中将棋・古将棋・変則将棋 総合スレ Part3
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定跡・手筋の考察、棋戦、将棋の変則ルールの議論や対局など自由に話せるスレです。
前スレ
中将棋・古将棋・変則将棋 総合スレ Part2
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/bgame/1534760515/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured >>411
なにぶん昔の話だし熊澤氏も多忙だろうから色々と難しいかもしれないが、
コンタクト取ってお訊きすることが出来たらもしかすると突破口になるかもしれないな 大阪商大の高見先生がやってる摩訶大大将棋の発祥に関する研究だけど、
これが他の遊戯史研究者からはどんな反応をされているのか知ってる人いないだろうか
自分は氏の論文をオープンアクセスでいくつか読んだ程度なんだけど、
素人の自分から見てもちょっと無理があると思えるような論理展開や理屈付けが多くて驚いてしまった
他の研究者に氏の説がどれくらい受け入れられているのか気になってしょうがない 回想記・その11、大局将棋駒・その後のこと
https://blog.goo.ne.jp/ykkcc786/e/208d087e92961655b95ebd7948df5b67
さて、『トリビア の泉』というテレビ番組を覚えていらっしゃるでしょうか。
20年くらい前の番組です。その 2004年5月19日の朝日テレビ放送で、この駒が使われました。対局は有馬温泉の旅館で、三日間。対局者は伊藤博文六段と安用寺孝功四段(段位は当時)の両氏。総手数はちょっと忘れましたが、確か3800手あまり。あとで対局した両氏から聞いた話では、無理やり三日間で終わらせたそうです。
お疲れさまでした。 この対局見たけど
途中でルール間違ってても気づかなければそのままだな 大局将棋駒が行方不明って話の出典を探して大局将棋スレを漁ってみた
下の書き込みが初出のようだけど、どっか別のブログや掲示板からコピペされてきた可能性もあるし断定できない
491 :名無し名人:2007/12/04(火) 02:04:22 ID:i4ebNECz
【「大橋家文書」参考調査の結果ご報告】
「大橋家文書」について参考調査をかけてみました。
昨年夏に将棋博物館が閉館し、大阪商業大学アミューズメント産業研究所へ
移管されると発表されましたが、現時点では大商大の方には来ておらず、
大商大の方でも所在は聞いていないとのこと。
要するに、現在どこにあるのかは分からないということでした。
将棋連盟がどこかに放置しているんでしょうか。 Wikipediaの将棋駒関係記事の動きの記述ってやっぱり誤りが多いんだっけ 「大局将棋」考案の背景と創作過程に関する考察
―各種大型将棋との比較と「天竺大将棋」の影響、なぜ804枚の超大型将棋が作られたのか―
古作登
https://core.ac.uk/download/pdf/233905191.pdf
20世紀末に発見された江戸期から明治初期の将棋に関する膨大な資料、通称『大橋家文書』の中には「大局将棋駒」と表題が記された箇所があり、遊戯史研究家の梅林勲によりルールの解釈が行われた。「大局将棋」に関して詳しく書かれた最初の著作は1997年に刊行された 「世界の将棋」(将棋天国社)で、そこには梅林の解釈による駒の動きが記されている。大局将棋 の実物が初めて復元されたのは2001年、駒師の熊澤良尊に制作を依頼し、数カ月の制作期間を経てアミューズメント産業研究所で展示され現在に至る。
『大橋家文書』は現代に発見されたものだが、江戸時代から明治時代までの将棋の定跡書や詰将棋集、また大橋家にまつわる手紙や書状など雑多な内容が含まれており、時系列順に整理されているものではない。 「大局将棋駒」に関する文献も駒の名称と配置に動きが点で示されているだけのものであって詳しいルールや創作の由来、どこかに献上したなどという説明は一 切ないため、江戸期に実際に駒や盤が作られたどうかは不明で、『大橋家文書』の他の資料の 中にも記述がなく、詳細に関してはわかっておらず「大局将棋駒」が試作途中の設計図だったいう可能性もある。 大局将棋スレの過去ログを今更読み進めてるんだが、結構カオスな事になってたんだな
7スレ目の「踊り駒」をどう定義するかの議論で登場したコテハン「無明」氏とか、
論の内容や口ぶりから見て間違いなく摩訶大大将棋の高見教授だと思われるし 41 古将棋の世界(10)
大局将棋
http://www.ne.jp/asahi/tetsu/toybox/kapitan/kp041.htm
大局将棋は盤面36×36、804枚の駒を使用する、世界最大の将棋です。
私が初めてその名前を知ったのは30年ぐらい前、京都府立資料館で「象戯図式」という古棋書を見たときでした。そこには「太局象戯 従横三十六目」とだけ記されています。1995年に岡野眞也さんより資料のコピーをいただき、実際の駒配置を知りました。 その資料は「大阪の将棋博物館に所蔵されていたそう」とのことでした。
2000年には、熊澤良尊さんがこの図をもとに大局将棋の盤駒を製作し、大阪商業大学アミューズメント産業研究所で展示され、話題をよびました。
先日大阪で開催された詰将棋全国大会の翌日、門脇会長らと共に、将棋博物館を訪問する機会を得ました。 門脇会長の依頼により、木村義徳先生にご案内いただき、 通常は展示されていない、書庫に保存されている大橋家の古棋書を拝見することができました。
詰将棋の本を中心に拝見したのですが、それ以外の文書も見せていただいたところ、 この中に「大局将棋駒」の図がありましたので、紹介したいと思います。
http://www.ne.jp/asahi/tetsu/toybox/kapitan/jpg/kp041c.jpg
大橋家文書の中にあった大局将棋の図
http://www.ne.jp/asahi/tetsu/toybox/kapitan/jpg/kp041dl.jpg
赤で駒の動きが書き込まれている >>420
読み終わった
もともと2012年頃から過疎り始めていたが、
この「踊り駒」定義の議論が長文レスで大量に書き込まれて以降、過疎が決定的になって対局者も完全に消えた感じらしい どこのコミュニティでも口が悪い人がいると雰囲気悪くなってしまうよね...
今なら将棋ったーやZoGのおかげで、当時より格段に大局将棋(や他の古将棋)を指しやすくて良い時代になったよね
まあどちらにしても対局者を途中で何回も交代するみたいな指し方は出来ないのが残念といえば残念だけど 古将棋とか変則将棋を特集した本をマイナビ出版あたりで出してくれないかな〜 >>422
「踊り駒」の定義を簡単に教えてもらえますか? >>426
諸説あるのでこれという定義が言えません
「複数回動けることを指す」「駒を飛び越えて取れることを指す」など色々意見があるようです 古将棋や変則将棋はマイナーすぎて売上が見込めないし商業出版は厳しそう
どうしても出すなら同人誌にするのが現実的に思える >>429
面白そうですね。
小将棋、朝倉将棋、平安将棋あたりは、本将棋が指せる人ならばできそうですね。
ちなみに、以前話題になった市長vs町長の中将棋対決(ニコ生)は、コロナの影響で中止になってしまったのでしたか?
>>425
古将棋動画の再生数を見る限り、興味がある人口が商業ベースに乗るほどはいない気がします・・・残念ながら。 存在自体が知られてないからなぁ
キャラ(駒)が腐るほどいるからソシャゲのネタになりそうだと前から思ってるんだけどなかなか目を付けてもらえない >>430
高槻市長と島本町長による中将棋対局は延期になったままです >>431
大局将棋☖駒bot(β)
https://twitter.com/Biggest_Shogi
最近更新が途絶えているけど、大局将棋の駒をドットキャラ絵にしている人いるみたい!
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 向こうで進行中の会話以外に話題がないからね...
アクセス規制されててどっちか一方にしか書けない場合を除けば、
向こうで盛り上がってる話題をわざわざこっちに持ってくる理由も合理性もないしね おーぷん2ちゃんねるは
専ブラ(Jane style)で見れないのであまり行かない 自分は専ブラ使ってないからどっちも見ている
でも5chの方は見ている人が少なそうな雰囲気があるから、自分で新しい話題を投下する時は何となくおーぷんに書くことが多い 専ブラって、みんなJane styleなの?
フリーで他に良いのってないの?? 専ブラって、アク禁されなくなったり、dat落ち見れたりとか、なんかいいことあるの?? 専ブラの話は明らかにスレチだけど、他に話題もないようなので反応してみる
自分は今時わざわざ専ブラを利用する意味は無いと思ってる
なぜならだいたいの機能はWebブラウザのデフォルト機能で事足りるから
よく見るスレッドはブックマークに追加しておくか、
複数タブを1つにまとめておく機能でも使って常駐させておけばいい(この機能はAndroidならChromeでもFirefoxでも使える、iPhoneは知らない) >>441
>例えば、世界の他の将棋と比較しても、ここに駒が並んでいないのは奇異じゃね?と、
>平安将棋が起源であると仮定すると不可思議な問題点を多々、指摘されています。
2段目がスカスカなのは、まんまマークルックだと思うんですけど・・・
>平安京を模したものだから
>相手陣地との距離は近かったんじゃね?
なぜ?
平安京って、もう1個向かい合わせにあったんだっけ??
いきなり、摩訶大将棋とか巨大将棋が日本の将棋の起源なんじゃないか!と言われても・・・
本当かな〜?というのが正直な気持ち アドバンスド摩訶大将棋はまだZRF化されていないみたいだから、
アドバンスド摩訶大将棋と普通の摩訶大大将棋のルールの違い、駒の動きの違いを上げていくのはどうかな?
・・・と燃料を投下してみる >>442
一番最後に「論破されるのが楽しみ」と言ってるだけで、内容に反対はしてないような >>445
今の5chにdat落ちという概念はないはず
運営がワトキンスに代わってからどんな過去ログでもHTMLとして自由に閲覧できるようになったと記憶してる ログ保存って言ってもやっぱりブラウザの機能でオフライン保存すれば代替できるしな...
高見氏の『大型将棋の成立順に関する考察』(高見 et al, 2016) という論文がGoogleでヒットしたので読んでいるんだが、やっぱりどうにも無理がある気がする
一番大事なはずの「成立順の考察」節が特に疑問点が多い
「十二支の駒がもともと全部揃っており,その後 間引かれて大将棋ができたと考える方が妥当であろう」というのは単なる筆者の感想であって根拠に欠けるし、
師子と狛犬の配置を師子・狛犬の文化の歴史と直結させて考えるのも、筆者の妄想という感じで根拠がない
歩き駒のパターンに至っては「大規模なものから小規模なものへ」という仮定を前提にしていて、根拠として成立していない
現在伝わっていない古将棋が影響を与えている可能性も無視している
国文学の専門家に意見を聞かないと正確な反論は出来ないが、それにしてもちょっと... 調べたら、橿原考古学研究所の方が今年に入って『摩訶大将棋起源説反駁』という論文を発表したらしい(一般非公開らしく内容は見れてない)
それに対して高見氏はブログで反論に対する反論を現在進行形で連載中(まだ掲載途中)なので、興味のある人は見てみると良いと思う
https://www.takami-lab.jp/%E6%91%A9%E8%A8%B6%E5%A4%A7%E5%B0%86%E6%A3%8B%E3%81%AE%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0-05/ >>444
> 平安京って、もう1個向かい合わせにあったんだっけ
高見氏が最近発表した論文(下記p16~21)に図で解説があるので見てみるといいよ
しかしシャンチーが平安大将棋の発展系ってのは流石にどうなんだ?
https://iiiar.org/iiars/doc/proceedings_society007.pdf >>444
摩訶大将棋は、平安京の碁盤状の街並みを将棋盤(19×17)として、
朱雀大路を境界線として、大内裏の左側と右側に駒を配置するみたいですよ。
ちなみに、縦横を逆にして配置(17×19)したのが大大将棋としているようです。
なお、wikipediaでは、大大将棋は17×17盤、摩訶大大将棋は19×19盤というのを通説にしています。
摩訶大大将棋(19×19)は敵陣が遠いので、縦19列を17列の方が自然であると言って削ったのに、
大大将棋は(17×17)は縦17列が19列になって、敵陣がかなり遠くなってしまっているのですが、特に理由は述べられていないようです。
なお、平安大将棋(13×13)も、縦13列から10列に減らした、13×10盤だったという説があるので、敵陣が近付くのは自然のなのですが。 しかも、「摩訶大将棋の復刻」によると、平安将棋(9×10)、平安大将棋(13×10)、大将棋(15×14)、摩訶大将棋(19×16)で、
お互いの歩兵の間には4マスの間隔があったという説を唱えているようです。
シャンチーが長安城の宮城、街路を参考にした盤になっているのは、割りと説得力があるのですが、
摩訶大将棋が平安京を基にしているとするには、正直論拠がちょっと弱い気がします。 >>450
大商大のアミューズメント研究所のWebには入手ご希望の方は
お問い合わせくださいと書いてある。 >>450
桂馬はずっと桂馬の動き方だろう。287)の説は間違ってる。
銀将と銅将は何? >>451
将棋が中国から日本に来たというのは仮説だから
日本から中国に渡ったという仮説があっても悪くはない
よく読んでないが。 >>454
大商大が発表したものじゃないから大商大にお問い合わせするのは違うのでは? 摩訶大将棋の復刻は、大阪商業大学アミューズメント産業研究所の研究叢書
摩訶大将棋起源説反駁は、大阪商業大学アミューズメント産業研究所の紀要 >>451
源義経がチンギスハンになった説もあるくらいだからね・・・
287)摩訶大将棋起源説反駁6:チェスのナイトの動きと桂馬
https://www.takami-lab.jp/摩訶大将棋のブログ-05/
摩訶大将棋の桂馬は、斜めに2マスで、途中の1マス目の駒を取れた(獅子のように2回連続で進むから)
これ(敵の駒を取りながら連続で進むこと)を「踊り」と言うみたい
でも、シャンチーの象は、斜め1マス目に駒があると、斜め2マス目には行けないし、
シャンチーの馬は、縦横1マス目に、ナイトの位置へは進めない
(本将棋の桂馬や、チェスのナイトは、途中の駒関係なく進める) 摩訶大将棋のブログの図(桂馬2)では、
シャンチーの馬は斜め1マス目に駒があると、桂馬の位置へ進めないって書いてあるけど、
これは明らかに間違いなんだよね〜
正確には、シャンチーの馬は縦横1マス目に駒があると、桂馬(ナイト)の位置へ進めないのが正しい 摩訶大将棋のブログの図(桂馬2)では、
シャンチーの馬は斜め1マス目に駒があると、桂馬の位置へ進めないって書いてあるけど、
これは明らかに間違いなんだよね〜
正確には、シャンチーの馬は縦横1マス目に駒があると、桂馬(ナイト)の位置へ進めないのが正しい 2度押ししてしまった・・・
111)平安大将棋の飛龍と桂馬の動き:二中歴の記述から
>桂馬前角越一目、これが、二中歴にある桂馬の動きですが、
>前のななめ2目説(今の動きとは違うという説)
ブログでは、桂馬はシャンチーの象みたいに斜め2マス目へ進む説のよう 226)平安将棋の銀将の動き
>横並びの金将と銀将、金将はななめ後ろに進めませんが、銀将はその逆で、ななめ前には進めません。
>とある二中歴の写本が見つかり、「銀将不行左右上」と書かれている
なんと、銀将の動きは金将の前後逆だった?!
「「銀将は左右の上へ行かず」」って本当かな〜? >>455
訂正。桂馬は納得できないこともない。
285)の平安京のは平安京のことを調べてたら時間がかかるなあ。
>>462
シャンチーの馬のところそうは書いてないな。修正がはいった? 高見さんの反論ブログエントリをざっと読んだが、もはやどこに何と突っ込んだら良いものか...
とりあえず他の将棋史研究者が、今後高見氏の論をどう相手するかを注視していきたい 日本への将棋類伝承から現在の本将棋成立までの将棋起源が知りたくて増川宏一氏の将棋I、将棋II、将棋の歴史の3冊を読んでるけど
他にこれは読んだ方がいい!とかいうのあったりする?
調べてるとえらい詳しい個人ブログとか複数ヒットするんだね 前角越一目をそう解釈するのは確かに自然だけどそれなら二目斜めって表現もできるわけだよね
桂馬の動きが昔そういう動きだった場合、チャトランガ系統の馬の動きに合流した理由はシャンチーの影響とかになるのか?
大抵の将棋類にナイト・馬の動きの駒があるのに当時の将棋にはなかったってのは不自然だよな >>467
・研究叢書 第15巻 解明:将棋伝来の『謎』 ― 一条帝宮廷サロン将棋発祥説の開陳 ―
松岡信行(著)
・研究叢書 第8巻 東洋の将棋
岡野伸 (著)
「東洋の将棋」によると、中国の「象棋源流考」という古書に、日本の将棋が3種類紹介されていて、
小将棋=平安将棋の歩兵を2段目にしたもの
中将棋=現行の本将棋(飛車・角行のある平安将棋)
大将棋=平安大将棋
になっています。
歩兵が2列目の平安将棋(9×9)はチャトランガの拡張版(左右対称版)とも言えますし、
「二中歴」の将棋2種とともに本将棋(酔象がないので小将棋ではありません)が紹介されているということが驚きです。 >>469
ええー本将棋の図面が出てくるのは驚きですね😱 しかも中将棋として
ありがとうございます、2冊とも読んでみます🙇 「二中歴」の小将棋(平安将棋)・大将棋(平安大将棋)は、文章での駒配置の解説で、初期盤面図はなかったと思いますが、
「象棋源流考」の小将棋と大将棋は、まさに「二中歴」の小将棋(平安将棋)・大将棋(平安大将棋)の初期盤面図のようです。
「二中歴」の小将棋は、盤面サイズ(8列か9列か)が書いておらず、歩兵の位置(2段目か3段目か)も書いていないため、
「象棋源流考」の図によると、最初は歩兵は2段目のままで、先に9列に拡張が始まって、その後に歩兵が3段目になったのかもしれません。
(歩兵が3段目になったのは、マークルックの伝来などの影響かもしれません) 考えてみれば二段目に配置する駒がないのに歩を3段目にするのは不思議な話ではあります🤔
チェスのポーンのようなルールがないと間が空きすぎているというのはありますし、マークルックという実例もありますが
最初に伝来した将棋が8×8で2段配列だったとしたら日本将棋の原型もそうだっただろうし 「二中歴」には、「入敵三目皆成金」=敵陣3段目に入った駒は全て金になる(玉将は除くのかな?)という記載があるので、
おそらく現行の本将棋と同じ3段目に歩兵が並んでいたのであろう・・・というのが通説のようです。
もしかすると、敵陣3段目で成るのは桂馬が1段目に跳ばなくても良いように、その手前で成らすためだったのかもしれません。
歩兵以外も全て金将に成らせるということは、桂馬や香車は一方通行で後戻りできない駒だった可能性が高そうです。
(昇格はもともと、ポーンのように行き所のなくなる駒の救済措置だったと思います) >>464
>とある二中歴の写本が見つかり、「銀将不行左右上」と書かれている
実際の「二中歴」には「銀将不行左右下」と書かれているようです。
左右下(後ろ斜め)に行けないという現在の銀将の動きで良いと思います。
ブログや「摩訶大将棋の復刻」では、「二中歴」の銀将の記載が間違っていて、
現行将棋の銀将の動かし方が間違って伝わったものだとしているようです。 しかし陣形二段のまま対称性のためだけに8×8や8×9から9×9に変える動機があるだろうか 陣形間が五目も空いてしまう
マークルックの影響をもろに受けたパターンか
対称性を意識してまず縦8×横9の陣形二段(この時の桂馬が二方向だった場合自然に成りは奥二段の敵陣になる)になり
更に縦の対称性を作ろうと9×9に増やされると全く同時に歩の位置が三段目に変更され、成りの位置も同様に奥三段の将棋が考案されたパターン
こういう方が自然な気はします🤔 >>469
>>470
補足しておくと、>>469の1冊目は他の研究者によって反論論文が出されている新説なので、
読む際はもしかしたら間違っているかもしれないと思って読むことを推奨します 反論論文はこれだね
清水康二『「一条帝宮廷サロン将棋発祥説」批判』2016年
https://ouc.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_view_main_item_detail&item_id=574&item_no=1&page_id=13&block_id=21 ありがとうございます🙇そちらも参考にしたいと思います >>476
反論の方が間違っていることも多々ある。
その著者は将棋の起源を中国からと見ているため、日本発祥説を批判している
だけということもある。平凡社新書「将棋の歴史」の増川宏一さんは中国伝来説
が嫌いなようで、強い反対意見だ。 >>479
むろん定説が間違っていることもある
しかし新説が間違っていることも同じくらいある
特にこの分野は研究があまり進んでいないから、両方の可能性をしっかりと検討すべき
定説が間違っている可能性も考えるなら、逆に新説が間違っている可能性も考えないといけない 定説も通説も新説も、どれもまだ正しいと決まったわけじゃないからね
著者の数だけ仮説があるって感じ(著書で自分の説として公に表明していることが大事)
決定的な証拠が出てきて万人が納得するまでは、一番信用している人が多い説が暫定的に定説なだけ 古文書に信頼性があれば、古文書に沿った説(解釈の違いはあれど)が史実なんだけど、
どの研究者も「古文書に間違いが多いので(未記載部分が多いので)私はこう考えました」になっているから、どの説もいまいち
多方面(別の地域、別の時代、別の著者)で書かれた複数の古文書で同じ記載があれば、史実として根拠にできるけど、
そもそも同じ原本の写本のまた写本になっている上に、写本するたびに誤植も増えていて、収拾がつかない感じ
海外の古文書で図版が紹介されているとかは、写本じゃなければかなり信頼性が高そう
そもそもボードゲームはローカルルールが多いから、それが一般的だったかは別として 古文書に信頼性があれば、古文書に沿った説(解釈の違いはあれど)が史実なんだけど、
どの研究者も「古文書に間違いが多いので(未記載部分が多いので)私はこう考えました」になっているから、どの説もいまいち
多方面(別の地域、別の時代、別の著者)で書かれた複数の古文書で同じ記載があれば、史実として根拠にできるけど、
そもそも同じ原本の写本のまた写本になっている上に、写本するたびに誤植も増えていて、収拾がつかない感じ
海外の古文書で図版が紹介されているとかは、写本じゃなければかなり信頼性が高そう
そもそもボードゲームはローカルルールが多いから、それが一般的だったかは別として >>475
個人的に、最初は8x8だったと思う
金将を作った時に、左右対称にしたくて、横9x縦8になったと思う
歩兵を3段目にしたから縦も9に増やしたのか、縦を9にして間合いが開いたから歩兵を3段目にしたのかはわからん・・・
個人的に、角やビショップみたいに斜めに走る駒がある場合は、長方形盤より正方形盤がいいと思う 将棋の歴史と将棋1を読んだけど、増川宏一さんは例えば打歩詰だとか将棋って名前の由来だとか、細かい部分全部について推察を述べてたわけじゃなかった
そこで「桂馬と香車はなぜ伝来したであろう将棋のナイトやルークの動きを躊躇しなかったのか」について自分なりに想像してみたんだけど、面白かったから書いてみる
日本将棋に最も近い外国の将棋類はマークルックだと思われるけど、王の横の金にあたる駒は斜めに1マスになってる
ということはマークルックではどういうわけか内側から外側に行けば行くほど駒の動きが強化されていくということ
(斜めに1マス→銀と同じ駒→八方桂→飛車と同じ駒)
こういう将棋が日本に伝来したのだとすれば、それを日本人が武将や戦争に見立てたときに価値観として合わなかったんだろうね
玉に近いところに強い駒が居るべきだ、という価値観からまず玉の横の駒は銀より強くなるよう強化されなければならない
銀は3方向に動けないが、では2方向に動けない駒を作ろうとすれば必然的に金の動きになると思う
次に桂馬を銀より弱くするには二方桂になり、それより香車を弱くするには現在の動きになる、と
こう説明がつくかなと思った。
持ち駒の価値観についても、「将棋I」では10世紀〜12世紀での合戦で簡単に降伏してたような時代背景を取り上げてるし
打歩詰についても、歴史的にいきなり現れてるから根拠ある説明は不可能だけど、普通は「下級兵士が寝返って玉将を詰ますのはナシだから」と説明される
っていうことを考えたら、将棋のルールの成立には戦いや武将についての日本人の価値観がやはり大きく関係しているのか。 ごめん、続けてだけど質問させて欲しい
将棋I(1977)では増川宏一さんは「海のシルクロード(インド→東南アジア→中国南部→日本)で将棋が海路で伝来した。船員達は木片等を使って簡易的な駒で将棋を指すところを西日本沿岸の庶民に見せたと推察される。また、この頃の庶民は識字能力が低いので、この将棋の原型が貴族に伝わってから駒が漢字化されたと推察される」
というようなことを要約すると言ってると思うんですが
将棋の歴史(2013)では「航路で中国南部を経由したことで徐々に駒を文字で表す方法になったのだろう」としています
いくら航路で駒が漢字化されたところで日本沿岸の日本人に識字能力がなく、しかもそれが木片や貝殻等の使い捨ての駒であったのなら漢字は保持されずに無意味なのでは?
この2書の間でどういう風に意見が変わったんでしょう?
そもそも将棋の起源が気になったのは将棋の渡辺くんにそこらへんの話が載っていた影響なのですが、具体的には
「マークルックが中国南東部の漢字など文化の影響を受けながら海路で日本に伝わったのが有力説です」と書いてありました
こういう説が一般的なのであれば、同様に「当時の日本庶民識字能力低かった説」についてはどういう見解なのか詳しい方がいらっしゃったら教えて欲しいです🙇 >>485
面白いね!
香:1方向 ←4方向から減少
桂:2方向 ←8方向から減少
銀:5方向
金:6方向 ←4方向から増加
玉:8方向
確かに、他の古将棋でも、玉・金・銀・銅・鉄・瓦・石・土・・・と外側ほど移動方向が減ってる マークルックとシャンチーはだいぶ違うから、マークルックの駒が航路途中で漢字化したのはどうかな?と思う(個人的に)
むしろ、日本にマークルックが伝わってきた際、中央で木簡で駒を作ろうとした際、記名されたシャンチーの駒を参考にした可能性のほうがありそう
(車、馬、将、兵とか)
伝来した時代的に、漢字を書けるのは、中央政府の役人か、貴族、仏教僧くらいの教養人と思われる
(僧侶は中国から持ち帰った経典・書物とかに、シャンチーの図版・現物などあった可能性あり) 平安時代の書物に出てきている以上、原将棋が伝来したのは飛鳥時代〜奈良時代ではないかと思う
(将棋としてのルールの確立まで、それなりに時間かかるはずなので)
自分は、東南アジアからやってきたマークルックと、中国からやってきたシャンチーをミックスしたんじゃないかと思う
(基本ルールはマークルックから、駒へ記名するアイデアはシャンチーから)
基本はマークルック(歩兵が3段目、歩兵の成りは裏返して金将)で、シャンチーのように王駒を中心に配置して、その両脇に金将を並べたと
(歩兵の進み方もシャンチーの兵を参考、馬と象と砲の動きは難解で日本人には理解できなかっただろう)
飛車はマークルックにもシャンチーにもあるけど、角行はチェスのビショップしかないはずだけど
平安大将棋ですでに角行の動きの飛龍がいる(飛車はいないのに)のが不思議・・・ 将棋史や世界のチャトランガ系ゲーム史の文献ってやっぱり少ないのかな
自分はアブストラクトゲームゲーム博物館のサイトとZoGwikiを参考に、資料を手に入れる方法がないか探しているところだけれど >>486
江戸時代以前の識字率は史料があまり残っていないからはっきりしたことは分からないらしいけど、
識字率が高かったと思われがちな江戸時代でさえ、
実際はそこまでの識字率はなかったらしい上に地域格差もかなりあったとのこと
だから将棋が伝来した近世以前の民衆の識字率はおそらくかなり低めだったはず 貴族・町人・武士はできたんだろうけど
百姓は将棋できたんですかね 当時の農民にはそもそも将棋やるような生活的余裕はなさそう OXゲームは、英語ではTic Tac Toeと呼ぶらしい GOD EATERやるのかよ
コロナでもないのに延期しまくった うろ覚えだけど双六系のゲームは奈良時代からあったとか何とか 増川氏の「将棋の起源(1996)」を読んでから返事しようと思ってたのでレスが遅れました🙇
将棋の起源はいいね 文字通り平安将棋が生まれるまでの起源に絞ってて、自分の関心ドストレートな内容だった
1冊読みたいって人にはおすすめ
俺が読んだ4冊の特徴
将棋I→起源にも詳しいが江戸時代の将棋家の記述もあり 興福寺出土の最古の将棋駒がまだ未発見、また大橋家文書も当時未読
将棋II→起源は数ページしか書かれていないが象棋の歴史に触れていて、更にそれが伝来するであろう時期についての推定もある
殆どは江戸時代の将棋家についての記述 大橋家文書で明らかになったことをまとめている
将棋の起源→興福寺出土以降。起源◎、象棋の歴史◎、更に出土駒について詳述されていて、他3冊と違って酔象についての考察もある
後本題との関連が薄いと思うがチェス史の章がある
将棋の歴史(2013)→起源〜現代までの歴史が広くまとめられている 将棋II同様大橋家文書についての記述が多い そしてこの4冊では唯一最初のチャトランガを2人制という最新の見解に改めていて、チャトランガ発祥の地についても書かれている
「将棋の駒はなぜ40枚か」は読んでないけど。
将棋の歴史本を読もうと思ってもネットだと各本の内容がイマイチわかりにくいと思うからまとめてみた で、酔象の起源が釈迦瑞像だっていうのが面白かったんだけど
そう考えると中将棋までの将棋改良で酔象が現れてくるのを待たずとも、伝来から歴史が浅い時代に酔象が現れて駒が出土するのも>>485と同じ論法で自然になるかなと思った
1.成ると玉の代わりになるのは釈迦瑞像からのイメージ
2.そういう駒を作ろうと思ったら、まず各陣営2枚も作らずに1枚にするだろう
となると対称性を保つためには玉の上に置くのは必然
(釈迦瑞像に詳しくないけどその意味的にも位置が決定されるのかも?)
3.更に、そういう駒を金将(2方向に動けない)より強く玉将より弱くするのは自然
1方向に動けない駒となると必然的に中将棋の酔象の動きになる
こういう考えから、興福寺に出土した酔“像”は後世の中将棋の酔象と全く同じ動き+役割の駒だったんじゃないかなという気がする >>488,489,491
ありがとう、やっぱり庶民の識字率は低いのか
当時のシャンチーが日本に伝わってきて影響したって説は
最古の出土駒の時期にシャンチーが完成されていなかったであろうこと、平安将棋のルールが明らかに面白みに欠けるだろうからそこに現行みたいなシャンチーが来たらかなり面白くてルールや駒の名前に相当の影響を受けるだろうことから
増川氏の受け売りに等しいが考えにくいと思う
あるとすればシャンチーの相当原始的な原型が伝わってきて影響を受けたかもしれない
ただ「将棋の起源(1996)」でもやっぱり「航海中の漢字文化圏の影響や中国人船員の影響」としている
なぜなんだろうか…そう考えると辻褄が合う部分が大きくなってきた結果日本庶民の識字率の低さには目を瞑って
外国人の船は身分の高い人が迎えた、とか庶民が迎えてその駒が模写等で伝わっていき仏教僧がそれをみて改良した、みたいな想像をしてるんだろうか
玉〜香の形容詞は仏教由来という説もあるみたいだけどこの形容詞すら中国で付けられて日本に最初から2文字の駒で伝来したっていうイメージなんだろうか??
伝来当初から2文字だった、という説は最古の出土駒の1058年という年代が将棋伝来からかなり歴史が浅い方である可能性が(将棋が10世期遊ばれた形跡がないことなどから)考えられる点には辻褄が合うところだが https://togetter.com/li/1398389
これは個人的に凄く説得力が高いと思った、twitter上の意見なんだけど
要約すると当時の中国南部では「象」と「将」の発音が殆ど全く同じであるが故に、ダブルミーニング的に「ツィアンギ」と名付けられ
その将棋と象棋共通の祖先が中国では「象棋」
日本に伝わる過程では「将棋」と表記されるようになった、っていう説で
増川氏はチャトランガが中国へはシルクロードという陸路で、日本へは海路で別々に伝わったっていうニュアンスで述べてたと思うから
将棋と象棋にはチャトランガより後の共通の祖先があるってのは増川氏と微妙に違う意見だと思われる
でこの意見もやはり中国で漢字化された駒が、なんなら伝来前から2文字表記の体制で(?)日本に伝来したと言ってる
庶民の識字率の低さは大した問題じゃないのだろうか…?
将棋I(1977、増川宏一)の時だけ識字率の低さを重視してたみたいなんだけどなあ ごめん書き忘れ
個人的には「将棋」という名前の由来に強く関心がある
「象棋」という中国の名前を見て同音の「将棋」を当てたのか、それとも玉将〜銀将がある将棋を見て武将のボードゲームだから「将棋」と名付けて偶然象棋と同音になったのか(将の由来が象と言われてるからある意味必然だが)のか、どっちもありそうだから
どっちにせよ日本人が名前をつけたものだと思ってたけど、>>501の説では元々将棋と名付けられてたものが伝来したということだからその点も興味深い
あと>>469の本は両方近くの図書館にはなかったから読むのはだいぶ先になりそう😭 >あと>>469の本は両方近くの図書館にはなかったから読むのはだいぶ先になりそう😭
研究叢書って、たぶん普通の本屋や図書館には置いてないと思う・・・ 251:Platzwechsel Circe Chess
取られた駒は、取った敵がいた位置へ移ります。
つまり、キャプチャによって取られた駒と取った駒の位置が交換(スワップ)されます。
252:Andernach Chess
敵駒を取った駒は、その場で相手の駒へ変化します。
つまり、取られた敵駒は盤上から除かれますが、取った駒は敵駒になります。
ようやくZoGの夏季休業が終わり、新規のZRF公開が再開されたようです。 >>502
研究叢書は、大阪商業大学のアミューズメント産業研究所に行けば閲覧できると思います。 わざわざ閲覧しに行く必要は無い
>>504でも書いたけど、在庫さえあるなら研究叢書はアミューズメント産業研究所から購入して送付してもらえる 利き安南は今回はリリースないのね
大阪在住なら閲覧しに行く方が早そうだが、どこに住んでいるかわからんから何とも言えん このスレでの将棋に関する意見を整理するためのwikiとか欲しいな
今は亡き大局将棋スレのwikiが内容面で被るところがないではないけど(2020年8月の更新は自分が編集したもの)
https://w.atwiki.jp/taikyoku-syougi/ >>508
今回は、先月に投稿していた分の公開となりました。
利き安南将棋・アンチ利き安南将棋は、ZRFは完成しましたが、まだ投稿準備中の段階です。 >>509
このスレもPart3まで続いたので、Part1〜2も含めて「中将棋・古将棋・変則将棋 総合スレ」のまとめwikiを作ってもらっても良いように思います。
「変則将棋」部門(創作将棋を含む)、「古将棋」部門(将棋の歴史を含む)、「世界の将棋」部門(変則チェスなども含む)で、スレの話題をまとめてもらえると思い白そうですね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています