ついでに、古代以来の物流の要である河川交通の輸送力がチートだったせいで、塩の輸送コストがバカみたいに低かった
おかげではるか後代に至るまで、海水塩を作るコストよりもこの塩の湖で製塩した塩を流通させるそれの方がはるかに安かったのだ
そこに隋の煬帝が大運河で南北交通を開通させやがったので本来は塩の商圏に入り辛く人口も圧倒的に少なかった長江以南や本来海水塩の主流になるはずの沿岸から100キロ程度の内陸にもこれが行き渡るようになる
本当に余計なことしやがったのだ

ちなみにあんなに内陸の洛陽や長安だが、この塩をみればむしろはるか後代の首都である北京や南京より産地に近かったりする