将棋界の歴史を適当にまとめてみた
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木村義雄 ・十四世名人・常勝将軍
| ・実力制初代名人・名人位通算8期
|塚田名誉十段(実力制第二代名人)
|升田実力制第四代名人・三冠制覇・神
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大山康晴 ・十五世名人・永世十段・永世王位
| ・永世棋聖・永世王将・五冠制覇
| ・無敵艦隊・終身A級棋士
| ・タイトル通算80期
|二上達也九段・タイトル通算5期
|加藤一二三九段・タイトル通算8期
| ・実力制第六代名人 | ・神武以来の天才・棒銀
|内藤國雄九段・タイトル通算4期・自在流
|山田道美九段・タイトル通算2期
|有吉道夫九段・タイトル通算1期・対内藤
|大内延介九段・タイトル通算1期
中原誠 ・十六世名人・永世十段・永世王位
| ・名誉王座・永世棋聖・棋界の太陽
| ・自然流・名人に定跡なし
|戦前世代(加藤・内藤・米長)
|米長邦雄永世棋聖・タイトル通算19期
| ・実力制第八代名人
| ・泥沼流・50歳名人
| ・世界一将棋の強い男
| ・米長哲学
|
|桐山清澄九段・タイトル通算4期・いぶし銀
|青野照市九段・一般棋戦優勝2回・A級11期
|55年組-高橋道雄九段タイトル通算5期
| 南芳一九段タイトル通算7期
| 中村修九段タイトル通算2期
| 福崎文吾九段タイトル通算2期
| 塚田泰明九段タイトル通算1期 谷川浩司 ・十七世名人・タイトル通算27期
| ・一般棋戦優勝22回・A級32期
| ・光速の寄せ
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|55年組(高橋・南・その他)
|中原十六世名人
|森下卓九段・タイトル挑戦6回・A級10期 羽生善治棋聖 ・十九世名人・永世王位
| ・名誉王座 ・永世棋王
| ・永世棋聖・永世王将
| ・七冠制覇・名誉NHK杯選手権者
| ・通算タイトル98期・羽生マジック
| ・鬼畜眼鏡・歴代名人の長所を全て
| 兼ね備えた男
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|谷川九段(十七世名人)
|55年組・島朗九段タイトル通算1期 |羽生世代-佐藤康光九段(永世棋聖)
| タイトル通算13期
| 森内俊之九段(十八世名人)
| タイトル通算12期
|郷田真隆九段タイトル通算6期
| 藤井猛九段竜王位3期
| 丸山忠久九段
| タイトル通算3期
|故・村山聖九段タイトル挑戦1回
|先崎学九段・一般棋戦優勝2回 ポスト羽生世代
| |__屋敷伸之九段タイトル通算3期
| 深浦康市九段タイトル通算3期
| 久保利明王将タイトル通算6期
| 三浦弘行九段タイトル通算1期
| 木村一基九段タイトル挑戦6回
| 行方尚史八段名人挑戦1回
|
|渡辺明竜王(棋王)・永世竜王・永世棋王
| ・タイトル通算19期
| ・史上四人目の中学生棋士
|
|山崎隆之八段・タイトル挑戦1回
|阿久津主税八段・一般棋戦優勝2 豊島・佐藤世代
| |_佐藤天彦名人・名人位2期
| 豊島将之八段・タイトル挑戦3回
| 糸谷哲郎八段・竜王位1期
| 広瀬章人八段・タイトル通算1期
| 中村太一王座・タイトル通算1期
| 稲葉陽八段・名人位挑戦1回
| 阿部健治郎七段・竜王戦1組 |若手棋士
| |_菅井竜也王位・タイトル通算1期
| 斎藤慎太郎七段・タイトル挑戦1回
| 永瀬拓矢六段・タイトル挑戦1回
| 千田翔太六段・タイトル挑戦1回
| 澤田真吾六段・王位戦挑決敗退
| 佐々木勇気六段・一般棋戦優勝1回
| 八代弥六段・一般棋戦優勝1回
| 近藤誠也五段・王将戦リーグ入り
| 青嶋未来五段・王座戦挑決敗退
| 増田康宏四段・新人王戦二連覇
| 藤井聡太四段・竜王戦6組優勝
| ・叡王戦本戦入り
| ・29連勝
| 佐々木大地四段・新人王戦準優勝 >>1
まずズレを直せ
それからもう糞スレを立てませんって約束して消えろ 2ch名人管理人です
私の縄張りである将棋板でこのような
まとめる価値もないクソスレは立てないで下さい 24の歴史もまとめて
HAHAとかchatonlyとか ボランティアさんが良スレ立ててくれたと期待して
ワクワクしてスレ開いた2ch名人管理人さん
期待を裏切られてかわいそう >>1
アスキーアートの入力支援ソフトを使って整えるんだ しかしどういう順番かな。初タイトル取った順?だと郷田は早いはずだしな。
同じ人が出てくるのは世代ではなく期間ごとの区切りということか。
山崎は挑戦一回よりも一般棋戦6回のほうが華があるかもね。どうしてこうなったのか。 >>13
というか、活躍した棋士の名前を時代順に書きなぐっただけかと 例えば、1990年代を例にとるとして…
【1990年代・羽生世代の躍進と羽生善治の七冠達成】
初期は55年組(とくに谷川)と中原の活躍が残るが、徐々に羽生世代が台頭してきた時代である
※将棋界に関連した事件
1993年:森安九段刺殺事件
1995年:林葉直子が写真集でヘアヌードを披露
1998年:中原誠突撃スキャンダル
みたいな感じでとか…
最近では、昨年から今年にかけての冤罪事件、現役プロ棋士が初めて公の場でコンピュータ将棋に敗北、女流棋士分裂、名人戦主催問題…
などなど…そういうことに言及してこそ「将棋界の歴史」じゃないかな やりたかったことはわかる
わかるだけに痛恥ずかしい せっかく立ててくれたのに文句ばっかり言われて
>>1さん可哀想。
自分のようなニワカには勉強になる。 wikiかどこかの本に書いてあることを少しいじっただけじゃね? 斎田3段川上猛殺人未遂事件や、奨励会員放火事件はどの時期になりますか? 1058年頃 ― 現存する最古の将棋駒が使われる。(興福寺駒)
1120年代 ― 平安時代の将棋のルールが記される。(二中歴)
16世紀前半 ― 小将棋から酔象を無くし、本将棋のルールが確立する。
1607年 ― 初代大橋宗桂が50石5人扶持を賜り、プロ棋士が誕生する。
1612年 ― 将棋所が独立し、初代大橋宗桂が任に就く。(初代名人)
1636年 ― 大橋宗古が本将棋のルールを成文化する。(将棋治式三箇条)
1737年 ― 将棋界は隆盛を極め、三代伊藤宗看が碁将棋席次争いを起こす。
1867年 ― 大スポンサーの江戸幕府が消滅し、将棋界も暗黒時代に入る。
1898年 ― 小野五平が将棋家以外から初の名人となる。(終身名人制は継続)
1927年 ― 関根金次郎がプロ棋士組織を統一。(日本将棋連盟の前身)
1935年 ― 関根金次郎が承認し、名人実力制が始まる。
1935年 ― 神田辰之助の昇段をめぐり将棋連盟が分裂する。(神田事件)
―
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― 1937年 ― 木村義雄が実力制初代名人となる。
1950年 ― 名人戦の主催が毎日から朝日に移る。(毎日は王将戦設立)
1952年 ― 升田幸三が王将戦第六局をボイコットする。(陣屋事件)
1956年 ― 升田幸三が王将戦第四局で名人の大山康晴に香を引いて勝つ。
1974年 ― 女流名人戦が設立され、本格的な女流棋士制度が始まる。
1976年 ― 名人戦の契約金引き上げ交渉が決裂して中止される。
1977年 ― 名人戦の主催が毎日になる。(朝日は朝日OPを設立)
1995年 ― 羽生善治の七冠全制覇が報道され、将棋ブームが起こる。
1995年 ― 失踪騒ぎを起こした林葉直子が退会し、ヌード写真集を発売。
1998年 ― 中原誠と林葉直子の不倫騒動がワイドショーを賑わせる。 2005年 ― プロ棋士とコンピュータとの公の場での対局が禁じられる。
2006年 ― 名人戦の主催を朝日に移そうとして問題となり、共催で決着。
2007年 ― 渡辺明がBonanzaと公開対局して辛勝。
2007年 ― 女流棋士の待遇をめぐって一部女流棋士が分離独立。(LPSA)
2013年 ― 石橋幸獅ェ渡部愛のプロ認定をめぐって対局をボイコットする。
2013年 ― 本格的なプロ棋士vsコンピュータとなる電王戦でプロ棋士が負け越す。
2013年 ― 将棋世界にソフト開発者の名誉を毀損する記事を載せて訴えられる。
2016年 ― 渡辺明の虚偽告発で三浦弘行が処分され、将棋界の信用失墜を招く。
2017年 ― 電王戦は名人の佐藤天彦が完敗を喫し、これをもって終了となる。
2017年 ― 藤井聡太の最多連勝記録が報道され、将棋ブームが起こる。 ええやん。お疲れ様。藤井世代はいつ頃誰が来るかなあ。早ければ伊藤くんが来季から三段だが。 >>33
LPSAって結構新しいんだな
何がどう違うのかどうもいまいちわからんが 突貫工事でまだちょいミスしてた
藤井四段に近い年齢では中田功門下の16歳で古賀三段がいるね >>35
https://i.imgur.com/fHmKBjy.jpg
江戸時代の棋士なら、初代よりも三代伊藤宗看の方が有名だな。
江戸三傑の1人とされていて、詰将棋の功績もある。
(初代宗看も三家元制を不動のものにした功労者ではあるが)
そして、三代宗看を出す時は初代伊藤看寿も並べて出すのが望ましい。
あと、宗英と宗歩の間に大橋柳雪を入れたら歴史の流れが感じられて良い。
こういう歴史を俯瞰するものは、
現代に近くなるほど(著者の思い入れが強いほど)細かくなりがちで、
敢えて昔のものを細かく、現代のものを簡素にして、
バランスを取った方がいいと思う。 初代伊藤宗看には本因坊系の棋士との戦いがあるから入れたけど
名前としては三代の方が有名かもしれないね
大橋柳雪も入れようと思ったけど詳細が分からず省いてたかな
歴史表は確かに現代に記述が増えがち
(棋戦が多い、詳細が分かっている、未来の話が入る)だから、
タイトル戦基準で削ったけどまだ多いかもね
夜にでも直すかも 思ったのが現代にいけば増えるはずが、今の渡辺周辺(30代)の著名な棋士あんまりいないんだよね
タイトル戦基準だと尚更 ご苦労様・・ではあるが・・
でも「時代(世代)順の活躍した棋士(著名な棋士)の(適当じゃない盛りだくさんの)リスト」になってしまってるって・・
「将棋界の歴史の適当なまとめ」といえば>>31-33みたいなのと思う
というか、現時点では>>31-33はよくできているし、もうほぼ完成形かとw
あえて言うなら・・
将棋のルールの成立は「将棋界」の事象ではないので削ってもいいかなー
花村元司、小池重明、瀬川晶司のプロ編入に関する事項があってもいいかなー
と個人的に思うくらい
まぁせっかくやり始めたわけだし、「将棋界の歴史」ではないと思うがすごく頑張って作ろうとしてらっしゃるので
このまま適当じゃない「棋士年表」作りを続けてみたらどうでしょ
ワシはスレタイに近い>>31-33の加筆や修正を試みてみる 自分は>>1とは別人で>>1を参考に>>35-36を作ったけど
これらは確かに将棋史というよりは棋士年表、将棋棋士史って感じになるだろうね
とはいえ>>1が最初に作ったものがあれなら、
特に意図せず考えたであろうスレタイよりは
レス内容であるこっちもやっておきたいとは思う 将棋史ということでなら、将棋板でも以前そういう活動はあったみたいだから
【永久】将棋史を完成させよう【保存版】
https://sp.log soku.com/r/2ch.net/bgame/1220641543/
https://i.imgur.com/Hxn70YD.jpg
このスレとか参考になるはず あまり現代に偏ると「将棋界の歴史」ではなく「将棋連盟史」になりかねないし
将棋史にしろ将棋界の歴史にしろ
名前が少し変われば内容も大きく変わるから何を作るかしっかり決めた方がいいかもね 棋士を中心に見るのも、時代区分で分けると歴史を感じられるよ。
構成人数をだいたい同じにするとバランスが取れると思う。
黎明期(1603〜1691年)
初代宗桂(1555年)、算砂(1559年)、宗古(1576年)、初代宗看(1618年)
発展期(1691〜1809年)
三代宗看(1706年)、看寿(1719年)、九代宗桂(1744年)、六代宗英(1756年)
最盛期(1809〜1867年)
六代宗看(1768年)、柳雪(1795年)、宗歩(1816年)、宗a(1817年)
明治大正期(1867〜1926年)
八代宗印(1826年)、小野(1831年)、関根(1868年)、阪田(1870年)
昭和前期(1926〜1958年)
木村義(1905年)、塚田正(1914年)、升田(1918年)、大山(1923年)
昭和後期(1959〜1988年)
二上(1932年)、加藤一(1940年)、米長(1943年)、中原(1947年)
平成前期(1989〜2003年)
谷川(1962年)、佐藤康(1969年)、森内(1970年)、羽生(1970年)
平成後期(2004年〜)
渡辺(1984年)、佐藤天(1988年)、豊島(1990年)、藤井聡(2002年) 2016年 渡辺明がブリーーーーフを見せつけるかのような竜王戦を行う
2017年2月24日 渡辺明がブリーーーーーフを見せつけるかのようなPDFを作る
2017年3月 渡辺明が千田にブリーーーフを見せつけるような棋王戦を行う
2016〜2017年 渡辺明がブリーーーーーーーーフを見せつけるような対局を繰り返す
ブリーーーーーーーフ渡辺明。 >>43
>花村元司、小池重明、瀬川晶司のプロ編入に関する事項
すっかり忘れてた。
って言うか、江戸時代にはアマチュア(在野)の棋士が、
当時のタイトル戦とも言える御城将棋に参加した例もある。
(河島宗臨、天野宗歩、和田印哲)
特に、棋聖・天野宗歩vs家元代表・大橋宗aの決戦なんて、
南禅寺の決戦や永世竜王決定戦などを遥かに上回る大ニュースだったはず。
阪田三吉も在野みたいなもんだったし、
そういう話題は昔の方がダイナミックで面白い。
将棋連盟史としてはアマチュアのプロ編入は大ニュースかもしれないが、
将棋史全体から見ると、奨励会にこだわり過ぎる変な時代って感じ。
書くとしたら、在野棋士の歴史全体の流れがわかるように書いてほしい。 中原と林葉はなくていい気がする
将棋史というより個人のことだし
将棋戦術史は難しいのかな >>50
「将棋」にはゲームと文化の両方の側面があるが、
「歴史」という事であれば「文化としての将棋」が重要だろう。
「名人の醜聞」は文化として見ると結構大きな出来事だと思う。
「ゲーム」としての戦術史も興味はあるけど、
あまりにも難し過ぎて、全て語り尽くせる人はまずいないと思う。
例えば、内藤や谷川が横歩取りで新手を出して勝ちまくっていたが、
実は江戸時代の定跡書に全部書いてあったとか、
「雁木」は二枚の銀を屋根のように並べる囲いというのが定説だったのに、
実は江戸時代の定跡書では船囲いから引き角で戦う構えで、
船着き場の形から考案されたという説が有力になっているとか、
要するに、昔の戦法については無知や勘違いが横行している。
木村定跡あたりからは戦法の変遷をある程度追えると思うけど、
それは将棋の歴史から見ればほんの一部に過ぎない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています