しょうもない知識を披露するスレ 第43幕
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アメリカ人が何でもチーズをぶっかける食文化になったきっかけが戦時中に開発された
脱水粉チーズが終戦で余り無料で大量放出したのがきっかけらしい
どんぐらい余ってたかというと野球場にうず高く積まれていたそうだ >>201
さらにコーン粉末も大量に残ってたんで、その二つを合わせて
チーズ味のコーンスナックを作ったらよく売れた,ってのは小ネタ。 一方ハーシーのチョコバーは不味いので占領地にばらまかれた スターリングラードでヴァシリ・ザイツェフはナシムガンでドイツ兵を狙撃した >>188
正規ルートで日本国内に輸入すると凄まじい関税がかかった、
ライカやコンタックスといった高級カメラも、免税で買うと安価であったため、
日本軍占領下の香港や、日本人には事実上の免税であった満州国建国直前直後の大連で買う日本人はいた、
ただ、現地で買える日本人というとほとんど軍人だったのだが・・・。
しかし、太平洋戦争開戦後、迂回路も含めた民間貿易での日独輸出入ルートが絶たれると、
日本国内に入ったライカはわずかな例外を除けば遣独潜水艦によるものだけ、
それも無傷で日独往復に成功した、イ8潜に積まれた機体だけとなってしまう。
エルンスト・ライツ社は正規に出荷したライカについては昔から事細かに記録を残していたのだが、
同社の出荷リストと、現在に残るイ8潜の積荷リストは必ずしも一致していない、
おそらくはドイツ民間市場に出回ったライカを買い付け搭載したものと推定できる、
一方、イ8潜生還後、日本海軍が軍需使用分に召し上げた余りのライカは報道各社に配られ、
真偽のほどはさだかではないが銀座のカメラ店で民間向けに売られていたという証言もあり、
加えて戦後の混乱のあとは「深海をくぐってきたライカ」の全貌の解明はすこぶる困難ではある・・・。 >>200
冷蔵庫などが無かった時代、袋や樽に入っているのが普通の他の保存食品と違い、
チーズは剥き出しのまま貯蔵庫に放置される事が多く、
食害に遭いやすかったからって説も読んだ事があります。 ヘルマン・ラムケ独空軍大将は、第二次大戦中、空挺指揮官として活躍したが、大戦末期に捕虜となり、終戦を迎える
戦後間もなく、捕虜収容所の中で、ドイツに対する過酷な戦後処理案を知ったラムケは、抗議文を書くことにした
だが、そのまま提出しても、当然収容所当局の検閲を受けるだろうと考えたラムケは、或る夜、秘かに脱走した
そして、近くの町のポストに抗議文を投函すると、翌日の点呼までに収容所に戻ったのだ
この間、収容所の看守たちは、ラムケの不在に、全く気付かなかった >>209
高級なホテルは端金なんで無料で送ってくれる
ミシシッピ州のキャンプ・クリントンはかなり扱いのいい施設で将官は一軒家で労働義務がなく従兵が身の回りの世話をする
パリッとした軍服を着て外に出て高級ホテルでチェックインして備え付けの便箋とペンで
高級な嗜好品の無償支給中止に抗議する手紙を書いてフロントに渡している
ホテルはどこかの国のお偉いさんだろと気にしなかった
これラムケはこの話を自分だと言っているが犯人が分かっていない
将官はフェンスの下から日常的に出入りし買い物や映画館に行ってて全員知りませんと言って分からず仕舞い 捕虜収容所が出来た時はみな恐怖したんだけど搬入や医療で出入りする民間人から
ドイツ語しかしゃべれん普通の人だよと話が広まり子供の遊び場になったぐらい無警戒になった
キャンプ・クリントンは警備は退役軍人の爺さん達で銃奪われるぐらいならと銃もない
水路工事の労働で出る給料で米軍と同じPXで買い物ができる
米軍将兵と同じ待遇で設備も支給も同等でPWの服が嫌なら自分の軍服でもいいという環境で生活に不満は特になかった
水路工事で一緒に働き音楽や演劇、スポーツなどで地元民と交流があって仲がよく
戦後祖国に戻っても焼け野原で仕事もないので元捕虜が50人ぐらいクリントンに移住した
クリントンはそれでドイツとアメリカのちゃんぽん文化という不思議な地域になっている
でもドイツ人が唯一我慢ならなかったのがトイレ
ドイツではあり得ない仕切りのない共同トイレだった
嫌がらせでなく米軍のトイレがそういう仕様 >>206
ライツは出荷したすべての製品に通し番号つけてるんだってね(一部かなり混乱してるようだけど)
古いライツの顕微鏡を手に入れてシリアルナンバーで調べたら1919年後半から20年前半の製品だと分かった
第一次大戦に負けてヘロヘロになってる時でもレベルの高い機械製品作れてたんだと感心したよ >>206
これは、WW2 の最中にドイツに居た日本人の話。
(ヤマハの技術者で、プロペラの技術取得の為にドイツに居た)
外貨を得る為にドイツではマルクをダンピングしてたので、海外の人にとっては
カメラが安く入手出来た、とか言う話。
しかし、ライカはすべて軍用に持って行かれた為にドイツ国内では
入手出来ず、スイスに行って中古品を買って来たんだとか。
氏はこの時ドイツでライカ以外にもローライやツァイス他を
大量に買込み、運よく入手出来たシベリア鉄道の切符を使って
日本に持ち帰る事が出来たんだとか。 >>211
小林麻美の悲しみのスパイのMVを思い出した >>215
大戦中にソ連を通って帰国とかありえないだろw ドイツ→中立国→ソ連?
