育児に役立て!自分の赤ん坊〜幼児期の記憶4
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3歳までの記憶はほとんど残らないといわれるけれど
たまに赤ん坊時代の記憶もある人も
自分自身の一番古い記憶は一体何か
何に安心したり、何が好きで何がキライだったのか
周りの人のことをどう思っていたのか
色々思い出して、育児に役立つヒントを見つけましょう
■>>980の方は、次スレ立てをよろしくお願いします
前スレ
育児に役立て!自分の赤ん坊〜幼児期の記憶3
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/baby/1339249444/ >>631
あー自分も気を付けなきゃと思ってたのにすっかり忘れてた
微笑ましい話を周りにちょっと面白おかしく伝えちゃうんだよね
自尊心を傷つけないようにしないとな >>629
今3歳の娘がまさにそんな感じだw
いちいち「ママートイレ行っていいー?」と聞くので「ママに言わないで行っていいよ!」ってやりとりをしょっちゅうしてるわ
子供なりにそんな配慮をしてるのかもなんて考えもしなかったから目から鱗だわ 3歳から5歳くらいかな
父がいつも家の前に頭から突っ込む形で車を停めてた
ちょっと物を取りに行く時とか助手席に私一人にされるんだけど、大昔でチャイルドシートとか無かったから車の中をあちこちいじっていた
覚えているのはルームミラーの角度を変える
ウインカーやワイパーを動かす
サイドブレーキを戻す
車を停めている場所は少し傾斜になっていたから、いつも車が下がって家の前の通りを塞いでやって来た車にクラクションを鳴らされ父が慌てて家から出て来た
通りはけっこう大きい通りで覚えてるだけで2、3回はあるから、今思えば事故らなかったのは奇跡だと思う
きっとあちこち触るのは父を見て覚えたんだろうけど、実際父が操作してた所は全く覚えてない 物心ついた時には、子どもだから子どもの振る舞いしないと変に思われるって思ってたけど、同じ人がいる事にびっくり
姉が私のおまた開いて、トイレにおしっこしーってしてくれてたんだけど、それもめちゃくちゃ恥ずかしかったの覚えてる 保育園にいってたんだけど、お昼寝しないと布団叩き?で叩かれてた(毎回)
その事を親に話したかは覚えてないんだけど、結局、保育園行こうとすると熱が出たりお腹が痛くなってしまい通えず祖母の家に預けられた
この事がトラウマで貧乏なのに専業やってる・・・ かつてここで「同じ手ばかりだとあげ続けるのが辛くて繋いだ手を離したくなった」と教えてもらって
できるだけ手を下げてつないだり、嫌がった時は反対の手を勧めてみたらちゃんと繋いでくれることが多かった
今は自分で「反対の手 つなぐ」と教えてくれて必要な時はずっとつないでくれている
教えてくれた人ありがとう 今、小学生の子供がいる。
TVをみながらポツリと「あかちゃんの時、タケモトピアノのCMキライだった。急に大きな音が出るから怖かった」と言い出した。
タケモトピアノのCMで泣き止む赤ちゃんがいる、と聞いて録画して見せたりしてたんだけど、確かに泣き止んだ事はなかった。
赤ちゃんと言えどもちゃんと物事を考えてるんだな、と思った。
あと、子供には「怖い思いをさせて悪かった」とちゃんと謝った。
若干スレチかも。ごめん。 羊水が腐ってきたので児童相談所に通報 沖縄ビッチ天国 ほうれいせん
モンスターペアレントとして連行 米兵さんのそそりたつ巨根 あと25年住宅ローンの奴隷
PTA当番さぼって村八分 発狂押しかけ義母つきまとい。
沖縄の基地はあと百年間戻りません 虐待通報
米兵さんのチンポによがり狂いわたくしたち朝鮮人だけ差別する卑屈なモンキージャップ。
パパ一緒にお風呂に入ってママとするみたいなことしよ 美白スキンケアはもう手遅れです
給食費は払いません 花王の正社員は20代で年収1千万
米兵さんとわたくし達はメス倭猿の青かびチーズまんこの共同所有者なのです
発達障害の疑い アンチエイジングに一ヶ月7千300円 06年にアメリカ軍曹に尻穴レイプされたビッチ幼女は今年で二十歳になりました
今年生まれてくる子も間違いなくモンキーと人の合いの子のビッチ害児です。 今やお前らのほうが従軍売春婦どものポン引きなww、買ってやってるのが俺達wwwwww
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,' / ,' ゞリ ゞッ ,イj } i.
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あめりかのへいたいさん
これでこわいちゅうごくのひとたちからぼくたちおまもってね >>638
体罰まではされなかったけど昼寝しないと担任に睨まれてた
担任の怖い顔ばかり覚えていて笑顔を全く覚えてない
保育園の延長保育を利用しない年中年長は、迎え抜きで4時に自分で帰れの保育園だった
昼寝できない年長に体罰したり自力で空っぽの家に帰れとかありえない
自分も専業 >>638
子どもさんを保育に預けられないって意味かな? いくつかわからないけど、小さいときの話。
3人兄弟の真ん中だった私は明らかに母に構って貰えなかった。
よその人は、私をよく褒めてくれていたが母は絶対に褒めなかったし、認めてくれなかった。
お母さんはどう思っているのかな、お母さんにもっと褒めて貰いたいのにな、っていつも思っていたのを今でも覚えている。
古い日本家屋だったが、柱にマッキーで「なきたい」とデカデカと書いてしまったことは反省してる。
でも母は怒らなかったし、その落書きへの感想もなかったな。
ちなみに父は全然家に居なかったけど、その薄っぺらい存在感から兄弟への格差は感じず、好きだったし今でも仲がいいと思う。 年中さんのころ、お弁当にうなぎが入っててどうしても食べられなかった
普段からお弁当残しがちだったんだけど、その日に限って「今日は全部食べようね」と先生に念押しされてた
いやいや食べようとした時に箸から落ちて結局残すことに
先生に落としたから食べれないとも言えず、結局「この子は少食なのね」と思われてお弁当を少なくしてもらうことになった 泣き止んだあと、父に毎回「泣いてたカラスがもう笑った〜w」って言われるのがものすごく嫌だった
本当はもっと泣きたいけど頑張って泣き止んだのに!なんでからかうの!って怒りすら覚えた いつの記憶かわからないけど、ご飯食べたあと母に「お腹いっぱいだね」ってお腹ポンポンされるのが好きだった >>649
これ多いね。やっぱりみんな嫌なんだな。
可愛くてつい言ってしまいそうになるけど我慢してる。 わたしもいやだったなぁ
あと泣きそうな時に、『泣いちゃう泣いちゃう泣いちゃう〜』ってからかわれるのもいやだった
本とに泣きたいのに笑っちゃうか、我慢してるのに涙が出ちゃうかのどっちかだったから 自意識過剰だったら恥ずかしいんだけど、小さい頃かなり頭の回転が早かったんじゃないかと思ってる。
例えば「どうしてお月さまはずっと後を付いてくるの?」っていう定番の質問があると思うんだけど、誰に教わったわけでもなく理由を知ってた。
建物だって大きければ大きいほど追い越すのに時間がかかるかかるんだし、と。
更にそのことに関して他の子供を馬鹿にすることもなかった。
それと、私は飛蚊症で空とか見るとプランクトンみたいなものが視界にあった。
それに気付いたのは幼稚園の時で、なんだろうこれ?と思った。
目にゴミが付いているのかと最初思ったんだけど、目を擦っても消えないし視界をずらしても日をまたいでも定位置から消えないもんだから
あ、これ目の中にあるんだな、別に邪魔でもないしまぁいっか、と思った。
あまりにも日常だったもので、それが飛蚊症だという病気だと知った時はびびった。
この程度誰でも分かることだったらスルーして下さい。 飛蚊症が目の中にあるんだなと思ったなんて賢いね
私は「もしかして…私にだけ空気の粒が見えてるのかもしれない!」と思ってたよw 私は妖精だと思って名前つけて話しかけてた。赤ちゃん、青ちゃんとか色で見分けて。 物分りのいい子供だったなぁ。
うちの両親が教師なんだけど、災害や事件で夜中だろうがなんだろうが駆け付けるのね。
特に父親は生徒指導だったし。
それについて、両親にとっては大事な仕事だし姉もいたし、仮に1人でも寂しいとは思わなかったな。
なんていうか、自分の安全が担保されている状況なら、両親の緊急事態なら当然そっちが優先されるべきだって思ってた。
鍵っ子だったけど全く寂しくなかったなぁ。
両親が私(と姉)にメロメロなの分かってたからだと思う。 そうやって親からの愛情をしっかり実感できていたからこそ、情緒も安定していたんだろうね。いいなー
ちなみに、親御さんからの深い愛情を感じたエピソードや思い出など、もし覚えてたら教えてください。
自分自身、子供に愛情を伝えてられてるか、自信がなくて… 父母姉私、おでかけはいつも一家で行ってたんだけど
一回だけなぜか母が私1人をつれて小さな遊園地に連れて行ってくれたことがあった
(本当になんでだろ?姉が修学旅行とか行ってたのかな?)
私は母に愛されているんだと実感して
とても嬉しくて嬉しくて今でも強く覚えている 中学の家庭訪問の時、なんかの流れで私の情緒がとても発達していますみたいな話になった。
そしたら母親が「そうなんです!この子は悲しげな音楽を聴いて涙したり…」と言い、なぜか母親が泣いた。
それを見た私はちょwwwおまwwwと思った。
恥ずかしかったけど嬉しかったよ。 あと、両親はすごい甘かった。
お小遣いは少なかったんだけど、言えば大抵なんでも買ってくれたしよく褒めてくれた。
(今思えば図鑑や化石を欲しがったからかも)
門限だけは厳しかったけど。
でも両親は「厳しく躾けた!」って誇らしげ。
当の私はあれで厳しいとかwwwウケるwwwっていう思ってた。
かといって調子に乗れば本当に厳しくなるのが分かってたから無茶なことはしなかったけど。
でもその「調子に乗ると厳しくされるのが分かる」っていうのは両親がちゃんと躾けた結果なんだろうなぁと今は思う。
ある意味私を信じてくれたから甘くなったんだろうね。
ちなみにやはりそこは子供、目測を誤って調子に乗り雷を落とされたこと数十回… 3〜4歳くらいの頃、母親と祖母とスーパーに行った
母親だけ別行動で買い物して、その間に祖母に幼児向けの雑誌を買ってもらった
その雑誌の名前が『よいこ』(うろ覚え)で、合流した母親に「おばあちゃんに買ってもらった!」と見せに行った
でも母親はすごく冷たい目で「よいこ…?へえ、あんた全然良い子じゃないのにね」と言われた
それがもうすごくショックで、そこから「私は良い子じゃない」と思い込んでしまった
それまで甘えてた母親と距離を置き、中学生になって反抗期の勢いでこの記憶を話して、母が謝ってくれてようやくモヤモヤが晴れた >>663
モヤモヤが晴れてよかった!
悲しいよね、そういう事言われると。 >>661-662
親にされて嬉しかったことスレ向きかも >>665
同意。>>661-662は中学の話だからスレチ >>661は中学の時だけど、>>662は小学校低学年くらいからだよ。
ダメだったらごめん。 スレタイは幼児期となってるから未就学までだと思うよ 保育園に行ってる時。
具体的に何歳かは忘れたけど…
お昼寝の時間で眠れなかったので、自分の手をじっと観察してた。
そして初めて爪というものを発見した。
なのでとりあえず確認したくてカリカリ食べてみた。
その時から今までずっと爪を噛む癖が治らない。
なんで食べてみようなんていう発想になったんだ自分…!
という経緯があるから、爪噛みは愛情不足だとかいう話には懐疑的だった。
今の風潮はどうなんだろ? 親御さんから注意はされなかった?
私も爪噛み癖があったけど、親は私に無関心だから何も言われないまま育った。
愛情不足とは思わないけど、あまり注意を払ってはもらえなかったのかな しょっちゅう怒られたし注意されたし手袋とかたくさん試されたよ。
でも自分の意思を持って止めなかった。
愛情はすごく注いでもらったけどねえ。
もう成人超えたらほとんど何も言われなくなったけど、今はだいぶ我慢できるようになったよ。 たぶん幼稚園頃、寝る前の絵本読み聞かせが凄く嫌いだった。
寝る前は静かにして気分を睡眠モードに持って行きたいのに、読まれるとそっちに気がそれて邪魔になってイヤだったな。でも母がせっかく読んでくれてるから我慢して聞いてた。
我が子は読んでクレクレって持ってくるので人それぞれだなーと。 保育園の頃の、時々父親にギューっとされて、ただ痛かっただけの記憶が、
中学生位の頃に突如「ものすごく愛された記憶」に変わった瞬間がすごい衝撃だった。
それ以来、色々駄目な所のある父だけど好き。
反対に、母にギューっとされた記憶が無くて、もう亡くなったけどたまに恋しくなるくらい。
だから5歳の娘にはたまにギューっとするようにしてるよ。
その度に「グェッ」って言った後めっちゃ嬉しそうに笑っててかわいい。 いわゆるライナスの毛布を持ってた。
私の場合タオルだったけど、汗や鼻水やよだれがたーくさん染み付いて、自分的にはすごくいい香りに仕上がってたw
ミルクみたいな感じ。
それを母親が見かねて洗濯しようとするんだけど、絶対して欲しくなかったなー
幼稚園に行ってる間に洗われて、匂いが違うと言ったけど、洗ってないよと押し通された。
すごーーくがっかりしたなぁ。
あれだけ自分好みの匂いにしたのに一からやり直しか…って親にすごい不信感を抱いたし。
なのでもし我が子がライナスの毛布的なものを持ってたら、トイレに落としたとか以外は極力洗わないでおこうと思う。 子供の頃、理科が好きだったし成績もよかった。
だから高校大学は理科が学べる所に行きたかった。
そんな話をしたら「アンタ算数出来ないから無理!」と一刀両断。
今、子供と一緒に算数の問題を解いていると面白いし算数・数学は美しいと思う。
あの時「算数を頑張ればいいよ」とか言って貰えたら違ったんだろうな。
だから子供には「アンタには無理」とか「出来ない」とか言わずに、どうすれば出来るか、と言うようにしてる。
どんな可能性があるかわからない以上、それを潰さないようにしたい。 >>678
うわぁすごく切ない話。
数学を美しいと思うなんてそれだけで才能を感じるのに。好きな進路に進めなかったのかな、他人事なのに残念。 いい話なんだけど幼児期までの記憶じゃないんだよね
小学生〜思春期あたりの子供の頃感じてたことを語るスレって無いんだっけ >>680
親にされて嬉しかったことを語る
ってスレは? >>676
ライナスの毛布私も持ってた。
親が洗濯してしまうと、ベランダに干してあるのが乾くまで
その場に座り込んで端っこ握りしめて泣いてたってwww >>681
>>678は「親にされて嬉しかったこと」ではないだろう このスレを「自分の子供の時の記憶」にすれば良いのでは?
ただでさえ過疎なのに それじゃただの雑談スレになってしまう
中学一年生の頃のこと書かれたって、このスレの趣旨と違うじゃん
過疎ってても今のままでいいよ 親にされて嫌だったことスレもあったけど、落ちたのかな 1歳になる前の記憶
親が共働きで、産休明けてから祖母に預けられて育った
最初の頃、車から降ろされて無言で祖母の家の玄関まで連れていかれる時「私捨てられるんだ」と絶望していた
一生懸命泣いて抵抗するんだけれど無視されて、祖母に引き渡して母は仕事に行ってしまった
無視が何より辛くて、その後から今まで何とも言えない不信感を抱え続けている
送り迎えの合間にでも会いたかった気持ちや寂しい気持ちを共感する言葉があればなぁと思い出すたびに思う モヤッとしたり傷ついた話が多いのね
たぶんその百倍位たくさん面倒見て大事にされたんだろうけど、記憶に残っちゃうのはそういう話の方なんだろうな
自分も親にして欲しかった事、やめて欲しかった事、決定的に傷つけられた事たくさんあるけど、自分が産んでみてどれだけ面倒見てもらってたか分かった
でもそれでもほんの一回の行き違いで自分の子にもどっかでトラウマ植え付けちゃうんだな、って思うと怖いね 長くなっちゃうので連投スマソ
自分のは毒にも薬にもならない記憶だけど
いわゆる物心ってものがついたその日の記憶がある
それまでの記憶はゼロで、その日からきっちりひと続きで記憶が始まってるから、その日その瞬間に間違いなく物心ついたんだと思う
最初に見たのはグリーンのタイルの手術室みたいな部屋と、今まさに産まれましたって様子の産声あげてる赤ちゃん
画面変わって目が覚めるとそこは保育園
で、自分は3歳だった。ちょうどお昼寝のじかが終わって起きたところ
ああ夢見てたんだな、赤ちゃんだったなぁと思った
その夢の赤ちゃんが自分だったのかどうかはわからない
何故なら視点が赤ちゃん本人から見た映像じゃなくて、赤ちゃんを上から見下ろしてたアングルだったから
手袋をした手がその赤ちゃんを取り上げてるのは見えたけど、手の持ち主や赤ちゃんの母親は視界には入らなかった
その辺の意味は全くもって分からないけど、自分が自分として記憶が始まってるのがその夢からっていう不思議な話 すごいなぁ、私はいつだか覚えたないけど、ベビーベッドの中から天井見てたの覚えてる。
頭のところにメリーがかかってた。
それだけ。 そういえば私もメリーを見上げてる記憶があるな
もしかしたら2コ下の弟のメリーだったかもしれないけど 保育園か幼稚園の時かな。
4つ上の姉が意を決して正面のスーパーからコカコーラ(ビン)を買ってきた。
それを縁側で眺めながら「これがコーラというものか…」と、神妙に言い合った。
初めてのコーラの味は覚えてない。 3歳の頃、両親が離婚した時の記憶がある。
離婚する前は夜ベッドに入ると、下の階から毎日のように両親の喧嘩する声が聞こえてきて怖かった。
ある日、いつもとは明らかに違う激しい怒鳴り合いが聞こえてきた。
少しして静かになったと思ったら、子供部屋に母が様子を見に来た。
いつものように寝たふりをしようか迷ったけど、その日は何だか母親がいなくなりそうな予感がして不安だったから「お母さん出て行かないよね?」と声をかけた。
すると母は「出て行かないよ」と言い、眠れないのかと私に絵本を読んでくれた。
次の日起きたら母がいなくなっていて「ああやっぱり」と物凄い寂しさと絶望感でいっぱいだったのを覚えてる。
それからしばらくは泣いたら父が困ると思ったから、昼間は泣かずに夜ベッドに入った時に声を押し殺して泣いてた。
2つ上の兄がいるんだけど、兄も同じように感じていたのか、昼間は全く泣かないのに夜になると二段ベッドの上から兄のすすり泣く声が聞こえてきた。
私は今では結婚して子供もいるけど、この時の事のせいか主人や子供と離れる時に、また会えるのか毎回毎回不安でいっぱいになるw >>695
嫁に不満は色々あるけど、やっぱり子供にこんな思いさせちゃいけねーな。
ハッとさせられたよありがとうね。 >>695
どんなに辛い事があっても子供だけは手放さないと改めて感じたよ。 赤ちゃんの頃の記憶がある方いますか?
赤ちゃんの育児に疲れ果てているのでお話し聞きたいです。 >>700
少し上にあるけど、ちょっとだけあるよ。
私は自宅のベビーベッドに寝て天井とメリーを見てた。
感情は特になかった。
ぼけーっと見てただけ。
周りに人はいなかったと思う。 >>701
ありがとうございます!
貴重な記憶ですね。 保育園とか幼稚園くらいの頃だと思うけど、なんでお風呂のお湯を飲まないのか理解できなかったなー
だってこんなにたくさんお湯あるじゃんって。
怒られるから飲まなかったけど。
ついでになんでお風呂場で用を足さないのかも理解できなかった。
排水溝あるじゃん、と。
怒られるからやらなかったけどw 2歳の頃
同じマンションに住む同い年の友達と、その子のお家で遊んでいた
2人でベランダに出たんだけど、その時に友達は子ども用のかわいいサンダル、私はベランダで普段大人が履いていたらしい茶色い(便所?)サンダルを借りた
子供心にも「ここは友達の家だからその子が自分のサンダル履くのは当然だよね」と思いながらなんとなく羨ましいような、自分が可愛くないのを履いてるのが恥ずかしいような気持ちだったな 食卓に赤くてキラキラしたものがあったので口に入れたとたん口の中に激痛を感じて、走り回って大泣きした
その様子を親はゲラゲラ笑いながら見てた。大きくなって自分のアルバムを見てたら、タカノツメを握って大泣きしてる2才頃の写真を見つけた
あとは自分が幼稚園の頃、弟が生まれて自分は赤ちゃんがえりをした。おむつをかえてもらうのも離乳食をアーンしてもらうのもおっぱいを飲むのもげっぷでトントンしてるのも全てが羨ましかった。
赤ちゃんになれば自分もお世話をしてもらえると思ったけど、赤ちゃんがえりするたびに怒られた。だからきっと自分はいらない子なんだと思って、
「私がいなくなったらいいなって思ってるんでしょ。階段から落ちればいいなって思ってるんでしょ」って言ったのを覚えてる >>703
お風呂のお湯を飲むのは思い付かなかったわw
似たようなとこだと、私は雨の日に幼稚園バスを待ってるとき、幼馴染の女の子と空に向かって大口開けてた思い出がある。せっかく水が降ってくるんだから飲もうよ!って
母親に「汚いからやめなさい」って怒られたけど、雨が汚いってのが全然ピンとこなくて「え?なに言ってるの?」って感じだったな
後年小学校の授業で大気汚染とか酸性雨の話を知って、ようやく現代の雨は汚れてるってことを知った >>705
昔は赤ちゃん返りしたのを叱る風潮だったんだろうか?
今は逆だよね。
辛かったね。
あなたのレス読んで、もし第二子ができて上の子が赤ちゃん返りしたら精一杯お世話してあげたいと思った。
というか並んでアーンしてくれるならすごく楽そうだ。 >>706
昔の雨も少しは汚れてるよ
噴火とか山火事とかで
でもちょっと似てて笑ったw 幼稚園入る前だから2歳後半かな
父親の使ってるハサミを引っ張りだして自分の髪をザクザクきった
親に取り上げられて怒られたけどハサミは髪とか紙を切るものだから指なんて切るわけないのにと思った記憶がある
今思えば危ないんだけど 暗い思い出注意
両親が弟の世話にかかりきりだったこともあり、幼少期は同居祖父(激甘)に懐いていた自分
でも祖父母と両親は仲が悪くて、それぞれから悪口を吹き込まれて育った
両親からは「お前はお祖父さんに育てられたから我儘に育ってる。お菓子や玩具を買ってくれるからってお祖父さんに懐いて、モノでつられる悪い子だ」とことあるごとに言われてて、
最初はなにを言ってるかよく分からなかったんだけど、ある日「そうか。両親が弟達ばかり可愛がるのは、私がお祖父さんに育てられた悪い子だからなんだ」と納得してしまい、家族の仲間に入れてもらいたい一心で祖父のことが大嫌いになった
今にして思えば、寝かし付けやお風呂も祖父がやってくれてたんだから懐くのは当然なのにね
小1の頃は全く体調悪くないのにも関わらず「風邪をひいてる」って担任の先生に訴え続けてた。当時は「なんでこんなことしてるんだろう」って自分で自分のことが不思議だった
両親はけっきょく冷たいままだったし、祖父からの愛情も自分から断ち切ってしまったから、愛情に飢えてたのかもなと思う
大人同士の不仲に子供を巻き込むのって、想像以上に深い傷を残してしまったりするよね
こんな経験があるから今でも両親とはあまり上手くいってないんだけど、我が子を巻き込まないように気を付けなきゃなと思う 多分幼稚園に行くか行かないかぐらいの記憶。物心ついた時から「そんなことしてたらお化けが来るよ」「ほら青い顔が○ちゃん連れて行こうとしてるよ!」と怒られてた
それが原因かわからないけど、夜寝るのが怖くて怖くて、夜になると添い寝をせがんだ。けど母がいても安心しきれずぜんぜん寝れなくて、寝る前はいつも大泣きで愚図ってた
親もイライラしてか「もう寝なくていい!」みたいにいつも怒ってた。なんとかしてそばにいて欲しくて何故か「下から男の人の声が聞こえる」「ずっと笑ってる、怖い」と訴えてた
寝たら寝たで、悪夢ばかりみてたのが本当にしんどかった。
悪夢の内容は今でも覚えてる。自分も子供が生まれてまだ0歳だけど、恐怖によるしつけはしないでおこうと思う >>706
つららをかじったり雪を食べたりして、汚いからって怒られたの思い出したわ
やっぱりなんで汚いのかは当時は理解できてなかったw 上の方にもでていたけど、私もライナスの毛布的なタオルがあったなー
糸をびーーーっとひっぱって、それを指でくるくる丸めるのが好きだった。お気に入りのドラえもんのタオルケットで穴が空くほど糸をひっぱっては丸めてを繰り返してたらタオルから毛玉だらけのようになってたわ…
大小いろんな糸玉を作っては気分に合わせてさわさわしていた思い出。 >>710
読んで胸が痛くなった
あなたは自分の新しい家族と仲良く暮らして、少しでも傷を癒やしてほしい 下の子を産んで上の子(または下の子)をないがしろにするっていうのはどんな心境なんだろう。
忙しい故に放任気味になるののは分かる。
でも言葉で傷付けるのは違うと思う。
本当に辛い思いをしたね。
今は穏やかに過ごせてるといいね。 姉がふたつ上だから幼稚園の年少の頃の記憶だと思う
園からバス乗り場までの移動の時、私が男の子に何かからかわれたら
姉が「私の妹をいじめないで!」と言ってくれた
自分だってまだ小さいのに優しかったなぁ
そのおかけか今でも仲良し姉妹でいられてる >>716
スレ違い本当に申し訳ないが、4つ上の姉が成人式ではっちゃけて門限を破り、父にしこたま怒られて泣いていた時、怒る父の後ろで変顔とか変な踊りとかしてたら、
後々姉の旦那さんに嬉しかったエピソードとして語ってた(旦那さん談)
それを知った時は嬉しかったなぁ。
怒ってる途中の父も私の変顔に気付いてはいたけどスルーしてた。
年齢は違えどあなたのように嬉しく思っててくれるのは本当に嬉しいね。
ちなみにその姉との思い出として、私が幼稚園の頃。
うちには屋上があったんだけど、そこで姉と姉の友達と遊んでた。
…んだけど、上の子にありがちな、つきまとう下の子を疎ましく思っていて、階段を上る私の手を振り払い私が階段の上から下まで転げ落ちた。
ギャン泣きする私に姉たちは驚き、ひとまず友達は帰り、私は姉に布団に寝かされた。
そしていつもは触らせてくれないぬいぐるみ達を布団の周りにぎっしりと並べられ、お母さんには内緒だよ!と迫真の目で言ってきた。
アホなわたしはまんまと策略に乗り、すぐに泣き止んでニコニコ。
今思えば本当に危なかったけど、当時から今も笑い話としてたまに思い出しては1人笑ってる。 2歳の時、保育園の先生が優しかった
・1人だけお昼寝しない問題児だったんだけど、こっそり抱っこして保育園中を探検→アンパンマン人形を静かに並べる遊びならしてていいよって言ってくれた
・祖母が料理上手でコロッケとか餃子作るのとか手伝ってた。保育園の粘土で餃子を作った時、「すごい!先生が園長や他の先生に見せに行こう!」と言ってくれたのが嬉しかった
・あんぱんまんの「あ」が書きたくて、自発的にひらがなの練習を始め、ぐるぐるの渦巻きをひたすら書いてた
あと、飛行機に乗ってディズニーランドへ行き、ワクワクしたのを強烈に覚えている
年中から、幼稚園へ入園。保育園と比べて、先生たちがビジネスライクで放置気味だし、幼稚園の子たちはませてて、毎日意地悪されたり急に仲間に入れられたりするのが不思議だった
「冬休みの思い出」で絵を描かなきゃいけなくて、どこにも連れていってもらえなかったので「鶴を見た」と嘘の絵を描いた。参観で、母が「これなんの絵…?」と聞いてきて、ショック受けてたw
幼稚園は自分の居場所じゃないと思ってたし、できれば行きたくなかった
ストレスで、バスの中で指定カバンのベルトを噛んでボロボロにしてた
小学校に上がったら、幼稚園とか保育園とか関係なく友達になった
町に1つしかない幼稚園だったので仕方なかったけど、もし何個か幼稚園や学校見て回ってる人は、お子さんに合ったカラーというのが少なからずあると思うのでそれをまず優先してほしい
それとどんなに小さくても形式だけでも、「家族でここへ行った!これをした!」というレジャーや年中行事の思い出はたくさん作った方がいいと思います! >>713
うちの子が似てるw
おんぶした時だけだけど、私のカーディガンを歯で噛んでプチップチッとやってる。
ジェラピケのお気に入りなのにこのやろうwww 幼稚園の頃腕を脱臼して病院に行った時、「すぐに痛くなくなるよ、痛くないよー、痛くないよー」と言いながら看護師さん数人に体を押さえつけられて医師が力づくで脱臼をはめ直した
痛くないと言われたから痛くないと思ったのにすさまじい痛さで大声で暴れた。大人の言うことなんて嘘ばっかだと子供ながらに思った
いま我が子はまだ0歳だけど、予防接種の時は「痛いの嫌だけどすぐだから頑張ってね」と声をかけるようにしてる 我々の血税がこのアマの屁となり糞となってしまっている。
おかしいことはおかしいと言える国にしよう。
あっこの顔だ。この顔見たら110番。
山尾志桜里容疑者のツラ (詐欺・脱税)
https://seiji.yahoo.co.jp/giin/001127/
この者は秘書らと共謀して多額の税金をだまし盗った詐欺の被疑者である。
国会議員こと常習詐欺犯 山尾志桜里の逮捕状を請求するべきである。
山尾志桜里にはなぜ手錠をかけないのだろうか?なぜ山尾宅に家宅捜査に入らないのだろうか?
詐欺の被疑者・山尾志桜里の身柄をただちに拘束するべきだ。
山尾志桜里容疑者による詐欺の証拠
http://brief-comment.com/blog/lawmaker/52463/ 暗い思い出
初めて参列した葬儀が母のだった
6歳の時だったんだけど、母が亡くなる数週間前は祖父母が遠方だったこともあり父一人で子供3人の世話+母の面会は無理ゲーなので兄と私は児相に預けられてた(弟は0歳だったから乳児院)
ある晩何故か叔父叔母が迎えに来て、車の中で兄と「お母さん退院したんだー、約束の遊園地だー」なんてはしゃいでた
が、家に帰ると母は白い布顔にかけて寝てた
それまで人が亡くなるとそうすること知らなかったけど見た瞬間「死んじゃったー!」ってわかってわんわん泣いた
これは周りの親族の方が辛かったかも
で亡くなったら火葬されることももちろん知らなかったから骨にされちゃって無茶苦茶びっくりした、これじゃ生き返れないじゃん!!って 辛すぎる…
お母さんもあなたに会いたかっただろうに >>724
辛い気持ちにさせてしまってすみません
どんな事情があったか知らないけど、両親だけ中部地方に住んでて子供は双方の祖父母(九州や四国)に代わる代わる預けられてたから純粋に6年べったり母と過ごしたわけじゃなく、
悲しいは悲しいけど「母親」がいないことそのものが悲しいって思ってたな
思い出が少ないから、手料理も2品くらいしか覚えてない
そういえば兄が学校行ってる時に、母が突然2人で動物園行こうって言い出してお弁当持って行った(弟もいたのかもしれないけど赤ちゃんだったから記憶では頭数に入ってない)
おにぎりが初めて食べる梅かつお味で「すっぱい!」と思った、他のおかずは覚えてないw
若くして亡くなった母は辛かったと思うけど
母の死後すぐ父の実家で賑やか7人家族で育ったよ
今は自分も同じ3人の子持ちになった
子供たちのためにも元気でいないとと思う >>725
辛くても今は幸せそうでよかった。
私も子のために死んでも長生きしたいと思ってる。
それまで破滅願望が強くて刹那的に生きてきて親にもたくさん苦労かけて、でもあなたの子供の時の気持ちを聞くと、精一杯真っ当に生きたいと思った。 しょうもない記憶
4歳くらいの時、一つ上の兄とDr.スランプアラレちゃんのソーセージに入ってたシールの取り合いになった
兄は体が大きく私は小柄なこともあり当時は年子以上の年齢差を感じていた
兄はかわいいアラレちゃんのシールをさっさと自分の椅子に貼ってしまい、私は泣きながら、頭がボサボサのセンベエの小さなシールを椅子に貼った
何で気に入らないシールなのに貼ったんだあの時の私は 知り合いから教えてもらった副業情報ドットコム
暇な人は見てみるといいかもしれません
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TCWG4 5、6歳頃かな
休みの日でソファでゴロゴロしてたら、ふと「あれ?よく考えたら魚にもゾウにも、人間にも目が2つある…
別に1個でも5個でもいいはずなのに、みんな共通して2つあるって、なんかすごい…何か共通するような、ものすごい重要な秘密があるに違いない!!」
って世紀の大発見をしてしまったような気持ちになって、心臓がばくばくした
その後中学校で進化論を知り、なるほどこれかーと納得した
その後大学院出るまで生物専門したけど、この時の衝撃が影響したと思う 赤ちゃんの頃の何となくの記憶だけど
この世の何もかもが辛くて、悲しくて大泣きしたのは覚えてる >>730
そういうの聞くと、赤ちゃんでもただ泣きたい気分なだけみたいなのってあるんだな 4歳の時に、2歳の弟と父親と入浴していて、結構大きな地震があって(食器棚や箪笥が倒れるくらい)地震に気付いた父親が、弟だけ連れて避難し、揺れる浴槽の中で呆然としていた記憶がある
今なら小さい弟が優先されたのは当然だと思えるが、当時は待望の長男ばかりが可愛がられていて、私はいらないのか、と思っていた
その後、ビデオデッキにビスケットを詰めたのは私なのに弟のせいにしたりして復讐したり、我ながらひどい姉だと反省したため、たまに飯を奢って罪滅ぼししています 2歳くらいの時にオトンの自慢の車によじ登り滑り台のようにして何十回も滑ったり飛び跳ねて遊んだ
当時は小さい子だけで外で遊ぶのも普通な時代だったから父母が気付くのも遅く車は傷だらけに
小学生の時に「覚えてないだろうけどこんな酷いことしたんだよw」と言われた時に覚えてないふりしたけど、バッチリ覚えてる
車の価値を知らなくて、べつにいーじゃんしつこいな…と思ってたけどとんでもねぇよね
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