勝負師なんて誰しも屈折してるんだけど、そのまま年食った感じだからなあ。
升田、加藤、内藤、芹沢、それから大山に破壊された大勢、どの棋士も、もとより
勝負師だから内心はドロドロしてるはず。※だってそうだった。林葉事件だって
自分の悲願のために中原をはめたわけで、流石蛇のようなしつこさw
でも、どの棋士もそんな内面を押さえて、割り切って見せてるとこが将棋のプロの
かっこいいところ。例えば囲碁に比べてみんながキャラ立ちしてしまうのは、将棋
というきっつい勝負で、全員が天才なのにその中でも厳然たる実力差を無残に見せ
つけてしまう、それを各人が乗り越えるからなんだよ。
だけど、この御仁は、子供のまま大人になった感じのところがある。「一枚の写真」
の時とは年齢も積み重ねてきたキャリアも違う現在でもこれだけ生臭いというのが、
逆にこちらが恥ずかしくなると言うか。
俺も鬱で仕事休んだ時期があったんだが、これは鬱の闘病記としても、あーあるある、
で終わらないのがね。肝心の著者先崎は、鬱の原因になる粘着気質を相対化できてる
のか、よくわからないんだよ。いや、少しでも将棋界のことを知っている者が見れば、
出来てないと思う。先崎の文才があれば、もうちょっといろいろ書き方の工夫は出来る
はずだが、それが出来ないのが良くも悪くも先崎なんだろう。