大変! 加藤一二三が引退よ! part6 [無断転載禁止]©2ch.net
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ひふみんも紅顔の美少年と
言われる時代はあった
時の移り変わりは儚い >>386
トークショーで紅が若い頃の先生は人気俳優の菅田将暉さんに似てると言ったら、いやアランドロンです。とひふみんが答えてた >>387
自分が一番偉い人なのは知ってたけど容姿にもそこまで自信持ってたのかw
昔のアランドロンって世界一のハンサム(死語)だったはず >>387なんで外人なんだよw
ひふみん菅田って名前出されても多分知らないんだろうな https://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RiouPuweRZfwwAlVOU3uV7?p=%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AD%E3%83%B3+%E8%8B%A5%E3%81%84%E9%A0%83&aq=1&oq=%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AD%E3%83%B3&ei=UTF-8 >>387
案の定話が全く噛み合わないジェネレーションギャップw たしか50数年前、原田先生が言ってたような
「米長君は仲代達矢似」
「加藤君はアランドロン似」 一二ミンがドラマ出るとしても
棋士役がせいぜいといったところだよな…。大丈夫か? >>385
何年も前から娘だって情報出てたぞ
そんなはしゃがんでも ひふみんって
ネスレのCM?で上手にお芝居してたよね それぞれ専門分野が違うから比べようがないわ
でもお二人とも好きよ ひふみんの大好きなカマンベールチーズには、アルツハイマー型認知症を予防する効果があったらしい。
長年酷使してきた脳が自然とカマンベールチーズを欲していたのだろうかね。 ひふみんの存在を知ったのは
平成教育委員会だったな
こんな人気者になるとは当時は思わなかった ネプチューン 中山ヒデのバーターが済みノラのバーターか
そんでめぐみのバーターでラジオ
次は林のバーター?
仕事が尽きてきたっぽい Twitterでとった仕事は百合がつぶやいてナベプロの仕事はスルーか
百合=連盟が告知するメディア
NHKとアウトは連盟依頼なんだろう
昨日のノラとのイベントや竹俣とのトークショーはナベプロ経由の仕事だったんだろうね
だからナベプロ優先になるからドタキャンするようになるんだよ
だんだんわかってきた
所属事務所があるならすべて事務所にスケジュール渡すのが本筋だぞ 意外や意外
グッズはひふみんより紅の方が売れるのな ひふみんの好物である下痢便入りカレーは売れてんのかな 佐鳴のCMって、ひふみんが問い合わせの電話かけるのおかしいだろw ひふみんの姿見れて嬉しいけど、無理のない範囲で活動してもらいたいわ ひふみん、お年玉付ハガキで1等当たったことがあるらしい。
いつの話か分からないけど、バブル期の1等ってかなりの豪華賞品だったらしいね。
何が当たったんだろうか。 「あんた、テレビの仕事は断っちゃだめですよ」
「父ちゃん、がんがれ!」 事務所に所属してるから
稼いでも、半分は持っていかれそうだな? 三女百合はツイッターではしゃぎ過ぎ
まだバレてないと思ってるのか、ここみてないのかw >>421
別にいまさら金もいらないだろうからな。ちゃんと管理してもらったほうがいいんじゃ。 >>424
棋士は引退しても連盟から餅代ばら撒かれるので関係ないよ
会員としての投票権3つもったままだから死んだ米長がそれを獲得するために随分連盟の金つかっちゃったらしいよ うちの病院にひふみんいると研修医が鍵垢で呟いてたぞ
風邪でもひいたかね そんな口の軽い奴クビにせえよ
ホテルだの飯屋とはレベルの違う守秘義務あんのわかんねえのかよ
ほんと最近のガキは ひふみんなんてサイゼでも間違われるのに、ガセかもわからないネタに反応しすぎ
インフルの予防接種しに行ったのかもよ
猫だって予防接種するだろ @あかりん
今日ひふみんのトークショー行くはずだったんだけど、ひふみん体調不良で中止やて💦
大丈夫かな加藤一二三さん。。残念やけどしょうがないね(>_>)お大事に。。 京都の対談トークショーをドタキャンしたみたいだね。 明日羽生でトークショーがあると呟かれてるからそれに出てきたら体調不良ではなくすっぽかし決定やね。 @8appyLife
今日はヒフミんこと、加藤一二三さんの対談を楽しみに仕事を早退しましたが🏃♀
中止との連絡を頂きましたので…
四条で甘いもの食べてやるわよ。
と言いつつ、今は焼肉食べてます。ごめんなさい。
ひふみん、早く体調良くなってくださいね‼母と年齢が近いので心配です。 >>436
昔から対局者に迷惑をかける名人だったらしいからドタキャンなんて平気なんだろ 加藤一二三、急性胆のう炎で手術
「1週間ほど休養」
お大事に、、、 うちのばあちゃんと同じやつだ
何度も繰り返すよ
ひふみん先生お大事に 心配だな。ちょっとの病気でもこの御年になると大ごとになりかねないし。 胆嚢炎を詳しく診察したら胆嚢癌ということもあるらしいな
無事に退院されることを祈るのみだ 胆石になると脂っこい物は食べられなくなるんだっけか。
これで食生活に気を付けるきっかけになると良いな。 現役の間は頭使ってたからカロリー消費出来てたのかな >>452
頭には糖分いるかもしれんが、頭使うだけじゃ、カロリー消費せんだろ ハンバーグ毎日食べて、カマンベール何箱にコーラ何本も飲んでたらそりゃいつか倒れるよ
コルステロールも高くなるし肥満にも繋がる
過労がくわわれば心筋梗塞、心不全、脳血栓だってありえる >>456あんな好きだったのにきっぱり食べずにいられるのか… >>458
飽きちゃったんだろ
早稲田のトークショーで紅ちゃんと鰻の肝焼きなら美味しい大好きとふたりで盛り上がってたぞw >>458
普通は摘出手術から半年ぐらいすれば問題なし
個人差があるから、ひふみんなら今頃出前取って食べてるかも
しばらくしてから武勇伝として発表する 胆嚢炎なのは意外
駅で見かけたんだけど階段でハァーハァー息切れして苦しそうだったんで、太りすぎて心臓でも悪いのかなと思ってた
突然風呂で心臓発作起こして死んだじいちゃんとおんなじだったんだよな >>458
もともとが鍋焼きうどんを頼むと出前が遅れたり熱くて休憩時間内に食べ終わらなかったりの対策でうな重だから
バトルフードであって好き嫌いと関係ない 芸スポからの転載だけど、これマジか?
0144 名無しさん@恐縮です 2017/11/03 10:39:00
マネジメントをしてる娘を通して仕事の依頼すると大変なことになる
台本チェックもしない、そもそも連絡がとれない
メールは見ない、携帯は留守電がいっぱいでメッセージを残せない
当日はひふみん一人で仕事にきて、娘は出演料の請求書すら送ってこないという始末
三女はなんかの障害?性格破綻者なのか? >>466
自分のツイートをファボるほど動揺してる娘百合w
反省してるんだろ 1959 大山 1960 大山 1961 大山 1962 大山
1963 大山 1964 大山 1965 大山 1966 大山
1967 大山 1968 大山 1969 大山 1970 大山
1971 大山 1972 中原 1973 中原 1974 中原
1975 中原 1976 中原 1977 中原 1978 中原
1979 中原 1980 中原 1981 中原 1982 加藤 1958 大山 1959 大山 1960 大山 1961 大山
1962 大山 1963 大山 1964 大山 1965 大山
1966 大山 1967 大山 1968 加藤 1969 大山
1970 中原 1971 中原 1972 中原 1973 大山
1974 中原 1975 中原 1976 中原 1977 中原
1978 中原 1979 中原 1980 加藤 1981 加藤
1982 中原 1983 中原 1963 大山 1964 大山 1965 大山 1966 大山
1967 大山 1968 大山 1969 大山 1970 大山
1971 大山 1972 中原 1973 中原 1974 中原
1975 中原 1976 中原 1977 中原 1978 加藤
1979 大山 1980 大山 1981 大山 48勝 1966年
42勝 1976年
40勝 1980年
43勝 1981年
44勝 1984年 「1960年名人挑戦以後は冴えない将棋を指していました」
「1968年に十段のタイトルを取ってようやく棋士としてやっていける!という自信がつきました、えぇ」
1962 王座戦優勝
1963 王位戦挑戦(防衛:大山) NHK杯準優勝(優勝:升田)
1964 東京新聞社杯優勝
1965 最強者決定戦準優勝
1966 王将戦挑戦(防衛:大山) 東京新聞社杯準優勝 NHK杯優勝(準優勝:二上)
1967 王将戦2年連続挑戦(防衛:大山) 「中原さんにはずっと勝てませんでした」
1969 A級4位
1970 A級3位
1971 王座戦挑戦 NHK杯優勝
1972 A級1位
1973 名人戦挑戦 NHK杯優勝
1974 A級8位
1975 A級7位 01 1960 名人 ●加藤―大山○ 三大タイトル時代(名人・九段・王将)
02 1961 王将 ●加藤―大山○ 四大タイトル時代(名人・九段・王将・王位)
03 1963 王位 ●加藤―大山○ 五大タイトル時代(名人・十段・王将・王位・棋聖)
04 1966 王将 ●加藤―大山○
05 1967 王将 ●加藤―大山○
06 1968 十段 ○加藤―大山●
07 1969 十段 ●加藤―大山○
08 1973 名人 ●加藤―中原○
09 1976 十段 ●加藤―中原○ 六大タイトル時代(名人・十段・王将・王位・棋聖・棋王)
10 1976 棋王 ○加藤―大内●
11 1977 十段 ●加藤―中原○
12 1977 棋王 ○加藤―中原●
13 1978 王将 ○加藤―中原●
14 1978 棋王 ●加藤―米長○
15 1979 棋聖 ●加藤―中原○
16 1979 王将 ●加藤―大山○
17 1980 十段 ○加藤―中原●
18 1981 十段 ○加藤―米長●
19 1981 棋聖 ●加藤―二上○
20 1982 名人 ○加藤―中原●
21 1982 十段 ●加藤―中原○
22 1983 名人 ●加藤―谷川○ 七大タイトル時代(名人・十段・王将・王位・棋聖・棋王・王座)
23 1984 王位 ○加藤―高橋●
24 1985 王位 ●加藤―高橋○ 対大山 1勝7敗
対中原 4勝5敗
対米長 1勝1敗
対高橋 1勝1敗
対大内 1勝0敗
対二上 0勝1敗
対谷川 0勝1敗
大山と中原で対戦相手の7割を占める。
ライバルの中原とはほぼ5分の結果に対して、
60年代全盛期の大山によって、タイトル獲得数を大幅に逃した結果になっている。
この棋歴からすると、極端な話、ひふみんが過去を振り返ると、大山と中原以外はあまり眼中にないだろう。
このレベルでひふみんが現在の将棋界を見てるとすると、羽生と藤井以外はほぼ眼中にないだろう。 当時タイトル化されておらず、後にタイトル化された棋戦におけるひふみん
25 1955 六四 ○加藤―佐藤● (のち棋王戦に統合)
26 1958 日一 ○加藤―五十● (のちの棋王戦)
27 1959 早王 ○加藤―灘蓮● (のちの棋聖戦)
28 1960 日一 ○加藤―丸田●
29 1961 王座 ●加藤―本間○
30 1962 王座 ○加藤―熊谷●
31 1965 最強 ●加藤―山田○ (のちの棋王戦)
32 1968 王座 ●加藤―大山○
33 1971 王座 ●加藤―中原○
34 1985 天王 ○加藤―塚田● (のち棋王戦に統合)
35 1986 天王 ●加藤―高橋○
六四…六五四段戦
日一…日本一杯争奪戦
早王…早指し王位決定戦
王座…王座戦
最強…最強者決定戦
天王…天王戦 タイトル化されてなかった分は一切考慮しない場合(いわゆる事実通り)
獲得回数 8回
名人 1
竜王 3 (全て十段の時代)
王将 1
王位 1
棋聖 0
棋王 2
王座 0
登場回数 24回
名人 4
竜王 7 (全て十段の時代)
王将 5
王位 3
棋聖 2
棋王 3
王座 0 七大タイトルに合わせて、タイトル化されてなかった分を考慮する場合(基準時代=七大タイトル時代)
獲得回数 14回
名人 1
竜王 3 (全て十段の時代)
王将 1
王位 1
棋聖 1
棋王 6
王座 1
登場回数 35回
名人 4
竜王 7 (全て十段の時代)
王将 5
王位 3
棋聖 3
棋王 9
王座 4 1956 東京杯 ○加藤―北村●
1960 NHK杯 ○加藤―大山●
1963 NHK杯 ●加藤―升田○
1964 東京杯 ○加藤―花村●
1966 東京杯 ●加藤―有吉○
1966 NHK杯 ○加藤―二上●
1971 NHK杯 ○加藤―大内●
1973 NHK杯 ○加藤―内藤●
1976 NHK杯 ○加藤―米長●
1977 早将棋 ○加藤―真部●
1977 NHK杯 ●加藤―中原○
1980 日シリ ●加藤―米長○
1981 早将棋 ○加藤―高島●
1981 NHK杯 ○加藤―伊藤●
1982 名将戦 ○加藤―米長●
1983 日シリ ○加藤―米長●
1983 NHK杯 ●加藤―大山○
1984 名将戦 ●加藤―内藤○
1984 NHK杯 ●加藤―田中○
1985 早将棋 ●加藤―中原○
1985 全プロ ●加藤―谷川○
1987 日シリ ○加藤―大山●
1988 日シリ ●加藤―高橋○
1990 早将棋 ○加藤―羽生●
1991 早将棋 ●加藤―森内○
1993 NHK杯 ○加藤―佐藤● 登場回数 26回
15優勝 11準優勝
3勝1敗 米長
2勝1敗 大山
1勝1敗 内藤
1勝0敗 北村 花村 二上 大内 真部 高島 伊藤果 羽生 佐藤康
0勝1敗 升田 有吉 田中寅 谷川 高橋道 森内
0勝2敗 中原 加藤一二三談
「藤井四段との対戦では、矢倉の戦いになったんですけれども、過去にわたくしが5回くらい負けてる手を指してきまして、
『おっ、わたくしの棋譜も相当勉強したんだなっ』と、とても感心致しました。」
[最善の一手追求]私も -藤井四段寄稿-
「もともと加藤先生は。子どもの頃からの憧れの棋士でした。将棋のプロ養成機関・奨励会に
入った小学生の頃には、先生の代名詞でもある「棒銀戦法」で、何度も勝たせてもらったものです。
攻防の駆け引きが複雑で、将棋の面白さが詰まった棒銀戦法を身につけるため、
加藤先生の棋譜を並べて勉強しました。」 大山康晴
「加藤一二三は大天才である」
升田幸三
「この子、凡ならず」
「加藤君は名人になるのが遅すぎた」
「加藤君は相手によって作戦を変える事はしない。こういう棋士がタイトルを取るのにふさわしい」
中原誠
「加藤さんは雲の上の人でした」
米長邦雄
「将棋を極める所までいけるのはやはり加藤さんだろうと思う」
「僕の親友はね、関西では内藤國雄、関東では加藤一二三なんです」
内藤國雄
「加藤さんとは同級生なんですが、私が奨励会六級の時、加藤さんは三段。
私が小学一年生だとすると、加藤さんは社会に出る手前の大学四年だった訳です。
私達は必死に戦ってるのに、加藤さんは涼しげに戦っている。
天才というのは涼しいものかと思いました。」
「関西将棋会館からの帰り道、一緒に電車で帰ってる時に加藤さんが言いました。
『内藤くん、僕はね、八割の力が出せればいいと思って指してるんだよ』」 対中原戦は、出だし1勝1敗のあと、かの有名な20連敗。
しかし、その後(76年途中)〜82年の名人戦直前までの対戦成績は「22勝15敗」。
つまり、名人戦までの直近6年間は、ひふみんの方が強かったという事実があまり伝わっていない。
ちなみにひふみんは、1980年に十段位を中原から既に奪っており(4勝1敗)、
翌1981年の米長の挑戦もしっかり防衛して(4勝2敗)、
十段(今でいう竜王)のタイトルを維持したまま1982年の名人戦を迎えている。
一方、当時の中原は名人・王位の二冠。
つまり、負けたら一冠になってしまい、代わりにひふみんが二冠になる。
自身の名人V10もかかっている。 中原も必死だ。
この背景もあって空前絶後と言われている十番勝負にまで発展したのかもしれない。 (ひふみん引退記者会見より)
「名人戦の前にも、棋王戦・王将戦・十段戦で中原さんに勝っていたので、
名人戦においても自信はあったんですけども、中原名人は名人10期の絶対王者。
中原さんは名人戦となるとどのタイトル戦よりも2割ほど力をアップしてくると知っておりました。
名人戦だけは中原さんにとっては最後の砦。
ですからまぁはっきり言ってそう簡単には勝たせてくれないと思ってましたけども…、負ける気はしなかった。」 山田道美「ピンさんの勝負手」 『将棋世界』 昭和35(1960)年6月号
ある日、ボクは加藤君と宵の銀座を散歩していた。ボクの記憶に誤りがなければ、
たしかバッハの「ロ短調ミサ」か、何かのレコードを借りるために、加藤君を訪ねたときだったと思う。
その頃、加藤君は虎の門に下宿していて、そこから入学したばかりの早大に通っていた。
そして、夕方になると、夕食と気晴らしをかねて、銀座へ毎日のように散歩していたのである。
銀座の人波は、久しぶりにこの都心へ出たボクを驚かせて、こんなことを言わせた。
「この中に、真に生き、生きるに値する人は何人いるのかしらね――」
「いや、みんなムダ手だと思うナ」
加藤君はぽつんと言った。自分の考えをふだんあまり口に出さない彼には珍しい言葉であった。
ピンさんはごく若いとき――今でもごく若いのだが――から、世間の華やかな享楽や、虚栄に縁遠かった。
ボクの知る限りでは、ピンさんが虚栄の心に動かされて、話したり行動したのを見たことがない。
そうした彼に、銀座の華やかさや雑踏がムダ手に思えたのは当然であったろう。
加藤君もまた、ヘッセのDer Steppenworfの中でHermineが主人公に言ったように、
“インチキ音楽の代りにほんとの音楽を、娯楽の代りにほんと の喜びを、お金の代りに魂を、
営業の代りにほんとの仕事を、遊びごとの代りにほんとの情熱を求める人……”に近かったからである。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています