ただ、一方でドイツの科学者、特にゲッティンゲン大学の科学者らに思う。
時代はWW1からオーストリア・ハンガリー帝国の崩壊、ドイツも左右対立の内乱状態、賠償金による財政破綻のハイパーインフレ。

そんな中で、ゲッティンゲン大学の自由で素晴らしい研究環境を謳歌し自由な学問に勤しむ。
「おれには国のことなんか関係ねえや」?
それ、何か疑問に感じることはなかったのか?
ドイツ社会は科学者に敬意を払いつつも、もの言わぬ大衆はじっと見ていたのではないのか?

ナチスにドイツを終われたユダヤ人科学者たちはアメリカに亡命。
マンハッタン計画を始めとする「アメリカの国家事業」に強力し、(生まれの)祖国ドイツの破壊に手を貸した。
それ、何か矛盾してないか?

科学、学問というのは確かに自由でなければ発展しない。
ただし、その環境を提供している国家、そして「もの言わぬ」国民にまで視野を広げないと「科学者として真に状況を理解しいている」とは言えないのではないか?

よーく考えよう。
「若者の理科離れ」とか嘆いてみせますが、それが起きた真の理由は何か?
科学者が国民から敬意を払われなくなった真の理由は、日本の科学者の中にあるのではないか?

国家を離れた学問の自由?
そんなもんねえよ。