【警告】里見が編入すると思ってる奴へ
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奨励会でダメだったんだから、そこで終わりだろ。
なんで編入試験が、ある前提なんだよ?
退会してから5年以内、2023年3月31日(金)までに編入出来なかったら晒すからな。
断定的な物、目に余る物
規定路線であるかのうよに語っている物
度が過ぎるような物は晒す対象となる。
あと、勝手に編入試験の星勘定をし始めるような行為も晒す対象となる。
自信があるなら晒しても問題ない訳だが、
嫌なら自重したまえ。 アマチュアも女流もタイトル戦参加出来るんだから タイトル取ったら自動的にプロでええがな! これよりこのスレは【竜王獲得より難しいプロ編入試験に合格した今泉健司の日常を伝えるスレ】に変更 いよいよ今泉健司さんのプロ棋士への夢をかけた挑戦がはじまります。
急ごしらえではありますが、今泉さんを応援するブログをつくりました。
会の趣旨など詳細は近日中に掲載します。
これから約半年、よろしくお願い申し上げます。
今泉健司さんを応援する会事務局 将棋ファンのみなさま、暑中お見舞い申し上げます。
すでに将棋連盟ホームページや新聞報道などでご存知のとおり、
今泉健司さんがプロ編入試験に挑戦することとなりました。
今泉さんの実績についてはいまさらご紹介するまでもありません。
若き日の奨励会三段リーグ時代は四段昇段に限りなく近づき、
アマチュアに転じてからも数多くの全国タイトルを獲得。
その後新設された三段リーグ編入試験でも唯一の合格者となりました。
竜王戦6組ではアマチュアながら二度にわたってベスト8に進出、
2手目3二飛戦法の開発により升田幸三賞を受賞するなど、その足跡は燦然と輝いています。 41歳にして闘志はいささかも衰えることなく、
このたび新鋭棋士5人の壁に立ち向かうという困難なチャレンジを選択されました。
今泉さんの勇気ある挑戦に絶大な拍手を送りつつ、
心をひとつにして今泉さんの夢がかなうことを祈ろうというのが本ブログの趣旨です。
今泉さんのお人柄は底抜けに明るく、いたって謙虚。
今後、このブログではインタビューやご本人の投稿を随時掲載してまいります。
これから約半年、今泉さんの大願成就を信じて、ともに応援しようではありませんか。
今泉健司さんを応援する会 代表:藤原雄三(元準アマ名人)
野島崇宏(元奨励会三段) 応援団長 様
ブログ立ち上げお疲れさまです。
今泉さんとはこの前の例会が初対面だったのですが
将棋はもちろんですが人柄でも「プロになってもらいたい」と心から思いました。
微力ながら、応援させていただきます。
よろしくお願い致します。
Posted by ふくふく@心の駒 at 2014年07月29日 18:01 応援すること自体は良いことですが、今泉さんの気持ちも察してあげてください。
人生が懸かっています。外野で騒がれるよりも、本人は目の前の対局のみに集中したいはずです。
かえって足を引っ張ることになるのでは。1
何もせずそっと見守ることが、今泉さんのためになる本当の応援だと私は思います。
Posted by のこのこ at 2014年07月30日 08:26 ブログ開設おつかれさまです。
先日の例会で今泉さんにお目にかかり、そのお人柄の良さに応援する気持ちがさらに高まりました。
新鋭棋士5人との試験対局、しびれる様な勝負の連続と思いますが、成功されることをひたすらに願います。
Posted by 助っ人T@心の駒 at 2014年07月30日 09:16 応援団長さま
ブログ開設お疲れ様です。
差し出がましいながら、貴応援団に要望がございます。
今回の挑戦で、私が一番気にかかったのは、試験費用のことです。
もし、今泉さんご本人さえ納得いただけるのであれば、試験費用については、我々ファンからカンパできないものかと考えているのです。
50万という額が、人生をかける額として決して高いものではないことは認識していますが、
その一方で、今泉さんの挑戦が多くの将棋ファンにとっても夢そのものであることを考えると、
今泉さんだけの負担とするには違和感を感じるのです。
(実際、私達は今泉さんの挑戦を、ある意味エンターテイメントとして楽しむことになるわけです。)
もし、貴応援団で試験費用を募っていただけるのであれば、微力ながら一助となりたいと考えています。
外野からの勝手な口出しで申し訳ございませんが、一考いただけますようどうぞよろしくお願い致します。
Posted by lisbun at 2014年07月31日 18:14 lisbunさま
ありがとうございます。
「応援する会」の活動につきましては、事務局宛メールにてお問い合わせください。
よろしくお願い申し上げます。
Posted by 応援団長 at 2014年08月01日 09:41 今泉です。
このたび、プロ編入試験を受けさせていただくこととなりました。
正直なところ、私自身、この日を迎えることができるとは思っておりませんでした。
私だけの力では到底ここまでたどりつくことはできなかったでしょう。
今回、「応援する会代表」にお名前をいただいた藤原さん、野島さんをはじめ、
応援してくださったみなさまには感謝の言葉もありません。 若き日の奨励会時代も、二度目の三段リーグのころも、
自分の力だけで戦っているのではないと頭ではわかっているつもりでした。
それでも実際のところ、一人で戦っているという感覚があったのも事実です。
ところが今回は、自分だけでここまできたのではないことを、
はっきり実感させられる出来事が立てつづけに起こりました。 みんなこんなにぼくのことを見てくれていたんだ、
ほんとうにありがたい、自分は幸せ者だ、としみじみ実感しています。
ここまでたどりつくことができたのは幸運ですが、
もちろんやるからには全力を尽くします。
自分らしい将棋、見ていただく方々に楽しんでいただけるような将棋を指したい。
いまはそんな思いでいっぱいです。
その結果として、子どものころからの夢であるプロ棋士になれたら本望です。 私はほんとうに将棋が好きなんです。
奨励会時代から、悲壮感や暗い気持ちをもって指したことは一度もありません。
相手はもちろん強敵ぞろいですが、感謝の思いを胸に、力いっぱい指してきます!
8月1日は朝日杯2回戦で船江恒平五段との対局があります。
この対局も試験のつもりで全力を尽くしますので、どうかご注目ください。
これから最低でも週に1回はこのブログで近況を報告してまいります。
なにとぞよろしくお願い申し上げます。
今泉健司 こういう荒らしを放っておくのは良くない
スルーが通じない荒らしはもはや通報するしかない 銀河 JT杯 新人王 YAMADA杯 加古川青流 統合スレ 60
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/bgame/1511094041/
970 名無し名人 (オッペケ Sr21-aOet) 2018/05/14(月) 12:15:55.79 ID:aqkZCyr/r
5月14日(月曜日)
第8期加古川青流戦・開幕局
関西将棋会館 携帯中継
里見香奈 ●−○ 池永天志
【第8期 加古川青流戦 持時間各1時間】
ttps://www.shogi.or.jp/match/kakogawa/8/index.html
Aブロック:[竹内-貫島B]−[西田-(出口B-井田B)]
Bブロック:[斎藤明-関矢B]−[佐々木大-(山本博B-山川B)]
Cブロック:[今泉-桝田B]−[服部B-(柵木B-石川優B)]
Dブロック:[岡部B-伊藤沙女流]−[梶浦-(坂井B-村山大アマ)]
Eブロック:池永−[黒田B-(冨田B-三田B)]
Fブロック:[上村-甲斐日B]−[杉本和-(谷合B-渡辺和B)]
Gブロック:[星野-古森]−[大橋-(慶田B-天野アマ)]
Hブロック:[高野智-長谷部]−[井出-(荒田B-鈴木肇アマ)] >>243
編入厨房、編入信者の悪夢の始まりである。
たまに勝って、ぬか喜びさせられるかもしれないが、
それでも焼け石に水だろう。 今泉さんのおかげで中飛車が素晴らしい戦法ということを知りました。応援しています。
Posted by at 2014年07月30日 21:44 今泉さんの将棋に対する愛情がひしひしと伝わってきました。応援します!
Posted by おうよりひしゃ at 2014年07月31日 15:49 イラストの本の「G」マークがお茶目ですね。頑張ってください。
Posted by 歩パパ at 2014年07月31日 17:59 開原さんや吉田君が日本一になった当時、竹内さんの東福山道場や
倶楽部24で今泉さんに何局か教えていただいた西谷と申します。
あの頃から約14年が過ぎ、私は将棋を指すことも非常に少なくなりましたが、
今泉さんのご活躍は今でもずっと拝見させていただいております。
この度の挑戦で今泉さんが持てる全力を出し切れますよう、そして
プロ棋士・今泉健司の誕生となりますよう、心より応援しております。
Posted by 西谷直人 at 2014年07月31日 19:41 今日は朝日杯2回戦ですね。顔晴ってください!
Posted by heidegger at 2014年08月01日 10:07 船江先生との対局、始まりましたね。今泉さんの中飛車、ワクワクします。
Posted by 高田 at 2014年08月01日 14:03 ごあいさつを拝見して、プロ編入試験の道を開いた瀬川五段を思い出しました。
「自分だけでここまできたのではない」
「自分らしい将棋、見ていただく方々に楽しんでいただけるような将棋を指したい」
「私はほんとうに将棋が好きなんです」
まるであの頃の瀬川さんの言葉のようです。今泉さんも必ず成功します。
Posted by 中飛車愛 at 2014年08月01日 14:27 米長が会長だったら、1年くらいたったら「里見プロ編入試験」という
イベントをドワンゴあたりに売ってひともうけたくらんだろうな。
しかも試験相手には、ひふみん、神吉、女流棋士とか確実に勝てる安全パイを
入れたりして。 朝日オープン戦の船江プロ戦勝利おめでとうございます!
興奮した!力強い指し手を是非プロでもみたい、そんな気持ちにさせてくれた。
編入試験は3勝2敗とかケチな考えをせず、初戦から3連勝を狙って頂きたい!
俺も今泉さんと同じく48年生まれ。もちろん今泉さんとはレベルが違うがまだまだ将棋は強くなっている。
自分の力を信じて戦って下さい。絶対プロになれる!
Posted by 祈!今泉四段 at 2014年08月01日 17:14 今泉さん、おめでとうございます!
昨日の朝日杯、感動しました。
船江先生がややよく見えた局面からじっと耐え、
差を広げられずについていったのはまさにプロの技術。
終盤の見切りもみごとでした。
今泉さんご自身のコメントは近く掲載する予定です。
ご期待ください。 応援する会にはさまざまなお問い合わせ、
お申し出が寄せられています。
事務局ではメールで対応しておりますので、
下アドレスまでお問い合わせいただければ幸甚です。
応援する会事務局 野島崇宏 事務局様、お疲れ様です。
今泉さんではなく、もう今泉先生と申し上げてしまって問題ないでしょうか。
当方陰ながら大ファンです。
3勝目を上げ、彼が念願を成就させるまで、大声援を送らせていただこうと思います。もちろん応援基金も微力ですが協力できればと思っています。
ときどきコメントしますがよろしくお願いします。
今泉先生!絶対今泉先生になられてくださいネ!
そして指導対局で先生に将棋を教えてほしいです(^O^)
Posted by Sansuu at 2014年08月04日 06:48 >>252
藤井聡太ブームから新しいファンも増えたし。
2012年に死亡した元会長の米長を知ってる人は少ないだろう。
第2回電王戦より前だし。 みなさん、こんにちは。今泉です。
心あたたまるコメントの数々、ほんとうにありがとうございます。
朝日杯の船江先生との将棋をご観戦いただき、応援してくださった方々にも心より御礼申し上げます。
船江先生は、私が年齢制限で奨励会を退会する前年、小学校5年生で入会されたので、そのころから知っています。
棋譜コメントには2度目の三段リーグでの対戦成績もご紹介いただきましたが、
それは6年以上も前のこと。まったく意識していませんでした。 プロの先生と対局するのは、一局一局が貴重な体験です。どれだけ年齢が違っても敬意をもって臨むわけですが、
今回は編入試験のつもりで指したこともあり、勝ちたいという気持ちにはいつも以上に強いものがありました。
前日は大阪のホテルに宿泊したのでゆっくり休むことができ、体調も万全です。
当日は朝10時起床。しっかりご飯を食べて、会館に向かいました。
将棋の内容は最後までぎりぎりの勝負だったと思います。
じっさい、最後の詰みが見えるまで、勝ちだと思った瞬間はありませんでした。 序盤。船江先生は私がまったく予想していなかった相振り飛車を採用され、そこからうまくペースを握られてしまいます。
相手の土俵で指させられているような感じといったらおわかりいただけるでしょうか。
思わぬ見落としもあり、模様を悪くしてしまったと感じていた39手目。
ここでは▲3六歩△2六銀▲2四歩△4三飛▲6六角としたほうがまさったようです。
さらに43手目の▲3八玉。当初は▲5八金の予定でしたが、△2二飛で悪いことに気づいて予定変更せざるを得ませんでした。
50手目の△6四歩▲同銀△6三銀も読みになかった手です。
たとえば△2六銀▲同金△同飛のあと△6五金とする余地を作りながら、銀を手持ちにされてしまいました。 一局の岐路となったのが、▲8二歩△同玉▲8四歩と嫌味をつけた局面です。
感想戦では本譜の△7四銀に代えて△7四金が正着ということになりました。
△7四銀は桂に狙いをつけながら▲8三銀の打ち込みに備える狙い。
ただし、△8五銀と桂をとっても▲8三銀の打ち込みから▲8四歩のたたきが残るので疑問だったようです。
△7四金なら、▲8三銀から▲8四歩には△同金と応じることができる。 船江先生は金と銀、どちらか迷われたようです。リードしている局面なので、
手厚く銀を打ったほうがいいと判断されましたが、それが裏目に出ました。
△7四銀に▲3六歩〜▲3七桂は感触のよい手で、次の▲2五桂が厳しい。
玉が厚くなる私好みの展開で、嫌味も解消できたのが大きかったです。
ここでペースを握ったあとは、最善手を指せていたかどうかはともかく、自分らしい将棋だったと思います。
最後は▲3九玉の一手を入れて時間を稼ぎ、詰みを読み切ることができました。 結果こそ幸いしましたが、今回の将棋では自分にまだなにかが足りないことに気づかされました。
予想になかった相振り飛車で模様をわるくするなど、 自分の作戦の幅が狭いことは自覚していましたが、
編入試験を勝ち抜くには、もっともっと自分の武器を増やさなければなりません。
相手はそれぞれに個性をもったプロ5人なのですから。
朝日杯3回戦のお相手は、小林健二先生。私が初めて奨励会を受けたときの師匠です。
人生の巡り合わせって、ほんとうに不思議なものですね。
いろいろなことを感じずにはいられませんが、もちろん顔晴って全力を尽くします。
今泉健司 おめでとうございました☆
中継を見ていて危ないのかな?と思っていて、それを勝ちに持って行かれたのを見て元気をもらいました。
Posted by at 2014年08月03日 23:44 中国将棋名人戦も防衛されたんですね。
おめでとうございます!
3日連続の対局、ホントにお疲れ様でした。
Posted by 高田 at 2014年08月04日 00:21 前のコメントを読んだら、応援する会はカンパ(応援基金?)もアリなんですね?
振込方法なんかはメールで教えてくれるのでしょうか?
僕も受験料はしょうがないと思いますが、瀬川さんのときと比べるとなんだかなあという気がしています。
ここで聞くことじゃないかも知れないけど朝日杯の賞金は、アマももらえるのかどうかも気になります。
Posted by おうよりひしゃ at 2014年08月04日 09:33 おうよりひしゃさま
はい、会へのお問い合わせはメールでどうぞ。
申し訳ありませんが、朝日杯の賞金についてはわかりません。どうなんでしょうね?
Posted by 応援団長 at 2014年08月04日 12:09 朝日オープン→中国名人戦と連戦お疲れ様です。
いや、ただただ強いの一言です。
Posted by 歩パパ at 2014年08月05日 00:48 お待たせしました。
今回から今泉さんインタビューによる「人生ファイル」を断続的に連載します。
ご本人によるエッセイも来週以降、随時お書きいただきますのでご期待ください。
まずは「揺籃篇」のスタートです。 ●顔晴る
本篇の前に軽くウォーミング・アップ。――「がんばる」を「顔晴る」と書かれますね?
「頑張る、ってなんか重いです。顔晴るって書くのは、笑顔で楽しんだほうがいい結果が出やすいからなんですよ。
ま、人の受け売りなんですけどね(笑)。もちろん人には『頑張れ』って言いますけど、自分ではちょっとなあと思います」 ●出生地
「みんな広島いうけど、生まれたのは愛知県豊橋市です。6歳までが豊橋。
次は岡山市に小3の終わりまで。そこから広島の福山に引っ越したんです。親の仕事の都合ですね」 ●家族
「両親と3歳上の姉、5歳離れた妹の5人家族でした」 ●名前の由来
「文字通り健康に生きてほしいという願いをこめたみたいですね」 ●やんちゃ坊主
「2歳のころに一人で三輪車に乗って、スーパーに行ったことがあったみたいですよ。まだおむつしていたやろし、
ワンワン泣いてたんでスーパーの人がびっくりしたとか。とにかくやんちゃやったみたいでねえ」 ●小学校
「岡山では吉備小学校、福山では西深津小学校に通いました。印象に残っているのは小2のときの先生。
やさしくてね、進んで生徒といっしょに遊んでくれるいい先生でした」 ●苦手な科目
「あまり苦手というのはなかったけど、あえていうなら理科とか算数かな。とにかく本を読むのが好きやったんですよ」 ●ベートーベン
「特によく読んだのは伝記シリーズ。ヘンな話、偉人たちの享年とかよう覚えてました(笑)。
バッハ、シューベルト、ベートーベンなど、音楽家は変わった人生を送ってますね。
いまの自分もそうとう変わってるけど、なんか暗示してるんかな(笑)」 ●習い事
「習字と水泳をやってました。指の骨にひびが入ってるのに気づかず泳いでたことがあって、
あとで病院で調べてもらって驚いたことがあります。集中力があったのか、単に鈍感だったのか(笑)」 ●遊び
「夏休みにはプールに行ったり、ふつうでした。野球のまねごととかね。あとは一輪車とか竹馬。
大人数で遊ぶのが好きやなくて、いつも2〜3人で遊んでました。とにかくおとなしい子どもやったんです。
運動会なんかも燃えなかったしね。あれ、暗いな(笑)」 将棋
女流王位、渡部愛が初タイトル獲得 里見破り
毎日新聞2018年6月13日 19時23分(最終更新 6月13日 21時54分)
ttps://mainichi.jp/articles/20180614/k00/00m/040/059000c
第29期女流王位戦五番勝負(新聞三社連合主催)の第4局は13日、徳島市で行われ、
挑戦者の渡部愛女流二段(24)が里見香奈女流王位(26)に139手で勝ち、
3勝1敗で初の女流タイトルとなる女流王位を獲得した。
規定により女流三段へ昇段。
渡部は北海道出身で、2013年に女流3級。
女子将棋YAMADAチャレンジ杯優勝2回、今回が女流タイトル初挑戦だった。
16年にはNHKの将棋番組で講座の聞き手を務めた。
日本女子プロ将棋協会(LPSA)所属で、
同協会にとっては09年に女流王位を失冠した石橋幸緒さん(14年に引退)以来となる。
里見にとっては年齢規定による奨励会退会から初の女流タイトル戦だったが、失冠した。
女流王座・女流名人・女流王将・倉敷藤花の女流4冠となった。 ●ゲーム
「ボードゲームとか、三国志、信長の野望などシミュレーションゲームにはハマりました。そのころから戦略を考えるのが好きだったんでしょう」 ●手ほどき
「将棋は小2のときに父親から教わりました。内にこもりがちだったので、それを直そうと思ったらしいです。
でもこれがひどくてね(笑)、父親はアマ5〜6級だったと思うんやけど、ぜんぜん負けよらんのですよ。
ふつう子どもにはわざと負けてあげるのに、おかしいでしょ?」 ●97連敗
「あるときなんか、母が買い物に出かける直前に、ぼくが『父さん、将棋しよう』と言ったんです。
そしたら『よし、3分で負かしてやる』言うて、ほんとうに負かされた。
悔しくて大泣きしながら買い物についていった記憶があります」
「結局、父親には97連敗しました。なんでそんな細かい数字を覚えているかというと、
将棋盤の裏に結果をつけてたんですね、ペケペケペケって(笑)。
初めて勝ったときは、たしかアタマ金が打てたんですよ。たまたまうまくいったのか、父親がさすがにわざと負けてくれたのか……。
ようわかりませんが、それからはたまに勝てるようになりました」 ●ニセ矢倉
「あとで思えば、父親が教えてくれたことはめちゃくちゃでした。矢倉なんて、8八に角がいたままで、7九に玉がいる形。
それが将棋でいちばん堅い囲いだって教わったんだから(笑)」 ●福山支部
「岡山ではずっと父親と指してただけなので、強くなるはずがない(笑)。
引っ越してから福山支部の支部長、豊原一晃先生が開いていた教室に入門しました。そこで初めて基本を教わったんです。
週に1回、生徒はぼくをふくめて4人。先生にまず六枚落ちで教わり、それから子ども同士で指す。ほかの子たちはぼくより少し強かったかな」 ●中飛車と出会う
「将棋の本も教室で初めて読みました。それが河口俊彦先生の中飛車の本。タイトルも覚えてますよ。『つよくなるぼくらの将棋入門』です。
おかげで最初に覚えた戦法も中飛車でした。そこもふしぎなもんやねぇ、いまは自分が中飛車の本を出してるんやから(笑)。
▲7八金と上がった形+美濃囲いがとにかく美しいと思っていました。最初に居飛車やってたら、人生変わっていたと思います(笑)」 ●将棋大観
「当時の勉強は、将棋の本を読むことと、『将棋マガジン』の詰将棋を一生懸命解くこと。
力がついたのは木村義雄先生の『将棋大観』のおかげだと思っています」 ●入品
「豊原先生の教室に通いはじめてから、1年くらいで初段になったかな。アマ四〜五段に角落ちで勝てるようになりました。
豊原先生はスパルタではなかったけど、『天井の木目を見上げたときに将棋盤が見えるようになりなさい』と教わりました」 ●森安流
「そのころの得意戦法は振り飛車全般。当時は居飛車側は穴熊より急戦のほうが多かった。
こちらの美濃囲いのほうがだいたい堅いし、やられてイヤな戦法はなかったですね」
「自分で買った初めての本は『森安流四間飛車』。森安先生の自戦記で、金銀バラバラでも力強く指す将棋にあこがれました。
まあ、いま思えばむずかしすぎて、意味がわからんかったと思うけど(笑)」 >>287
女にタイトルを取られて編入信者、編入厨房、ゲロを吐いて死亡。 ●初恋
「小学校2〜3年生のときかな、クラスにお人形さんみたいにかわいい子がいて好きになりました。
でもね、岡山から福山に転校するときのお別れ会でもらった寄せ書きに『今泉君と遊ぶのは飽きた』って書かれまして(笑)。子どもって残酷ですわ」 ●告白されて
「4年生のとき、今度は女の子から『好き』って言ってもらえたのに、無表情でスルーしてしまった。
どうしたらいいのかわからなかったんでしょうね。付き合うたらええのに(笑)」 ●将棋大会
「初めて大会に出たのも福山に引っ越してからで、小4のとき。子ども大会でなんとか勝ち越したことだけは覚えています」 ●桐谷先生
「それからはいろんな大会にちょくちょく出るようになりましたね。
今回師匠になっていただいた桐谷広人先生にも、赤旗の大会の指導対局で教わった記憶があります。
二枚落ちで、ぼくが二歩突き切り。上手の常套手段である△6六歩の筋で負かされました」 ●ゲンかつぎ
「当時はどうやったかなあ? 今やったら、負けたときのスーツは着ないとかですけどね。
あ、扇子はアマ連がつくった升田幸三先生のものを使ってました」 ●小学生名人戦
「小学校5年生の終わりに小学生名人戦に参加しました。そのころは地区予選がなくて、みんな東京に行って自由参加という形式。
ぼくは予選は抜けたけど、本戦1回戦で竹内俊弘さんに負けました。知っている子は誰もいなかったですね」
(注:1985年3月29日、東京将棋会館で開催。優勝は野月浩貴七段、3位行方尚史八段。
ベスト32の表には他に、久保利明九段、木村一基八段、矢倉規広六段、金沢孝史五段が名を連ねている。ちなみに竹内俊弘さんは3年生ながら3位に入賞) ●ぶつかり稽古
「大会で初めて優勝することができたのは、小6のとき参加した広島子ども将棋名人戦です。
それで豊原先生が力を認めてくださり、アマ強豪の方々にご紹介いただきました。
一人目は村上幸三さん。ご自身で将棋クラブを開いてらっしゃった方です。
次に平川さん。お二人には学校が終わったあと、毎日のようにぶつかり稽古状態で教えていただきました」
「お二人ともほんとうにしぶとい受け将棋でね。こっちは子どもだから一生懸命攻めるんですけど、めったに勝てません。
たまに倉敷の岡和俊さん(現・棋道師範)にも教えていただきましたね。
みなさんには奨励会に入るまでお世話になり、ぼくの将棋の骨格を作っていただいたと感謝しています」 ●中学入学
「中学は福山市立鳳中学校。浦和レッズの森脇良太選手もそこの出身です。
とにかく中学時代は将棋漬けの日々。他の記憶がないほどのめり込んでいました」 ●プロ志向
「中1のとき中学生選抜選手権広島代表になりました。ま、全国では予選落ちしちゃったんですけどね(笑)。
それでも『広島の小中学生ではオレがいちばん強いな』と思えるようになり、自分も棋士になりたいと初めて意識しました。
それまではせいぜい谷川浩司新名人のニュースが印象に残ったことや、『将棋にはプロっているんだなあ』という程度で、
プロ棋士なんて別世界の話やと思っていたんです」
(注:1986年度中学生選抜選手権の優勝者は宮城県代表の庄司弘光さん。ベスト8に三浦弘行九段、行方尚史八段が入っている) ●関西研修会
「プロを意識しはじめたころ、雑誌で研修会の存在を知りました。親に頼んでみたらOKが出て。
広島やと自分が一番強いし、関西の強い子にもまれたいと思っていたからうれしかったね」
「研修会にはC2で入会。普通はEとかDからスタートするので、珍しかったと思います。
当時の研修会幹事は森信雄先生と本間博先生。月2回、新幹線で福山から通っていました」 ●久保少年
「当時の研修会で強かったのは、久保利明先生、矢倉規広先生、藤内忍君、上地隆蔵君、立石径君、石塚徹君など。
久保先生はやはり別格やったなあ。ぼくは7割ぐらい勝ってたから、悔しい負けとかはあまりなかったんですけど、
久保先生が別格やったことだけは今も強烈に覚えています。目標でしたね」 ●奨励会編入
「研修会は中2の夏にA2に上がって卒業。9月に奨励会へ編入しました。そう、たまたま奨励会受験組と入会がカブったんです。
だから、よく奨励会試験を受けたと勘違いされますけどね。奨励会に入りたいといったときも、親は反対しませんでした。
ぼくの自主性を尊重してくれたんですね。いま思うと、親は大変やったと思います。大会にも連れて行ってくれて。ほんとうに感謝しています」 ●師匠
「師匠は豊原先生に小林健二先生をご紹介いただきました。豊原先生は、ぼくの将棋の根幹をつくっていただいた恩人です。感謝の言葉もありません」
「小林先生にはいろんなことを教えていただきました。それが、頭からすっぽり抜け落ちてしまってるんですわ。
ぼくが未熟だったんですね。ちゃんと聞いていたら、ぼくの人生ももう少しマシやったかなと思います。
いま思えばほんとうに不肖の弟子で、申し訳ない気持ちでいっぱいです」 ●高校
「高校には行く一手だったですね。プロになる以外のことは考えてなかったから、必要ないと思ってたんです。
ここでも親はぼくの自主性を尊重してくれました。いまの自分なら『高校ぐらい行け』とアドバイスしますけど(笑)。
まあ、そのときは先のことなんてわからんし、しょうがないですけどね」 ●再び告白されて
「あとで思えばっていうこと、人生にはけっこうありますよね。
たとえば中1のとき、また女の子から告白してもらったのに、付き合わなかった。
頭の中が将棋のプロになりたいということでいっぱいになってて、ほかのことに興味がなかったんですよ。
いま思えばもったいないわぁ、付き合うたらええやん(笑)。ま、これもしょうがないですね」 これから、今泉の日常を軽い感じで書いていきます。
肩の力を抜いた内容が多くなると思いますが、
楽しんでいただければうれしいです。 私の職業は介護です。
過去も働いてきた業種は接客業ばかり。
人と接することは好きなようです。
介護という業務は初めてでしたが、
私には合っていたのでしょう。
認知症という病気をもつ方がほとんどですが、
みなさん優しい方ばかり。
時に叱咤、時に激励をしていただくなかで、
私自身、大きく気持ちが変化しました。
やはり、目上の方々はすごいです。
日々笑顔で、感謝して仕事に取り組めています。
こういう日々を送れたことで、
将棋にもいい影響がでたのだと思っております。 しかし、残念なこともあります。
私が新聞に写っている姿と、職場の私が、
同一人物には見えないとよくからかわれます(笑)。
その結果、今泉は双子で、最近お兄さん大活躍だね、
と真顔で言われてしまうことに(涙)。
まあ、違う顔をもっているってことでええか、
と一人納得しています。 この職業に就いて、
将棋にもいい影響があったことは間違いないので、
今後もしっかりやっていきたいと思っております。
今泉健司
※事務局より 朝日杯3回戦の対局が9月3日に決まりました。
ご声援をよろしくお願いいたします。 ●一人暮らし
「中学を卒業してから、大阪で一人暮らしをはじめました。
師匠の小林先生の自宅近くのアパートで、朝は師匠の家でごはんをいただき、福島の将棋会館に向かうという毎日です。
将棋以外はすべて自由。15歳の子どもにとっては夢のような環境ですよね」
「とにかく解放感にあふれててね。いま思えば未熟以外の何ものでもないんですけど、最高の環境にありながら活かしきれませんでした。
勉強もしたけど、奨励会員たち同士でよく遊んだなあ。羽目をはずしすぎですね」 ●奨励会デビュー
「初回の例会はとにかく緊張したことだけ覚えています。立石(径)君にひねりつぶされました」 ●プロフィール
「将棋世界」1987年12月号より。
「今泉健司6級 昭和48年7月3日生まれ。小林健二八段門下。中学2年。すきな学科、社会。きらいな学科、英語。
棋風は、攻め将棋、三間・四間飛車、横歩取り。趣味、なし。尊敬する棋士、小林八段。将来の希望、プロになること」 ●香落ち
「奨励会6級から上がるのに1年弱かかった。勝ったり負けたりで勝率はわるくなかったけど、香落ちに苦労したんですね。
本格的に香落ち下手をやったのは奨励会に入ってからなんです。研修会ではほとんど上手をもっていたので」 ●ヒラメ戦法
「香落ちはほとんどハンディとはいえない。上手にとっておいしい手合いだと思います。とがめるのは容易ではありません。
当時の私は相振り飛車を指さなかったので、いつも居飛車急戦で戦っていました」
「これがまあ、苦労するんですわ。とくにヒラメ戦法ね。相手は美濃囲いで堅いのに、こちらの玉はめちゃくちゃ薄い。
実戦的に上手のほうが戦いやすいんです。いま思えば、三段リーグに到達するまでは香落ちとの戦いでした」 ●秒読み
「いまはデジタルの対局時計があたりまえですが、当時はまだなくてね。
切れ負け時計を使ってて、時間が切れると手のあいた人が秒を読むことになっていたんです」
「人間が秒を読むんだから、ミスもあれば冗談みたいな話もありましてねえ。
『30秒〜』というところを、『3連勝〜』(笑)と読んだ人がいました。よっぽど自分の星勘定が気になっていたのでしょう(笑)」 ●10連敗
「5級から3級までは順調で、苦労しませんでした。はじめて挫折という経験をしたのが3級のとき。
2勝8敗でBがついてしまい、そのままさらに負けつづけた(注:Bのまま4連敗)。
たしか10連敗して、このまま降級してしまうんかなあと思った記憶があります」 ●プロの壁
「アマチュアとプロの壁は3級と2級の間にあると思うんです。3級までやったら勢いで行ける。
でも2級から有段者はちがうんですよね。何がといって、まとっている空気からしてちがいます。
初段になればプロの先生に勝つこともあるけど、3級は勝てません。
2級の壁を乗りこえると、カラい指し回し、負けにくい指し回しができるようになるんです」 ●矜持
「だから2級に上がれたのはうれしかったですね。アマチュアにはもう負けないと思った。まあ、錯覚だったのはあとでよくわかるんですが(笑)」 今回は自分の勉強方法について。
将棋の勉強方法って何が有力なんだろう?
と試行錯誤の日々ですが、
その中の一つ、詰将棋について書いてみます。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています