武器輸出三原則が作られた原因は東京大学宇宙航空研究所のカッパロケットを
当時独自路線をとって米ソどちらともからロケットミサイル関係の技術を手にいれらなかった
ユーゴスラビアが平和目的の国際協力であることと軍事転用をしないことを契約条件に、
ロケット本体と打ち上げ設備と固体燃料製造設備が輸出されることになったがユーゴスラビア
の目的はロケット本体より固体ロケットに使われるコンポジット推進剤でこれは後に多くの
開発途上国に多く輸出されることになった。
これらのことが起こって佐藤政権のときに「武器輸出三原則」が制定された。ちなみにこのとき
輸入された固体燃料製造設備はまだ現存している(稼動してるかどうかは不明)

東大やはなにやってんだか