるハ号だけで編成された戦車連隊や、連隊の第1中隊があるし、
偵察用ではなく巡航戦車みたいな追撃用戦車のつもりだったのだな
第二次世界大戦当時には、その目的に使うにはしょぼ過ぎる性能だったが >>398
アメリカのM18ヘルキャットの側面12.7mmの装甲板は、近距離から7.92mm徹甲弾に抜かれているので、ハ号の前面12mm装甲板も危うい ドイツに7号戦車ってあったんだ
ライオン丸🦁だって
活躍したの?トラ🐯並みに VII号戦車レーヴェは計画止まりで中止、実車はおろか実物大模型(モックアップ)も作られて無い あれ?5号戦車ってパンターか
6号はティーガーか
ティーガーの登場が先だったのに番号逆転なのか
これは総統の政治なのか? 日本も
チト:四式
チリ:五式
チヌ:三式
と計画と採用時期が入れ替わってるしな >>400
ハ号の正面装甲12mmは7.7mm防御しか想定してないから中国での戦いで7.92mm徹甲弾にそこそこ抜かれたらしい 独の軍事顧問が持ち込んだT号戦車の7.7mmにも近距離から撃ち抜かれているね
U号戦車なら当時の日本軍の戦車蹂躙してたよね 蹂躙できたかもしれんが、当時は効率悪すぎて
遭遇戦でもない限り誰もやらんかったと思う もちろん、安心安全の低初速57mmの榴弾で撃破可能 T号、U号戦車とも蒋介石軍が運用してたから
すぐ破棄して大した戦力にならなかったけど
独軍が運用してたら、チハなんか蹂躙されていただろ わりと最近「持ってた」と書いてる人が居たけど、具体的なこと書かれた資料を読んだことはないし、写真も無い
II号の搭載砲である2cm KwK30の元となったFlaK30なら装備していて、日本でもラ式二十粍高射機関砲として鹵獲使用された ドイツは伝統的に親中国家だからな、ナチの時代も同様
軍事顧問団の派遣もしてたし、戦車の輸出もしてた
日独伊三国軍事同盟は独の中国支援を止めさせる
側面があった 1号はA型が15台売買した契約が残っているし、日本陸軍も南京戦で捕獲した4両の記録がある
ただし、2号は売買交渉した形跡があるものの、契約は支ソ不可侵条約の関係で成立しなかった
一番惜しかったのは、8.8 cm FlaK 36
2門が8.8 cm FlaK 18(こっちは18門)と一緒にシナへ送られたものの、重慶への撤退時に日本軍が撤退輸送中のシナ軍用列車を空爆して36を2門とも他の18共々破壊してしまった 元となったボフォース75mm高射砲よりも量産向きに改善されてたから、大戦中に英軍から鹵獲したものをコピーした
四式七糎半高射砲や砲身が共通の五式七糎半戦車砲のように、量産化に手間取らなかったかもしれないね >>413
ゼークトラインも突破されてるし独軍も大したことないんじゃない? >>419
軍事顧問が派遣されてからは蒋介石軍は
簡単に撤退しなくなっていて、日本軍の損害も増えていた 日中戦争始まってから軍事顧問が派遣されたってどこのパラレルワールドよ 1932年の第一次上海事変の時ですら、ドイツ軍事顧問団に指導された師団が参戦、顧問団長自ら指揮した事もあったというのに 第二次上海事変では陸軍を7個師団相当と海軍は陸戦隊5000人以上の
大規模部隊を派遣している
歴史の教科書にも書いてあることにパラレルワールドとか言われても 陸軍と陸戦隊って、日本軍の話だろそれは
>>420の「軍事顧問が派遣されてからは〜」というのが、まるで日中戦争(1937〜)開戦後に
ドイツの顧問団の指導が始まったかのような言い方だが、それよりずっと前の1928年には
マックス・バウアーによる最初の軍事顧問団が中国に渡っているわけで 日独伊三国同盟が締結されるまで、独軍事顧問の活動は続く マジでスペイン内戦みたいにドイツ軍部隊が派遣されたとでも思ってたの?
間違いを間違いと認められずに、知らんぷりするのカッコワルイ 1927 マックス・バウアー(1929年死去)
黄埔軍官学校を広州から南京へ移転させ、ドイツ式教育に改めた中央陸軍士官学校へ改変
20人の顧問団派遣
1929 ヘルマン・クリーベル(1930年解任)
1930 ゲオルク・ヴェッツェル(1934年契約切れ)
ドイツ式師団(下士官の一部まで教育)を創設
1932年にはドイツ式師団を率いて、日本軍と交戦
1933 ハンス・フォン・ゼークト(1935年体調不良のため辞任)
ドイツ式模範師団を創設
ナチス政権確保
ドイツ内のアンチナチスの厄介者を払うためシナへの進出を加速
1935 アレクサンダー・フォン・ファルケンハウゼン(1938年本国からの帰国命令で帰国)
ドイツ式模範師団の拡張
対日戦闘案策定・陣地構築、そして日本軍との全面対決
1938 ヒトラーの命令により、ドイツ陸軍軍事顧問団全面引きあげ つまりは国民党軍が北伐で一応の中国統一に成功した後、日本軍との本格的な戦闘の前からのことだから、
「軍事顧問が派遣されてからは蒋介石軍は簡単に撤退しなくなって〜」ってのはデタラメだってことです >>428
どこをどう読めば独が派遣しように読めるんだ >>432
逆に言うけどなんで突然日本軍の派遣戦力の話をはじめたの? 軍事面での中独合作は1927年から、日本軍と国民党軍(正確には国民革命軍)の本格的な衝突は1932年の上海事変以降のこと
で、いきなり更に5年後の第二次上海事変での日本軍の投入戦力を挙げたのには何の意味が?説明を求む 国民革命軍ドイツ訓練師団と仰々しいけど、
ドイツ士官の教育を受けた黄埔軍官学校卒業生と首都防衛部隊が一緒になって最終的に近衛師団となり、名称変更されて上海事変で投入された第87・88師団
日本風に書けば、第一近衛師団→第87師団、第二近衛師団→第88師団、近衛補充師団→第36師団
軍校教導師→教導団
結果から書けば、上海事変投入部隊は末端まで教練が施されていなかったため、日本軍よりも被害甚大
これに懲りて、上から下までドイツ陸軍教練を施すことになり、1933年から訓練開始 やつらのせいで、日本が無駄な99式短小銃を作る羽目になったのは秘密だ 国民党軍のバックにドイツがついていたことを
知らない奴意外と多いんだな
ゲームや漫画の題材にはなりにくい歴史だから
仕方ないか ニコ動とかに上がった抗日映画で、市街戦を行う国民党の兵がドイツ軍ヘルメットなので、
「なんでドイツ軍がいるんだよw」とか無知なツッコミが入ったりする
とはいえこのスレにはいないだろ、中独合作がいつから始まったのかも知らん奴はいるが >>420は米英軍事顧問団の話だろ
ドイツの軍事顧問団は日本のためにわざと中国軍を弱体化させてた >>443
ここがWW2のスレだからWW2で活躍したのかどうかって話だろうけど
そうなるとはっきり言って活躍はしてない もしかすると国民党軍に対する軍事顧問団で、一番役に立ったのは戦後台湾での白団(旧日本軍顧問団)かもしれん もしかしなくてもそうでしょ
朝鮮戦争でも活躍した数少ない朝鮮人は日本の陸軍士官学校出身とかだし
おかげで戦後の半島では隠蔽されているが 軍隊の存在しなかった朝鮮の例がその話の補強になるとはあまり思えない
日本軍はあくまで国民党軍に勝てなかった連中だし なお人民解放軍空軍ができたのも、満州に残留していた元日本陸軍航空隊員たちによる教練あってのもの >ドイツの軍事顧問団は日本のためにわざと中国軍を弱体化させてた
これはかなりの重症のかたですね
お薬出しときますね >>444
いや、二度も大戦で負けるようなドイツの軍事顧問なんてそもそも役に立ってないだけだって >ドイツの軍事顧問団は日本のためにわざと中国軍を弱体化させてた
無能な働き者ゼークトたんのことでつね 聞きたいんだけど、
第二次世界大戦の戦車の夜間戦闘対策ってどこまで進んでたの?
日中でも死角が多いのに夜だと余計だよね?やっぱり夜は戦車で戦闘しなかった?
夜間専用戦闘機があるなら、夜間専用戦車ってあったの?
そもそも論として
夜間戦闘機がなんで爆撃機みたいな体型になっているのかさえ分かってないんだけどさ
ドッグファイトできないよね?こんな体型じゃ >>458
全く知らなかった。
貴重な資料ありがとう。 ドイツのそれって本体部分は言って見れば普通なデッカいライトだよな
照射面に付けられた赤外線以外を遮断するフィルターと
それを可視化するスコープが発明のキモ
煌々と光るのが相手にも見えたんじゃ無意味
プラモではよくライトの照射面をクリアーレッドなんかで仕上げてる奴が居るが
あれは大きな間違いだ >>461
テールライトと同じに塗るヤツがよくいるのか?
信じられん
40年前の小学生ならともかく 一応光ってるのは見えることは見えるけど、紫色とかだよなアレ?>IRライト
やっぱり実際に見てみないと分からんものなのか 点灯確認用に赤いフィルターが付いたコタツ用赤外線電球のイメージからだろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています