育児に役立て!自分の赤ん坊〜幼児期の記憶4
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
3歳までの記憶はほとんど残らないといわれるけれど
たまに赤ん坊時代の記憶もある人も
自分自身の一番古い記憶は一体何か
何に安心したり、何が好きで何がキライだったのか
周りの人のことをどう思っていたのか
色々思い出して、育児に役立つヒントを見つけましょう
■>>980の方は、次スレ立てをよろしくお願いします
前スレ
育児に役立て!自分の赤ん坊〜幼児期の記憶3
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/baby/1339249444/ >>64
>信頼関係を築けなかった原因って、他にもありましたか?
怖がらせてしまってすみません。
この板の住人で、子供の事をあれこれ気にかけてくれるような母だったら普通の親子関係だったと思います。
先にも書いたように母は発達障害の疑いもあったり、普段から会話などほとんどしませんでしたし、この時もフォローなどありませんでした。
この出来事は一番インパクトがありましたが、それ以外の普段の生活もいろいろ問題があったのでなるべくしてなったんだと思います。
普段の生活でしっかりコミュニケーションがとれていれば、何かアクシデントがあったからと言って簡単に信頼を失うということはないと思います。我が家はそれがなかったので… >>65
64です。詳しくありがとうございました。とても参考になりました。
コミュニケーションと何かあった時のフォローを大切にします。 3歳くらいの時
家に来客があると、お気に入りの豚の縫いぐるみを持って親と客のすぐ側で遊んでた
豚の事を褒めてもらいたいような気持ちだった >>67
なるほど〜
これから幼児の子に会う時はその子のオモチャのコンパニオンも一緒に褒めてあげよう >>59
>たぶん幼稚園時代。
>粘土をプリンカップとかに詰めて型を取るのにはまっていて、ふと自分の鼻の穴の型を取ろうと思い立った。
>台所で仕事をする母の背中を見ながら鼻に粘土を少しずつ詰めていきキレイに埋まり切った。
>しかし詰め終わった後で鼻が取れないから粘土も取れないという事に気付き「どうしようどうしよう」と焦り、しかも息が出来ないのでパニックで大泣き。
>そこで母が気付いて大騒ぎ。
>鼻の穴に詰めて型を取ろう!ピコーン!と天啓のような閃きだけで突っ走ってしまったので、鼻が取れないと気付いた時の絶望感といったら。
>こんな理解不能な突飛な行動をすることがあるので、片手間で仕事をしていても子供の事はマメに見ていようと思ってる。
>
>しかしその後の事覚えてないんだよね。病院行ったのかな?
>ちなみに父も妹もそれぞれ幼い頃鼻に物を突っ込んだそうなので家系だろうか。
>現在1歳の娘は何を入れるのかと心配で仕方ない。
あ 保育園での話。
猫が好きな私は猫の絵ばかり描いていた。色鉛筆で図鑑を見ながら色んな種類の猫を描いていた。みんな口を揃えて、上手ね!、素敵ね!、誰よりも絵がうまいのね!って褒めてくれた。
その後、好きが高じてか小学生の頃作った粘土の器が市でやってる展覧会に選ばれて飾られることに。その後、中学生で描いたアクリル絵の具のイラストも選ばれた。
それ以上伸びることはなかったけど、ずっと図工、美術を好きでいられることができた。なので子どもには絶対に下手くそ、こうやったほうがいいよ、とか言いたくないなぁって思いました。 2歳の時。
親が家を買って、両祖父母が見に来た。
たいして広くない部屋だから、自分の体すぐ側によく知らない大人の足がにょきにょき生えてて
怖くて泣きそうになってた。 祖父母で思い出した、4歳頃のこと。
いつも通り母方のじいちゃんばあちゃんの家に遊びに行った時、母が「じいちゃんばあちゃんはお母さんにとって誰なのか知ってる?」と聞いてきた。
私は、そう言われてみると知らないなあと思って、「お母さんのお父さんとお母さんなんだよ」と聞かされると
「お母さんにもお父さんやお母さんがいるんだ!それがじいちゃんとばあちゃんだったんだ!」
と軽く衝撃だった。
確かに教えられないと時々会う仲の良い年寄りくらいの感覚だよなあと思って、1歳の娘には理解できないだろうけど一応「今日はおじいちゃんとおばあちゃんに会いに行くよ。ママ(パパ)のパパとママなんだよ。」とか教えてる。 私も、自分の両親にもお父さんお母さんが居るって認識?した時は軽く衝撃だった。
小さい時って自分のまわりだけが世界の全てみたいなイメージだったから、すごく狭い世界でしか考えられなくて。
幼稚園の頃かな、子供なりに紙に家系図みたいなやつを書いて、自分から始まりお父さんにも両親が居て、お母さんにも両親が居て、って枝分かれして増えてって、そしたら私にはおじいちゃんとおばあちゃんが2人ずつ居る!なんで?って軽くパニックになった記憶が…w
何故かおじいちゃんとおばあちゃんは一人ずつっていう先入観というか固定観念があったんだよね。
母方の祖父母とは遠くてなかなか会う機会がなくて、おじいちゃんとおばあちゃんと言ったらいつも会ってる父方の祖父母だけだったから。
あと両親のきょうだい(おじ、おば)の位置付けについても謎で、家系図を書きながら頭の中ハテナマークだらけになり…おじいちゃんとおばあちゃんにも更にまた両親が居て…と考えたら思考停止状態だったw
子供には難しいよね。 両親にもそれぞれ両親がいる、以前に、父と母は自分の為にそれぞれいるくらいに考えていた超自己中な子供だった私w
父は団塊世代で仕事命な関白亭主だったから、両親が仲良い実感が無かった(仲が悪かった訳では無い)
父と母の役割分担が家庭内でも自分に対しても、しっかり線引きされてたからそう感じていたのかも。 小さい子どもにとっては今現在が全てで、大人にも自分と同じような子どもの時期があったってことすら理解しづらい。 自分が大人になるのも想像つかなかったしね。
大人は最初から大人なんだと思ってたわ。
小さい時は誰でも自分が全ての中心だと思うというか、それ以外無いんじゃないかな。 6歳の時、多分考え事しながら歩いていて
命とは有限であり自分もいつか老いて死ぬんだって気付いて
殴られたようなショックを受けたのをこの流れで思い出した。
1人の帰り道をトボトボ歩いたわ。 乳幼児の不思議発言スレ見てて思い出した
3才ぐらいの時の事
母が切迫で、祖父母に長らく預けられていた私
部屋にあるものが何でもかんでも顔に見えてとても怖かった時期がある。
壁の木の節に始まり、カーテンの結び目からシーツのシワ、天井の模様まで。
ぬいぐるみや、昔のアイドルのポスターなんかは今にも動き出しそうでとても怖かった。
(でも口では「顔がある!」とか「ぬいぐるみ動く!」とかしか言わなかったと思うので、付き合ってた祖母はさぞ不気味だったと思う。)
何か不気味な事を言っても、霊的なものでない事はとっても多いと思うので
どうかビビらずに大丈夫よ〜と言ってあげてほしいです あーあったあった!なんでも顔にみえる時期。なんだろうね、あれ。布団の模様とか、壁紙とか色んなものが顔にみえて楽しかった覚えがあるよー。 なんでも顔に見える時期!
それだったのか、自宅のトイレに飾ってあった
イルカのいる海底の絵の岩がはっきり顔に見えて怖くて
トイレで向かい合うから泣いてパニックになるほどだった
父は「そうかなあ?」と言っていただけだったけど
母は「そう、怖いの。じゃあ外そうね」とすんなり外してくれたのは嬉しかったなあ
たぶん一人で便座に腰掛けていたから幼稚園の頃だと思う
うちの子もちょっとわかりにくいものを怖がるんだけど
その時はなるべく否定しないで「へえ、怖いの、じゃあ抱っこであっち行こうね」と対応している
ちなみに私はなんでも自分でやりたがる子だったけど
母は不安がらずなんでもやらせてくれる親だった(いろいろ早すぎたと思うけど)
私の子もなんでも自分でやりたがるので、温かく見守ってる そういえば、3歳の頃、ハワイ旅行に言ったんだけど
顔より大きなアイスクリーム、大きな大きなハンバーガーを食べた思い出なんか少しもなくて
泊まったホテルのエレベーターで移動中
「わたしは、英語だったらアップルしかしらない」と言っていたところ
エレベーターが止まり、扉が開き、正面に立っていた従業員の若い黒人男性に
その会話を聞かれ、クスリと笑われて恥ずかしかったことだけはよく覚えている
あとホテルでセーラームーンが見れた感動とかw 2歳の頃、12面体くらいのブロックをはめ込む知育玩具(プラスチックで、いろんな形のブロックを同じ形の穴に入れてくやつ)が嫌いだった。
好きな形(星とか丸とか)は結構すぐに見つかるんだけど半分くらい入れた位で、ひし形と台形とかの穴がいくら探しても行方不明。
似たような形の穴に無理やりギュッって入れようとして、手から滑ってブロックがポン!でモヤッ。
お母さんに聞いても、「ココ」とあっさりブロックを入れられ「さっきなかったのに」とモヤッ。
または「探してごらーん」で教えてもらえず結局見つからないイライラでいつも途中でやめてた。
そのおもちゃに対する感情を言葉で表すなら本当に「なんなんだクソつまんねぇ。バーカ!バーカ!こいつ大嫌い!」みたいなイライラだったw
イライラMAXでぎゃあぎゃあ泣いて母が呆れてるのにも「だって!!!!」とさらにイライラしたりしてた。
