福田家事件 「盤上の人生 盤外の勝負」より

昭和49年、棋聖だった内藤は、挑戦者に大山を迎えた。そのときの
たぶん第1局だったと思うが、東京四谷「福田家」での対局前夜、ちょっとした事件が起こった。

その日、内藤は東京につくのが少し遅れた。待っていた大山は、新聞社の設営担当者に、
時間になったから会食をはじめるよう、うながした。大山が言うのなら仕方ない。担当者は従った。
大山の食事は早い。出される料理を片っ端から平らげ、一通り出て終わると、すぐ御飯を頼んだ。
対局前夜の宴会だから、ゆっくり酒を飲みたい人は多かったが、そんなのはお構いなし。
早々に食事を済ますと、すぐ麻雀の用意をさせる。これがタイトル戦での大山ペースだった。

ちょうどそのとき、内藤が着いた。すぐ宴会場に行くと、もう膳はすべて下げられていた。
それを見て、内藤の顔色が変わったそうである。物も言わず、荒々しい足取りで部屋を出た。
麻雀を打っていた大山は、ちらっと内藤を見た。それはぞっとするほどの、軽蔑のまなざしだった、という。

自室に入って、内藤の憤懣はますます嵩じた。内藤が関西を立つときは、主催誌の担当者が
つきそっていて、やむを得ない事情があって、少し遅れるのは伝えてある。
なら、少しくらい待っていてくれそうなものではないか。タイトル保持者の面目は丸つぶれだ。
こらえられなくなり、銀座に出て、その夜はしたたかに飲んだ。それに付き合ったのは、芹澤博文だった。
翌日の対局は、もう書くまでもない。内藤は惨敗し、そのシリーズは、1勝3敗で内藤はタイトルを失った。

内藤は、中原と並んで、大山を倒す有力候補だったのである。それが、この時の棋聖戦を境に、
内藤は大山に全く勝てなくなり、これ以後十年以上に渡って、肝心の順位戦では一度も勝っていない。
大山は、自分の地位を脅かすような後輩すべてに、このような仕打ちをし、そうして勝ち続けたのである。

>>265
2つの要素が付け加えられている

・大山は、新聞社の設営担当者に、時間になったから会食をはじめるよう、うながした
・やむを得ない事情があって、少し遅れるのは伝えてある

これは河口氏の晩年の作なので、たぶん自分の役目と考えて、本当のことを書き残したのだと思う