といってもスイスもスウェーデンもソ連と接してないしなぁ。 切符を手に入れるのが難しいのは確かだが、中立国トルコから鉄道が通じてる。 >>217
前線突破して行くと勘違いしてそうwwwww 戦前から日ソ協約があって軍、政府関係者の移動と貨物輸送は戦時中も使え、独ソ戦でも
ドイツ向けは禁止だがシベリア鉄道などの利用は引き続き出来た。
協約上は満洲里から小アジア経由で欧州に移動や貨物輸送は出来るが、日本側は無用な刺激を避け
日本からソ連経由の欧州行は貨物輸送に限られていた。(それで戦時中でも一ヶ月かかるが
ドイツで日本の新聞が読めた)
欧州から日本行きはソ連は人道的配慮から民間人の避難に拡大し、ソ連経由の移動を認め、ルートを提供した。
ソ連が用意していたのが
トルコ、イランからコーカサス鉄道経由でシベリア鉄道に入るルート。
これはスターリングラードを経由するので途絶、イラン連合入りでイランルートも消滅。
次に作られたのがアルメニアからソ連に入り、カスピ海を船で渡りカスピ鉄道に乗り
トルクシブ鉄道に乗り換え、ノボシビルスクまで行ってシベリア鉄道で満洲里に行くルートが作られた。 山下大将がシベリア鉄道に乗ってたくらいだから不可能じゃあるまいw 最後の2週間の欧日鉄道旅行の利用者はシベリア超特急の山下将軍になる。
遣独視察の帰りのシベリア鉄道の車中で独ソ戦を知る。
遣独視察団には海軍もいたが、ドイツで遊んでいたので帰国できなくなり、
ポルトガル-ブラジル間の民間の大西洋横断の航空路で南米経由で帰った。 >>221
なるほど…
スウェーデンからアルハンゲリスクあたりに船で、
とか地図見ながら妄想してた。 ヤマハのプロペラ技術者に関しては、ソ連から特別に
通過ビザが出たので、それを使ってシベリア鉄道に乗ったそうです。
で、なんでソ連からビザが発行されたかと言うと、北海道近海で
ソ連の輸送船が座礁した時に、漁師さんとかが乗員などの
載ってた人を助けたからなんだそうです。
多分、インディギルガ号遭難事故だと思うんですが。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AB%E5%8F%B7 んー
しょうもなくない知識が増えてくなぁ
ありがとね 二次大戦中と言うだけなら、1939.09〜41.06までは大戦中だけど
独ソ関係は良好で貿易も盛んだったから、普通にシベリア鉄道で帰って来れそう。 避難してきた人や物資をフル積載したC17A輸送機は重くなるため、最低限の燃料で離陸し、その後、空中給油機で補給するらしい >>214
カメラに限れば、エルンスト・ライツ社時代はきっちりすぎるほどきっちりしていたのだが、
1970年代、日本製カメラに押され経営悪化の果て、株式買収されたあたりからはグダグダに。
WW2終戦直後のエルンスト・ライツ社工場。
戦中にはナチスからの命令で軍需光学製品の製造に生産を限定されていたのだが、
軍用として細々とながらライカの製造が続けられており、
さらには監督官の目を盗んでヘソクリのように作りためたパーツのストックがあったため、
戦後もそれを組み立てれば、ライカの生産は可能だった。
だが、爆撃によって割れた工場のガラスだけは英軍があてがってくれたが、
他には占領軍も何も助けてくれるわけではなく、エルンスト・ライツ社は自活の道を探ることになる。
熟練工はWW2末期のドイツ本土決戦でことごとく徴兵されており、
生還し工場に帰ってきた工員の人数はかっての3分の1、ライカの組み立てにも数倍の時間を要したが、
それでも出来上がったライカは占領軍将兵相手に飛ぶように売れたほか、
占領下ドイツの闇市場に流せば、食料、燃料、工作機械と、何にでも化けたのである。
たまった売り上げ金と闇物資でエルンスト・ライツ社が最初にやったのは、
