育児に役立て!自分の赤ん坊〜幼児期の記憶4
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3歳までの記憶はほとんど残らないといわれるけれど
たまに赤ん坊時代の記憶もある人も
自分自身の一番古い記憶は一体何か
何に安心したり、何が好きで何がキライだったのか
周りの人のことをどう思っていたのか
色々思い出して、育児に役立つヒントを見つけましょう
■>>980の方は、次スレ立てをよろしくお願いします
前スレ
育児に役立て!自分の赤ん坊〜幼児期の記憶3
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/baby/1339249444/ 良スレなのに過疎ってるから投下
3歳半下の妹が産まれたころ
母と寝ていて、夜中に喉が渇いたので母を起こすと「おっぱい飲む?」って聞かれた
「いいの!?」ってびっくりしたけど飲んでみた
でも全然出なくて、母は唇をこうしろとか舌をこう動かしてって色々言ってきたけど難しくて
母に気を遣ってちょっと出たと言ってやめた
味を聞かれて、ちょっと甘かったとテキトーなことを言った
なんか母も嬉しそうで、私も満たされたし嬉しかった
母からすれば飲み物取りに行くの面倒だっただけなんだろうけどw 釣りかもしれないけど
>母は唇をこうしろとか舌をこう動かしてって
って気持ち悪い
バター犬がわり? 3歳の頃、隣のおばちゃんが末っ子におっぱい飲ませてて、羨ましくなって飲ませてもらったことある
私はすんなり飲めた
でも牛乳くらいの味のつもりで飲んだからすんげーまずかった
しかし隣のおばちゃん、よくよその子に乳飲ませたな
自分は出来ないw >>4
お母さん嬉しかっただろうな。
今乳児がいるけど、卒乳のこと考えると寂しくて泣きそうw >>5
そっちこそ髭の釣り?
ストロー吸うみたいに吸ったからそれじゃ出ないんじゃない?
こうすると出るよって教えただけでしょ
あ、>>1乙です 1乙
3歳だと赤ちゃんの頃の飲み方忘れてそうだもんね 読みにくかったらごめん。
5歳ぐらいのとき、父方のおじいちゃんおばあちゃんのいる実家に行った。
買い物に行って「欲しいものがあったら買ってあげる。」と言われたのでお絵かきが好きだった私は絵葉書セットA(1500円弱)を買ってもらった。
Bセット(3000円強)はもっと絵の具が多くてちょっと豪華。
ただ、買ってもらうときに「Bセットは高いなぁ買ってくれるかなぁ…いや、小さいけど我慢してAセットでいいって言おう。」と子供なのにすごい気を使って買ってもらった。
母方のおじいちゃんはおもちゃ売り場で、「なんでも好きなもの買え〜色違いで買ってもいいぞ〜ママは買ってくれないからね〜!」って言うような大盤振舞いな人だった。ゲームボーイとか、ドリキャスとか買ってもらったし、金額はあんまり気にしたことなかった。
子供心に、「欲しいものがあったら買ってあげる。」って言い方はすごい心に引っかかりました。言葉選びはとても大切。 「好きな物買え」なんじゃない?
「欲しかったら買ってあげる」は大人の言い回しというか、子供には甘えにくい言い方だと思うよ 私はそんな時、安価なものを選んで「そんなのでいいの?もっと高いものでいいのに。欲のない子だね〜」って言われたいがために本当に欲しいのは選ばなかった 「欲しいものがあったら〜」がなんでダメなのかわからないけど
私の場合は逆に、大盤振舞いな祖母が苦手になった。
「これ欲しい!」と思いつくままに言っても、両親なら必要なければ止めてくれるけど
祖母はおもちゃでも服でもポンポン買ってくれた。
幼い頃はただ嬉しかったけど、小学校上がるくらいには何でも叶いすぎることに違和感を覚えて
むしろ祖母の前では気軽に願望を口に出せなくなり、興味ないふりをするようになってしまった。
両親の前なら、叶わないとわかっていても欲しいという気持ちを素直に口にできて気楽だった。 こんな高いもの(といっても3000円くらい)買ってもらったらお祖母ちゃんは明日からご飯が食べられないかもしれない…!って考えて我慢した事あるのを思い出した 小さい頃に近所が火事になった時、うちが燃えちゃったらこのお金で家族のご飯を買わなくては…!と
もらったお年玉(数千円)が入った缶を握りしめて緊張してたの思い出した。 >>16>>17
やさしい子だったんですね
うちのこ、上の子はそんな感じにやさしくて適度に遠慮もするけど、下の子はわがままで何でもねだる、買ってもらわなきゃギャン泣き
はやく下の子にも優しい気持ちをもってもらいたい 三歳くらいまで私は夜泣きしてたらしいんだけど、夜なんだかすごく悲しくなって泣いてたら母が抱いてくれて、
一緒に窓から車を数えてた記憶がある。
あの記憶があるから、夜泣きが始まった息子にどーんと付き合えている。
なんかよくわかんないけど悲しいんならしょうがないよねと思える。 子どものころの自分の、親を困らせるような特性が
温かく受け入れられた経験というのは、
自分自身の子育てにすごく生きてくるんだね
いい話だ〜 いくつぐらいからとは、はっきり覚えていないけど大人達の言う
「◯◯(私)は△△(親戚の人だったり、親の知り合いだったり)と結婚するんだよなー」
が冗談だってわかってるけど、気持ち悪くてしょうがなかった。 五歳くらいのころかな。
父親が駐車場で車停めるとき、ドア開けて後ろ見てたんだけど、
何故かそれがかっこよく見えてた。
で、ある日、真似したくなった。
駐車場にはいったとたん、
いける! と思ってドア開けた。
まだ全然スピード出てて、
風圧?でドアがんがん開いていくし、
でも戻せる程の腕の力ないしで、
地面が顔の真横にきた。すげー怖かった。
助手席の母親が気づいて閉めてくれて事なきを得たけど、
子供ってやっぱり、真似したがりだし、何するか判らんから、
気をつけないとな、と思う。 >>23を読んで思い出した
4歳くらいで初めて水族館に行ってから暫く「ラッコと結婚する」と言ってた 2才か3才の記憶
お気に入りのオモチャが見当たらなくて居間のソファの下を覗いていたら
少し離れたキッチンから母と兄の
ほら見てごらん、何か探してる、本当だ、フフフ
という会話が聞こえて来てなんだか恥ずかしくなって探すのをやめた
自分の子供が何か探してる姿を見ると
かわいいなーと思う。特にお尻が
母と兄もかわいいと思ってくれてたならいいな あっかちゃん
こんにちわ
28日うまれ
♪響 平せんせらも >>23
私もそれは物凄く嫌だった記憶がある
今思えば冗談だって分かるんだけど、
子供に冗談なんて通じないし
当時同じ幼稚園に好きな男の子いてその子と結婚するのが夢だったのに、親の知り合いのおっさんと結婚とか冗談でもツラくてその場で大泣きしたw たぶん5歳位の時。
その頃何故か母親の事を「お母さんはバカ!」って言うのが楽しくて毎日言ってた(たぶん、父が母に「お前はほんとにバカだなー」って言うのでその影響だとおも)。
ある日いつものように「バーカバーカ!」って言って妹と一緒にはしゃいでいたら、
「お母さんの事をバカっていうのは、おばあちゃんの事をバカって言ってるのと同じなんだからね!!」って一喝された。
母には何を言っても許してくれるだろうって気持ちがあって言ってたんだろうけど、実は祖母にまでバカって言っていたんだとその時理解した。
子供心に祖母はバカにしちゃいけないっていうのがなんとなくわかってたみたいで、自分はなんて事を言ってたんだって心にグサッときた。
たぶんそれ以降バカって言うのはスッパリ止めたと思う。
母のその一喝と言われた後の後味の悪さだけを鮮明に覚えてる。 三歳ぐらいまでの記憶結構あるからひとつ書いてみる。
うちは両親共働きで、三歳までは母方の実家に同居してた。ほとんど祖父母に育ててもらった感じ。
祖父母の家には神棚と仏壇があって、食事の度にご飯を供えて手を合わせてた。
神棚には小さい鈴もあって、祖父が鈴紐を引いて鳴らしてくれるので、小さい兄や私も一緒に手を合わせてた。
神棚に手を合わせると、不思議なことにいつも天井から飴が落ちてきて、祖父が神様からのご褒美だと言ってくれていた。
まぁ、祖父がこっそり落としてくれてたんだけど、当時は気づかなかったw
幼い私には、飴をくれる神様が本当に素晴らしい存在に思えて、神様を理由にされると素直に言うことを聞く子供に育った。
単純な子供でしたw親は育てやすかっただろうね。 子どもにうそをつくのは、どうなんだ?w
でもかわいい 多分2、3歳くらいの時、大きくなったら何になるという話を母と5歳上の姉としていた
私は好きだったうさぎと言うとおもいっきり嘲笑され
恥ずかしくなったと同時に、まだ小さい子がふといった言葉をそこまで
ばかにするかよってムカついた
大人の癖に大人気ないって思ったな >>30
私も母親のことをデブとか豚とか良く言ってた
全然太ってないのに 三歳の頃弟が産まれて、両親も祖父母も弟にかかりきりだったのが寂しかった。
寂しかったので、母に「一番好きなのは誰?」と聞いたら、「お父さんだよ」と答えが返ってきた。
兄か私か弟と答えると思っていたので心底驚いたしかなりショックでもあった。
でも母はその後に
「世界一好きなお父さんとお母さんのところに来てくれたあなたたち(子どもたち)は宝物よ」
と教えてくれた。それが嬉しくて、強烈に覚えてる。
自分にも子供が産まれて、当時の母の気持ちがわかった。最近母にこの話をしたらちょっと照れてた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています