で、最後に補足しとくとこうした塩業と流通を独占する(唐代までは収税方式)ことで生まれた古代王朝だが(なにしろ最初の王朝とされる伝説の夏の都はこの解池の側だったと伝えられているし、殷王朝なんて自称は商だ)、それゆえ歳入として塩の値段のコントロール権を得た
そう。あの古代文明にしてはチートじみた豊かさの源泉はこれだ
そこで王朝はどんどん値段を上げていく。そして豊かになると共に自らこの独占構造を揺るがした
原価の10倍以上、末端では20倍以上の価格にされたことで海水塩に競争力を生んでしまったのだ
解池では自然に析出していた塩と、にがり除去や揚げ浜式塩田による途方もない手間暇をかけてまで作られた海水塩が拮抗したのだ
かくして闇ルートによる海水塩の大規模生産と流通がはじまる
そして塩の量に束縛されていた(現代でも年間生産量6.5万トンなので最大でも4000万世帯程度の必要量しか満たせない。馬匹を考えればさらに減る。後漢の人口5600万はほぼギリギリ)大陸の人口の枷はこうして取り払われたのだった