>>179
ほう。本当に同じ資料見てるか疑わしくなってきたお

鉄血勤皇隊
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E8%A1%80%E5%8B%A4%E7%9A%87%E9%9A%8A#:~:text=%E9%89%84%E8%A1%80%E5%8B%A4%E7%9A%87%E9%9A%8A%EF%BC%88%E3%81%A6%E3%81%A3%E3%81%91%E3%81%A4%E3%81%8D%E3%82%93,%E5%B0%91%E5%B9%B4%E5%85%B5%E9%83%A8%E9%9A%8A%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82&text=%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%84%E3%81%A6%E6%AD%A3%E8%A6%8F%E9%83%A8%E9%9A%8A,%E6%88%A6%E6%AD%BB%E8%80%85%E3%82%92%E5%87%BA%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82

鉄血勤皇隊は、不十分な装備のまま任務を遂行せざるをえなかった。
具体的には陣地構築、伝令や通信、さらに戦車への斬り込み攻撃を命じられた者もいた[15]。
戦車への斬り込み攻撃とは、木箱に10キロの黄色火薬を入れた「急造爆雷」を背負って戦車に体当たりして爆破するのである[16]。
装甲の厚い戦車車体ではなく、キャタピラの切断を狙って、轢かれるようにして爆死する。
そのためには体が小さいほうが潜り込み易いとの理由をつけて、鉄血勤皇隊の少年達が多く斬り込みを命じられた。
伝令も、同文書を複数人に持たせ、そのうち1人がたどり着けばよいという状態であった。
末期になると、直接軍組織に編入されていた彼らの中には、大人の兵士と同様に戦陣訓[17]を使って捕虜にならないように命令され自決したものもいた[18][19]。