工場に臨時の社員食堂を建て、工員に温かな食事を出すことだった・・・。 WW2時のシベリア鉄道日本人乗客の話でいけば、
乗れるには乗れるが、
ソ連領内全ての行路で私服NKVDの尾行がピタリとついていた、という話もどっかで読んだなあ・・・。 実際、当時のシベリア鉄道は乗れるだけマシだった様子。
食堂車とかは無くて、食事は持ち込んだ物か
駅で食えればマシだったとか。
お湯とかも車内じゃ入手できず、あのプロペラ技術者氏は
アルコールコンロを持ち込んでた様子。
当然車内の暖房は最低限で、寝ると寒すぎて
頭が締め付けられる様だったとか。 後先考えず氷上に線路敷いちゃうような体制下だからな
ボカチンを食わなかっただけマシと言えなくもない 氷上に鉄路で思い出したが、数年前に「ロシアでは冬に雪降った上にそのままアスファルト舗装する」なんて動画を見た事あるな。 鉄ネタで書かせてね。
ブレジネフ政権時代のソ連。
日本でも「今日のソ連邦」広報雑誌に、
HOゲージ(軌条幅16・5mm)の鉄道模型レイアウトを楽しむマニアが紹介されたことがあり、
だが、そのレイアウトを走るソ連型車両は既製品があるのか自作だったのか「今日のソ連邦」の記事では不明だった。
そこで何とかしてソ連製鉄道模型を入手したいと、とある日本人鉄道模型マニアが鉄のカーテンの向こうに出かけ、
モスクワの闇市場で、
やっとのことでその昔のシベリア鉄道も走っていたという旧式蒸気機関車と客車のセットの入手に成功する。
闇市場でというのは、当時のソ連でも鉄道模型、それもパッケージ入りの廉価版が作られてはいたのだが、
製品の全ては外貨稼ぎのために輸出されており、需要のほとんどないソ連国内ではヤミ商人に頼らなければ入手できず、
日本に持ち帰ってテスト走行させてみたところ、ただでさえ複雑な走行装置のために模型化が難しい蒸気機関車、
とてもではないが「箱出し」ではまともに走らず、
さんざん整備しても西側製品の蒸気機関車には遠く及ばない走りで、コレクター向け珍品の域を出るものではなかったとか。 ん?最初から最後まで模型の話なんだよな…
わざわざ鉄のカーテン潜らんでも、輸出されたやつを西欧で買えばよかったのでは?
最初の段の検証したかった内容の結論は何だったのだろうか、主語などが色々省かれてて気になる >>233
日本の東急車両がソ連からサハリン向け客車を受注したとき、
ソ連国鉄から派遣されてきた鉄道マンが製作中の試作車を見て真っ先に突っ込んだのが、
東急車両が冬のサハリンを想定して設計した暖房設備の甘さだったとか。
「こんな小さな温水ボイラ(それでも東急車両が既存品で用意できる最大の電気ボイラ)では話にならない。
それに電気ポンプ頼りで車内の温水を循環させる設計ではだめだ、自然対流でも温水が流れるようにしろ。
いいか、マイナス40℃の荒野で暖房が止まってみろ、乗客も乗務員もみな凍死してしまうのだぞ?設計をやり直せ」 >>235
北極圏の溶けたり凍ったりの土壌変化は現代技術でもコストと手間が多すぎて通年で維持出来ないんよ
それで大規模建築や緊急輸送ではそういう使い捨ての道が作られる
今以上にインフラがクソすぎるソヴィエト時代にアスファルトを運ぶ為の道を作る間に季節が変わってしまう
服を買いに行く服がないなら近場で用意しようとなってソ連驚異のテクノロジー
甜菜はシベリア管区やウラル管区、極東管区でも育つ場所はある
甜菜の絞りカスからセミエタノールを作りアスファルトの代用素材にするバイオマス技術が戦前からあった >>239
しかもそれで舗装した道が「ホカホカに湯気立ててる立派な新しい道路」だったりするから、ソ連/ロシアではこれが普通なんだなーと驚いた。
環境によって必要な技術は、その発展速度も全然違うんだよね。 中国南部のカルスト地形は風雨で浸食しやすく小さな洞窟が無数にありこれを猫耳洞と呼ぶ
中越国境紛争の舞台老山もカルスト地形で猫耳洞を利用し中国軍は奪取した老山を守り抜いた
https://i.imgur.com/Yco2dSu.jpg
と言えるのだが最後の一ヶ月のベトナム軍の戦法は手榴弾だけの軽装で昼夜を違わず
ただひたすら突撃を繰り返し弾薬切れるとベトナム兵が猫耳洞に飛び込んでくる
7/14の最後の総攻撃で戦いが終わる頃には猫耳洞はひき肉機、火葬場と呼ばれるようになった >>239
中国の青蔵鉄道はそういうところは高架橋にしてるみたい。それだとコストがかかりすぎるのかな
>>241
中越国境の石灰岩の山脈は世界最大らしいな。これのお陰で、陸続きの国としては恐らく唯一モンゴルの侵攻を撃退できた >>243
あの技術はソ連が北極圏に基地を建設する為に生み出したものなんで出来る…のかなあ
ロシア北極圏の世界の1/4が埋蔵する天然ガスを運ぶ北緯鉄道という採算が採れそうな計画があるんだけど
プーチンのお友達企業が税金吸い取って地質データ改竄や建築基準違反で差額懐に入れているのが
すっぱ抜かれてすっぱ抜いた記者が死んだりしているんで… 気付かずにスルーしてたw
>>244はガチムーチ兄貴の仲間だろうか >>248
圆(文字化けするかも)で簡体字だぞ ヨーロッパには野生の猿はジブラルタルの岩に住むバーバリーマカクという猿しかいない
猿はイギリス軍の管理下にあり類人猿担当官という下士官が餌やりや健康管理をしている
(バーバリーマカクは尻尾が短いので現地ではジブラルタル類人猿と呼んでいる)
全ての猿に名前があってイギリスらしく政府や軍のお偉いさんの名前がつけられている 定期的に餌やりや健康管理までしてるのを野生と言って良いのだろうか… 何故ジブラルタルに居るかというと、狩猟用に対岸のアフリカから連れてきたからというのが実にイギリス AKB48のRIVERのPVには航空自衛隊のCH-47が登場 >>253
イギリス人でなくムーア人の物語やね
猿はジブラルタルの岩を飛び回りいくら射ても矢が当たらず以来そこに住むようになったとさ
ムーア人が来る前からいたのは記録があって遺伝子は南ヨーロッパ広域にいた猿の最後の生残り
猿は得た経験を群れで共有し子孫に残すんだけど昔からイギリス軍が手厚く保護してきたので
全く人を恐れず観光客を襲ったり盗むよりも媚を売った方が効率よく餌が貰えると学習し
結果デブだらけ
生態系の保存や動物愛護なんて概念ない時代から何で保護してきたのかイギリスも分からない
それでジブラルタルにはイギリス軍はバーバリーマカクの守護のためにやってきたので
バーバリーマカクがいなくなるまでイギリスは絶対に撤退しないという都市伝説がある 明治43年に代々木練兵場で行われた、日本初飛行
一般に、代々木練兵場は、現在の代々木公園とされ、園内には記念碑もあるのだが、
実際に離着陸した場所は、公園の南側、現在の国立代々木競技場のある地域である 昭和15年に国民体力法というのが制定されている。
日中戦争で人の移動の増加は空気感染する結核の増加となった。
結核は体力や栄養状態の影響が大きく、それで女性の方が結核が多い。
男性だけでなく女性の体力測定も行い対策しようと始められた。
大陸での戦争に庶民は熱狂し賛同していたのだが、反比例して志願兵は減り徴兵逃れが横行する。
現金な大衆に対し、そんな折に女性の体力測定をするという。
男が兵士にならないから女性の徴兵が始まったと噂が流れ、体力測定を拒否するのが続出。
そんな事をしているうちに太平洋戦争始まり結核は爆発的に拡大し、データがないので対策に苦心する事になる。
小磯内閣では結核対策どころか結核行政が打ち切られ、戦時中の結核がどうなったのか記録がない。 明治時代の血税一揆から原発コロナまで、人は全く進歩していないことを示す寓話だな 戦時中の南方戦線でのマラリアによる肝腫大の解剖写真、カラー写真で記録した実物を見た事があるんだが、昔お世話になった教授の手持ち資料で一度チラッと見ただけだから多分資料として存在する事自体世に知られていない。
どうにかして世に知らしめたいが、方法すら無い。 >>260
戦時中でもカラーフィルムはあったから、そう言う写真自体はあってもおかしくないか。
(国産初のカラーフィルムが出来たのは1940年頃) 戦前の国産カラー技術は実験室でカラーを発色出来ますレベル
実証モデルが出来たのが44年で空襲で軍の要求仕様試験が出来ず実用化は戦後になる
カラー写真は様々な方式で19世紀からあるけど実用性のあるコダクロは1938年から発売
金持ちの道楽の高級品で国内にも戦前戦中のカラー写真がある
アメリカでも政府管轄の戦時中のカラー写真は約1600枚しかない
戦争情報局の管理下で契約した写真家への支給品だった
訓練、軍工場、女性労働者の内地のもので戦地の写真は勝確した末期までほぼない
当時のコダクロは劣化が激しく冷蔵庫で保管し持ち歩けるようなものじゃないから
だからおそらく内地での撮影じゃないかなあ
高度な医療体制のある方面軍の病院でも出来たのかもしれないけど それを考えるとハリウッド、『オズの魔法使い』や『風と共に去りぬ』は本当に凄かったんだな 米軍記録班(モーパック)が太平洋戦争の最前線で撮影したカラー映像が残ってるな
それを紹介する「カラー秘録 太平洋戦史」というテレビ番組があった >>264
戦前のカラー映画はモノクロフィルムに3色別々のフィルターをかけて合成するテクニカラーだろう チャールズ・リンドバーグは長男が誘拐殺人にあったので次男に護衛をつけたが
次男ジョンも誘拐され危うく探偵に救われている
リンドバーグは方針を変え3歳のジョンをプールにぶん投げ自力で水泳を覚えさせ
7歳になると一人でサバイバル生活をさせた
危険から遠ざけるのではなく一人で危険に対処できる力を叩き込んだ
ジョンは父から飛行機乗りだけはダメと言われていたので米海軍のダイバーになる
パロマレス米軍機墜落事故の水爆回収など死傷者の伴う難しい任務をいくつもこなし
世界屈指のダイバーになったが教育の賜物か大過なく父や兄の分も長生きした >>267
テクニカラーはコダック/アグファのカラーフィルムより20年ほど先行してて、とくにハリウッドで普及してたね
色も鮮やかで見栄えもよかった
ただ、三原色を3台のカメラで別々に撮る方式なので機材が大きく複雑になり、記録映画には向かなかった 戦争とカラー写真と言えばアルベール・カーンの派遣したカメラマンがオートクロームで遺したWW1の記録だろう。
主にフランス軍になるが、青い軍服のフランス兵達の映像が100年以上前とは思えないほど生なましく蘇ってくる。 765 おさかなくわえた名無しさん 2018/08/11(土) 14:40:47.87 ID:tI4rZ0M2
>>758
乃木希典はロシアのガトリングに対して人海戦術使ったからだよ。
あれで余りにも多くの兵士が無駄死にしてしまったので、遺族の方の為にも無駄死にだなんて言えなかった。
だから、名将乃木希典の類稀なる戦術である人海戦術で憎き露助の拠点を陥落せしめた。その為に亡くなられた方は国家に尽くした英霊というストーリーを作り上げなければならなかった。 >>271
戦車も無いどころか機関銃がようやく大量投入された頃だから仕方なかろう
むしろあの状況で人海戦術以外にとれる戦術があるというのなら是非とも教えて頂きたいものだ >>271
日露戦争の時なら、ガトリングじゃなくてマキシムじゃないの?
ちなみに、実戦でガトリング砲が使われたのは
戊辰戦争で、越後長岡藩が官軍に対して使用したのが
記録に残ってる一番最初だ、と言う話。
なんでも発射音を聞いただけで、官軍の精鋭”奇兵隊”が
大小垂流しながら逃げ出した、と言う話。 日本ホルホルまとめサイトでは南北戦争がなかった事にされてるのか… 日露戦争の影響だと前線部隊の創意工夫で生まれた即席手榴弾の活躍
現代的な手榴弾は即席手榴弾がクリミア戦争で陣地攻略で活躍したのがきっかけで
日露戦争の頃にはとっくに陣地攻略兵器に列強で標準的に採用されているのに
日本は情報すら集めていなかったので車輪の再発明を前線部隊が行ったのは面白い所
当時の手榴弾は事故や誤射が多く効果が疑問視されるようになった
イギリス観戦武官のエイルマー・ハルデイン中佐から日本の即席手榴弾の報告を受け
手榴弾の開発は再び活発化し手榴弾の歩兵の標準装備化が進んだ 徴兵された花火師が工夫したって何かで読んだ覚えがあるが、これは正直出来過ぎた話だと思う すでに塹壕戦が状態化していてスコップが標準装備の時代なのに持ってなかったり
貧乏じゃなく単に研究不足としか言えないお粗末な装備なんだよなあ
土工がいるなど近衛師団に相応しくないと常設から外したり >>275
松坂大輔の祖父が手榴弾の遠投で戦地において名を馳せた話を思い出した
沢村栄治はそれで肩を壊したんだっけな
物を投擲する動きって以外と複雑だから、やり投げによる狩猟文化やスポーツがないと意外と生かしきれない兵器だわ 日本兵は柔道や相撲の心得を白兵戦で活かしたって類いの話は多いが、逆に当時の日本人にものを投げる機会は少なかっただろうな
野球なんてまだないも同然だし >>279
戦国まで人力による投石は有力な戦術だったし、江戸に入っても庶民が遊びの石合戦をやっていたはず
棒を振り回すのも好きだし、野球との親和性があったのかもね
戦前は職業野球はともかく、アマ野球はすでに人気だったから、上記の素地がなくても手榴弾の扱いにはみな困らなかったのかも
雪合戦も実は軍事教練なの、だ? もしかして話の流れからして、>>279は日露戦争時の話をしてるんじゃ…? 一次大戦ではバリスタで手榴弾を投擲したという話は聞くけど、二時大戦ではとんと聞かんな >>269
1台のカメラにミラーを内蔵して3色に分ければいいんじゃね どのみちフィルムは3本必要なので、カメラの数は減らない >>282
当時でも未だに石合戦遊びで死者が出てるから、野蛮な田舎だと石投げには慣れているっぽい そもそもなぜ投擲のような戦闘本能の一部を容易に戦術として取り得なかったと否定するんだろうか
相手を殺す覚悟と勢いで戦闘不能にさせる選択を取るなら手頃な石を見付けたら投げ付けるはず >>288
投擲って自転車に乗るのと一緒で学ばないと身に付かないよ
少なくとも本能の部分じゃない >>283
ミーネンヴェルファーへの対抗策に応急処置で作ったものなんでトレンチモーターの配備が進むと消えた >>289
昔本で読んだ記憶があるんだが、物を投げて目標に当てるって行動は
人間ぐらいしかやらない、って話なんだそうだ。
まぁ、チンパンジーもやってるけどさ。 原始的な戦術の話になると、動きのある状況下でも限定的に武器が無ければ
対象との距離(退避行動・攻撃移行)を変化させる為の動揺手段で砂や石があれば目に付いたら思わず投げると思う
これは運動教育や習熟を持って為される有効な投擲方法の話とはあまり関係が無さそうな気がする >>291
生身の人間が唯一野生動物に勝てるのが投擲能力らしいな そうでもない
・やたらめったら高い持久力(足の速い獲物でも延々と追跡してへばらせる)
・アルコールやタマネギなど、特定の毒素を素早く分解し無毒に出来る(どころか栄養にする)肝機能、割となんでも気にせず食える
・塩分を全身から汗として代謝する能力、急速冷却を可能にしたり、腎機能を守ることができる
みたいな「生存能力の高さ」が原始人類を野生動物から隔絶する能力として働いたのよね 上からオーバースローで投げるのは人間だけで他の類人猿は下から投げると聞いたが
動物園でウンコ投げるゴリラやチンパンジーはどちらだったか >>296
肝機能や発汗はともかく、持久力はオオカミあたりには敵わんだろ >>298
イヌ科は発汗による体温冷却能力を持たず、舌で放熱するしかないから人類発祥の熱帯では持久力に欠けるよ
家畜化したイヌを見ればわかるけど >>298
人類の持久力は生物的には桁違いだそうだ
1週間やら1か月ずっと追いかけ回すのは人類しか出来ないとか
オオカミだと長くてもせいぜい1日2日程度の持久力しかないとか
いやまあ狼は30km/hで一日中走り回れる時点でメチャクチャ持久力あるような気がするけども ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています