アメリカは現役一一一隻、建造中七三隻の潜水艦兵力を持って参戦した。現役潜水艦のうち五一隻が十二月七日当時、太平洋に配置され、その内訳はフィリピンを基地とするアジア艦隊に二九隻、真珠湾を基地とする太平洋艦隊に二二隻という配備状況だった。
 真珠湾攻撃の当日、真珠湾の“戦艦大通り”の北東のすぐとなりの潜水艦基地に、七隻の潜水艦が碇泊していた。
そのほか、一隻がハワイ周辺で行動中、数隻が米本土で大修理を受けたり訓練に使用されたり、またはハワイと本土の間を航行中だった。
 日本軍の爆撃が始まって間もなく、無制限潜水艦戦開始が発令された。これは、軍艦か商船かを問わず日本国籍を示す旗を掲げる艦船を、すべて攻撃せよ、という意味である。

第二次大戦中にアメリカの潜水艦は、五〇〇重量トン以上の日本の商船一一七八隻、合計五〇〇万重量トン以上を撃沈した。
これだけの商船の被害によって、日本は文字どおり飢餓状態に陥った。それに加えて潜水艦は海軍艦艇二一四隻も撃沈した。
そのうちには戦艦一隻、正規空母四隻、補助空母四隻、巡洋艦四一隻、駆逐艦四二隻、潜水艦二三隻がふくまれている。