この羽生の会館建て替えのエピソードってさ、どうも書物によっては全く別の事が書かれてるんだよね

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このとき、建設に反対したのは建設委員長の中原誠。
賛成したのが谷川浩司と羽生善治。
私は当時、建設委員会の監査役でやはり反対派でした。
問題が長期化しそうな様相を見せていたとき、私は羽生と会ってこう聞きました。
「羽生君はいまでも建設賛成派か」
すると羽生はこう答えました。
「いえ、私はそれほど馬鹿ではありません」
私は驚いて聞き返します。
「しかし、あれほど会館建設に賛成していたじゃないか」
「米長先生、私は意見を変えたのです。いま、会館を建設するにはリスクが大きいことが分かりました」
驚いたことに、羽生は独自に集めた膨大な資料に目を通していました。
何坪の土地を買ったら建設費がいくらかかり、寄付の状況がこうで、返済方法はどうなるというところまで頭に入れた結果、考えを変えたのです。
当時、すでに第一人者だった羽生の意向が大きくものを言い、このとき会館建設は先送りするということで落ち着きました。
ここで重要なことは、彼がいつ何時も、自分の考えをしっかり持ち、決断しているという点です。
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自分の手元にある「永世七冠 宝島社」にはこう書かれている