江戸幕府十代将軍 徳川家治が結構強かった件
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当時は待ったとかヒント出し放題だったんだろうけど
棋譜をみると24で五段はありそう 家康の将棋好きから公務となり御前対局が定例化してから幾年、この家治の代で開催日時がまばらだった御前対局を11月17日に必ず開くように制令を発して定めたんだよね
それを知った現在の将棋連盟がその日を将棋の日としてイベントを取り組むようになった訳だが…
家康から始まったのを記念して将棋の日は祝日とし、テレビの全チャンネルで24時間、それまでに投票で選ばれた棋士と女流の計48人が1時間ずつ(30分切れ負け)で計24局をひたすら指し続けて放映してもらいたいひ >>1
当時は将棋の対局中にもし第三者がヒントなんてものを出してしまったら
首を切り落とされて将棋盤の裏にある血溜まりの部分に生首をセットされて晒し首にされたんだよ どうせ桂馬が自由に動けたり王手されると王の八艘跳びじゃとかいって逃げたりしてたんだろ?(´・ω・`) 田沼意次好きな政治をやりたいから将軍を将棋に夢中にさせたのじゃないのか。
家治は政治なんてどうでもよかった人、一ツ橋家斉に毒殺され将軍を奪われた人だろ 家治は今の時代に生まれていたら森内モテくらいにはなれたかもな とりあえずこのスレの中では最強なのは間違いないけどな 将軍なのに平手で指すのは立派
しかも相手も手抜いてない >>14
お殿様相手に上手を持つことは許されない
だからこそ太閤将棋というものがあるわけで 政治は田沼意次に丸投げで趣味の人だったんだから強くてもおかしくない 指し将棋は相手が手加減してるが、詰将棋作家としては紛れもない本物だったようだ。
https://web.archive.org/web/20160509191004/http://www.shogi.or.jp/kansai/museum/profile2.html
徳川家治 (1737-1786)
七段。徳川幕府十代将軍。九代将軍家重の長男。
周囲が若干緩めて対局している風が棋譜から感じられ、正直実力七段は疑問ではあるが、
非常に筋の良い軽い棋風で現在のアマ高段の力は十分にある。
特に詰めには鋭く、かなり長手数で変化複雑なものもきっちりと詰め上げている。
その他、詰将棋も堪能で図式集『将棋攻格』百番を著すなど、とにかく多才且つ異色の将軍といえる。 当時将棋は博打の時代
今の総理が麻雀に明け暮れてたらどうする?
それと同じ事
それだけ熱中して強いってのは解るけど
あまり誉められたもんじゃないだろうねw
今なら文化の推奨がナンタラとか言うんだろうけど
時代の先端を行き過ぎて、誰もついてくる奴いなかったと思う 図式集『御撰象棊攷格』今の漢字に直せば『御選将棋考格』
ガミさんは評価してるね まあ、実際には大橋家の誰ぞが監修したりかなりサポートしたりしてたんちゃうの? >>21
余詰めが結構あるので、将軍を憚って誰も指摘できなかったのではないかという推測がある
http://park6.wakwak.com/~k-oohasi/shougi/koukaku/koukaku00.html >>24
門脇芳雄さんの解説だよな
将棋無双と将棋図巧の本で門脇さんを知ったがもう亡くなってたか かれこれ家治とは300局くらい指したけど奨励会初段の俺と互角だったからな
また時空間転送装置のエネルギーが往復分溜まったら指しに行くんだけどまだ家治に見せてない嬉野流を初披露してくるわ!
家治はさ、俺と対局するたびに「先の世の将棋は我を唯一心踊らせるのぅ」が口癖なんだけどまた新たな戦法を目の当たりにして鼻の穴おっぴろげて興奮するだろうね そういえば徳川家治七段とは言わないね
いま段位を認めているのは将棋連盟発足後の段位ってことかしら 不完全作が結構あることが、自分で作っていたことの根拠になるのだな
将軍でなかったら詰将棋を極めることもできていたかも
特別な立場の人間が特殊な才能を持っていたんだな いや当時のプロ最低レベルは分からないが多分そこまでじゃない
でも楽しそうなのは棋譜から伝わる
将軍としてのがんじがらめのスケジュールの中、楽しい息抜きになったんじゃないかな >>29
この将軍は老中(田沼意次)に仕事を丸投げして
何もしなかった人なんだよね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています