しょうもない知識を披露するスレ 第43幕
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>>103
私の記憶が確かだとすれば、その最高速度を出した自転車は人間の力では
こぎ出す事すら出来ないので、適当な速度になるまでは
前に居る車から牽引してもらってたと思う。 最高速度ネタに便乗。
世界で最初に地上で音速を突破したのは、バドワイザースペシャルって
ロケット推進の車、ただし未公認。
メインエンジンの他に補助推進としてサイドワインダーロケットをつけての走行で
音速を突破したんだが、片道だけの走行だったんで公認記録にはならなかった。
ちなみに、計測した場所はエドワーズ空軍基地で
計測した連中がエドワーズ空軍基地のスタッフ。
運転手曰く
「頭の横でミサイルが火を噴いてる状況で運転できるか!」
と言う理由で、往復での走行はしなかった模様。 >「頭の横でミサイルが火を噴いてる状況で運転できるか!」
>と言う理由で、往復での走行はしなかった模様。
なら最初からやるなよww 「史上最悪の結果を招いたテロ」と言えば第一次大戦を引き起こしたサラエボ事件だが
実行犯のガヴリロ・プリンツィプは今でもセルビアでは英雄である。 >>91
ペプシ艦隊が爆誕する以前も、ペプシの話は面白いんだよな
ソ連はもともと外貨がないし冷戦時代のルーブルは外貨に替えて持ち出せないから、離れわざで成立した契約が『ペプシとウォッカの物々交換』だもんな コカ・コーラはコカ・コーラでラーダと交換したからな
あんなのアメリカで売れるのかという拭い難い疑問が残るが、ペプシにソ連市場を席巻されないことが第一だったそうな ソ連にはルーブルとドルの換算レートはあって常に更新していたけど、西側からすると過高評価だから
出来ないのではなく西側はしなかったんよ。
ソ連は真面目に計算して出していて、社会主義経済圏では成立している。
社会主義経済圏とでは物の価値が違うので起きるズレ。
それで物々交換か、ロンドン金市場を経由した金での取引になった。 ソ連時代末期のモスクワの空港でなんか買ったら、ルーブルの値札で支払い日本円、お釣りはUSDだったな >>113
そう言えばこんなな話を。
ソ連時代末期、日本のとある天文学者がソ連の学会に参加した時の事、お小遣いとして
ルーブル札をドン!と貰ったんだそうだ。
しかし、そのルーブル札を持ってデパートに行っても、何も買う物が無かったんだとか。 山下洋輔がエッセーで書いてたな
友人のミュージシャンが当時の共産圏東ヨーロッパでコンサートを開き、大盛況で多額のギャラを現地通貨の札束でもらった
スケジュールの都合で空港に直行しなければならないのだが、現金の持ち出しには厳しい制限があり銀行からの送金もできないし使う時間もない
困った彼は空港の掃除のおばちゃんを捕まえて「孫はいるか?では大学にやれ」と札束を押し付けた
ちゃっかり名前を明かしたのかおばちゃんが調べたのかその後丁寧な礼状が届き、立派になった孫の写真も同封されていたそうだ いい話だと言いたいところだが、そうと知ってて現地通貨でギャラを寄越すような悪徳プロモーターにしてやられたな 大学に行って立派になってくれた孫が居て良かった
酒代に変わってた可能性もあるのに 戦前からドル交換の闇レートがあって、モスクワ空港の周辺には闇換金屋が沢山あったそうだ。
レーニン時代に犯罪になり懲役半年だったのが、フルシチョフが死刑を含む厳罰化。
でも半ば公認のような非公認になっていて、スパイや秘密取引の資金はハバナにある
欧米系銀行を経由して振り込むんだけど
ルーブルじゃ使い物にならないからこの闇レートをベースにルーブルを換金していた。 ゴルゴ13に、ソ連が穀物の買い付けのために金塊を積んだ列車をモスクワからパリまで走らせるって話があったけど、ああいうのは実在したんだろうかな 「戦略大作戦」という、WW2欧州戦線を舞台にした1970年の映画がある。
(監督:ブライアン・ハットン 主演:クリント・イーストウッド)
作中、米軍戦車は、車外にペプシコーラの箱を積んでいる。
実はこの映画、大部分がユーゴスラビアで撮影されたため、
同地ではコカコーラの入手が困難で、ペプシを使用したのであった。
なお、史実では、ペプシとコカコーラは、戦前から激しい販売合戦を繰り広げていたが、
大戦中期以降は、米軍からの大量受注に成功したコカコーラの圧勝になった。 戦略大作戦でもう一つ。作中105mm榴弾砲を搭載した米軍ハーフトラックがでてくるが、
M3ハーフトラックに105mmを搭載した正規品のT19HMCは、実は海外供与されたことはない
というか、このハーフトラック自体が海外供与専用品のM5で、これに105mmを搭載した型はそもそもアメリカで作られたことはない。
ユーゴスラヴィアとソ連がしばらく対立していた折、敵の敵ということでアメリカが旧式装備を援助した中に、
M5と105mmがそれぞれ入っていたのは確かなので、ユーゴで独自にニコイチして試作したものが、撮影用に回ってきたようである。 HMCなら日本も生産していてフィリピンの米軍工廠で鹵獲品の野砲と各地から集めた
ハーフトラックとただのトラックのパーツで作っている
民生品と共用化した作りなんでハーフトラックの足回りさえ生きていれば作れたみたい
比島決戦前までに200両以上生産し国産砲や海軍の艦艇の砲も使ったという話もある
ハーフトラックは防御力の低さからパープルハートボックスというあだ名ついていたけど
日本だと砲撃後の迅速な陣地転換と装甲がある点で評価がすごい高かった 戦後の赤羽スペシャルやら海軍ラバウル整備廠やら東北老航校やらの例見るに、
日本の現場技術者が米式の予備部品備蓄流用すりゃ確かに出来そうだが、その話は読んだことない。どっかで読める? スービック湾のダイビングスポットで湾の真ん中に75mm砲搭載のM3が2両沈んでいる
開戦時に配備記録のあるT12GMCらしいが海没処理した記録や話もない来歴不明の車両
フィリピン陥落で日本軍の手に渡らないよう処分したのならT12しかないのもおかしい
おかしな理由のもう一つに投棄時に危険になる信管付きの砲弾がラックに入っている
いないと思うけど潜りに行く時は危ないからいじらない方がいいよ 市場開放直後の中国でも闇日本円買いがいたなあ。
デパートの前なんかにいて、空港での両替よりちと有利なレートで人民元に替えてくれる、っての。
当時は「100元札を見たら偽札と思え」人民元の偽札問題もそれほど大きくなかったんで、
1万円ぐらいなら替えた人民元で街中での買い物には困らなかったり。 日本円買いというか(外貨)兌換券買いは居たな
兌換券を人民幣に1.5倍位のレートで交換してくれる奴
相手の手元で一枚一枚札を勘定する時にはちゃんと1.5倍有るのだが、こちらが手元にうけ その手の両替屋は当時の東南アジアなら必ずいたな
偽札じゃなかったら枚数を手品師みたいに誤魔化したりな
ヨーロッパのジプシーのスリみたいなもんでもはや風景の一部 書き込みミス
日本円買いというか(外貨)兌換券買いは居たな
兌換券を人民幣に1.5倍位のレートで交換してくれる奴
相手の手元で一枚一枚札を勘定する時にはちゃんと1.5倍有るのだが、こちらが手元に受け取った時には等価になっているという手品を使う奴も居た >>119
輸送途中のセキュリティが問題だわな。
日本の国鉄→JRでも、かっては「マニ30」現金輸送専用の荷物客車があり、
むろん、運行ダイヤは極秘にされていたのだが、
それでもよほど高額の現金が積まれたときに専用列車を仕立てる以外はごく普通の貨物列車に併結されていたため、
その気になった強盗が貨物列車のダイヤを調べれば追跡できないこともない。
国鉄→JRと日銀が取った手段のひとつが「マニ30に乗る警備員には金庫室の鍵を持たせない」。
始発駅で現金を積んだ日銀職員がマニ30の金庫室を施錠したあと、
終着駅で鍵を持った日銀職員が金庫室を開けるまで、
仮に途中で列車強盗に遭い、
警備員が脅されても袋叩きになっても警備員にはどうすることもできない、ってなもので。 ついでに書いちまえば「戦後日本最大の現金輸送作戦」、
沖縄返還直前、琉球ドルにとって代わるための日本円を、
海上自衛隊輸送艦で沖縄まで運んだ、ってのを、
ずいぶんあとになってNHKが特集番組にしてた記憶があるんだが、
どっかで見られんものかなあ・・・、 >>130
これだろ?
つまんで見た程度だと、初代おおすみでの輸送作戦は紹介してないか、やっててもチラっと名前出るだけっぽいが。
https://www.dailymotion.com/video/x5t7ao5 >>130
つか、>>131の終盤で紹介されてるな。初代おおすみの映像もある。 >>124 それは単に日本軍から鹵獲したのを、『日本軍兵器として』書類作らずに沈めただけじゃないのか。
日本軍で運用していた時期すでにガスケット破れまくりで始末に負えなかったと山本七平が証言してるし、再鹵獲したってまるで使い物にならんで即破棄する以外の選択肢はなかろう。 けっこう有名なルソン島で撃破された日本のM2の写真あるし全部使えないってこたないんでね
https://i.imgur.com/Hgdlnh6.jpg 英軍砲艦グラスホッパーは日本機の攻撃で沈没し乗員とマスコット犬ジョディーは日本軍に捕まってしまう
メダンの俘虜収容所でジョディーは処分と決まったがフランク・ウィリアムズ曹長が
ジュディーは私の子供だと言い張るので収容所の所長が子供ならしゃあないと捕虜の手続きをした
こうしてジュディーはたぶん史上唯一の正式な犬の捕虜になった
その後のすったもんだは割愛するが親子は揃って46年にイギリスに帰還し仲良く暮らしたとさ >>134 日本軍が使ってた時期で既にがたがたになってた旧式装備を、戦後再オーバーホールして使うかというと…
邦語Wikiで戦後フィリピン軍が朝鮮戦争に持ち込んだってある話も、英語始め他では書いてないのよね。こちらは海兵の使い古しを払い下げたんならあり得るとは思うが、出典が欲しいとこだ。 1945年1月30日、独客船ヴィルヘルム・グストロフ号は、ソ連潜水艦S13に撃沈された
グストロフ号は1万人前後の一般市民や傷病兵を乗せており、そのほとんどが船と共に沈む、史上最悪の海難事件になった
(正確な犠牲者数は、大戦末期の混乱のために不明)
同船の船名は、1936年に暗殺されたナチ幹部の名にちなむものだが、名前の元になったグストロフの誕生日は、
グストロフ号の沈没日と同じ、1月30日である >>135
いい所長さんだ。
戦犯にされなかったか、されても軽い判決だったことを祈りたい。 かこすれみるのをわすれた
おりんぴっくおわるまでがまん ばぁーっとみればおりんぴっくのじっきょうすれにまにあうか 俺発達障害だから複数の作業を同時にやるのはできないw ケンモパヨクはブルジョアだから貧困層の救済しないからな
野党も同じスタンス 脱原発派も中国批判してるし、貧困層の救済は後回しだからな
BIを賛成している 大阪人じゃないんすけど、あまり本読まないっすね
五輪あきてきたんすよ 1993年6月、ホメイニ師4回忌を取材するためテヘラン入りした某民放特派員。
当時のラフサンジャニ政権イラン国内情勢は、
アメリカ主導の経済制裁下、なりふり構わず第3国ルートでの原油輸出に踏み切るしたたかな姿勢が、
国内宗教勢力を中心とする保守派からの反発を受け、きわめて不安定なものとなっていた。
取材に訪れた外国メディアの特派員は強制的に、
パーレビ時代はアメリカ資本の5つ星ホテルだった国有ホテルに収容され監視下に置かれ、
収容されていたジャーナリストの間では国際電話は全て盗聴されているというのが通説だったが、
日本語まではイラン側もわかるまいと高を括っていた特派員、
現地駐在の日本人から忠告を聞かされる。
当時、イランとは緊密な関係にあった北朝鮮が日本語の通訳に協力しており、政権批判を話すのは危険だという。
特派員の取った手段はまわりくどい婉曲表現に加えて、
くだけた関西弁で話すことだったというのだが、
特派員自身が後日の述懐で「効果があったかどうかはわからない」。 イスラエル、テルアビブ郊外にある自動車改造工場。
ごく普通のクルマを防弾仕様に改造するのが本業で、
注文を受けたクルマはまず、保安部品など全て外され、ボディだけの状態になる。
ウインドガラスは全て防弾ガラスに交換され、
エンジンルームとトランク以外の車体の内側は、
エンジンルームとトランクに爆発物が仕掛けられることが多いため、分厚い防弾鋼板で覆われる。
加えてガソリンタンクを樹脂製のものに交換するとスタンダードコースは終わりだが、
オプションで毒ガス防護用のエアフィルターを取り付けることもでき、
イスラエル国内はむろんのこと、世界各国の要人からの注文は引きも切らず、
さらには年々、防弾能力の強化がリクエストされるのにも応えており、
工場長いわく「不況知らずさ」。 ついでに鉄ネタ書かせておくれ。
国鉄大宮機関区に配属されていた9600型蒸気機関車、69636号。
太平洋戦争末期のある日、米軍機の機銃掃射を受け、穴だらけにされてしまう。
だが、69636号は被弾したにもかかわらず、ボイラから蒸気を吹き上げることはなかった。
それは当たり前、空襲当日の69636号はボイラの火を落としていたからだが、
意地になった米軍機は69636号に集中攻撃をかけ、機銃弾と燃料が心細くなると飛び去った。
いわば被害担任機関車となり他の機関車を守ったことになる69636号は、
戦後修理され大宮機関区で活躍、川越線の「さよならSL」列車を牽引して有終の美を飾り、
残念ながら車体は解体されてしまったが、ナンバープレートが交通博物館を経て大宮鉄道博物館に保存されている。 >>155
薩摩弁暗号、結局解読されて役に立たなかったじゃん…… >>157
吉村昭「深海の使者」にもあるアレカ・・・。 大阪人は小心者なんすからゴーストップ事件解決できなかったんすんよ
大阪人は小心者であることを長所にするべきなんすよ >>156
イイネ、戦果確認のために必要とはいえ結果的に上手く他の機関車を守る結果になったのは素晴らしい >>155
大戦末期にアメリカ相手に薩摩弁を使ったけど、すぐにバレたぞ >>159
大河ドラマ山河燃ゆでも使われたエピソードだし。 本屋でかった村西とおるのコワ〜イAVの撮影現場を読んだけど、沖縄のとある島でAVを撮影していたら、ヘリコプターの爆音が聞こえたと書いていったな
その島は日本に駐留しているアメリカ海兵隊の演習場に使われていた リンゲル液、リンガー液とも言われる生理食塩水輸液の発明という偉業を成したシドニー・リンガーの弟フレデリック・リンガーは、
長崎で貿易業やホテル経営で成功し、太平洋戦争時に残していった邸宅等は長崎ちゃんぽんチェーン「リンガーハット」の名前の由来にもなった
グラバー兄弟は殆どが商人となり、東アジアの近代化に貢献した偉人達であった グラバー邸とかあるけど、リンガーさん達との関係は…? ごめんなさいリンガー兄弟でした
グラバー商会はフレデリック・リンガーが最初に勤めた所でした
後にフレデリック・リンガーはリンガー商会を立ち上げます
失礼しました 戦時中のフランスは生地が配給制になりその量は減る一方で服を簡素化するしかなかった
戦前は女性が腹を見せるのも破廉恥とされたが女性の水着も無いものの中で工夫され
生地が少なくて済むショート丈のトップスにブルマのツーピースの水着が自然に広まった
こうした背景を下地に戦後の解放感が合わさり1946年にビキニがフランスで誕生する
当のビキニで水爆実験をしたアメリカは戦時中でもそこまで生地に困らなかったので
戦前の水着文化が戦後も続き多くの海水浴場で1960年代までビキニは禁止されていた >>169
なるほど、それでリンガーハットのちゃんぽんはリンゲル液の味がするのか >>175
たいていのスープはリンゲル液の味がすると思うぞ 「大佐」の肩書きで有名だったリビアのカダフィだが、この称号が日本のマスコミ
で一般的になったのは1969年の革命でカダフィがリビアのトップについてから16年後
の1985年以降である。
この時点で公式にカダフィは全ての公職を退いていたので、ニックネームとして本人が
好んで使っていた「大佐」の称号を日本のマスコミは使うようになった。
なおカダフィ自身は2009年に朝日新聞の取材に対し「もう軍人でも大佐でもないから」
と苦笑混じりに「大佐」は辞めて欲しいという意向を伝えていたが、別に怒っていた
わけではなく、特に気にはしていなかったようである。 1930年代、フランス空軍で、空中指揮機という機種が考案されたことがある
複座以上の大型戦闘機や、偵察機等に空中指揮官が乗り、戦況全般を観察しながら、指揮下の戦闘機隊に指示を出すのである
発想としては、現代のAWACSと同じ、先進的なものであった
だが、機上用レーダーどころか、高性能で信頼性の高い無線通信機すら存在しない時代、肉眼のみでの全般指揮など不可能、
鈍重な空中指揮機は真っ先に敵の餌食になるという代物でしかなかった
アイディアその物は決して悪くはなかったのだが、それを実現する技術がないと意味がないという、好例である ニュートンを思い浮かべてしまったよ
買わなくてよかった 任天堂がまさにそれだな
ファミコンで衛星通信対戦しようとしたり、64は64bit性能を引き出せなかったり、ゲームキューブは3D対応だったのに使えるソフトがなかったり
10年位してから実用化されたり評価される技術のてんこ盛り ゲームの世界でその方面はセガだろ
任天堂は空振りしつつもホームランは打つ 計画当時は多発機が高度性能や速度で上回っていたから変なものでもなかったから
無線は経験的に鉄の塊のエンジンの影響は知っていたが戦後まで理論が分からない
それで単発機は影響を受けやすく機上間通信に影響の小さいモールス信号を使う方式が使われた
配線をひたすら変えて試すしかなく技術者の少ない日本ではこの試行錯誤に人が回せずもろに影響が出た
当時の無線問題の対処法は科学力じゃなく人力
大戦中期まで単発の中島機は空中無線がまともに機能せず初期の日本陸軍もモールスを
使っていてこの方式を発明したのはあの穴吹智 >>129
マネーの輸送車でマニとかシャレてるなw 軍申請の輸入は免税対象だったが私物や転売に悪用され昭和初期に戦闘に直接関する装備のみになった
困ったのは陸軍
軍馬は免税ですが軍用鳩は鳩に乗ったり鳩が敵と戦うわけではないので課税対象です
いやいや軍用鳩のもたらす情報で戦闘するので直接関係します
などと大蔵省とトンチ合戦をしていた
海軍は軍艦に積むので戦闘に直接関係しますと申請して相変わらず悪用していた >>186
日本じゃないが、迫撃砲としても使えるスコップとかもそんな事情があったりするんだろうか。 正規のルートだと長屋一軒のライカを安月給の記者が手に入れるには、高級軍人と仲良くなってそういうルートで仕入れてもらうのが第一だったというからな
当時のマスコミが軍にケツを捧げた裏にそういう癒着があったのは、当事者は女房子供を人質にされても自白しないだろうが知られた話 >>187
スペード迫撃砲はヴォロノフ砲兵総元帥の発案
分隊の直接投射火力で劣るソ連は全軍迫撃砲兵になろうという発想で作られたもの
個人携帯の向上に設置に使うスコップを合体させた
スペード迫撃砲は記録が少ないので詳細は不明だけど実用性がなく42年頃には消えたけど
細長い砲弾は地面に刺してワイヤートラップに最適でPOMZ-37として転用され役にはたった 発案のしょうもなさと、なんだかんだ転用して使えたってオチすき チーズは冷暗所で管理しないとすぐ腐り陽の光に晒すとすぐ劣化しけっこうデリケートで
加熱して殺菌と発酵の不活性化したプロセスチーズが生まれる
開発当時はチーズの偽物と全く売れなかったが第一次世界大戦でアメリカ軍が大量発注し
最初は評判は今ひとつだったが食っていれば慣れるもので第二次世界大戦ではプロセスチーズが
レーションの中での一番人気になりアメリカの食文化としてプロセスチーズが定着した チーズと言えばシートン動物記のキニーネと動物の血を混ぜたチーズがうまそうに見えたなあ ネズミはチーズがあまり好きでは無いってのに衝撃
ジェリーはゲテモノ好きだったらしい 100レス以上過ぎたけど>91に勝る話は無いな、ここまで
詳しく掘っていろいろ読んでみると一層面白いw 結構有名な話だと思ったけど改めて見れば面白いかな>ペプシ アレコレ迷走したペプシだが、最近ファミマで復刻&例によって少し大容量な「普通のペプシ」が結構好評なのか、
近所のスーパーまで生ペプシとか置き始めた。
しかもコカコーラより断然安いんで、どうもかなり営業に力入れてるっぽい。
近々ペプシマンが復活降臨するのだろうか(ついでにヤキソバンと楽天カードマンと「らららむじんくん」のチャント星人が復活してもいいぞ) コテージ作戦で米軍は日本軍が撤退した事を知らずにキスカ島へ砲撃した >>194
聞いた話によると、ネズミが縄張りを誇示する為に齧った跡を見て
「ネズミはチーズが好物」
と勘違いしてた様子 アメリカ人が何でもチーズをぶっかける食文化になったきっかけが戦時中に開発された
脱水粉チーズが終戦で余り無料で大量放出したのがきっかけらしい
どんぐらい余ってたかというと野球場にうず高く積まれていたそうだ >>201
さらにコーン粉末も大量に残ってたんで、その二つを合わせて
チーズ味のコーンスナックを作ったらよく売れた,ってのは小ネタ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています