大山康晴名人は本当に盤外戦術を使ってたのか?
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△大山と対戦した棋士の証言
中原 「ほとんどない。タイトル戦で着物や振る舞いについて丁寧に教えていただいた」
羽生 「ありません」
森内・佐藤康 「ない」
谷川 「ありません。離席して長考してたのでどうしたのかと思ったら
来客と話をしていた。しかもその対局で敗けた」
△大山が会長をしていた頃
将棋会館の資金集めのため、毎日のように企業周りしていたり、
対局日も来客の接待をしていた。
△結論
大山は盤外戦術など使っておらず、
むしろ他の人間がやるべき資金集めや接客をやらされていた。
盤外戦術をぬかしているのは、負け犬の遠吠えではないか? 羽生が 中原 谷川の上座に三回連続ついて
僕知りませんでしたとかトボケタノガ歴史上一番醜い盤外戦術だからな
大山のは盤外でも何でもない w 雑に言えば将棋指しは博徒に過ぎなかった
それを健全なものへと世間に認知させ、昇華したのが大山舛田世代だが
あくまで魅せる「勝負事」の範疇を出なかった
知性の競技という価値観をもたらし君臨したのが羽生世代
彼らの登場は衝撃をもって迎えられた
大山の時代と羽生の時代は価値観が異なる 羽生も大山も番外戦術を駆使して築き上げたタイトル獲得
子分の面倒を見ている点大山の方がましってだけで同じ穴の狢 >>93
突っ込み所満載ですねw
所詮勝負事といっても、娯楽の少なく将棋人口が凄かった時代に
将棋の名人は大スターで、その一挙一頭足に湧いた時代。
>>94
大山は別に番外戦術だけでタイトルを積み上げたわけじゃない。
如何に相手がタイトル戦に不慣れでも、そこはプロであり、長い
持ち時間でその人なりの力を尽くしたのも確か。そして勝てなか
った。大山自身も面と向かって負けろなどと言ったわけでもない。
コンピュター解析では残算な結果が出るし、羽生は大山将棋を
肯定的に評価することは少ない。相手によって手自体を変えられる
という心理学的要素が入るから純粋な棋理として分析すると難解
になってしまうだけ。
羽生に至っては、大山と比べれば番外などと呼べるような物は
皆無に等しい。
スポーツライクに捉え行動したのは、羽生世代より前の谷川や
55組からで、羽生一人の功績ではない。勿論それよりずっと
以前から棋士=頭脳労働、知力を尽くして戦うエリートという
イメージは出来ていた。「将棋のプロは数学が得意」という俗
説もずっと昔から。
もし羽生が大山流に将棋を作れば、タイトル戦に限ってはもっと
取れていたし、大きな勝負でこれだけ負けることもなかった。
最善を尽くさねば勝てない棋士を相手にしてきたのは確かだが、
一方でメンタルが強靱かどうかは怪しいのもいるw それに負け
るのはアクで勝負してない何よりの証拠。 米長は割と大山には勝ってたね。
位取りで圧倒して勝ったり。 米長よく使う言葉に「気合い負け」ってあったけど
米長は大山に負け越してはいたけど、良い勝負だったのは気合い負けしてなかったのもあったんじゃないか?
もちろん米長には詰むや詰まざるやの終盤力が強かったのもあるけど。 盤外戦術を明確に認識していたからだろう。※は頭いいから。
でもそもそも盤外と感じもしなかった超鈍感の中原には勝てなかったがw いわゆる大山の盤外術は、当人が意識してやった以外にも、相手が勝手に意識して縛られたケースも少なくないだろうな。大山の何気ない一言や仕草に必要以上に意識して自滅するんだ。 千代の富士の八百長相撲と同じだね。
あれも横綱として堂々の実績を積んでからは、いちいち注射依頼がなくても
勝手に転んでくれたw スマホカンニング事件の主犯の一人には何の判断力も説得力もない 大山は宮本武蔵みたいなんだろ
タイトル戦前日に朝昼晩と時間の変化ごとの
対局室を観察する
明るさや室温なんかを見てたらしい
大山は1年半ぐらい兵役についてたから
勝つためにはなんでもやるという思考が
身についたんだよ 具体的に羽生さんは何したの?
>>92
> 羽生が 中原 谷川の上座に三回連続ついて
>
> 僕知りませんでしたとかトボケタノガ歴史上一番醜い盤外戦術だからな
>
> 大山のは盤外でも何でもない w 平成の終わりに渡辺棋士が大山らを吹っ飛ばして究極の盤外戦術で自爆w 真偽は不明だが内藤棋聖の時、対局前夜の宴会に内藤さんが所用で遅れるので
主催者に宴会時間の開始を遅らせてくれと連絡し当然そうなるものと到着したら
挑戦者大山さんの一声で定刻通り始まり既にお開きになっていて、
それに憤ってS八段と深夜までヤケ酒をすごし、翌日2日酔いで負けたとのエピソードがある
しかしこれは内藤さん1人のかってな要望であり、宴会の関係者全員に迷惑がかかることで
大山さんの周りへの気配りの行為に対する単なる難癖で盤外戦術といえるのだろうか >>108
俺なんかは、タイトル保持者=主賓のくせに他用を優先しようとした内藤に問題があると感じるけどな。 >>110
不貞腐れて芹澤なんかと深酒してる時点で負けるに決まってるわな。 観戦記者直子「大山先生の袖飛車が見たいな。」
大山「ふふふ。」
四間から振りなおす大山流袖飛車
待ってましたとばかりに対応するマコちゃん
対局後3人で飯食いに行ったとさ >>108
だな
遅れるけど先に始めといてくれ、と頼んでおくのが社会人というもの >>113
逆に俺なんかは、内藤が仕掛けた盤外戦をまんまと大山が返したように見えるね。いずれにしろ内藤の自爆。 大山の時代にソフトがあったら大山はソフトを密かに使っていただろう >>108
盤外だったにせよそうじゃないにせよ、ヤケ酒は余計だよなあ
そこで踏ん張れるかどうかの自制心がないとね。。。
全体的に見てちょっと、内藤棋聖のタイトルホルダーとしての自覚が足りないという感じがするよ 内藤の振り飛車に大山が居飛車で位取って押しつぶした棋譜見たけど
相当苦手だったんじゃないのかな。
内藤は相居飛車の急戦だと華麗に勝ったりしたけど。 >>116
寧ろ他の棋士の方がソフト使う可能性高いんじゃないかな。ずっと大山一人勝ちだったもん。 大山は評価値と関係なく、人間を間違わせる手ばかり指した >>116
さすがにそれは言い過ぎ
大山が一番強かったんだから
徹底的にカンニング防止策を徹底させただろ 一番強んだから使ってもバレにくい
そして番外戦術を兼ねて相手が便所から帰ってくるたびに使ってるソフトと評価値聞くよ 「渡辺さん、今の局面はあなたのソフトでは評価値いくつや?」
大山が健在ならきっと対局中に独り言のようにぼやいていたに違いない 大山って加藤一二三よりちょい強いくらいだから、
ソフト研究の豊島や藤井と当たったら無残に負ける
盤外戦より、扇子パチパチやったり、挙動不審な奴が多くなったのが問題や 昭和の大山中原の一人が頂点に君臨する時代はそうなんだよ
平成の島研以降の平成の名人がコロコロ変わる時代とは違う 木村、大山、中原(20代)は2日制タイトル戦でこいつらが他に差をつけて最強だったからね
中原(30代)、谷川、羽生はそうではなかった
藤井が2日制で他に差をつけて最強ならまた大名人の時代は復活するさ
時代のせいじゃなくその棋士の能力の問題だからね
大名人が続く時代もあれば続かない時代も当然ある 大山先生は将棋はミスをした方が負けるから人間はコンピュータに勝てないと言った
その通りになったな 扇子くるくる
詰めパラ見てる記録係に「詰将棋なんかやっても強くならないから無駄だよ」 ※対局相手は詰将棋作家としても著名な二上・内藤
福田家事件 (対局相手の到着待たずに宴会仕切る)
ステーキ食いまくって健啖&余裕しゃくしゃくぶりを見せつける
こんなくらいか? 昔はのどかで対局中にも話かけたり、観戦記者と茶飲み話をしたりしてた
で、大山は絶妙なタイミングで相手が読みに集中できなくなるような話題にしたり、聞いてきたりするのが得意だったという他愛ない話を米長や内藤がよくしてたな
負けた言い訳話が膨らんでいったんだな wikiにやってるって書いてあるからやってるんだよ 大山康晴十五世名人は、第一人者の地位を守るため、将棋界全体を勝負の一環と考え、有望な若手棋士に「盤外戦術」を仕掛けました。
大山名人は、棋士として最も勝てる時期に徴兵され、また日本中が戦争で「将棋どころではない」時代でしたから、第一人者になった頃にはすでに30代でした。
年齢による衰えが避けられない中で、加藤一二三、二上達也、山田道美、内藤國雄という将来有望な棋士が続々と頭角を現し始めました。
このまま手をこまねいていては、自分の地位が危ない。
しかし、まともにぶつかりあえば、年齢差がいずれ響いてくることは明白。
そこで、大山名人は自分の地位を利用して、若手棋士たちに盤外からプレッシャーを与え、人間的な威厳で挑戦者たちを精神的に委縮させることで勝負を有利に運んだのです。 大山のA級順位戦の星を眺めると、内藤に全く負けていない。十二連勝である。
つまり大山は、内藤のほかに、加藤(一)、二上、など堅く勝ち星を得られる、業界用語でいう、「お客さん筋」を持っていた。
そうした基礎票みたいなものがあったから、A級を維持できたのである。
(引用:大山康晴の晩節) そういえばH2年度順位戦で、1勝5敗の状況で
7局目に内藤と当たり、これに勝ってほぼ残留を決めたのだった。
終盤どう見ても寄りそうで妙に寄らない大山玉が印象的だった。
その日連盟道場のTVで見ていたが、年配の客は最後までハラハラしていた。 大山と対局するたびに福田屋事件を思いだして悶絶するんじゃ内藤先生も将棋に専念できまへんわな
勝負前から力を2割くらい削がれたようなもん 意識してやっていなくても絶対王者の大山がなんか言ったり
やったりすれば盤外戦術だと思われたことも多かったんじゃね。
イラっとして「暗くしなさんな」と言ったこととか。 細かい記録が残ってない言動も数えきれなかっただろう
対局中に相手を困惑させる私語とかもあったに違いないし
中原に盤外が通用しなくて、その後は加藤、二上、内藤とかの過去の遺産で延命した >>117
いいわけめいてるけど、内藤は引退後のインタビューで
「自分は早く帰るつもりでむしろ宴会先にしてくれたのは好都合なくらいだったが
芹沢が怒っていて、一緒に飲みに行こうといわれ断れなかったのではしご酒となり
これがまずかった」と語ってる
これも強がってるだけとも取れるし、真実はわからんよね 先崎が「盤外戦術ということではなく、将棋が好きで強くて早見えだから
感想戦をたっぷりやって、相手がいった筋をこれはそれでダメと潰すから、相手にしたら潰された気がするが
、大山先生としてはそういうつもりではなく、将棋が好きなだけ」といってたけど
天彦が叡王戦解説でいつも居残って対局者とソフトでいつまでも検討してるのをみると、
大山もこうだったのかな、という気がしてくる 二上との対局中に、記録係がちょうど二上の詰将棋の本を持っていたのを見て、「詰将棋なんか、役に立たないよ」と言い放って、二上を逆上させた。
現藤井七段がプロデビューして連勝記録を更新しているとき、テレビで将棋が注目されました。
将棋に関する色々なエピソードも放送されました。
その中に大山名人の番外戦術というモノがありました。
大山名人は将棋盤の上で扇子の紐を持ってくるくると回していたそうです。
もし相手の手番のとき盤上で扇子を回したら、明らかに妨害行為です。
ちょっと信じられませんが、テレビで放送されました。 当時はマスゴミも発達してなくて教師の体罰も黙認されていた時代
大山の盤外戦術に文句を言える人はいなかったので皆泣き寝入り
大山延命大成功 ヒロポンは昭和何年度まで薬局で入手出来たの?医者の先輩が医学部の学生の頃試験前に服用すると記憶力が格段にアップすると言っていた♪
>>136
> https://i.imgur.com/G11RSPv.jpg >>108
所用だっけ
新幹線が遅れたとかだったような >>157
そのように詰将棋の本を出しているくらいだから、大山は詰将棋を否定したのではなく
アートみたいな趣向詰めなんかは無駄だと言っていたのだろう
内藤や二上は詰めあがりが一直線になるとか何かの文字になるとかやってたもの あるに決まってんだろ。死ぬまであの小さな世界で終わったガキと同じ幸せなアホだよ 羽生善治がまだ駆け出し(C1級で高校に通学中)の頃に、大山康晴との対戦(1988年5月王将戦二次予選)の前後に過密スケジュールを大山に組ませられ、
しかも大山は途中で対局を一時中断すると羽生を青森県百石町まで連れ出し、そこで対局の再開を強いた上に後援会の宴席まで出席を強要した[6]。
大山康晴対羽生善治の対局で、大山が優勢な局面で羽生があっさり投了した。投了のタイミングの早さに対局解説の島朗も驚くほどだった。
長手数でじっくりいたぶる盤外戦術をかわされたことで、大山は不機嫌になり米長邦雄が勧めても感想戦を行わなかった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています