しょうもない知識を披露するスレ 第43幕
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>62
昭和天皇の中国への増派と積極攻勢に真っ向から反対したから
それで実質クビ >>65
蒸気機関って、配管が詰まるから、不純物を含んだ水は使えないのですよね。
普通の水道水ですら、使わない方が良いとされているくらいで。
船舶だと、緊急時に、海水をそのまま使う事もあるそうですが、
それをやると、帰港後に、機関の全交換が必要になるくらいの悪影響が出るそうな。 >>65
現代のボイラーならフィルターで簡単に純水を手に入れられるけど、当時はそんなのないから何度も沈殿処理と濾過してた
それでも足りないので、水を蒸発させて水蒸気を冷却してたんだと思う >>67
現代ではボイラー水はイオン交換水(要は純水)です
水道水はかなりの塩が(ナトリウムなど)含まれているので、配管が詰まります
これを何とかするには、強酸性の液体で酸洗いをするか、配管を入れ替えるかしかないです(一応ボイラー1級) 蒸気機関って復水器って無いのかな
船なら海水で冷やせそうだけど >>61
水素を作る方法はいくつかあって、水だけが原料とは限らない。
既にダイハツは水加ヒドラジンを使ったカートリッジ燃料でチャージするタイプの燃料電池を開発し、モーターショーで出展してたりする。
問題は水素へ改質する時に発生する熱で、改質器の改良が進むまでは液化水素頼りなのは確か。
「アンモニアの燃焼で炭酸ガスが出ない」ってのも単にCO2排出だけの話で、窒素酸化物(NOx)は普通に出るため、これまたすぐに100%移行とはいかない。
(まずは石炭との混合燃焼で、石炭火力発電の延命を図るってとこから)
なんかスゴイ技術っぽいけど実用化が進まないものって、コスト以外にもいろいろ理由があるんで、あんまメリットだけ喧伝しちゃダメ。 >>70
もちろん、復水器を備えたものもあるけど、100%回収出来るわけじゃないので、
頻度が減るとはいえ、いずれ水の補給は必要。
あと、装置が複雑になるし、効率も低下するので、蒸気使い捨てシステムとどっちが良いかは、
単純に比較出来ないようです。 >>64
それって、ギアチェンジ用と別に始動用のクラッチもあるってこと?
ちなみに、デコンプ機能って当時からあったんだろうか >>74
デコンプは内燃機関の最初からあったというか、最近不要になって廃れた機構だと思う
高校にあった実習用エンジンとSR400でしか体験した事ないけど >>74
フライホイールはエンジン側にあるもので出力の加減による振動やらを打ち消すためのもんだから、確かにギアチェンジ用とは別なクラッチ無いと成り立たんよね。
飛行機用ならギアチェンジなぞしないから考えなくてもいいが。 >>76
でも少なくとも零戦にはエナーシャ用のクラッチレバー?があるぞ
クランク差し込み口脇にワイヤーでつながった引き手がある >>74
慣性始動機といって、エンジン始動専用のフライホイールとクラッチがついてます。
エンジンが回り出したら、一切操作する必要が無いので、クラッチの操作は、
始動用クランクを突っ込む穴の近くに、ボタンやレバーを付ける例が多いようですね。
もともとは航空機用だったようですが、WW2だと独軍戦車も積んでます。
普通の乗用車やトラック等の採用例は、不勉強なのでよく判りません。
あとデコンプについてもよく判らん。私は草刈り機でしか見た事無いな。 >>77
「飛行機はギアチェンジしないから、クラッチ2つは必要無いよね」って意味よ? パットン第3軍にはデイブ・ブルーベックがリーダーのウルフパックというバンドがあって
ブルーベックは第3軍から優秀な人材を選び最前線でウルフパックは演奏して回った
ブルーベックはウエストコースト・ジャズの巨匠で代表曲はテイク・ファイブ
バルジの戦いでは命からがら米軍陣地にたどり着いたら危うく殺されそうになった
ウルフパックが怪しまれたのは黒人がバンドメンバーにいたから
当時の常識では白人と黒人が肩を並べて演奏する軍楽隊などありえなかった >>53
ところが最後まで蒸気自動車にこだわり続けたアメリカ車、ドーブルは厳冬期でもボイラーに火を入れて30秒でスタートできた
40秒で支度するパズーより優秀である 現在でも真相が不明なジョルジェ・マルティノヴィッチ事件(1985年)はセルビア人の
農家ジョルジェ・マルティノヴィッチが肛門へのガラス瓶の挿入による負傷の治療を
受けたことでユーゴスラビア人民軍まで調査に乗り出す事態となった。
これについて連邦政府は
「マスターベーション目的で自ら瓶を挿入し、それが割れて負傷した」
という結論を出したが、後にマルティヴィッチは
「供述は3時間におよぶ人民軍大佐の尋問の中で強いられたもの」
だとして供述を撤回した。
この件以降、ユーゴではそれまでタブーだった民族主義が公然と語られるようになり
後のユーゴ内戦の最初のきっかけになったと言われている。 >>52
世界最初の自動車レースで最初にゴールしたのは蒸気自動車だったが、運転手と缶焚きの2名が必要なのがレギュレーション違反とされ失格になった
そこで繰り上げ優勝したのがプジョー製のガソリンエンジン車で、以来このどちらかと言うと地味なメーカーの自慢の種になっている なお、最初にゴールした蒸気自動車の設計と運転はド・ディオン伯爵によるもので、伯爵の名前はサスペンション形式として今でも残っている >>84
ド・ディオンアクスルね。
国産車でも初代スカイラインスポーツとかアクティとか、いくつか採用例がある。 ちゃんと調べてないんだけど、今でもリアがトーションビームの小型FFベースの四駆だと変形ド・ディオンアクスルがあるかもね そういえば、蒸気自動車による速度記録、なんてのがあった様な気がする。
1903年に、スタンレースチーマーロケットが時速203km(ただし片道だけなので未公認記録、復路で転倒した)
1985年に、バーバー・ニコルズ・エンジニアリング社製蒸気自動車「スティーミン・ディーモン」が時速234.33kmを達成する(ただし片道だけなので未公認)
2009年にブリティッシュ スチームカー チャレンジ ”インスピレーション”が時速239qを達成(公認記録なのかは不明)
※公認記録にするには風の影響などを考慮する為、同じコースを往復する必要がある(同じ方向な別のコースを使って往復するのも可、だけどね)
(なお、蒸気機関車での最高速度は1938年英国はマラード号の203q、ただし計測区間は下り坂で片道のみの速度計測) >>82
高知県の某俗物女子校では便所で電球オナニー中に割れて死んだ生徒の伝説が今なお語り継がれているが、さすがバルカン半島は火薬庫だ >>88
いかんいかん。
バルカン半島が
ガルパン半島に見えた。
もう寝るわ。 冷戦の激化に両国の関係を改善しようと1959年にアメリカ博覧会がモスクワで開かれ
ここで配られたペプシにソ連の大衆もお偉いさん達も夢中
米帝資本主義の退廃文化コカ・コーラはダメ絶対だがペプシは輸入出来るようになった
冷戦後期になるとソ連の経済はガタガタでペプシ代が捻出できない
どうしてもペプシが欲しいソ連は巡洋艦以下戦闘艦17隻の物納で支払ったので
ペプシは世界第6位の海軍大国になった事がある
(ペプシ艦隊はソ連から出港してスウェーデンで鉄屑にされたけどね) 時鐘とか、舵輪とか、艦名プレートとか、記念に残したりしてないんだろうか? >>87
ちなみに50ccのバイクの公認記録は233.3km/hだったりする >>95
自転車の速度記録は296キロだぜ!ははん!
スリップストリーム使った記録なのは内緒だけど 足つけないから自立では発進出来ず、カウルで前も見えないリカンベントって自転車と言えるのかすげー疑問ではあるがw >>99
速度記録出したのは、見た目は普通のマウンテンバイク
どんなギア組んでたのか知らんが >>102
うーむ、二重ギアでとんでもない力で漕がないといけない奴だな…
カウル付きリカンベントは発進までの支え以外は自力だったかな >>103
私の記憶が確かだとすれば、その最高速度を出した自転車は人間の力では
こぎ出す事すら出来ないので、適当な速度になるまでは
前に居る車から牽引してもらってたと思う。 最高速度ネタに便乗。
世界で最初に地上で音速を突破したのは、バドワイザースペシャルって
ロケット推進の車、ただし未公認。
メインエンジンの他に補助推進としてサイドワインダーロケットをつけての走行で
音速を突破したんだが、片道だけの走行だったんで公認記録にはならなかった。
ちなみに、計測した場所はエドワーズ空軍基地で
計測した連中がエドワーズ空軍基地のスタッフ。
運転手曰く
「頭の横でミサイルが火を噴いてる状況で運転できるか!」
と言う理由で、往復での走行はしなかった模様。 >「頭の横でミサイルが火を噴いてる状況で運転できるか!」
>と言う理由で、往復での走行はしなかった模様。
なら最初からやるなよww 「史上最悪の結果を招いたテロ」と言えば第一次大戦を引き起こしたサラエボ事件だが
実行犯のガヴリロ・プリンツィプは今でもセルビアでは英雄である。 >>91
ペプシ艦隊が爆誕する以前も、ペプシの話は面白いんだよな
ソ連はもともと外貨がないし冷戦時代のルーブルは外貨に替えて持ち出せないから、離れわざで成立した契約が『ペプシとウォッカの物々交換』だもんな コカ・コーラはコカ・コーラでラーダと交換したからな
あんなのアメリカで売れるのかという拭い難い疑問が残るが、ペプシにソ連市場を席巻されないことが第一だったそうな ソ連にはルーブルとドルの換算レートはあって常に更新していたけど、西側からすると過高評価だから
出来ないのではなく西側はしなかったんよ。
ソ連は真面目に計算して出していて、社会主義経済圏では成立している。
社会主義経済圏とでは物の価値が違うので起きるズレ。
それで物々交換か、ロンドン金市場を経由した金での取引になった。 ソ連時代末期のモスクワの空港でなんか買ったら、ルーブルの値札で支払い日本円、お釣りはUSDだったな >>113
そう言えばこんなな話を。
ソ連時代末期、日本のとある天文学者がソ連の学会に参加した時の事、お小遣いとして
ルーブル札をドン!と貰ったんだそうだ。
しかし、そのルーブル札を持ってデパートに行っても、何も買う物が無かったんだとか。 山下洋輔がエッセーで書いてたな
友人のミュージシャンが当時の共産圏東ヨーロッパでコンサートを開き、大盛況で多額のギャラを現地通貨の札束でもらった
スケジュールの都合で空港に直行しなければならないのだが、現金の持ち出しには厳しい制限があり銀行からの送金もできないし使う時間もない
困った彼は空港の掃除のおばちゃんを捕まえて「孫はいるか?では大学にやれ」と札束を押し付けた
ちゃっかり名前を明かしたのかおばちゃんが調べたのかその後丁寧な礼状が届き、立派になった孫の写真も同封されていたそうだ いい話だと言いたいところだが、そうと知ってて現地通貨でギャラを寄越すような悪徳プロモーターにしてやられたな 大学に行って立派になってくれた孫が居て良かった
酒代に変わってた可能性もあるのに 戦前からドル交換の闇レートがあって、モスクワ空港の周辺には闇換金屋が沢山あったそうだ。
レーニン時代に犯罪になり懲役半年だったのが、フルシチョフが死刑を含む厳罰化。
でも半ば公認のような非公認になっていて、スパイや秘密取引の資金はハバナにある
欧米系銀行を経由して振り込むんだけど
ルーブルじゃ使い物にならないからこの闇レートをベースにルーブルを換金していた。 ゴルゴ13に、ソ連が穀物の買い付けのために金塊を積んだ列車をモスクワからパリまで走らせるって話があったけど、ああいうのは実在したんだろうかな 「戦略大作戦」という、WW2欧州戦線を舞台にした1970年の映画がある。
(監督:ブライアン・ハットン 主演:クリント・イーストウッド)
作中、米軍戦車は、車外にペプシコーラの箱を積んでいる。
実はこの映画、大部分がユーゴスラビアで撮影されたため、
同地ではコカコーラの入手が困難で、ペプシを使用したのであった。
なお、史実では、ペプシとコカコーラは、戦前から激しい販売合戦を繰り広げていたが、
大戦中期以降は、米軍からの大量受注に成功したコカコーラの圧勝になった。 戦略大作戦でもう一つ。作中105mm榴弾砲を搭載した米軍ハーフトラックがでてくるが、
M3ハーフトラックに105mmを搭載した正規品のT19HMCは、実は海外供与されたことはない
というか、このハーフトラック自体が海外供与専用品のM5で、これに105mmを搭載した型はそもそもアメリカで作られたことはない。
ユーゴスラヴィアとソ連がしばらく対立していた折、敵の敵ということでアメリカが旧式装備を援助した中に、
M5と105mmがそれぞれ入っていたのは確かなので、ユーゴで独自にニコイチして試作したものが、撮影用に回ってきたようである。 HMCなら日本も生産していてフィリピンの米軍工廠で鹵獲品の野砲と各地から集めた
ハーフトラックとただのトラックのパーツで作っている
民生品と共用化した作りなんでハーフトラックの足回りさえ生きていれば作れたみたい
比島決戦前までに200両以上生産し国産砲や海軍の艦艇の砲も使ったという話もある
ハーフトラックは防御力の低さからパープルハートボックスというあだ名ついていたけど
日本だと砲撃後の迅速な陣地転換と装甲がある点で評価がすごい高かった 戦後の赤羽スペシャルやら海軍ラバウル整備廠やら東北老航校やらの例見るに、
日本の現場技術者が米式の予備部品備蓄流用すりゃ確かに出来そうだが、その話は読んだことない。どっかで読める? スービック湾のダイビングスポットで湾の真ん中に75mm砲搭載のM3が2両沈んでいる
開戦時に配備記録のあるT12GMCらしいが海没処理した記録や話もない来歴不明の車両
フィリピン陥落で日本軍の手に渡らないよう処分したのならT12しかないのもおかしい
おかしな理由のもう一つに投棄時に危険になる信管付きの砲弾がラックに入っている
いないと思うけど潜りに行く時は危ないからいじらない方がいいよ 市場開放直後の中国でも闇日本円買いがいたなあ。
デパートの前なんかにいて、空港での両替よりちと有利なレートで人民元に替えてくれる、っての。
当時は「100元札を見たら偽札と思え」人民元の偽札問題もそれほど大きくなかったんで、
1万円ぐらいなら替えた人民元で街中での買い物には困らなかったり。 日本円買いというか(外貨)兌換券買いは居たな
兌換券を人民幣に1.5倍位のレートで交換してくれる奴
相手の手元で一枚一枚札を勘定する時にはちゃんと1.5倍有るのだが、こちらが手元にうけ その手の両替屋は当時の東南アジアなら必ずいたな
偽札じゃなかったら枚数を手品師みたいに誤魔化したりな
ヨーロッパのジプシーのスリみたいなもんでもはや風景の一部 書き込みミス
日本円買いというか(外貨)兌換券買いは居たな
兌換券を人民幣に1.5倍位のレートで交換してくれる奴
相手の手元で一枚一枚札を勘定する時にはちゃんと1.5倍有るのだが、こちらが手元に受け取った時には等価になっているという手品を使う奴も居た >>119
輸送途中のセキュリティが問題だわな。
日本の国鉄→JRでも、かっては「マニ30」現金輸送専用の荷物客車があり、
むろん、運行ダイヤは極秘にされていたのだが、
それでもよほど高額の現金が積まれたときに専用列車を仕立てる以外はごく普通の貨物列車に併結されていたため、
その気になった強盗が貨物列車のダイヤを調べれば追跡できないこともない。
国鉄→JRと日銀が取った手段のひとつが「マニ30に乗る警備員には金庫室の鍵を持たせない」。
始発駅で現金を積んだ日銀職員がマニ30の金庫室を施錠したあと、
終着駅で鍵を持った日銀職員が金庫室を開けるまで、
仮に途中で列車強盗に遭い、
警備員が脅されても袋叩きになっても警備員にはどうすることもできない、ってなもので。 ついでに書いちまえば「戦後日本最大の現金輸送作戦」、
沖縄返還直前、琉球ドルにとって代わるための日本円を、
海上自衛隊輸送艦で沖縄まで運んだ、ってのを、
ずいぶんあとになってNHKが特集番組にしてた記憶があるんだが、
どっかで見られんものかなあ・・・、 >>130
これだろ?
つまんで見た程度だと、初代おおすみでの輸送作戦は紹介してないか、やっててもチラっと名前出るだけっぽいが。
https://www.dailymotion.com/video/x5t7ao5 >>130
つか、>>131の終盤で紹介されてるな。初代おおすみの映像もある。 >>124 それは単に日本軍から鹵獲したのを、『日本軍兵器として』書類作らずに沈めただけじゃないのか。
日本軍で運用していた時期すでにガスケット破れまくりで始末に負えなかったと山本七平が証言してるし、再鹵獲したってまるで使い物にならんで即破棄する以外の選択肢はなかろう。 けっこう有名なルソン島で撃破された日本のM2の写真あるし全部使えないってこたないんでね
https://i.imgur.com/Hgdlnh6.jpg 英軍砲艦グラスホッパーは日本機の攻撃で沈没し乗員とマスコット犬ジョディーは日本軍に捕まってしまう
メダンの俘虜収容所でジョディーは処分と決まったがフランク・ウィリアムズ曹長が
ジュディーは私の子供だと言い張るので収容所の所長が子供ならしゃあないと捕虜の手続きをした
こうしてジュディーはたぶん史上唯一の正式な犬の捕虜になった
その後のすったもんだは割愛するが親子は揃って46年にイギリスに帰還し仲良く暮らしたとさ >>134 日本軍が使ってた時期で既にがたがたになってた旧式装備を、戦後再オーバーホールして使うかというと…
邦語Wikiで戦後フィリピン軍が朝鮮戦争に持ち込んだってある話も、英語始め他では書いてないのよね。こちらは海兵の使い古しを払い下げたんならあり得るとは思うが、出典が欲しいとこだ。 1945年1月30日、独客船ヴィルヘルム・グストロフ号は、ソ連潜水艦S13に撃沈された
グストロフ号は1万人前後の一般市民や傷病兵を乗せており、そのほとんどが船と共に沈む、史上最悪の海難事件になった
(正確な犠牲者数は、大戦末期の混乱のために不明)
同船の船名は、1936年に暗殺されたナチ幹部の名にちなむものだが、名前の元になったグストロフの誕生日は、
グストロフ号の沈没日と同じ、1月30日である >>135
いい所長さんだ。
戦犯にされなかったか、されても軽い判決だったことを祈りたい。 かこすれみるのをわすれた
おりんぴっくおわるまでがまん ばぁーっとみればおりんぴっくのじっきょうすれにまにあうか 俺発達障害だから複数の作業を同時にやるのはできないw ケンモパヨクはブルジョアだから貧困層の救済しないからな
野党も同じスタンス 脱原発派も中国批判してるし、貧困層の救済は後回しだからな
BIを賛成している 大阪人じゃないんすけど、あまり本読まないっすね
五輪あきてきたんすよ 1993年6月、ホメイニ師4回忌を取材するためテヘラン入りした某民放特派員。
当時のラフサンジャニ政権イラン国内情勢は、
アメリカ主導の経済制裁下、なりふり構わず第3国ルートでの原油輸出に踏み切るしたたかな姿勢が、
国内宗教勢力を中心とする保守派からの反発を受け、きわめて不安定なものとなっていた。
取材に訪れた外国メディアの特派員は強制的に、
パーレビ時代はアメリカ資本の5つ星ホテルだった国有ホテルに収容され監視下に置かれ、
収容されていたジャーナリストの間では国際電話は全て盗聴されているというのが通説だったが、
日本語まではイラン側もわかるまいと高を括っていた特派員、
現地駐在の日本人から忠告を聞かされる。
当時、イランとは緊密な関係にあった北朝鮮が日本語の通訳に協力しており、政権批判を話すのは危険だという。
特派員の取った手段はまわりくどい婉曲表現に加えて、
くだけた関西弁で話すことだったというのだが、
特派員自身が後日の述懐で「効果があったかどうかはわからない」。 イスラエル、テルアビブ郊外にある自動車改造工場。
ごく普通のクルマを防弾仕様に改造するのが本業で、
注文を受けたクルマはまず、保安部品など全て外され、ボディだけの状態になる。
ウインドガラスは全て防弾ガラスに交換され、
エンジンルームとトランク以外の車体の内側は、
エンジンルームとトランクに爆発物が仕掛けられることが多いため、分厚い防弾鋼板で覆われる。
加えてガソリンタンクを樹脂製のものに交換するとスタンダードコースは終わりだが、
オプションで毒ガス防護用のエアフィルターを取り付けることもでき、
イスラエル国内はむろんのこと、世界各国の要人からの注文は引きも切らず、
さらには年々、防弾能力の強化がリクエストされるのにも応えており、
工場長いわく「不況知らずさ」。 ついでに鉄ネタ書かせておくれ。
国鉄大宮機関区に配属されていた9600型蒸気機関車、69636号。
太平洋戦争末期のある日、米軍機の機銃掃射を受け、穴だらけにされてしまう。
だが、69636号は被弾したにもかかわらず、ボイラから蒸気を吹き上げることはなかった。
それは当たり前、空襲当日の69636号はボイラの火を落としていたからだが、
意地になった米軍機は69636号に集中攻撃をかけ、機銃弾と燃料が心細くなると飛び去った。
いわば被害担任機関車となり他の機関車を守ったことになる69636号は、
戦後修理され大宮機関区で活躍、川越線の「さよならSL」列車を牽引して有終の美を飾り、
残念ながら車体は解体されてしまったが、ナンバープレートが交通博物館を経て大宮鉄道博物館に保存されている。 >>155
薩摩弁暗号、結局解読されて役に立たなかったじゃん…… >>157
吉村昭「深海の使者」にもあるアレカ・・・。 大阪人は小心者なんすからゴーストップ事件解決できなかったんすんよ
大阪人は小心者であることを長所にするべきなんすよ >>156
イイネ、戦果確認のために必要とはいえ結果的に上手く他の機関車を守る結果になったのは素晴らしい >>155
大戦末期にアメリカ相手に薩摩弁を使ったけど、すぐにバレたぞ >>159
大河ドラマ山河燃ゆでも使われたエピソードだし。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています