人間の読みの量とか手数とソフトのノード数を同一視して公平だの、まだ同じ手数(量の読み)なら人間のほうが優れてるだのとかいう全く無意味な比較論が定期的に持ち上がるけどさ…
人間は意識の表に出ては来ないけど、省略してるようで読んでるんだよ
それをコンピュータは律儀に一手、1ノードと数えてるだけ
だからこの比較は全く意味がない

これは簡単な仮定ですぐに理解できる
例えば駒の動きが今の将棋と全く違う新しい将棋を作ったとして(桂馬が横にも後にも一マス動けるとか、香車が斜め前2方向にニマスだけ動けるとか)
それで人間に考えさせると物凄く読むのに時間かかるだろ
それは長年やってきて無意識のうちに省略出来る読みが全くなくなるから
初期配置の桂馬は5三に行けるとか、そういうのはルール覚えたてではパッとは出てこないだろ
盤面見て、頭の中で一生懸命動かしてようやく分かる
でも表に出てこないだけで、実際には3七、4五、5三と飛んでる、あるいは記憶してるんだよ
こういうところを無視して、人間は読みを省略できるからすごいとか大局観がどうのとか言っても全然説得力がない
本当に省略出来るなら新ルールの将棋でやってみろよ
ポナンザの山本でさえ(わざとなのか知らんが)、ドワンゴの詭弁に乗って一秒間に読める量を揃えたらどうのとか阿呆なこと言ってるが、なんとかまだ人間側の方がやれるとかいうハンデの口実を探すためのトンデモ理論に過ぎない