【牟田口廉也】インパール作戦は無謀な作戦なのか?
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
インパール作戦は補給を無視した史上最悪の作戦と言われ
牟田口中将は最悪の愚将とされ、悪い見本とされてきた。
・はたしてこれは真実なのだろうか?
・あるいは戦後のプロパガンダではないのか?
・失敗の本質は何なのか?
真実を徹底検証する。 >>850
そんなに潤沢な物資を惜しげもなく渡すということは・・・
その後はどうなると思うんだ? >>851
インパール攻略は簡単だったという事
牟田口は敵から物資を奪えと言ったが
想定以上に奪い過ぎて、持て余している。
車両も1000両以上確保してしまい、運転手が足りない 連合軍から奪った1000両の車両でインパールへ行けば
面白いことになっただろうな
当時インパールの英印軍は北から15師団の猛攻を受けて
アップアップの状態
そこへ連合軍の車両が来るのだから、味方が戻ってきたと英印軍は喜ぶだろうが、
そのトラックの運転手は日本軍だったと言うオチ
これで白旗上げるだろうなw >JM4UKrK6
>これで白旗上げるだろうなw
そりゃ、めでたいなw
師団2か月分の物資で自給できれば、さらにめでたいな。
英軍の平坦能力がゼロなら、ゲリラ部隊をがアッサム鉄道を寸断して、さらにめでたいな。 >JM4UKrK6
>これで白旗上げるだろうなw
そりゃ、めでたいなw
師団2か月分の物資で自給できれば、さらにめでたいな。
英軍の兵站能力がゼロなら、ゲリラ部隊をがアッサム鉄道を寸断して、さらにめでたいな。 >牟田口は敵から物資を奪えと言ったが
はい、アウト。
ここに牟田口無能、極まれり。 おい貴様、>JM4UKrK6
>>840の問いから逃げ回っているんじゃねえよ。
それとも貴様、牟田口の生まれ変わりか?
>2:更に二ヶ月以上も延長戦をして、
>3:中止命令迄貰ってまだ攻めようとしたムッチーが愚将中の愚将って事になるが?
その上で
>4:撤退作戦中の司令部放り出した
これが無能・怯懦でなければ、一体なんなんだ? 答えろ。 >>857
奇襲作戦なのに2か月も経過していたら
だれでも失敗だとわかってるだろ。
しかし事情があって作戦は延期したんだろ
そんなもんは15軍の知るところではないが
続ける他ないじゃないか。
撤退時に牟田口が先行したことを河辺が文句言ってるが、たぶん牟田口は
おまえが偉そうに言う資格はないと、態度で抗議したんだろ
どうでもいい話 無田口は3週間でインパールを奇襲して勝つつもりだった
3週間ではインパールまでたどり着けず、たどり着いた時には食い物も武器弾薬もなく戦うどころではなかった
大量の病死餓死者を放置して無田口逃亡 >>859
3週間で普通に行けただろ
しかし師団長が命令に背き停止して動かないのだから
対処のしようがない 柳田師団長が1か月間、油を売っていたため
英軍は完ぺきな防御態勢を整えられた
後任の師団長が1か月遅れで総攻撃になってしまい
とうぜん、さんざんな惨敗の結果
こんなバカな話は無いが
当時の分裂状態の日本では、すべてがちぐはぐだが
これは牟田口の責任であるわけが無い >>861
3月15日にシンゲルだろ
そこから車なら直ぐじゃないか
3週間もかからないわ >>858
おうおう、元気がいいな。
それで、問3と問4への答えはどうなんだ? >>863
>そこから車なら直ぐじゃないか
ゴール、終了(祝)
じゃねえんだよ。
パリダカレースじゃあるまいし、着いたら勝ちなのかよ。 >>364
3は方面軍の命令があいまいで、見解が食い違ったんだろ
曖昧な命令を出した方面軍の責任
4
これは考え方の違いだろ
牟田口は最善の対応をしているという認識
もはや作戦は事実上終わっており、そんな時期になって河辺が本気になっても
もはや意味がない >>865
当時のインパールの手薄な状態なら、日本の勝ちだな
連合軍もみんなそう言ってるじゃないか >>862
>牟田口の責任であるわけが無い
部隊が戦うための兵站も整えず、負けたら部下の責任、勝てたら己の勲、ってか?
そんな吞気な司令官なら、俺もやりたいわ。 >>867
お前、833と835を読んでいないな?
それで何が「まじめに論戦」だ。 無田口が無能だから配下の師団長や参謀に見捨てられ嫌われてたんだろ
一応軍規だから、上官無田口の指揮には従っていたが。
人望皆無の無能軍人無田口 >>868
補給体制は当時の日本軍では最良
さらに想定以上に持て余すほど物資を確保している
すべて計画通り、というかそれ以上の結果をえているので
作戦自体は間違ってない。
日本の体制が分裂状態で妨害工作があり、そのため師団長も本気で戦ってない
負けたのは作戦が悪かったわけでも、牟田口んの指揮が悪かったわけでもない >>870
作戦失敗は対米決戦派による妨害工作が原因
裏で妨害されたら、上手く行くわけが無い 佐藤師団長は死刑覚悟の軍規違反をして部下を守り、軍法会議で無田口を道連れにするつもりだった >JM4UKrK6
さんざん論破されたファクトを何度蒸し返せば気が済むんだ?
それなら、これに答えろ。
>牟田口は最善の対応をしているという認識
その根拠はなんだ? >>873
>佐藤師団長は死刑覚悟の軍規違反をして部下を守り
宮崎に丸投げして先に逃げただけだろ。
佐藤は初めから最後まで、何も指揮なんかやってない >牟田口は最善の対応をしているという認識
その根拠はなんだ? >>874
そんなもん本人しかわからん話
作戦が事実上終わった後の話しだろ 無田口は毎朝必勝祈願の神頼みお祓いを盛大にやらかしていたらしい
無能なりに努力したいたのだな >>877
本人しかわからん話を、なぜ断言しているんだ?
撤退戦の指揮を放棄した理由はどうなんだ? >>881
何が普通なんだ?
隷下部隊の兵站を整えるのは普通じゃないのか? >>882
兵站計画に問題はない
なにが問題なんだ? >佐藤は初めから最後まで、何も指揮なんかやってない
牟田口は撤退戦の指揮すら放棄しているな。佐藤と違って。 >>883
その兵站計画が問題なのがわからんのか? >>875
>宮崎に丸投げして先に逃げただけだろ。
久野村に丸投げして先に逃げた牟田口のことか? >>887
もう撤退の山は越えた後だろ
そんなもん後は参謀でやれるだろ >>886
問いに問いで答えるな。
初手から水牛で問題ないのか? >>888
>もう撤退の山は越えた後だろ
始まったばかりだ。そんなことも知らんのか?
>そんなもん後は参謀でやれるだろ
まして、撤退路の視察など参謀でやれるだろ >>889
ジンギスカン部隊は作戦が長引いた場合の予備の部隊で
本体の後を追従する
これがあったから計画の1か月を超えて、2か月間
物資が尽きなかったんだろ >>890
それは司令官が決めることで
参謀が決める事ではない まあ所詮は、保守の大論客・林千勝の信者ということだな。 それから作戦の評価は相対評価でなくてはフェアでない
これでもインパール作戦は、当時の日本軍の作戦では最良の結果
だから批判されるいわれはない >>894
うそつき高木の信者よりはいいじゃないか 本日ここまで、牟田口が「無能でなかった証明まるでなし。 >>897
無能でないことを証明しろとかw
それは悪魔の証明だな >無能でないことを証明しろとかw
お前やっぱり馬鹿だな。有能だと証明しろ
・・・と言われているのが、理解できないのか。
これが林千勝クオリティか。 >>844
全然違う。
言われたとおりなら、>>850でウハウハなママ川沿いに塹壕掘ってそこに居座る。
一個師団潰走させてこちらは無傷、英軍の後の侵攻への防御も固めた。で済んだのだ。 >>899
高木俊朗のインパール5部作のこと?w
あれはノンフィクションじゃなくて単なる小説だからwそれも出来が悪いw >>902
お前、高木小説の評論がよほど好きなんだな。
スレ違いだと言っているのが、まだ判らないのか。文盲なのか。 >>866
あいまいも何も作戦中止である。
筋肉しか取り柄のないような連中でも理解できる単純な命令で、真逆の事をやってたのだ。
発狂してたのはムッチーの方であろうw
えーと、ムッチーは7月に止めろと言われて何で言われたか理解出来なかった訳?
(まだインパールが落とせると?) >>871
その妨害工作と持て余すほどの物資が既に矛盾している。
問題点は60連隊の上等兵にさえ暴露されてる訳で。
6月下旬には砲兵が自分でフミネ迄弾を取りに行かないとならず、しかも本来なら弓と祭の分の物資で溢れ返ってるべきそこに一粒の米もないw
仮に機関銃強盗が実在しても2個師団分の米俵を担ぐ能力も必要も存在しない。
要するに強盗が烈だったとしても一個師団を養う米さえフミネに届いてなかったのは明白だし、
強盗の存在自体もフミネで物資を管理してた部隊の証言も軍の調査も無いのだからタダの妄想である。
つまり、現実にインパールに撃ち込む砲弾さえ無く、
特大のサイクロンでも吹いてインパールの英軍が勝手に死んでも、どの師団にもそこに居座るだけの補給も送れないことは明白。 >>863
その前の高地に2個大隊置かれただけで足止めされてしまったのだ。
弓師団の全力砲撃が可能なら砲撃戦で排除出来たんだろうが、その砲弾が届かないのはムッチーのせい。
ならば伝統の迂回浸透と言うんだろうが、インパールを取ったあとについて
>ベンガル方向以外からは攻められない
って主張するやつが居るんだよね。
つまり、インパール守備隊の後ろは現地住民や山岳民族を使える連合軍でさえ浸透不能な難所で背後を守られていたのだ。
砲撃戦も浸透も駄目な以上、正面から山上の敵に突っ込むという203高地のリメイクしか無い訳で。 ここに来てる牟田信は頭がおかしいな
病院から逃げ出して来たのだろうか >>907
間抜け法螺吹きの屑土足にしてuaaは、既に10年以上このバカコピペを繰り返しているのだw 「会談中の11月30日、南フランスのヴィシー政権に対する作戦と結合させて、北フランスへの上陸作戦である
オーバーロード作戦を1944年5月に開始することが首脳たちの間で留意された。」(テヘラン会談)
Dデイを一ヶ月遅らせて、米英に恥を掻かせてやったのが、このインパール作戦だったのよ!
地中海戦線に拘るのなら、テヘラン会談なんて無意味だよね? 牟田信の一人は例のuaa
海軍ガー
山本五十六ガー
岡田ガー
を連呼し、史実を捏造し暴れる基地害
塚原十九司、林千勝信者で、東條英機、牟田口、河本大作らを信奉している >>901
奇襲と迂回が成功しインパールは手薄で
一気に突入攻略する好機
そんなところで陣地を作る意味はない。
電撃戦をやってるのに途中で塹壕を掘ってたらバカだろ >>904
くりかえすが
7月には牟田口も作戦中止を望んでいるのだから
河辺の命令に背いてまで、攻勢に出るなどありえないだろ。
考えられるのは方面軍の命令が
明確に中止、退却の意図が示されてないあいまいなものだっため、
作戦続行の指示と取り違えたとしか考えられない。
その命令書は無いのか?
どんな命令か確認しないと何とも言えんわな >>905
なんど同じこと言わせるんだ?
奇襲、短期決戦の意図の作戦計画なのに
4カ月も作戦を継続させたのはビルマ方面軍
そのための物資を手配できなかったのは方面軍の責任で
牟田口の責任ではない >>906
>その前の高地に2個大隊置かれただけで足止めされてしまったのだ。
どこの話をしてるんだ?
シンゲル〜インパールに敵はほとんどいない
敵はトイトムの峠の下、トンザン集落の手前
絶好の天然の陣地であるトイトムで少数の部隊で阻止できる。
主力はインパールへ簡単に突入できる
車両も武器も食料も十分、シンゲルに連合軍が準備していてくれた >>913
南方軍の命令書は戦史叢書に乗ってるよ
誤解を招く余地がそもそも無い
河辺が怒って取り消させた様に牟田口は馬鹿だろ そもそも7/1に大元帥陛下にインパール作戦中止に関する上奏を行なっている案件だぞ
軍司令官が誤判断出来る様な内容ではなく、それを理解出来なかったという事は河辺が報告しているとおり軍司令官が錯乱しているとの事だ >>917
南方軍の命令書では意味が無い
方面軍から15軍への命令書は? >>920
方面軍は内報として7/3中に15軍に対して南方軍の命令を伝えた
途中の司令部が命令書を起案していると機を逸する緊急の場合に使われる手法だ 当然の事ながら方面軍が15軍に内報したと言う事は上級司令部の命令が15軍に対する命令として成立する >>923
戦史叢書に記載されてるよ
公刊戦史も読まずにそんな世迷言ほざいてるのかよ 話にならんわ 高木は牟田口と清明荘の芸者とのプレイを妄想して勃起しながら書いてたんだろうなw 間抜け法螺吹きの屑土足にしてuaaのバカ妄想内以外に指揮に励む牟田口はいないがなw 面倒だから経緯書いておくと以下だな
7/2夜半 南方軍でインパール作戦中止が決定
7/3午後 方面軍に南方軍命令が到着 同日中に15軍に内報して軍は命令を受領
7/5 方面軍より撤退命令を発令するまでの措置としてインパール作戦中止
山本支隊はバレル方面の敵に対して持久せよと発令
7/7 ムッチー 山本支隊にバレル攻撃 15師団にインパール攻撃を命令!
15師団の岡田参謀長は悩んだ挙句、軍命令の無視を決断 宮崎、松村両部隊に撤収命令
7/9 河辺方面軍司令官がムッチーの命令に気づいて激怒
7/11 方面軍が軍に対して命令違反を叱責 インパール攻撃は撤回された
7/12 方面軍より15軍に対して撤退に関する詳細命令が発令 各部隊は撤収を始める
(実際には多くの部隊が既に撤退を始めていた)
7/28 牟田口軍司令長官 放浪の旅に出る
河辺方面軍司令長官激怒 軍司令官が錯乱したと報告 司令官の交代人事が進む
8/21 方面軍からの叱責でムッチー放浪の旅から連れ戻される
8/30 牟田口軍司令官解任 攻撃中止命令が出てるのに攻撃させたり、撤退を見届けることもなく逃亡とか
最低の軍人だな、牟田口とかいう国賊は >>927
これまでさんざん嘘八百を語ってきたお前らの言う事は
まったく信用できないので
この件は改めてこちらで調べる 重大な事を書き忘れた
8/16 15軍より離脱した各部隊をチンドウィン河まで撤退させる第二段撤収命令が
ムッチー抜きで発令
前線部隊では飢餓が発生しており白骨街道が現出したのもこの時である
軍参謀達と方面軍は現地に補給物資特に食料と医療資材の送付に奔走する
一方、ムッチーはビルマ漫遊中でずっと後方のジュビー山系の軍用道路の視察を
一人実施中 >>929
お前一人がひたすら嘘ついてるんだよ
書き込んでる事全ーーーて嘘じゃん >>912
電撃戦を遂行できるだけの補給が無かったのは史実が証明している。
60連隊に聞けば上等兵でも知ってるぞw
オマイの知的レベルは兵卒未満なので将校がどうするべきだったかなど理解できる訳は無いのだw
敵が手薄なのは日本軍には知る方法がない。
スリムがムッチーの下という史上最底辺の指揮官で有るなら、インパールに攻め込めただろうが、現実は903。
補給がきちんと届いた2個大隊が陣地と火力に恵まれれば2個師団さえ足止めできて2個連隊の吶喊を粉砕できたのだ。
ムッチーが分不相応な功名に駆られなければ、次の乾季には川を渡ろうとするスリムを無傷の3個師団使って逆の立場に追い込めたかもなのだがw >>925
>高木は牟田口と清明荘の芸者とのプレイを妄想して勃起しながら書いてたんだろうなw
お前、高木小説に詳しいな。
高木小説に乗っかっている時点で、お前こそ高木信者だよwww 60連隊とか7/7にムッチーが出したインパール総攻撃命令を岡田参謀長が握り潰して無ければ宮崎支隊と一緒にインパールで全滅して帰って来れなかったと思うよ 宮崎少将は師団司令部まで下がって来たときに自分に出ていた軍命令を確認して「軍は(ムッチー)気狂いか」と方言 上司の批判は決してしない宮崎少将にして遂にこの言あり、軍は(ムッチー)は既に隷下兵団の信を失っていた と戦史叢書に大書されている >>929
>この件は改めてこちらで調べる
お前、なにカッコつけるてんだよ。
そこは「時系列すら知りませんでした、ごめんなさい」だろ。
物を知らない、恥も知らないお前は、一体なにを知ってるんだ? 何度と言うが、インパール作戦でいくら日本軍が負けたとはいえ、戦力そのものを喪失したわけではない!
この問題がまだ解決しないうちに、日本軍がビルマ公路に沿って、短い攻勢に出た。
蒋介石は、日本軍が一直線に昆明にまで攻めよせてくるのではないかと不安にかられ、
ビルマ戦線に全中国軍をサルウィン川の背後の安全地帯まで撤退させるとわめいた。
ルーズベルトは蒋介石に緊急の覚書を送り、ビルマから軍隊を引き揚げるようなこと
があれば、また全指揮権をスティルウェルに渡さないのであれば、アメリカからのすべ
ての援助を停止すると警告した。
スティルウェルによれば、大統領からのこの覚書は「火のついた爆竹」であった。
スティルウェルは蒋介石と会見し、「このとうがらしの包みをピーナツ野郎に手渡し、
大きく息を吐きながら椅子の背に身体を沈めた。鋲はこのちび野郎のみぞおちに命中し、
やつを突きぬいた」
「宋王朝 下」(スターリング・シーグレーブ サイマル出版会)P252
↑
牟田口廉也がいかに最低の愚将であったとて、戦力そのものはこの「断作戦」で健在!
英連邦軍が勝利を祝うなら、その後の断作戦で敗北した中華民国軍は、聯合国の恥晒しということになるなw >>935
一応調べたが、やはりお前の書いてることは事実とぜんぜん違うわ
まず7月3日の命令だが、作戦中止なんて書いてない。
チンドウィン川西に後退して自給体制を策せ
というもの。
これでは、そのまま退却するのか、再攻撃に備えろというのか
わからんだろ。
河辺は作戦中止だと判断したしたそうだが。
そしてその日に河辺は15軍に対し、「任務変更が予想される」と打電しただけで
南方軍命令そのものは送ってない。
同時に河辺はバレル攻略の目途を報告せよと打電した。
河辺の意図は撤退時の追撃阻止だが
牟田口はバレルを攻略しろという攻勢の催促だと受け取ってしまった。
それで牟田口は15師団にバレル攻略を、
58連隊には、その支援のためインパールに攻撃を仕掛ける命令を発した。
慌てて河辺は牟田口に詳細を説明し、作戦中止だと牟田口は理解した。
これが事実。
6月末の牟田口と河辺の通信で、牟田口は後退の作戦を暗示したが
河辺に一括されてしまい、それで牟田口は吹っ切れたと回想録で語っている。
もう後退は考えず、ひたすら攻めるのみ。それしか道は無いと牟田口は
この時決断したと語っている
その後で河辺から紛らわしい打電があったのだから、攻勢だろ勘違いして当然。 1 竣工年月日
昭和56年3月28日
2 建立地及び面積
建立地 : ミャンマー連邦ヤンゴン市
面 積 : 約3,000m2
3 地域
ビルマ(戦没者概数:137,000名)
4 碑の概要
慰霊碑は、ビルマ方面で戦没したすべての人々の霊を慰め、恒久の平和を祈念するためにビルマ連邦社会主義共和国政府(当時)の協力を得て竣工した。
建設場所はラングーン(ヤンゴン市)のタモエ地区チャンドゥ日本人墓地とし、設計、施工はビルマ側のラングーン開発委員会が行い、これに菊竹清訓建築設計事務所が協力をした。
なお、ヤンゴン市政府の要請により、平成10年3月17日に北オカラッパ地区、エーウィ日本人墓地内に移転した。
5 碑文
「さきの大戦においてビルマ方面で戦没した人々をしのび平和への思いをこめるとともに日本ビルマ両国民の友好の象徴としてこの碑を建立する」
6 維持管理状況
厚生労働省がヤンゴン日本人会に委託して、慰霊碑の清掃、良好な保全、巡回などを行っている。
https://www.mhlw.go.jp/bunya/engo/seido01/ireihi05.html >>937
南方軍の様な上級司令部は誤解が生じない様に簡潔に役割を定義するんだよ だからチンドウィン川西岸で持久しろってだけ書いたんだ
戦史叢書に書いてあるがこれ以前に南方軍が指示していた15軍の役割はコヒマ・インパールの確保だったから任務がチンドウィン川西岸の防御に変更された訳だ これは明確に撤退を意味する
>そしてその日に河辺は15軍に対し、「任務変更が予想される」と打電しただけで南方軍命令そのものは送ってない。
はい嘘 戦史叢書には南方軍命令を転送して任務変更を予報した旨明確に書かれてる 大体、どんな任務になるかを示さずに任務変更するかもよなんて指示を軍隊がするか アホ
>同時に河辺はバレル攻略の目途を報告せよと打電した。
河辺の意図は撤退時の追撃阻止だが
はい 嘘 戦史叢書には7/5に方面軍より軍に山本支隊は持久 インパール作戦は中止 追って正式命令を出すと軍に連絡した
<それで牟田口は15師団にバレル攻略を、
58連隊には、その支援のためインパールに攻撃を仕掛ける命令を発した。
はい嘘 インパール攻撃が15師団に対して山本支隊にバレル攻撃を命じた 大体両部隊の位置関係みりゃ分かるだろ そんな事も理解してないのか コヒマインパール街道にいる部隊になんでバレル攻めろって指示が出んだよ
>慌てて河辺は牟田口に詳細を説明し、作戦中止だと牟田口は理解した。
怒った河辺が7/11に軍の任務について再度説明をした事は事実だがこれは叱責だ 軍が隷下部隊に出した命令を上級司令部の指示で数日で撤回するなど帝国陸軍の統率ではあり得ない ムッチーが既に理解力を喪失していた証拠で月末に河辺が軍司令官は錯乱してると報告した理由の一つだ
>6月末の牟田口と河辺の通信で、牟田口は後退の作戦を暗示したが
河辺に一括されてしまい、それで牟田口は吹っ切れたと回想録で語っている。
もう後退は考えず、ひたすら攻めるのみ。それしか道は無いと牟田口はこの時決断したと語っている
7月に大本営と南方軍でインパール作戦中止が決定してその為の命令が降りてきているのに、命令を理解できず勝手な行動をする軍司令官とか馬鹿すぎて話にならないな 端的に言えば7/12の軍命令撤回事件でムッチーの軍司令官としての権威は崩壊した 軍司令部でムッチーがおかしな事を言っているとの証言が集中しているのはこの時だ 何より河辺方面軍司令官の信任を失っている事は15軍の誰の目にも明らかとなった
ムッチーの精神は崩壊指摘しまい7/28の司令官逃亡に発展する 但し、この段階で河辺と久野村参謀長はムッチーを見限っていたと思われ、ムッチーが離脱するにあたって軍司令官権限の全てを久野村に移譲する念書をムッチーに書かせている
最早用済みのムッチーは一人放浪の旅に消えたが15軍と方面軍の幕僚は今やムッチーに関わっている余裕は無かった 隷下部隊の撤退遂行のために手配しないといけない仕事が山程あったんだ 7/7の軍命令はどっちに転んでもムッチーの無能ぶりを際立たせる
1. 南方軍の指示に反してもインパール攻略を目指した
国軍の統帥を揺るがす重大な軍率違反 大元帥閣下が関わった命令を無視するなど問題外の馬鹿将軍
2.南方軍.方面軍の命令が理解できなかった
仮にも軍司令官となった人物が南方軍の指示が緊急で内報されてくる意味が理解できないのはあり得ない 当然に大本営の意向であるからだ それを理解出来ず攻勢を命令したムッチーは既に理解力を喪失していたと判断される これは無能を通り越した建軍始まって以来の馬鹿将軍 実際に河辺方面軍司令官はその様に判断した >>939
まず、おまえは7月3日の南方軍命令を、そのまま方面軍は15軍に送った
と言ったじゃないか。
そしてこれが作戦中止の命令書だと。
これは嘘だろ?
7月3日に15軍に作戦中止の命令なんか届いてない >>939
大事な事は、牟田口は命令違反はしていないということ
やはり命令違反とか大嘘じゃないか
退却すると言う作戦変更の意図が伝わってなかったために
牟田口は攻勢と解釈してしまったと。
どちらが悪いかは置いといても、命令違反はない >>942 横レスだが、丁寧に説明されてあるだろう。
>戦史叢書には南方軍命令を転送して任務変更を予報した旨明確に書かれてる
>戦史叢書に書いてあるが(中略)任務がチンドウィン川西岸の防御に変更された訳だ これは明確に撤退を意味する
逆に、「7月3日に15軍に作戦中止の命令なんか届いてない」という根拠を示してみろ。 >>942
方面軍は南方軍命令を内報したんだよ
戦史叢書には7/3に内報、15軍は受領したと明記されている
また南方軍命令はインパール・コヒマ確保の任務から15軍が外れた事を意味しており
明確に作戦中止の命令だ
だからこそ南方軍命令を受けとった河辺は病床で泣き崩れたんだよ
そして「河辺方面軍司令官は7月5日15軍に対してインパール作戦の中止と
山本支隊方面(お前はお馬鹿だから書いておいてやる。バレル方面の事だぞ?)の
持久を電命した」とこちらも明確に書いてあるな。 >>940
6月末の交信で牟田口の退却暗示を、河辺は一括してるじゃないか
そんなこと考えずにひたすら攻めよと。
そう言いながら河辺は即座に、南方軍に作戦中止を願い出る
河辺は言ってる事とやってる事が逆じゃないか
牟田口ではなく、河辺こそが錯乱して混乱を生じさせている >>943
>作戦変更の意図が伝わってなかった
意図を読み取れない時点で愚将。兵下士官かよw
さらに言うなら、迷ったら報・連・相。こんなの、司令官以前に社会人の常識だろwww >>943
方面軍が7・5に電命した「作戦中止、持久せよ」との命令に反したんだから
露骨に命令違反だよ そうでなければ方面軍から命令取り消しの指導など
飛ばんわ >>945
「任務変更が予想される」
こう打電しただけで、なんで作戦中止の内報になるんだ?
こういう上司が部下は一番困る。
ちゃんと部下に理解できるように明確に命令しなくては
必ず行き違いが発生する
上司の方が失格 >>946
あほか なんで6月に発出された方面軍の激励電報が
7月に発令した南方軍命令を理解できない理由になるんだよ
確かにムッチーはそういう言い訳をしているが、日付が逆だったら
兎も角、激励文の後に更に上位の司令部から作戦中止命令が
降りてきてたんだから理解できなかった理由になどならない。
だから牟田口は建軍始まって以来のバカ将軍って言われてんだよ >>745
だからそれでは、撤退かどうかわからないじゃないか。
一旦後退して体制を整えて再攻撃するのか?
あるいは、さらに後退するのか?
その命令ではわからない
河辺だけが理解できても、牟田口に伝わってないのは
あやふやな言い方の、河辺の方に問題がある レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。