大山が研究で勝てる相手ではないことは羽生と大山の対局からもわかる

羽生と大山がはじめて対局したのは羽生が17歳のときに『将棋世界』が企画した持ち時間90分の非公式戦
夢の対決として藤井四段の『炎の七番勝負』が評判になったのは記憶に新しいが、羽生四段がその先駆けだった

違うのは藤井四段は羽生三冠(当時)に勝てたけど、羽生四段は大山無冠64歳(当時)に負けたこと
非公式戦だから真剣勝負ではなかったという言い訳はできない
大山は手を抜いたかも知れないが、羽生は勝つ力がなかっただけのことだ

17歳だからやむを得ないという言い訳は認めてもよい
しかし、敗戦から学んで強くなるのは若手の特権で、それこそ研究というものだ
ところが、どうだろう、羽生は負けを経験しても大山を越えられないままだった
大山68歳の最後の対局でも負けたからだ

羽生が最後に負けた天王戦本戦1回戦は今の叡王戦と似た棋戦だった
そして、藤井四段が深浦九段に負けてしまったように、羽生は大山に負けている
違うのは、相手が段位こそ同じ九段だが大山は68歳の九段、そして羽生は四段でなく七段、しかも21歳にして棋王であり斯界の第一人者だったことだ
何度も言うが、指し盛りの大山>指し盛りの羽生なのは明々白々である