普段転がってても「フン。つまらない癖に。絶対遊ばない」と手は出さず。
しばらくして気が向いて触ってみるけど上記、でストレス!の繰り返し。
触ることもなくなってしばらーくして、久し振りに触ってみたら「あら、全部の穴あるじゃん」とすんなり全部片付けられた時のスッキリ感www
子供が産まれて昔のおもちゃを漁ったときにそれが見つかって、アー…とぶわっと思い出した。 2歳の頃。
叔母の結婚式に行った時。
白いご飯が食べられなくて、「のりたま!のりたま!」と母にねだった記憶が。
同じ頃。
よく行く近くの公園に、緑色の服を着たお友達がいた。
公園だけで会う友達。どこに住んでるかは知らない。
私はその子といつも公園の隅っこで石を積んで遊んでた。
後日、母曰く「あんたはいつも公園の隅っこで一人で石を並べて遊んでたわね。独り言ばかりぶつぶつ言って。」と言われて寒気がした。 0歳の時。私はベビーカーに乗ってて、父が「いってきまーす」とニコニコ手を振ってた。父と太陽が微妙に重なってて眩しくて目が開けられなくて、手も振りたいけどまだ振り方が分からなくってもどかしかった。
4歳の頃寝てる時母がさらわれたら、絶対私も一緒について行く!とわけのわからない妄想をして、母のパジャマの裾をいつも掴んで寝てた。
大人になって母に話したら、それであんなにギュッと握ってたのかーと笑ってた。 何歳かはわからないけど2歳以下なのは確か。
リビングで仰向けに横になっててリビングから玄関が見える間取りだったんだけど、6、7cm玄関が開いてた。
そこから飼ってた猫がスルッと出てって『あ、猫逃げちゃう…』って思った
親に話したら確かに昔猫を飼ってて玄関から逃げて戻らなかったんだと言われた
なんかしばらくしたら別の家で飼われてたらしい。 多分、1歳の頃の記憶だが、頭の中では色々考えていても、
言葉にうまくできないもどかしさがあった。口から出るのは、あーとかうー。
大人や姉の言っている事は理解はしていた。
幼児期の記憶では、子供は元気に遊ぶもの、はしゃぐものと思っている大人ばかりだったのが苦痛だった。
一人で本を読んでいたいのに、親戚の子供たちが集まった時なんかは憂鬱で仕方なかった。
滅多に会わない人達の前で、他の子の高いテンションに合わせるのは恥ずかしかったし、
そんな気おくれした状態の時に「おとなしいね」と言われるのは辛かった。 幼稚園の頃だと思うので、
スレチなんだけど…
なんのきっかけかわかんないけど、
両手にうちわを持ってパタパタ羽ばたきつつ
「にっぎにっぎにっぎにっぎ
にっぎりっめしっ♪」
と叫びながら家の廊下をひたすら
ピョンピョン走って往復してた。
なんだかその歌?と動きがツボにはまって
楽しくて楽しくて仕方なくて。
まわりで母や祖母が困惑してた、てか
半ば心配してた
(どうかしちゃったの的な意味で)
のはわかってたし、
自分でも頭の片隅で変だなぁと思ってたけど
とにかく楽しくて止められなかった。
もちろんその時一回っきり。
なので、いま3歳の娘が変な言動をケラケラ笑いながらしてても、
あー、今それがツボなのね、と
生温く見守っていられるww >>95
スレタイ幼児期ともあるからいいのでは?
赤ちゃんの記憶じゃないから〜と書き込まないのは勿体無い、もっとみんなの記憶読みたいわ 多分3歳くらいかなぁ
当時車の中でいつもWHAM!のアルバムのテープがかかってたんだけど
ある時いつものように歌いながら唐突に
「あ!これ!これが音楽っていうものなんだわ!」
って気付いた
それまでの童謡は音楽じゃなくてね
まさにヘレンケラーみたいだったなーあの感覚
全く育児に役立たない記憶ですんまそん 育児に役立ちそうもない内容でも、幼少期の記憶って貴重だし読んでて面白いから、そういう事はあまり気にせずに書いても良いよ 幼稚園の卒園式の練習してたときの話。
園長先生見て卒園証書をもらうっていう練習で、先生たちが『園長先生を見て!』って言ってくるんだけど
園長先生って誰?状態だった
キョロキョロしてたら先生に頭を無理矢理まっすぐに向けられた
まっすぐ前見て!ならわかるけど園長先生なんて普段見ないし知らないよ… 3age
くらいの自分。
庭で穴掘ってんだけど
地球の核に到達するくらい
掘ってやるーとか考えながら
掘り進んでた。
公園の砂場で山造ってる
ときも、富士山くらいの
山作るぞ〜て途方もない
夢想してた。
子供の想像力は∞ >>99
昔は園長先生は事務員的存在で表に出てこないから確かによく知らなかったよね
今は園長先生も他の先生と同じように子供と接してるから年少の息子もちゃんと知ってるけど >>100
保育園で穴掘りしてたら友達の母親に「地球の裏まで行けそう?」と言われたけど
私は「何言ってるんだこの人は?
そんなに掘れるわけ無いじゃん」と思った
色んな子供がいるんだなあ >>102
一見普通の砂場遊びしてる
ようにみえて
とてつもない考えを夢想してる
子供もいるんすよ。 幼稚園の流れで思い出した
私は年長になる時に引っ越して別の幼稚園に転園したのだけどそこが制服の幼稚園だったんだ
男の子は角襟、女の子は丸襟だったんだけどなぜか私だけ角襟を着てて
それに気付いた途端恥ずかしくて襟持って顔下に向けて隠してたw
母は角襟の方がかっこいいじゃんと言ってたし引っ越しでわたわたしてて
考える余裕がなかったのかもしれないが合わせてほしかったな〜 3歳くらいかな?通ってた保育園のお昼寝の時間になかなか眠れなくて寝たふりをして起きてた。
女の先生二人がずーっと園児の親の悪口を言ってた(○○の親はいっつも軽トラで来る。ありえないwとか)
あとは将来の夢を聞かれた時に私はまだ自分の名前にちゃんをつける癖が抜けてなくて「私ちゃんはせんせいになりたいな」って答えた。
そうすると先生が「自分をちゃん付けで呼ぶのやめな。そんな子が先生になれるわけないじゃん」って言った。
どちらもすごくショックだったからはっきり覚えてる。
当時共働きで忙しかった両親には延長保育もかなり遅くまでやってくれたし休日も見てくれたからすごく助かったと思うし、未だに卒園児の親の会とか参加してる。
でも保育園の先生って基本的に低学歴な人多いし親に良い所が子供にとっていいところじゃないわけだから気をつけなきゃなって思う。 幼稚園教諭なら国立4大卒もいるけど、保育士はせいぜい名前書けば入れるレベルの短大卒だもんね。 子供を指導する役の人にはそれなりの権威が必要だよ。
そうやって親が保育士をバカにすることが
保育の質を落とす要因になってると思うけどね。
とか言うと短大卒乙とか言われそうなので先回りしとくと
自分は偏差値エリート街道突っ走ってきたクチですから。
まあ>>105の前半の親の悪口を子供達の前で言う先生はろくでもないとは
私も思うけどね。 年少の頃、保育園でサンタのことを知って、
うちに帰ってから「サンタっているの?」って聞けば良かったのに
「うちの煙突ってどこにあるの?」と明治生まれの祖母に聞いたら
「ここにあるべえ」と換気扇から出た細い筒を指差され
あれ…なんか違うな…と感じでサンタを信じる気持ちがそこで終わった
我が子では何とかしてサンタごっこをやってみたい >>107
>>105の文面でバカにされてるって思うの?
卑屈だね クソ寒い地方
3歳か4歳ぐらいだった
就寝前に、居間のストーブが消えてるか見てきて、と言われ、ついてないと報告した
そしたら、何故だか「嘘をついたら、死んだ後地獄に行くんだよ」と怒られた。
(何故だか嘘をついてると思われたらしい。もちろんそんなつもりはない)
死ぬまでに一度も嘘をつかなかったら、天国に行ける。でも嘘をついたら、地獄に行くと諭された。
じゃあ、お父さんもお母さんも天国には行けないんだな。と思った。
天国に行けるのは、100人に1人ぐらいなんだろうなと思った。(ちなみに100というのは、当時の私には想像がつかないほど大きな数)
その少し後、夢を見た。
既に死んでいるという設定の人が何人も居て、そのうちの1人が「この人は天国に行った人です!」と紹介され、
とってもすごい人だと思う夢だった。
ちなみにその時、地獄がいかに恐ろしい所かを語り聞かされ、お父さんもお母さんも自分もみんな、死後はそんな恐ろしい所に行かないといけないんだと絶望した ホラ幼児てさコトバ覚えたての
頃は凄いて良く使うし
マイブームじゃん。
そんコトない?
オレッちはそうだったんだよ。
ところが、スが発音出来なくて
クゴイ、クゴイねえ〜
クゴイクゴイ
とか言うてた。
親も面白がって、矯正されなくて
随分長い間そのままだったw 多分4〜5歳
夜寝る前に母に絵本を読んでもらうのが日課だった
ひらがなだらけだから当時の私でも読めるけど母に読んでもらうのが大好きだった
絵本の最後ら辺に文字が小さくて漢字だらけの文章があるのを見つけて、でも自分じゃ漢字は読めないから
母に何が書いてあるのか尋ねたら「物語の続きが書いてあるんだよ」って言われた
そんな事言われたら続き知りたくなるから「読んで!読んで!」ってお願いしたのに母が頑なに読んでくれなくて「なんで読んでくれないんだろう意地悪だな」って悲しかった思い出
今考えたら本の後書き部分だから子供に読んでも白けるだけだから母は子供には読めないし読んで読んで言われて母は困っただろうなw >>115
変にファンシーな返しするもんじゃないんだね
楽しげな答え方してくれたのにねー
夢がなくても、子供にはおおよそ正直でいようと思う
>>116
そんコトないさ
オレっちよりはよっぽど面白いよ >>115
うちの子も読んで欲しがってた!
あとがきだけじゃなくて訳者の言葉とかだったりしたけど、
しょうがないので「作者は1912年にアメリカに生まれ幼少の頃から…」とかそのまま読んでやった。
だいたい途中で「もういい」ってギブしてたわw >>120
かわいいw
一見、不毛なやり取りだけど
これで醸成される親子の信頼関係もありそうだし
子は世界の不可解さを知るのかも 幼少期、母親がやってくれた好き嫌い矯正メニューや
栄養のバランスを考えて色々混ぜ込んだメニューが大嫌いだった。
大好きな納豆にシラスを混ぜ込まれたのは特にダメで
暫く納豆が食べれなくなった。
そのせいか、今でも色々混ぜて手の込んだ料理や物が苦手で
シンプルで分かり易いのが好き。
自分が好きな感じで子供を育てたら、好き嫌いしない
安定した子供に育ったので何か悔しいw 私も嫌いな椎茸を細かくして入れられるの嫌だったな
小さくても見た目や匂いで分かるから全部除けて食べた
手先が器用なのはそのお陰かも 椎茸なんてたいした栄養もないのに、どうして無理矢理食べさせたがるんだろうね 3歳くらい?だったと思う
昭和の頑固親父だった父は怒るとすごく怖かった
ある時コタツに入ってナイフで遊んでた(子供の手の届くところに置いとくなよと思うが)
案の定手を切って派手に出血
痛いとかより怒られる!どうしよう!としか思えずコタツ布団の下に手を隠した
不審に思った姉がコタツ布団をはぐと血まみれで焦って父に報告した
もうダメだ!怒られる!と思って目の前が真っ白になったが、なぜかその時は怒られず黙って手当てをされた
手当てをされながら「あれ?怒られない、どうしてだろう」とただ不思議だった
さすがに怯え過ぎてて不憫になったんだろうか
かわいいエピソードじゃなくてごめん >>125
単純に、親の方が焦っていたのではなかろうか 3歳くらいのとき、ヤクルトを前歯でガッと開けてちゅーっと吸いながら飲んでたら
そこに舌が吸い込まれていってとれなくてパニックになったことがある。
周りの大人もあわあわしてて、もうダメかと思った。
その内の誰かが箸を持って来て余白?のアルミ部分に穴を開けて救出してくれた。
アホな話だけど、みんなも気をつけて! 3歳くらいの時、音楽教室みたいなところで小太鼓を叩くリズムが「ト・ト・トーマート」だった。
我が子に初めて生トマト食べさせながら「トマトだよ、トマト。ト・ト・トーマート」と自然と口をついて
30ン年ぶりにその教室の光景が頭の中によみがえってびっくりした。 自分は産まれる直前の子宮の中にいた記憶だな。しばらく真っ暗で何も見えなくて、
突然目の前が真っ白になった事はよく覚えている。
もう一つは、家で親父が若干離れている場所で棒立ちしてて、自分は親父を見たとたん
嬉しい気持ちになって親父に飛び付いて言ったんだ。「私の名前は何て言うの?」って。
そうすると親父は微笑んで「○○だよ。」と、優しい声で答えた。ぼんやりとした記憶だから
いつの記憶なのか、現実なのか夢なのかわからないけどね。 自分の住んでいる場所に地球、日本、九州、○○県、○○市、○○町などとたくさん名前があることが不思議だった幼少期。
文字も、例えば自分の名前が愛子として、『愛』『子』それぞれの漢字に意味があることがなんだかとても不思議だった。
うまくいえないんだけど、自分の名前に名前以外の意味があることが面白かった。
ひらがな一文字にも漢字と同じだけ意味があると思い、母に意味不明な質問をしまくって困惑させた。
自分で言うのも変だけど、知的探求心が旺盛な子どもだったと思う。
父が面白がって、幼稚園の頃に広辞苑みたいなめちゃくちゃ分厚い辞書を買ってくれてそれに没頭した。
読書感覚で辞書を読んでた。祖父母と同居だったので、誰かしら大人を付け回して読んでもらったりもした。
結局、別にすごい天才児が育ったというようなことはなく、至って平凡に進学就職結婚出産して今は専業主婦だけどね。
学校の成績も中程度だったし。でも、国語が大好きになって国語だけは試験などでほとんど点数落としたことがなかった。
一つ得意なことがあるというのが、理数系と美術と体育が絶望的にダメな私の自信になった。
大袈裟でなく、このおかげで学校生活も楽しかったと思う。
自分も現在育児中だけど、いつかくるであろう、子どもの『なんで?』にはとことんつきあってあげたいと思う。
意味不明な質問に至る思考回路、なんとなくわかってあげられる気がする。 眠れなくてダラダラ書いてたら長文になってしまってごめんなさい。 うちの妹も平仮名の「あ」の意味を母親にしつこくきいていたなあ
一歳上の自分(4〜5歳)は(平仮名は表音文字だから漢字と違って意味なんてないのになあ
妹はちょっとバカなのかな…)とか思って見ていた冷めた子供だった
小1の時にIQテストしたら300人中1番だったと先生に言われたので、そのせいもあったのかな
その後も、勉強は全教科得意のまま大学までいけた
全教科偏差値70台で苦手教科がなかったので「どの教科が得意?」とかきかれても
答えられなかったし、自分はこれが得意!とか特に自信にならなかったなあ
一つ突出したものがある方が自信がつくのかもしれないね >>133
勉強以外もオールマイティなの?
そうじゃないならあなたの自信は「勉強が全教科できる」なんだと思うけど
小学校の頃IQが一番だったことや全教科偏差値70だとかが自慢なんじゃないかな
それより131や妹さんを冷めた目で見るような書き込みにヒヤッとしてしまった
ただの釣りなのか頭の良い子を持ったら優しさを育てるよう気をつけろってことなのか まあまあ、スレ違いな話を引っ張りなさんな。
勉強だって上には上がいるから絶対的な自信にはならんもんだよ。
オール70のヘンサチに相応しい学校に入れば
みんながヘンサチ70だから大衆に埋没さw >>135
ごめん、自分の子供の頃の話だが、私は文字に色を感じる共感覚があるんだけど
保育園で黒字で書いた「あ」を友達に「なんであって赤なのかな?」って言って
「黒だよ。赤じゃないよ」って言われたことがあるんだ
それが馬鹿にしたような勝ち誇ったような言い方で
すごく腹立ったのをなんか133見たら思い出して腹立ってしまった…
133の妹さんの「あはどういう意味?」というのも
大人だから「なんだか詩的、哲学的だなー、子供って面白いこと言うな」と思えるけど
同じ子供からしたらやっぱり「ただの表音文字だよ何馬鹿言ってんだ」なんだろうね 不勉強で共感覚って言葉自体を知らなかったが面白いね。
大人になっても持ってるの?
芸術的な才能と繋がっていそう。
自分の一番古い記憶は牛乳が美味しかったこと。
それまで飲まされていた生温かくて甘ったるいミルクと違って
冷たくてすっきり爽やかな飲み口が本当に美味しいと思った。
のでミルク拒否の娘も牛乳なら好きになってくれるかと思ったけど
娘は牛乳も喜んでくれなくてショボーン >>134
音楽も図工も体育もできたんだ
いつも五段階オール5だった
でも99点とっても親になぜ100点じゃないのかといつもネチネチ言われてたので自信は皆無
>>131さんの
>自分で言うのも変だけど、知的探求心が旺盛な子どもだったと思う。
にちょっとイラっときてしまったのでイヤミっぽく書いてしまった
勉強も中レベルで美術も体育も絶望的なのに、国語が得意というだけで
知的探究心旺盛とかそんなに自信持てるんだなあと
>>134
>ただの釣りなのか頭の良い子を持ったら優しさを育てるよう気をつけろってことなのか
優しさじゃなくて、子供の成績を褒めずに常にネチネチ言う親にならないように気をつけてもらえればと思うよ
>>136
共感覚持ちの人って、共感覚がわからない周囲に腹立てること多いけど、わかるわけないじゃん
黒ペンで「あ」って書いて、どうして赤なのと言われたら、そりゃあきれて黒だよと言うでしょ普通
共感覚は否定しないけど、見えない人からは霊感あると言われるのと同じ感じだよ
そういう自覚は持ってほしい >>138
あなたも親御さんのようなネチネチした人になってしまっているよ… 子供なんだし、当時は腹立ってもしょうがないと思うなあ。
あと純粋な興味なんだけど、>>133さんはその後どんな人生を歩んでるの?
「十で神童十五で才子二十 過ぎれば只の人」って言葉あるけど、
成長でどうなったか知りたい。 えー、興味ないな。とりあえずいじわるババアになってるってことだけは書き込みでわかるし。 私も変なとこませてたのか
幼稚園とかで集団で踊ったり同じことするの好きじゃなかったなぁ
こんなことしてなんになんだろ…みたいな、冷めた感じ
大人からみたらうざいガキだったろうなーと思う。
頭は平々凡々ですがね。 >>142
タモリが同じようなことテレビでよく言ってたねw
私は単純な子どもで音楽がかかるとノリノリになっちゃって、お遊戯大好きだったなー。
手先足先までビシッと決めて踊ってたらしくて、親としては微笑ましかったんだろうけど、録画したビデオを見ながら
「他の子と違ってあんたのお遊戯だけこんなにビシッとポーズ決まってて面白いね〜!」
と笑いながら言われたのが何だかからかわれたようで恥ずかしくて、一生懸命頑張ってたらそうなっちゃうだけなのに…と悲しかった。
自分の子どもを褒める時も、変な風に伝わらないよう気をつけよう… >>136
私今でもあるw
あ→赤 い→黄色 う→水色 え→オレンジ お→青
そういえば小さい頃牛乳は白っぽい味だから嫌いだったな お遊戯じゃなくて幼児英語だけど、教室では発音がいいねって褒められたのに、両親には発音よすぎwって笑われて、何だかそれが凄く恥ずかしくてそれからわざと日本人の英語みたいな発音に直すようになった
微笑ましくて笑ったのかもしれないけど、小さい子には心の傷になるよね >>144
自分は「う」は茶色だし、「え」は黒、「お」は焦げ茶だ。
共感覚者同士は共感できないな… 3歳ぐらい
夫婦喧嘩で母がヒステリー起こして泣き叫びながら食器を床に叩きつける
嫌な記憶ほど鮮明に残る 三歳頃に庭のブランコでごはん食べた記憶。
母が用意してくれて、食べててねって少しの間家に戻った間の食べたものが美味しく感じなかった。
いつも食べてた俵おにぎりにほうれん草の海苔巻きなのに。
お家の中で離れても多分平気だったけど、外だと急にひとりを意識してしまったんだと思う。
晴れてるのに午前中の日陰のひんやりした空気とか、さっとたった鳥肌とか覚えてる。
幼稚園の頃、俵おにぎりもほうれん草の海苔巻きもよくお弁当に入ってたけど本当は好きじゃなかった。
あまり好き嫌いはない方だけど、この体験が関係してると思う。
母はブランコでごはん食べたら楽しかろうと思って段取りしてくれたんだろうけど、一緒にごはんの方が良かったんだなぁ。 茹でたほうれん草を出汁醤油とかで絞って、海苔で巻いて一口大にカットしたものです。
お浸しを食べやすい形にしたものかな。
ほうれん草は今もマヨネーズ派。 横だけど、ほうれん草の海苔巻きってお弁当に良さそうだな、来週のお弁当の日が有るから入れてみよう。
私が2歳半頃にアイロンを触ってしまい右手の甲に火傷跡が今も有るけど、記憶には全く残ってない。
でも母が何度も話すから、母の説明通りの映像が私の記憶の様に裏に浮かぶけど。
私の一番古い記憶は、年中の夏に父の会社の保養所でプールに入ったこと。
逆にそれ以降の記憶はかなり残ってて、良い事も悪い事もその時の感情と共に説明出来るので、これが物心がついたという事なのかな? 二歳くらいの時だと思う。
夜寝ているときに突然「お母さんに膝枕してもらって、お腹に顔をくっつけて寝たいな」と思った。
でも母にどう伝えていいかわからなくて色々考えていたら
「そうだ!泣けばいいじゃん!!」
と閃いたのでその場で大泣きして自分の思い通りの格好で寝かせてもらった記憶がある。
悲しいとかどうしたらいいかわからないとかじゃなくて、
泣けばわかってもらえる!そうだ泣こう!みたいな明るい感じなんだけど、母からしたら単なる夜泣きだったんだなぁと最近子供の夜泣きに付き合いながら思う。
なので夜泣きには割りと寛大に付き合えている…気がする。
もうひとつ、四歳頃に集めていたシールを食器棚の引き出しに大切ににしまっていたら、ある日妹のトイレトレ中のご機嫌とりに使われている最中に遭遇して物凄いショックを受けた。
そのときは「あの引き出しはお母さんの引き出しだったんだ、そこにしまったからお母さんの物になっちゃったんだ」
「でもどうみても子供のシールなのに勝手に使うなんて…」ともやもやした感じを大分長い間ひきずった記憶がある。
その記憶があるので子供の物は勝手にいじったり使ったりしてはいけないと強く思う。 なるほど!ためになる。
夜泣きされるとどっか痛いのかな?怖い夢でもみたのかな?ってオロオロしちゃうけど、そーいう前向きな夜泣きもあるんだねw 4歳頃
反応が面白いのか、父親が私をくすぐるのが好きだった
でも私はくすぐられるのはあまり好きじゃなくて、でもくすぐられると笑いが止まらなくなるので
きっと父は私が楽しんでると思ってたんだろうなぁ
息が苦しくて苦しくてたまらなくなるし、全身がクタクタになるので「や〜め〜て〜!」と訴えるのだけど、笑ってるからスルーされる。
ある時、どんなに言ってもやめてもらえなくて、ゲラゲラ笑ってた直後に大泣きした事がある
そして今の主人に当時の父と同じ匂いを感じて、どうしたもんかとちょっと悩む >>154
そうそう!息が出来なくて苦しいし、ぐったりだった!
すっかり忘れてた。
くすぐるって笑わす方法でいちばん簡単だから、最近多用してたわ orz >>154私も姉には散々くすぐられていて、挙句に「喜んでるかと思ってた!」って言われた時は殺意が沸いたなぁ。 連投ゴメン。
自身の経験からくすぐりは嫌なものなので、子供にイタズラされた時、怒るかわりにくすぐってるよ。 分かる、私もくすぐられるのすっごい嫌だった
でも娘3歳は「も一回、もっとくすぐってぇー」って言うんだよ
これ何、くすぐられるの好きな子がいるってことなの?
混乱中
いくつの頃か覚えてないけど多分2〜3歳の頃
私は畳に寝てて、脇に母が座って髪をかきあげてくれた
それで目が覚めたんだけど、途端に頭から奈落に落ちる感じが
ほんと、奈落からすごい引力で引き摺り込まれる感じ
慌てて叫びながら母にすがりついたんだけど、それでも落ちる感じは止まらず、しばらく叫んでたかな
母は意味が分からずパニックだし、私もパニックだしどうしようかと思った
何だったんだろ
それ以降もたまーに落ちる感じがあったんだけど、未だに謎 低年齢だと嫌だとは思わないのかも?と推測
2ヶ月の娘は笑いすらせず無反応だからw
そして大人になった今は笑いもせずに不快感感じるだけだしね。
>>158
アリス症候群の激しいやつとか? >>159
あー言われてみればたまに寝落ち直前にアリスになってたなぁ
でも夢との境目みたいな感じだったけど、あれもアリス症候群かな
ぐわーって風船(実際にはない)が大きくなって押しつぶされたりとか
落ちるのもそうだったのかな? うちの1歳児も足の裏くすぐると「もう一回!」って感じで足を差し出してくるよ。
節度を守れば親も子もくすぐり遊びを楽しめるんじゃないかと思う。
私も親にくすぐられすぎてトラウマになったから、子にやるときは
長くくすぐらない・子が嫌がったり飽きたらすぐやめる、は徹底してる。 そういえば、くすぐる時の母親のテンションは好きだった!とびっきりの笑顔が見れるし楽しい雰囲気がいいよね。 あまり自分の幼少期の記憶ないから為になるわ
少ない記憶
私が3歳の時なくなったおばあちゃんの作る俵おにぎりとお味噌汁は当時の子供だった私には味がよく分からず美味しいという感じでは無かった
それでも夢中で食べておばあちゃんにも美味しいと言っていたらしい
説明しづらいが味ではなく愛情のようなものを食べた気がする
すっごくくせになる感覚があった
最近母からあんたはよく可愛がって貰ったんだよーと言われてその時の味や感情を思い出した
離乳食食べない娘だが他にもいっぱい愛情を注ぐようにしたい 幼稚園くらいの頃
親と同じ布団で寝るときがあったんだけど、大人と体の厚みが違うから布団がかかってなくて寒かった
あと腕枕されたんだけど、腕が高いから首が痛かった記憶が
だから今自分が子供と寝るときはかけ布団はわけている ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています