しょうもない知識を披露するスレ 第43幕
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>383
ヴェルサイユ条約による軍用銃の開発・生産の制限をクリアするための措置だっけか。 >>382
なのにアカは拳銃どころかトンプソンまで持ってるから、出会い頭にかまされて殉職する警官は多かった
警察があいつらを憎んだのはそれと無関係じゃあるまい
そして、特高は早くから拳銃を装備してたのもそういう事なんだろう 大戦中のフランスは戦争もあったがドイツが高額な税をガソリンにかけたのでドーバー海峡で漁が出来なかった
採るものがいないニシンの群れは巨大化しすぎて海岸の近くに来ると押し合いへし合いになり
海岸に乗り上げるようになり再びニシンが採れるようになった 作家の澤地久枝は、ミッドウェイ海戦に関するノンフィクションを書く時、赤城のプラモデルを買って自ら組み立てた
陸軍に関するノンフィクションは既に何冊か書いていた彼女だが、海軍に関しては知識がなく、関係者の回想にある専門用語が理解できなかったのだ
空母の構造を立体的に理解できたことは、執筆に大いに役立ったらしい 村西とおるがセスナ機を使って、真珠湾でアダルトビデオで撮影したとテレビで言っていた
日本海軍が真珠湾を攻撃した同じルート アメリカ空軍の攻撃機A-10に「サメの歯」が描かれるようになった理由
アメリカにおけるサメのアートは「アメリカ義勇軍(American Volunteer Group)から始まった
義勇軍は中国空軍に編成され、中華民国の旗の下で活動した。わずか1年の活動の後、解散したが、アメリカ空軍によるとその期間中、297機を撃墜したという。
彼らは、その活躍により伝説となった。「その活躍はP-40機とともにあった」とシェリーは言う。「第二次世界大戦のP-40の写真を見ると、ほぼすべてにサメの歯が描かれている
」https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1632049955/ あれはなんで読んだんだったか、戦闘機の機首にサメの歯を描くのは
「お前なんか食いちぎってやる!」
って意味なんだそうで、最初はドイツ空軍からなんだそうだ
って話。
確かに水冷エンジンな機体なら、サメの歯を書くのは最適なのかもしれない
(P-40とかね) 第一次世界大戦のドイツの偵察飛行隊が始めた意匠で当初はクジラの口
カッコよくしようと丸い目をつけたり牙でサメにしたりと色々作られる
第二次世界大戦でMe110装備のZG76がサメの口でデザインを継承
これを駆逐した欧州最強のイギリスのP-40B装備の112戦隊がZG76を見て何これカッコいいと真似てこれに涙滴型の目を加えて塗装
112戦隊の武名にあやかってフライングタイガースがさらにこれを真似る >>385
ソース
戦前の左派のテロでトンプソンが使われたなんて初めて聞くし、
検索してもそれらしい話は出てこないんだけど P-40は44年前半に欧州戦線から無くなってP対日戦線に回されている
書類上の話でケッセルリンクがP-40との交戦を禁止していたようにドイツ機の相手にはP-40で十分なので信頼性の高さやP-51が不評だったのもあって員数外で終戦まで使われた イギリス陸軍では19世紀の終わりまで将校の売官があり、昇進や退役する者が出てポストが空くと、前任者に然るべき金額(公定価格があった)を支払う事で昇進した
金を払わず順番待ちでも昇進はできたが、これは大変な根気と戦死者を要し、公定価格より相場はさらに高いので金持ちの貴族やジェントリでないと昇進は困難だった
何故そんな制度が残っていたかというと、退役将校に退職金を払うより、ポストを売って退役させた方が安上がりだからである
相撲の親方や競馬の予想屋に似ている 予想屋より勝馬買った方が当たるのですよ
競馬は手っ取り早く金が入るので戦時中も開催されている
ギャンブルではなく軍馬育成環境醸成の為の能力検定とかなんとかいう名目の公営レースは激減したが何故かレースはいつもやっている
馬券は売ってないはずだが何故か馬券を買えた
当時は暴力団が政治家官僚とつるんで公然と公営ギャンブルが仕切っていたからまあ
樺太は法律が曖昧な土地なので人が集まれば競馬が行われる賭博の楽園
ソ連侵攻の日まで樺太では競馬が行われていた >>397
公然と売官が制度化されてたって面白いな >>401
おおーこれも面白い
しかも幕末に買うのが流行ったっていうのも味わい深い。買ってすぐに大政奉還して涙目!とかあったのかね >>398
あの台は何十万円何百万円の権利金が乗っかってて、廃業する時は可能なら弟子に売る
ちなみに、馬だけに歩兵より騎兵の方が公定価格は高かったが、砲兵と工兵は専門職なので売官の対象外だった
クリミア戦争で将校が大量に戦死して制度改革のチャンスが来たのと、プロイセンが台頭してきた事で英国陸軍もようやく売官と手を切った 始皇帝陵から発掘された兵馬俑には、武器にクロムメッキの跡がある
一般的な科学・技術史では、クロムの発見は18世紀末、クロムメッキの実用化は19世紀末以降とされており、
紀元前3世紀にクロムメッキが存在した理由は大きな謎だった
数年前に行われた再調査で、この謎は解明された
武器に塗られていた塗料に、偶然クロムが含まれており、発掘時の調査では、これがクロムメッキだと誤判断されていたのである 戦時中のイギリスは
フランス降伏で国内の空気が変わって競馬などギャンブルが禁止
↓
利権が絡むんで一度議会が差し止め
↓
うるせえバカと軍が競馬場接収し警察が闇競馬を徹底して逮捕で中止に追い込む
日本の印象だとポツダム宣言受託=終戦だけど9月2日の降伏文書署名が終戦という認識で
この報を受けてようやく競馬が再開となった >>397
高度な専門知識を要する砲兵・工兵に関しては、さすがに、
金持ってるだけの素人にやらせるのはヤバすぎるって事で、
18世紀半ば頃には、将校は専門の軍学校の卒業者に限る、
昇任は年功と実績によるって制度に切り替わってますね。 >>404
呂不韋の名前が入った刀剣が素晴らしい保存状態で後世作だと思ってた そういえば、さっき買い物に行った店に、ダマスカス鋼の包丁のポスターが貼られてたけど、
ダマスカス鋼って失われた技術で、今も製造法は不明のままなんじゃ……
ググったら、今は見た目をそれっぽくした包丁やナイフが製造・販売されているけれど、
本物のダマスカス鋼の完璧な再現では無いっぽいの。 ダマスカス鋼は再現出来ている
イランの刀剣の実物の解析で不明な部分が見つかってサンプルによって差がある
これは焼きなましの過程で起きる現象と解析されていて人の手で色々な環境下で起きるから再現性がない
これをオカルトのように現代の技術で再現出来ないと言ってるのがいる
神秘的な何か凄い金属ダマスカス鋼という詐欺口上は昔からある
ロシアではウーツ鋼がモンゴル系国家によるロシアの軛の時代に使用されモンゴルの衰退と共に技術が失われた
ロシアの士官候補生パーヴェル・アノゾフは士官学校の展示物のモンゴルの剣に魅了される
彼は研究を続けインドに残るウーツ鋼の製造技術を調べダマスカス鋼の再現を行う
これによりベッセマー法よりはるかにローコストのブラート鋼という開発しロシア軍に大いに貢献した
アノゾフが憧れたモンゴルの剣は全く強度のないヨーロッパ製のパターン溶接鋼のパチモンだった >>409
再現性が無いっていうと、日本じゃ曜変天目茶碗みたいなもんかね。 あまり関係ない話かも知れんけど
大昔の銃でも同じ教科書通りの量産工程で製造しているにも関わらず
鉄砲鍛冶の微妙な加減なのか、気温や湿度などの条件が絡むのか
1000挺に1挺と言われる特別よく当たる銃が出来ちゃう事があったとか
そればかり作ろうと頑張って条件を整えようとしてもなかなか上手く行かない
そんな話を読んだ事が有る >>411
三八式歩兵銃の狙撃兵向けがそんな感じじゃなかったっけ?
特別に精度のいい銃を抽出してたような。 サッカー戦争で負けて高度成長期からテロ蔓延修羅の国に転落したエルサルバドル
何しろ経済が機能しないので、何か国庫を潤す策がないかと考えて行き着いたのは、何と日本の競輪だった
競馬は多くの馬と広い競馬場が必要な上に携わる人間も多いが、競輪は人手もスペースも最低限で済み、同じ売上なら遥かに利益率が高い
しかし、この起死回生のアイデアは思わぬ敵に阻まれて実現しなかった
日本の通産省の役人があまりに横柄で、派遣されて来たエルサルバドルの関係者を邪険にしたため御破算になったのだった
かくして外国での競輪開催の実現は、ソウル五輪の施設の始末に困った韓国によるものまで持ち越しとなった >>402
勝海舟のひい爺さんだかはメクラのアンマだったけど高利貸しで金貯めて御家人株買ったんだよな >>411
西部開拓時代でもガンマン達はそういう銃を懸命に探して買い求めたって聞いてる 38歩兵銃、99短小銃、64小銃は
生産ラインから出たうち精度の良いものを
狙撃銃として運用したそうだけど
特別な狙撃銃のラインを設けなくても
そんなに精度が他のロットと違うものなの? シティーハンターの遼が持ってる銃がそういうのだ、みたいなネタで知ったな(だいぶ現代だけど) >>416
陸軍の狙撃銃は検品検査基準の違いはありそうだけどわざわざ通常品から選んだと思えないんだよね
採用関係の書類にもそういった記載がないんで
64式は射撃大会優勝者へのトロフィーで少数なんでわざわざ生産するまでもないんで分かるけど
狙撃銃は万単位で名古屋と小倉で生産されているから >>415
白黒映画「ウインチェスター銃'73」やね
文字通り1000丁に1丁のウインチェスターを巡っての人間模様を描く作品 >>416
鉄工所とか鉄だの金属だのを加工する会社で勤務するとわかるけど、たとえば同じ圧力でプレスしても、
元になる素材の厚みや組成、当日の気温だのでもう全然寸法変わっちゃうわけよ。
全然と言っても0.1mm単位、あるいは0.01mm単位だが、加工時に入った熱抜けるとまた寸法変わるし、ある程度の誤差は許容しないとやってられない。
それが1つ1つの部品で積もり積もると結構な違いになるんで、設計通りカッチリできました!なんて機械は大量生産じゃ奇跡に近い。
ロットというより、ロットの中でも許容範囲内に収まってるってだけで、1つ1つが全然違うのは当たり前。 まあ現代のマイコンのCPUでも当たり石とかあるしな。製造時のバラつきは普通にあるだろ そりゃ物によるけど銃ぐらいサイズの部品で誤差許容0.1mm指定はよくあるけどさすがに0.1mm単位の誤差はあかんやろw アメリカは大量生産で日本は職人が一丁一丁〜という戦記ものの影響で勘違いされているけど、
遅くとも昭和15年以降生産の三八式や九九式は軍需省管轄で員数主義になるまでは、部品の共通使用が出来る精度の品質管理と量産技術があるよ
末期のやコレクター向けに出回って撃つの禁止された海軍向けのNavySpecialなんかはヤバい出来だけどね 自動車のエンジンでも、サイズの揃った(公差の範囲内でさらにブレの小さい)部品を組み合わせれば許容回転数の高い(馬力の出る)ものが組める
ホンダのTypeRは最初はそういうコンセプトだった >>422
超精密機器製造機械の部品で0.15mm、精米機だと0.2か0.3mmくらいかな?案外そんなものよ。
後は組み立てで何とかしてねって感じ。 >>424
さすがにスペックR用エンジンなんてバランス取りまでしてないよ。
初期にポート研磨とか工程の一部が手作業だったってだけで、職人が1台1台調整しながらの手組みエンジンなんて、
量産ものだとメルセデスAMGの上級グレード用くらいしかやっとらん。 >>426
フィアットのリトモアバルト130TC用のエンジンは、ノーマルエンジンとパーツ番号は同じで公差の狭いピストンやピストンリングを使ってて、パーツリストに明記してあった >>427
そういうのはあるね。
同じ部品番号でも車台番号とヒモ付けされてて別物が来るの。
同じマニュアルミッションでも、最高出力や用途の差でギアへの加工が異なったり。 >>423
そうか、パーツの互換性が無くてパーツ全部に番号が記してあった。
なんて話は、三八式でも初期型の話だったのか。 >>430
初期型は確かに互換性が怪しめだが、通し番号自体は祖鉄末期型以外は押してあるぞ
当時のドイツでもアメリカでもなんなら今現在でも、基本的にはパーツに通し番号入れるのは普通なのに何故か三八式だけボロの証!みたいに言われるんだよねそれ
kar98kとかM1ガーランドのマッチナンバー個体とか高値になるとか聞いた事が無いニワカが作ったホラだから、「互換性が無いから番号をうってる」あたりはウソ知識として忘れておいた方が良いぞ >>414
江戸時代だと、盲人が然るべき所(確か寺社奉行)に金を納めると
然るべき位が与えられて、優遇措置がとられてたとか言う話ですね。 今使ってる80年代のソ連製カメラレンズにも本体のシリアル以外にパーツに通し番号入ってるわ。 >>432
それ(当道座)とはぜんぜん別の話ですよ うちにある1920年製のライツ顕微鏡には、対物レンズと鏡筒と接眼レンズの組み合わせで何倍になるかの実測表がついてる
ドイツ語なんできちんとは読めないが、「この組み合わせ以外は保証しない」みたいなことが書いてある そもそもカーチューニングってのは突き詰めると部品の相性との戦いという側面がある
同じエンジンでもその相性によって当たり外れがあるってのは古株のF1関係者なら身を持って知ってる
銃だって戦闘機だって精密機械はなんだってそうだろう >>421
同じCPUでもクロック数が高いのと低いのがあるけど、あれは製造工程は全く同じで、ウエハーの周辺部が中心に比べて像がボケやすくて統計的に高周波での使用に耐えられない可能性が高くなるので、そういうのを低クロックの製品として出してる
必ずしも品質が悪いとは限らないので、規定以上のクロック数で動かすオーバークロックというのが存在してる
あと、電子部品の抵抗器やコンデンサなどは許容誤差があって、高い製品ほど許容誤差が小さく設定されてるけど、安い製品を選り分けた方がより精度が出せる
一般的には手間がかかるからそんなことをしないけど、DIYの電子工作なら役に立つし、一方アポロ計画みたいな場面でもそうしたらしい >>416
64に関しては、当たり外れは確かにあったが、あれは生産時の誤差よりも、
その後の扱いの差が大きいと思うの。
64に限らず、軍用銃は、手荒な扱いをされるのが当たり前なので、
銃身が歪んだり、各部にガタが来たりするから。
(大きい声では言えないが、銃口から覗き込むと、明らかに銃身が曲がっている銃が少なからずあった)
戦前・戦中の工作精度については、否定も肯定も出来るだけの材料がない。 昭和17年、蘭印を占領した日本海軍は、同方面の固有種、コモドオオトカゲ2頭を捕獲、天皇に献上した
生物学者でもあった昭和天皇は、コモドオオトカゲを学名で呼び、周囲を驚かせた
コモドオオトカゲはその後、上野動物園で飼育された
これが、日本に持ち込まれた初のコモドオオトカゲである >>437
今はどうなってるか知らんが、インテルのCPUで同じように作って性能出てればペンティアム、それなりならセレロン(廉価版)として出荷してたってのは聞くね。 最近はコアが一部潰れてるのをソフト的に殺して下位グレードとして得るなんてのも良くあるよね
歩留まりを上げるための合理的な手法だな 工業生産物には性能表示って物があって
構成パーツが如何に多数で、その公差がどうマイナスに偏って集まろうが
完成品に表示された性能は保証値でなければならない
量産の結果その性能に満たない不良品が限りなくゼロになるよう
製造ラインの設計や公差範囲の設定が行われる訳
昔のJIS規格も糞も無いような町工場の手作りや切羽詰まった戦局の下での武器製造なんかは
何処まで許容されてたかはわからんけどね
数百m先のコインを撃ち抜く精度を目指しながらも実際には人間大の的に当たれば良しとか
完成品の個別評価試験をやったり僅かなエラーを不良品認定して除外する余裕は無かったかもな 日本兵器の加工公差がそもそもアメリカより一桁大きかったって類いの話はある
材料であったり、工作機械であったり、作れる物それ自体の限界だったり、当時の日本は基礎的な工業力が足りなかった
だから扱いづらい頑固職人の勘に頼り、また頼るしかなかったのが貧国の悲しさ >>443
JISの前に日本標準規格というのがあって陸軍の兵器行政は大正時代から使っているよ
規格化されると下請けが他の企業に引き抜かれると財閥の激しい抵抗があって難航はした小銃の互換性の達成は規格化の象徴でこれができるには日中戦争を利用しての戦時特措で強引に進めてようやく達成出来た 川端康成は「霹靂の如き一瞬、敵艦ただ死のみ・川端康成氏“神雷兵器”語る」で桜花を絶賛していた >>426
消防車なんかはポンプの性能試験があって誤魔化しが効かないから、昔は当たりのエンジンを作って、その中で試験に合格する性能が出たものを選抜していたそうだね。 >>448
一番出来の良い消防ポンプ用エンジンはF1のエンジンに転用するんだぜ >>449
今の若者はコヴェントリー・クライマックスなんて知らねえよ、この老害! 昔フォーミュラフォードでブローしたエンジンを溶接で修理したところ
かえって前より良く回るようになり、アタリのエンジンとしてドライバーで取り合いになったという。
何人ものチャンピオンを生み出し、その中の一人が若き日のアイルトン・セナである。 >>452
そのエンジンの写真を見たことがある
本当にクランクケースに継ぎが当たってたよ びわ湖の競艇場でも同じことが起きた
バリを削ったら結果としてポート加工になり、このモーターを抽選で引けば優勝間違いなしという逸品に大変身
当時のびわ湖競艇ではモーターに京都や滋賀の地名をつけていて、そのモーターの名前はよりにもよって「雄琴」だった
今でも雄琴で儲けて雄琴へ行った思い出話は当地の爺さんから聞ける >>453
2,30年程昔のCG誌で特集されてたね
若者の割りに良く知ってるな ホーカー・ハリケーン戦闘機は、胴体尾部の構造に欠陥があり、飛行中に尾部が尾翼ごと吹き飛ぶ事故が多発していた
戦時中のため、抜本的な対策を取る余裕のなかった空軍とホーカー社は、尾部に継ぎ当て板を何枚も張り付けることで急場をしのいだ
現在のユーロファイター・タイフーンが、カナード付きデルタ翼で尾翼を持たないのは、この事故の教訓とは多分関係ない ハリケーンベースで翼内固定機銃を廃して
コックピット後方に4連装の回転銃座を背負った
「ボールトンポール・ディファイアント」って迎撃機あるじゃん
あれ機銃がコックピットをまたぐ形で真正面にも向ける事が出来るのだが
その際、何でプロペラを撃たないのか不思議
可動な機銃に同調機構もクソも無いと思うのだけど >>456
それハリケーンじゃなくタイフーンの話でなかったっけ? >>457
後座機銃で自機の垂直尾翼を吹っ飛ばしちゃう女性が出てくるマンガが昔有ったなぁ
と回顧 >>457
プロペラピッチと電気信号で連動していて当たらないようになっている
ハリケーンには似ているんで参考にはしただろうけどオリジナル
ディファイアントは通常の単座主翼内蔵式もテストされていて20mm4門で当時のスピットファイアを上回る560km/h
単座はすでにハリケーン、スピットファイアがあるので採用されなかった >>459
松本零士でしたっけ。
デファイアントは、銃口が尾翼に向くと射撃を停止する装置が付いてたんで、
そういう事故は起きてないはず。
機首方向への射撃も、プロペラとの同調じゃなくて、
仰角が下がると射撃を停止するシステムだったように記憶してるが、違ったかも。
他機種も、動力銃座の場合、安全装置が付いていて、
自機を撃たないようになっている例が多いんですが、手動旋回銃だと、
そこまでの安全装置はなくて、自機を撃っちゃう事故が時々発生してたようですね。 ちなみに、固定機銃を前方に向けて撃って、その銃弾が自機に命中して撃墜した事故も、
米海軍のF11Fで起きています。
射撃後、機体を降下させたところ、重力で落下してきた銃弾のコースと、
偶然一致しちゃったの…… なるほどなるほど
みんな博識よね、ここ(´‐ω‐`) >>459
インディジョーンズでも、後部旋回機銃で尾翼を撃っちゃうシーンがあったよね。
ショーン・コネリーが、ジョーンズの父役で出てた作品だったと記憶してるんだが。 >>465
アチャーと慌てて振り向いた父ちゃんが、息子インディに(ドイツ軍機に)「やられたよ…」と言ってごまかすまでが1シーン。 ディファイアントが前方に撃ったらだけど通常はロックかかってけど機能としてペラ越しに撃てる
DHプロペラは7.7mmが当たっても耐えられる
奇怪な方式でなくペラ連動式の開発前はこの方式(当然事故は起きるけど)
ロックを外せばコクピットの両横を弾丸が通り前方に射撃できる配置になりパイロット側の操作で前方にペラ越しに射撃は出来る
出来ると言っても非常用なんでパイロットには照準装置はなく戦闘の為の装備じゃないけど 189 名無しさん@ご利用は計画的に 01/11/18 12:26 ID:g+ccBPqd
長篠の戦いでの所謂「鉄砲三段撃ち」は江戸時代の創作 井沢元彦などの通説は間違っていた系ネタは世界史板的には織豊時代には交代式の射撃があったのは史料にあるからで終わるんで
軍板的には後の創作に影響を与える明治の参謀本部がなぜ三段撃ちに着目したのか
この三段撃ちの銃隊を分割して間断なく射撃を継続する方式を明文化したのはオランダの歩兵操典が初出になる
織豊政権以前のもので欧州ではすでに広まっていた戦術になる
幕末辺りから操典類が輸入され明治建軍以降参謀本部がこれらの収集や研究を担う
参謀本部は日本戦史と西洋の比較研究で甫庵信長記などの記述や長篠合戦図屏風の2列の銃隊編成に同質性を見つけ特記した
馬防柵はより深く見ていて馬防柵以前の織田信秀時代の美濃攻めで斎藤軍が野戦陣地構築と小銃の組み合わせた迎撃の記述から
同様の戦術がオランダ歩兵操典にもあって小銃を活かしたかなり高度な運用は小銃が出回り出した早い段階で日本にも類するものが作られ長篠の戦いはこうした蓄積の成果ではないかと推測している 三段撃ちは創作だけど、三人一組で班になって交互に撃っていたのは記録に残ってたはず 桶狭間についても、一時は「奇襲説は嘘!」説がもてはやされていたけど、
史書にある戦力差や両軍の損害を考えると、正攻法であそこまで完勝するのは無理、とか、
そもそも史料にある両軍兵力が盛りまくっている数字だとか、色々出てきて、
一次史料どころか専門書すら読めない門外漢にとっては何が何やら。
ネットだと、声の大きな少数派の意見が通説みたいに書かれてたりするしなあ。
きちんと論拠を上げての考察を追っていくのは、興味深いんですけどね。 「長篠の三段撃ちは無い」は物理的(地形的)に3列並ぶのが難しいってだけで、三段撃ちそのものの否定ではないんだよね。 敵が均等に一直線になって迫ってくるわけでもないから一斉に撃つ必要はないし、
最初の一斉射はできてもそれ以降は音で耳がやられるから号令なんか聞こえやしないし、
敵が迫ってくるのに射撃の指示が待てる程に悠長に構えてなんかいられない >>473
後の世でいうPakフロントみたいなもんだったんだろね、とは想像つく。 二人でも四人でも無く三人ってところが
幕末の輸入操典類の影響かなあ 射撃位置に移動するためのローテーションも固定で掛かるから、人増やし過ぎても連射間隔増えないのでは? 狭い場所だと一人だけ撃って二人が装填役という方法もある 火縄銃はカスが溜まって火門がふさがったりするから掃除役、
火縄の位置をずらすとか鉛玉、玉薬、火蓋の点火薬とか役目を決めて
作業を後方で分業して前方は照準に専念するのはアリなんじゃない?
加熱した銃身を冷ますのにも、後方で1-2丁を準備しておくとか センゴクで雑賀孫市とかがそんな感じの射撃やってたな、射手がローテするよりは効率的かもね。いっぽう誰かがやられると流れ作業が滞りそうだけど 鉄砲毎に癖があるから、入れ換え出来るならその方が良いらしい 西洋は火縄銃から、火縄の種火を保つ必要がなく即応性の高い火打ち石銃に移行したが
重い火打ち石をバネで叩きつけるため照準がぶれて命中精度が良くないので集団戦法に移行せざるおえなかった。
一方、日本の火縄銃は火縄を軽く押し下げるだけなので、ライフルが無い割には命中精度が高い、という長所があったらしい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています