また、大山さんは、あらゆる手を用いて対局場を自分のペースに引き込んだ。
ただでさえ、周囲は第一人者に対して気を使う。
そのことをよく分かった上で、主催社の担当者や観戦記者、中立であるはずの立会人まで親しい人で固めた。
私の立場はいつも、サッカーで言う「アウェイ」の状況だった。
タイトル戦が地方で催されると、前夜はたいてい宴会になる。宿には大勢の関係者が招かれ、献杯が繰り返された。
大山さんはそういうのが嫌いで、挨拶だけすませて、さっと引き揚げた。
主役がいなくなれば、私一人で杯を受けざるをえない。
私に深酒させる作戦でもなかったろうが、何においても、自分を中心に置くのが大山流だった。
麻雀も大山さんがペースを維持するための重要な要素で、対局後の夜は必ず卓を囲んだ。
ある年のタイトル戦で、大山さんは、私の師匠の渡辺東一先生を立会人に指名した。
ならば私に有利かと言えば、これがそう単純でもないのだ。
師匠も麻雀は好きだったが、強くはなかった。
負けて精算という時、すかさず大山さんは「渡辺さんの負けた分は、僕の勝ちから引いて」と言った。
私は心中穏やかでなかった。周りの人は、師匠の負けなら、二上がもてばいいじゃないかという目で見るからだ。
そこまで計算して師匠を立会人に呼んだのだとすれば、用意周到と言うしかない。