>>696
>盤駒に並べてみる(駒は動かさない)って言うのは
>長手数の詰将棋をしゅうちゅうして考えるには良いかも

俺は長手数の詰め将棋の問題をA4の紙に拡大コピーして
クリアファイルに入れて持ち歩いていつでも見て考えられるようにしてた
プロを目指すレベルになると、この開始図すら修行として頭の中に記億し解くんだろうけどw

余談だけど、長手数の50手詰めとか60手詰めの問題を1時間とか2時間ずっと考えてて、
ふと思ったことがある

手数を進めていくと、いくつかのルートが発生する分岐点にさしかかる
どの筋道でいけばいいのかな?って候補があって、それらを試していくんだけど
余詰めがない限りは途中で行き詰ってしまい、ここでこの駒があるから詰まないんだよな〜とか思って
1つ前とか2つ前の分岐点まで戻ってやり直さなきゃならなくなる。

そうやって、ここがいけなかったのか、あの段階でこれを動かしておけばいいのか、そうやって何度も
やり直してくうちにやっと正解にたどり着く。でもこれって、今うまくいかないのはあの時あれをやって
いなかったから、この失敗の原因はあの時ああしていれば、みたいに人生と凄くダブる。

そう考えると、もしかしたら人間って実は今の人生が終わって新しい命に転生するのではなく
玉を詰ますという最終目的同様、今の人生でやらなきゃいけない事を果たさず終わった場合、
詰め将棋のようにある程度前の分岐点まで戻ってやり直すんじゃないか?って妄想にかられる。

その時、あそこが間違っていたとかどこまで戻ればいいのかとか、それを判断する立場の者は
神ではなく詰将棋同様、自分なんじゃないかな?と そんな電波なことを思いましたとさ、おわり。