中原米長加藤の三国時代を振り返るスレ
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>>235
まあ、聡太の例ならばこういう話がより適切だ
これから20代になる聡太は勝ちまくり
全冠を達成、あらゆるタイトル戦で大型連覇を成し遂げる
それが30代前半になると何人もの棋士に負けまくり無冠となってしまった
それも聡太より年長の棋士にばかり負けまくったのだ
そのまま1〜2冠程度をウロウロする棋士のまま40代後半を迎えてしまった
このときに、「私は聡太のレベルが下がったのだな(年齢的にそう考えるのが妥当だろう)」と考える
君は「他の棋士全員のレベルが上がったのだな(根拠はない)」と考える 安易に「複数の棋士のレベルが上がったのだ」とやると、さらに時間軸を進めた場合に行き詰るケースが非常に多い
中原のレベルに米長加藤が追いついた
この3人に50歳前後、50代後半にして勝てる二上や大山も高齢にしてレベルが上がった
中原らを倒しタイトルを取った55年組は強すぎる
55年組を蹴散らした羽生世代は異次元
まあ、どこまでもインフレしていくわけだ
異次元のはずの羽生世代羽生森内佐藤康に60代後半の大山は勝ててしまった
それが羽生大山、森内大山、佐藤康大山の最後の対局である
なんてことにもなる
「60代の大山は40代50代よりさらに強くなったのだ」とやらないと整合性は取れない 15世に負けたからレベルが落ちたとか部分的な話じゃなくて
15世にも米長にも加藤にも二上にも内藤にも負けて無冠
タイトル取り返しても森安にも中村修あたりにも負けてと全て総合しての話だと理解できてないっぽい 今更「1979-1980の大山の勝率やばい」とか驚いているレベルだから仕方あるまい
まだ無知なのさ これで明日以降かなと思ったらまだ続いてるのか。
だからレベルで語るなっつってんのに。(何度目)
レベルで語るから逃れられないから異次元にいくんだろ?
>>240
>君の説だと50歳前後や50代後半の大山がレベルアップしたことになってしまうからね
そこは理解しているかい?
に対して、あなたが書いた>>233
1977 @加藤.661 A中原.648 B米長.646 大山.474
1978 @米長.681 大山.650 A中原.644 B加藤.526
1979 大山.716 @中原.709 A米長.643 B加藤.527
1980 大山.707 @加藤.656 A米長.632 B中原.574
私も十五世がレベルアップしたとは思ってないが、
これレベルアップかな?だってあれでしょ?
対三強以外の結果も含んでるんでしょ?これ。
あなたの論理だと、あなた自身のこの矛盾、説明不可能じゃないですかね(。´・ω・) 全棋士が1979〜1980にかけて弱くなったのか? 明日はやらないよ、2日連続でこの板に来るのかね君は
そう、誰もレベルアップはしていない
そういう年齢ではないからね
ではなぜ強すぎた中原は大山加藤内藤米長らに負けて無冠に転落したのか
大山加藤内藤米長のレベルは大して変わらず
上にいた中原1人のレベルが下に落ちて馬群に飲まれたから
この説明がしっくり来るね
他に何かうまい説明があったら頼むよ
重要なのは一斉に起きているということだ
羽生が豊島にタイトル戦で1回勝つかもしれないなんて的外れな話とは違うんだよ 違うだろ?
新手登場や研究・対策で盛り返したんだろ?
レベルが下がったら戻ること不可能。年齢行ったら復活不可能。
私も基本復活は難しいと思っているが、これに凝り固まったらそりゃ中原が落ちたとしか考えれれないわな。
有効な定跡じゃなかったら21世紀になっても指されないから。
新戦法なんていつの時代もあるぞ、だけじゃねぇよ。
それが有効かどうかが重要なんだよ。
言葉はこっちの方が悪いが、内面はあんたの方が悪いぞおそらく。これだけはおそらく確実だ。 「新手登場や研究・対策で盛り返したんだろ?」と言われれば
「違う」とはっきり答えるしかないかな
そんなものいつだってあるが、それまで勝てなかったのだからねえ
まあこの説で頑張るのなら、振り飛車の大山が中原に勝てるようになった理由も説明するべきだろうな
というか中原だけは新戦法についていけなかったとでもいうのかね、君は
失礼な奴だ レベルレベルうるさいって。どの口でそんな神様目線で言うんだ。
米長加藤が上がったのではない
中原が落ちただけ
大山二上に敗けるのはおかしい
全員批判してなんなんだ?そんな心の持ち主ならもう将棋やめちまえよ。
中原はトップ
米長加藤は新定跡で打ち破った
大山二上がリバイバルした
この方が「うおー」とならないのか。 大山1923年
二上1932年
内藤1939年
加藤1940年
米長1943年
中原1947年
中原を聡太に例えてもいいが
おっさんたちが研究して一番若いのがそれに負けだすなんてのはかなり不自然だからな
一番おっさんの大山が振り飛車対策されて研究についていけず負けたってのなら分からんでもないが
中原が一番若いんだ
それを忘れないように あのな、失礼な発言続けてるのはあんただっつーの。
言葉は丁寧なのに内面態度がデカすぎる。 いや
「うおー」となりたいかどうかでは話していないな、悪いけど
「うおー」となりたいがために真実や考えを捻じ曲げる気はない
そういうレベルの人間だったのは残念だな こんなに5強全てを卑下しかしない失礼な人初めてだわ。 そもそも「大山がリバイバル」って時点で、何だかな
大山って50歳で十段を全盛期20代の中原から取って
51歳から54歳まで棋聖を7連覇して
56歳から59歳にかけて王将を3連覇して
50代だけでタイトル11期取ってんのさ
これって加藤一二三の生涯タイトルより多いんだよ
加藤と同じ時期に争った上で、多いんだよ
だからリバイバルっていうか、大山は君が述べている期間はずっとトップ棋士
ていうか彼が中原に次ぐ2番手くらいの勢いなんだよ
まずそこからだな君は >>252
>中原が一番若いんだ
それを忘れないように
>>254
>そういうレベルの人間だったのは残念だな
年齢とレベルじゃなく、順位戦クラスや勝率など当時の実際の結果で語れって
何度言えば分かるんだこの人。柔軟性ゼロだな。
ここクリアしてくれないと次行けないのがなぜわからんのだ。 タイトル獲得だけで語るなっつってんのに。
一般棋戦
タイトル挑戦者
クラス
勝率
考慮しろっつってんのに。
毎年同じ三人が金メダル銀メダル銅メダル取ってたら三強だっつってんのに。 実際の結果で語ったら70年代は中原トップ
大山2番手で話は終わり
君の重視する勝率とあまり見ないタイトル数の複合技でそうなる
君のおすすめするやり方は初心者のレベルだよ 毎年同じ3人じゃないからこういう話になってんじゃないの? ここまで5強全員卑下、プラスこっちも否定。
ここまで6人全員否定。ID:lkvtRXCQ この方はおそらく神様です。 >>260 すまん言葉の綾だ。神様にこのまま揚げ足取られ続けるだけだから、もう神様の言う通りでいいかな。おやすみね。 卑下にはならない
事実を語っているだけだから
「仮に50代60代の羽生は前よりレベルが落ちたな」と今後語る者がいてもそれは卑下ではない
「羽生は50代60代でもレベルは落ちていない」と語るのがむしろ逃げ
逃げの思考で議論してもつまらんだろう
ただの願望のぶつけ合いで実態がない 衰えというのは誰にでもある
何も悪いことではない
中原1人のレベルが落ちたから他の者たちにタイトルが供給され始めた
そう考えて合理的だと判断したらそれを語るだけのことだ
「そんなんじゃうおーってなれない」なんて思いでごまかして捏造してどうするのか よく、70歳近くの大山が20歳の羽生世代に勝ったとかいう話が出てくるけど
羽生世代が本格的に覚醒したのってそのずっと後だという
開花が一番早かった羽生ですら覚醒したのは22歳〜23歳ぐらいの時
ぶっちゃけ20歳ぐらいの頃はタナトラに4連敗喰らって序盤研究の重要性に気付いて必死に自分の将棋を改造してた時期だったから参考にならない
その成果物が羽生の頭脳
20歳前後の羽生の将棋なんて粗削り過ぎて50代60代の棋士に取りこぼしまくってる 羽生森内佐藤康は
大山(60代後半)との最後の対局に負けている
羽生森内佐藤康は
中原(60歳前後)との最後の対局に負けている
大山は米長加藤谷川との最後の対局にも勝っている
まあ圧倒的に強い人なんで負けるのは恥ではない
羽生世代の覚醒時期とやらは自由に決めてくれ
七冠の頃に羽生は50代の米長に4連敗してるがね 羽生と中原は23歳差でほぼダブルスコアで羽生が勝ち越し
中原と大山も23歳差でダブルスコアで中原が勝ち越してるんだから
大山の方が圧倒的に強いという事は全くない
AIも無い時代は高齢棋士の経験値が絶大なアドバンテージを持っていた時代だっただけ それは年齢が離れているから勝てるという説明にすぎないね
大山は1992年に69歳間近にして順位戦A級で1位タイからのプレーオフ進出だから
当然全盛期は圧倒的だし負けても恥ではないよ うん、それは確かに凄い
だがそれは高齢の棋士でも経験値である程度闘えた時代だから
「高齢でこれだから全盛期は圧倒的に強い」というのは短絡的で甘美な幻想だと思うんだ
七冠時代の羽生が米長に4連敗というけど、羽生は七冠なのに対して米長は無冠だろ?
多忙な羽生が取りこぼしていたという方がしっくり来るね 「高齢でこれだから全盛期は圧倒的に強い」ってのもあるし
「実際に圧倒的な全盛期の成績が残っている」ってのがあるから繋がるってだけかな
30代から40代中盤までの強さを60代後半まで維持ってのは理屈的にはまず不可能だしね
大山の全盛期は圧倒的に強かったというのは自然な考え方だろうね
君みたいなのはどうしても羽生だけは何とかフォローするっていう不自然さがあるもんだから だからさ
強さを維持するのは不可能、これは分かる
けど高齢の大山よりも全盛期の方が圧倒的に強いというのは希望的観測に過ぎないと思うんだ
当時の時代ならではの経験値による積み重ねの強さや大局観による別の強さというのも十分にあったはずだからね
成績を根拠にするなら大山全盛期の頃は層が薄かったというとらえ方も出来るからその繋がりはあまりに短絡的 成績を根拠にするなら大山が圧倒的に強かったという見方もできるね
見方としてはそのほうが自然だけども
どの時代にも上位数人はハイレベルな競争を行っているのでね
成績が圧倒的だから層が薄いってのはそれこそ願望混じりで短絡的かな
話題の二上は50歳前後にして中原米長加藤を葬る力があるわけだしね
その二上を倒し続けたのが大山と考えればその強さは圧倒的だよね
全盛期に圧倒的に強いから衰えてもなお強い、というのが自然な思考の流れで出てくる
ただこの説を嫌うのは分かる
羽生最強派にとっては嫌だと思う
ただ私は自然な物の見方を好むので 将棋界の歴史を自然に考えていくと
まず木村義雄が圧倒的に強かった
彼は40代半ばから塚田正夫、升田、大山の若手3人に劣勢となっていき
ボロボロになる前に引退した
木村のあとは大山が圧倒的に強かった
瞬間的には升田が張り合い凌ぐこともあったがおよそ20年近く、大山の時代だった
木村が長く保持した名人を同様に守り続けて他のタイトルもよく取り全冠王の時代が最も長い棋士だった
大山が40代中盤になった頃、中原が20代になり登場
大山から覇権を奪い勝ち続けた
名人戦で9連覇して28歳の若さで永世名人の資格を得た
4〜5冠を持っていた20代とは打って変わって30代前半になった頃無冠となり
その後は2冠程度が基本となったが名人だけは良く守り大山に次ぐ15期まで伸ばした
大山が死に中原米長加藤が去り、谷川との争いに勝った羽生の時代になった
20代でタイトルが7つあった初めての絶対王者であり7冠王となり高勝率を維持したが
2日制将棋ではその圧倒的強さは影をひそめ同年齢の森内や年下の渡辺においしいところをさらわれることにもなった
名人の維持は先輩王者ほどは達成できず次代の王者候補藤井に覇権が渡る過渡期が現在、だろうか
渡辺や豊島がどこまで邪魔をできるか 自分の意見を押し通したいが故に見苦しい流れになっとるのぉ しばしば言われてるけど
中原は30代になると酒と女遊び始めてるんだよ
弱くなった時期と重なってて
中原が将棋に専念しなくなった 連投うざいなあ。大山の話に無理矢理持ってこうとするのが○馬鹿
丸出しで草
>>275
結局そういうことなんだよね。同年代にライバルがおらず、年下からも
脅かされないから、モチベーションが続かなかった。次の覇者といえば
15才下の谷川を待つことになるが、その谷川も中原を圧倒できず、2度
も名人を取られている。 連投バカ ID:fgzpt/Lq が幾らデータ示しても、ますます中原1強だったのが明らかになっただけ 中原一強派 vs 三強派(※加上昇派) のやりとりの際中に
三強派(中原下降派)が乱入してきてこんな事になってる それは、 強さを維持した大山>下降した中原 と言わんがための角馬鹿のレトリック
なんだよ。こいつはだから、中原のことは一定褒めてるように見える。大山>中原として
しまうと、叩かれるのは目に見えてるからね。そこは巧妙に回避しつつ、結局は中原も
時間軸の短さでディスるんだよ。
だから、すぐに>>266みたいなことを言い出す。誰も聞いてないのにw 複数冠さえ経験無い加藤が、そもそも〜強時代に加われた事なんか一度も無い >>280 こいつか中原以外認めない一強派は。
加藤名人十段 だったが?
豊島竜王名人 ポジションだぞ。中原崇拝しすぎて豊島ディスにもなってるぞ。 >>280
加藤は二冠王の経験はあるよ。短い期間だけどね。 同じ時期(1973〜1982年)にトッププロとして戦って
タイトル大山11期(50歳〜59歳)>加藤8期(生涯) なんだよねえ
加藤入れたいなら中原米長大山加藤の4強とするのが正しい
大山加藤のタイトル戦は大山の7勝1敗だしね
大山56歳、加藤39歳の王将戦で大山勝ち、最後のタイトル戦も大山が56歳なのに勝ち
加藤は中原に勝ち始めたから3強なんだろうけど
指摘のとおり大山(59歳)も内藤(42歳)も二上(50歳)もそのころは中原に勝ちだしていた 中原誠が敗退したタイトル戦番勝負
20歳〜29歳 「(27勝)6敗 81.8%」
1968(昭和43)年01月30日 第11期棋聖戦 山田道美 34歳 3-2 中原 誠 20歳
1970(昭和45)年01月19日 第15期棋聖戦 内藤國雄 30歳 3-1 中原 誠 22歳
1971(昭和46)年03月23日 第20期王将戦 大山康晴 48歳 4-3 中原 誠 23歳
1971(昭和46)年10月08日 第12期王位戦 大山康晴 48歳 4-3 中原 誠 24歳
1973(昭和48)年02月05日 第21期棋聖戦 有吉道夫 37歳 3-2 中原 誠 25歳
1974(昭和49)年01月08日 第12期十段戦 大山康晴 50歳 4-3 中原 誠 26歳
↑
この間 およそ4年間負けなし タイトル戦番勝負「17連勝」
↓
30歳〜35歳 「(19勝)11敗 63.3%」
1978(昭和53)年03月10日 第03期棋王戦 加藤一二三 38歳 3-0 中原 誠 30歳
1979(昭和54)年02月08日 第28期王将戦 加藤一二三 39歳 4-1 中原 誠 31歳
1979(昭和54)年10月13日 第20期王位戦 米長邦雄 36歳 4-3 中原 誠 32歳
1980(昭和55)年07月18日 第36期棋聖戦 米長邦雄 37歳 3-1 中原 誠 32歳
1980(昭和55)年12月18日 第19期十段戦 加藤一二三 40歳 4-1 中原 誠 33歳
1981(昭和56)年03月12日 第06期棋王戦 米長邦雄 37歳 3-1 中原 誠 33歳
1981(昭和56)年07月15日 第38期棋聖戦 二上達也 49歳 3-0 中原 誠 33歳
1982(昭和57)年04月08日 第31期王将戦 大山康晴 59歳 4-3 中原 誠 34歳
1982(昭和57)年07月31日 第40期名人戦 加藤一二三 42歳 4-3 中原 誠 34歳
1982(昭和57)年09月21日 第23期王位戦 内藤國雄 42歳 4-2 中原 誠 35歳
1983(昭和58)年08月04日 第42期棋聖戦 森安秀光 33歳 3-2 中原 誠 35歳 中原一強と比べるとタイトル数は勿論、防衛がほとんど出来なかったのが、米・加の同列に並べない処 加藤米長が 中原のレベルに上がっていったのか?
中原が 加藤米長のレベルに落ちてきたのか?
中原のレベル とはタイトル戦番勝負で17連勝できるようなレベルのことである
そこに米長加藤が追いついたのか?
それとも 中原1人が力を落としたから混戦になったのか?
1981(昭和56)年01月28日 第37期棋聖戦 二上達也 49歳 3-1 米長邦雄 37歳
1981(昭和56)年07月15日 第38期棋聖戦 二上達也 49歳 3-0 中原 誠 33歳
1982(昭和57)年01月12日 第39期棋聖戦 二上達也 50歳 3-0 加藤一二三 42歳
1980(昭和55)年03月11日 第29期王将戦 大山康晴 56歳 4-2 加藤一二三 40歳
1981(昭和56)年03月03日 第30期王将戦 大山康晴 57歳 4-1 米長邦雄 37歳
1982(昭和57)年04月08日 第31期王将戦 大山康晴 59歳 4-3 中原 誠 34歳
49〜50歳、56〜59歳の棋士に3連覇される中原米長加藤は
タイトル戦で17連勝できるようなかつての中原のレベルに本当にいたのか
「相当疑わしい」というのが結論である
「中原が落ちてきたから、米長も加藤も大山も二上も(内藤も)中原に勝てたし
米長や加藤がそこまで強くなっていないから、大山や二上は米長加藤に勝てたのだろう」
と見るのが妥当であろう
米長加藤が中原クラスに強くなったのであれば、大山や二上にこれほどコロコロは負けたりすまい 中原誠が敗退したタイトル戦番勝負
20歳〜29歳 「(27勝)6敗 81.8%」
1968(昭和43)年01月30日 第11期棋聖戦 山田道美 34歳 3-2 中原 誠 20歳
1970(昭和45)年01月19日 第15期棋聖戦 内藤國雄 30歳 3-1 中原 誠 22歳
1971(昭和46)年03月23日 第20期王将戦 大山康晴 48歳 4-3 中原 誠 23歳
1971(昭和46)年10月08日 第12期王位戦 大山康晴 48歳 4-3 中原 誠 24歳
1973(昭和48)年02月05日 第21期棋聖戦 有吉道夫 37歳 3-2 中原 誠 25歳
1974(昭和49)年01月08日 第12期十段戦 大山康晴 50歳 4-3 中原 誠 26歳
20代の中原は本当に強かった
タイトル戦番勝負でわずか6敗のみだが、その6敗もよく見てみれば
フルセットでの惜敗が5敗 中原を倒すことのむずかしさがよく分かる
そのうち3敗は大山15世という怪物相手でもある、衰えてなお強しの怪物だ
だからこのような異次元の強さの中原のレベルに
30代半ばの米長、40歳近づいた加藤がのぼっていくというのが年齢的に不自然であるし
中原米長加藤と異次元の強さの棋士が3人いたはずなのにこの3人を3タテする50歳、59歳がいるというのは
流れとしておかしいと言えるだろう
よって結論は簡単
「中原1人が力を落とした」ということになるであろう
何人ものレベルが一気に上に動くより
ただ1人が異次元のレベルを維持できなくなり普通のトップクラスの中に落ちた(それでも先頭を走っていた)
これ以外の見方は難しいだろう うん、データがあると分かりやすい
でも異次元の強さではないといえ米中加相手に9勝1敗の棋聖戦二上ツヨス 70年度末 大山名人・王将・王位(48歳) 中原十段・棋聖(23歳)
71年度末 大山名人・王将・王位(49歳) 中原十段・棋聖(24歳)
72年度末 中原名人・十段・王将(25歳) 内藤王位(33歳) 有吉棋聖(37歳)
73年度末 中原名人・王将・王位(26歳) 大山十段(51歳) 内藤棋聖(34歳)
74年度末 中原名人・十段・王将・王位(27歳) 大山棋聖(52歳)
75年度末 中原名人・十段・王将・王位(28歳) 大山棋聖(53歳) 大内棋王(34歳)
76年度末 中原名人・十段・王将・王位(29歳) 大山棋聖(54歳) 加藤棋王(37歳)
77年度末 中原名人・十段・王将・王位・棋聖(30歳) 加藤棋王(38歳)
78年度末 中原名人・十段・王位・棋聖(31歳) 加藤王将(39歳) 米長棋王(35歳)
79年度末 中原名人・十段・棋聖・棋王(32歳) 大山王将(57歳) 米長王位(36歳)
80年度末 中原名人・王位(33歳) 加藤十段(41歳) 大山王将(58歳) 二上棋聖(49歳) 米長棋王(37歳)
81年度末 中原名人・王位(34歳) 加藤十段(42歳) 大山王将(59歳) 二上棋聖(50歳) 米長棋王(38歳)
82年度末 加藤名人(43歳) 中原十段・棋聖(35歳) 米長王将・棋王(39歳) 内藤王位(43歳)
83年度末 谷川名人(21歳) 米長王将・棋聖・棋王(40歳) 中原十段・王座(36歳) 高橋王位(23歳)
84年度末 谷川名人(22歳) 米長十段・棋聖(41歳) 中原王将・王座(37歳) 加藤王位(45歳) 桐山棋王(37歳)
85年度末 中原名人・王座(38歳) 米長十段・棋聖(42歳) 中村王将(23歳) 高橋王位(25歳) 谷川棋王(23歳) 72-79年度までは中原1強かなと思った
保持している冠数/存在する冠数が
3/5 3/5 4/5 4/6 4/6 5/6 4/6 4/6 っていう8年間
この8年間でタイトルホルダーだったのが
大山が5年間 加藤が3年間 米長内藤が2年間 有吉大内が1年間
この後、80-81年度が 中原は 2/6 2/6 という状況になってしまっている
3強というか、5人でタイトルを分け合っているので
1強→5強って流れが正しいように思われる
82-85年度は 中原は 2/6 2/6 2/7 2/7 2冠行進が続く
82年度が、話題の3強っぽい年度
加藤名人 中原十段(棋聖) 米長王将(棋王) (と内藤王位)
83年度以降は谷川や高橋がやってくるので3強ぽさはなくなる
1強→5強の流れを重視すると、中原が落ちてきたってのは確かに分かる
ここから大山と二上が落ちて、谷川とか55年組が出てきて、今度は加藤がすぐ落ちていく 二上が最優秀棋士賞受賞したて事は、
二上に敗けた全棋士が落ちた事になる。
中原一人が落ちた事と矛盾するが?
これはどう説明する? 二上の例はタイトル数でも勝率でも全然最優秀な成績じゃなかったのにあげた例として有名
何も矛盾はしてないと思う 86年度末 中原名人・王座(39歳) 高橋王位・棋王(26歳) 福崎十段(27歳) 中村王将(24歳) 桐山棋聖(39歳)
87年度末 中原名人(40歳) 南王将・棋聖(24歳) 谷川王位・棋王(25歳) 高橋十段(27歳) 塚田王座(23歳)
88年度末 谷川名人(26歳) 島竜王(26歳) 南王将・棋王(25歳) 中原棋聖・王座(41歳) 森王位(42歳)
89年度末 谷川名人・王位(27歳) 羽生竜王(19歳) 中原棋聖・王座(42歳) 米長王将(46歳) 南棋王(26歳)
90年度末 中原名人(43歳) 谷川竜王・王位・王座(28歳) 南王将(27歳) 屋敷棋聖(19歳) 羽生棋王(20歳)
91年度末 中原名人(44歳) 谷川竜王・王将・王位・棋聖(29歳) 福崎王座(32歳) 羽生棋王(21歳)
92年度末 中原名人(45歳) 羽生竜王・王座・棋王(22歳) 谷川王将・棋聖(30歳) 郷田王位(22歳)
93年度末 米長名人(50歳) 佐藤康竜王(24歳) 羽生王位・棋聖・王座・棋王(23歳) 谷川王将(31歳)
94年度末 羽生名人・竜王・王位・棋聖・王座・棋王(24歳) 谷川王将(32歳)
95年度末 羽生名人・竜王・王将・王位・棋聖・王座・棋王(25歳)
96年度末 羽生名人・王将・王位・王座・棋王(26歳) 谷川竜王(34歳) 三浦棋聖(23歳)
97年度末 谷川名人・竜王(35歳) 羽生王将・王位・王座・棋王(27歳) 屋敷棋聖(26歳)
98年度末 佐藤康名人(29歳) 藤井猛竜王(28歳) 羽生王将・王位・王座・棋王(28歳) 郷田棋聖(28歳)
99年度末 佐藤康名人(30歳) 藤井猛竜王(29歳) 羽生王将・王位・王座・棋王(29歳) 谷川棋聖(37歳)
00年度末 丸山名人(30歳) 藤井猛竜王(30歳) 羽生王将・王位・棋聖・王座・棋王(30歳) この時期は再び加藤や大山の勝率が7割越え出してるみたいだが、
中原だけ落ちたとして、再びこの勝率に盛り返すのって無理じゃないか?
再び多くの棋士に勝ち始めないと達成できない勝率だと思うが。
これはどう説明する? 70-71年度が大山中原2強時代
それ以前の大山1強時代から変化 大山が40代後半となったところに20代前半の中原が出てきた
72-79年度が中原1強時代
中原の力が飛び抜けていて他の誰も追いつけなかった時代
中原の20代から30歳過ぎの時代
80-81年度が5強時代
中原の力が落ちて5人のタイトルホルダーが並び立った時代
82年度が3強?時代
内藤がいるけど3強っぽい 大山が60歳になってこれ以降はタイトルを取らなくなる
83-89年度が混戦時代
加藤がいなくなり米長の力も衰えていく
中原が2冠程度で踏ん張るのは変わらないが対抗馬が谷川や55年組になっていく
90-91年度が谷川時代
92年度が羽生谷川時代
この3年間の名人が中原というところにしぶとさを感じる 名人15期の大記録につながっていく
93年度から96年度が羽生時代(完全)
97年度から羽生時代(不完全 名竜を欠く) 相手に説明を求めるんじゃなく
中原が落ちたってのを嫌がっている君が
加藤米長他が中原のレベルに追いついた根拠をしっかり説明すればいいのではないかなあ ちなみに中原が30代前半で落ちた理由として
この時期に遊びを覚えて女におぼれ始めたからってのが俗説としてある
真偽は不明だけど中原が明らかに落ちたという認識は多くの将棋ファンが持っている
5冠王だったものが無冠に落ちて、その後は2冠がやっとになってしまったので当時の将棋ファンの間では当然の感覚 30代の加藤の勝率が4割台→5割台→6割台→7割台
になってるようだが
中原だけ落ちてこの実績は無理だってのが根拠になってると思うのだが
まずこの矛盾訂正しないと中原だけ落ちたはまったく説明つかんぞ
普通に加藤の実力が上がっていったように見えるんだが はて
どの棋士でもあるんじゃないの、勝率の年度ごとの上下変動なんて
好調不調ってものがあるのだから
そもそも加藤の勝率でそんな風にきれいに上昇していった時期がないけどね
勝率4割とか出している時期で糞調子悪くて弱すぎるってだけじゃね きれいにってのはたとえだが
73〜74年 4割台
75年 5割台
76〜77年 6割台
81年 7割台
加藤はこうだぞ
中原だけ落ちてこうはならんだろって
好調不調なんて中原にも言えるだろうに
三強時代の範囲以降はいらんぞ話がそれるから 78-79の5割台を意図的に省いたね
駄目だよそういうやり方は たとえだと言ったろ
おおまかに見れば上昇傾向だろうに
上げ足とりかおまえ
はて じゃねぇよw
中原だけ落ちてこの加藤の上昇は矛盾だろ
どうしても加藤が上がったんじゃなく中原だけ落ちた事にしたいんだろ 説明してくれよ ほらね
意図的に省いてる
都合が悪いって思ったらそうした
その時点だ駄目だよ君
それに
米長のことは同じように説明できないだろ
そういう穴のある論理展開はしないこと ずらすなw
加藤の上昇は加藤の実力が上がったように見えるんだが
画面いっぱいの連投はいいから、加藤の実力があがったわけではなく
中原だけ落ちた理由を正当性をもって説明してくれよ たとえじゃない
君のは自説を押し通そうとするがための捏造に近い
真実はむしろ、下降傾向だからね
76年68% 77年66% 78年53% 79年52%
君は都合が悪いので隠したね
78年と79年が勝率5割台であることを
そういう手口を使う男は信用ならない
そもそも破綻している 勝率だけ馬鹿みたいに重視しても下降傾向だからね 君は「加藤が上がった」という結論ありきで
それに都合のいいデータを探したけど発見できず
提示データを一部ごまかすことで意見を押し通そうとした
そういうズルい人間だという自覚を持つべきだね 76年68% 77年66% 78年53% 79年52%
4割台→5割台→6割台→7割台
突っ込まれなければこのまま押し通そうとしたね
君はズルい人間だね
弱い人間でもある 自分の欲に負けたから 73〜74年 4割台
75年 5割台
76〜77年 6割台
78年53% 79年52%
81年 7割台
これでいいか
はい 加藤が上昇したわけではなく中原が加藤のレベルに落ちたからそう見えるっていう
妄想を説明してくれよ おい80年の%が抜けてるぞ
73〜74年 4割台
75年 5割台
76〜77年 6割台
78年53% 79年52%
80年 6割台
81年 7割台
これでいいか
はい 加藤が上昇したわけではなく中原が加藤のレベルに落ちたからそう見えるっていう
妄想を説明してくれよ ごまかしたことを謝罪してからだね
ズルい人間はそこらへんもごまかす
82年と83年も5割台だね
そこも書いたほうがいいんじゃないの
7割は1年度きりだということを
つーか2年3年勝率が上がる時期なんて多くの棋士にあると思うんだけど
そのたびに実力があがったってやるの、君って
じゃ3年連続下がったら実力が下がったってやってね 中原に負け続けて挙動不審になり変人扱いされた加藤が哀れだったなw >>311私はごまかしました謝罪します
82年と83年も5割台です
7割は1年度きりです
説明お願いします
>3年連続下がったら実力が下がったってやってね
タイトル取られたら中原の実力が下がったって言ってるのは君なんだが 「中原の実力が下がった」という結論が出たら都合が悪いんだね、君は
何で?それを聞いてからにしようかなあ >君のは自説を押し通そうとするがための捏造に近い
>真実はむしろ、下降傾向だからね
>76年68% 77年66% 78年53% 79年52%
こいつはすげぇや
当時は上昇傾向なのにこんな事まで書いて
さらにこっちが捏造した謝罪しろとのたまう
>>279がこいつが角馬鹿だと聞いて斬りこんでみたが全く動じねえ 二度とごまかすなよ
なめたことしてんじゃねえぞ
ちなみに中原の実力が下がっていないということになると
79年度まで4冠王5冠王だった中原のレベルに
30代後半の米長と
40歳前後の加藤と
50歳前後の二上と
50代後半の大山と
4人の力が一斉に上がって中原を倒し始めたことになる
王将戦で中原を2年連続倒した中村修も中原5冠王のレベルに追いついたことになる
そういうことでいいんだね >はて
>謝罪してからだね
>それを聞いてからにしようかなあ
こいつはすげぇや
同じ質問繰り返してるのに話が全く進まねぇw
論理破綻してる事を自分で言ってるようなもんなのにそれにすら
自分でさえ気づいていねぇ 3年連続勝率が下がっているのを上昇傾向とは言わない
君もそれを分かっているから78年と79年の勝率が5割台であることを意図的に隠したんじゃないか
なあ
おい おさむの時代はスレチだ
冷静になれよw
この時期は大山の勝率も再び7割越え出したんだろ?
中原だけ落ちたならこうはならんだろって
他の棋士にも再び勝ちだしたからだろ?
つまり大山自身が盛り返したんだろ?
でも聞く耳持てないんだろw もう一度聞くぞ
30代の加藤の勝率が4割台→5割台→6割台→7割台
になってるようだが
中原だけ落ちてこの実績は無理だってのが根拠になってると思うのだが
まずこの矛盾訂正しないと中原だけ落ちたはまったく説明つかんぞ
普通に加藤の実力が上がっていったように見えるんだが 俺は君ほど勝率を重視していないが
勝率が本当に上昇しているなら聞く耳は持ったよ
勝率、上昇してねえじゃんよ
3年連続下がってるじゃねえかよーおい 76年68%
77年66% ↓
78年53% ↓
79年52% ↓
80年65% ↑
81年71% ↑
82年56% ↓
83年52% ↓
ごまかしてやがる 情けない男だ 73〜74年 4割台
75年 5割台
76〜77年 6割台
78年53% 79年52%
80年 6割台
81年 7割台
これでいいか
はい 加藤が上昇したわけではなく中原が加藤のレベルに落ちたからそう見えるっていう
妄想を説明してくれよ おい
馬鹿かい君
データが破綻しているのだから
君がまず加藤のレベルが上がったことを説明しないと勝負にならないだろう
勝率は3年連続下がっていたのだからそのデータは根拠にならない とりあえずは、こちらの説を強化してくれてありがとう
加藤のレベルが上がっていたわけではないことをそのデータで証明してくれたね
加藤の勝率は3年連続低下していたというのが事実だった
君は4割→5割→6割→7割とかごまかそうとしたけどそんな時期は存在しない
それが分かってよかったね
なおさら「中原1人のレベルが下がった」という説が有力になってきた いいことだ 加藤は10年ぶりに再び勝率6割越え出したんだろ
将棋界においては加藤にとっての黄金時代だな
中原だけに勝つようになってこうはならんだろって
他の棋士にも勝つようになってきたんだろ
そしたら加藤が再び強くなったって事にしかならんだろ
普通はそう見えるんだがと言ってるだけだw
でもおまえは加藤は変わっていないと言う
だからうまく説明してくれよ、と言っている。
この願い聞いてくれるか?聞く耳持ったというから 説明は簡単だよ
1年2年勝率が以前より上がったことをいちいち「強くなった」とは言わない
はい 終わり
君は残念だね 頭の出来が 4冠5冠と毎年タイトルを取っていた人間が
ある時期を境に2冠がやっとになってしまった
これは 「弱くなった」 として問題ない
上は中原の例だが
3冠4冠持っていた羽生が 無冠が数年続けば 「弱くなった」として問題ない
重要なのは 状態が何年も継続していることだ
1年2年勝率が上がった、下がったの話ではない
10年以上3冠4冠当然だった人間が 7冠取った人間が 無冠が続けば 弱くなった とするのは当然
簡単な話だね こいつはすげぇやおどろいたね
オレが言ったんじゃねぇよw
将棋界でそう言われてるだろっつのw
はい終わりとか結局角馬鹿って大人のふりしたガキかよ
ふむふむ
加藤はたまたま1・2年好調だっただけ、と
大山にしても同じ理由ということかな
中原が落ちた為に三強と言われてしまった、と
中原は三強時代には落ちてない、と言った所で
お前はこのスレのお前意外の意見全部読み直した所で
オレが正しいーオレに同意してないやつは全員頭が悪いー
まぁ角馬鹿よ これからも孤高の世界でがんばってくれ うーん、日本語が支離滅裂だね
悪いけど君のほうがよほど馬鹿じゃないか
無理するなよ 現在の結論(再掲)
70-71年度が大山中原2強時代
それ以前の大山1強時代から変化 大山が40代後半となったところに20代前半の中原が出てきた
72-79年度が中原1強時代
中原の力が飛び抜けていて他の誰も追いつけなかった時代
中原の20代から30歳過ぎの時代
80-81年度が5強時代
中原の力が落ちて5人のタイトルホルダーが並び立った時代
82年度が3強?時代
内藤がいるけど3強っぽい 大山が60歳になってこれ以降はタイトルを取らなくなる
83-89年度が混戦時代
加藤がいなくなり米長の力も衰えていく
中原が2冠程度で踏ん張るのは変わらないが対抗馬が谷川や55年組になっていく
90-91年度が谷川時代
92年度が羽生谷川時代
この3年間の名人が中原というところにしぶとさを感じる 名人15期の大記録につながっていく
93年度から96年度が羽生時代(完全)
97年度から羽生時代(不完全 名竜を欠く) 角馬鹿とか言い出したら敗北宣言
反論できません負けましたの意味 もっと骨のある相手がいいな
加藤がどうとかの話じゃねえんだよ、そもそも
中原は加藤にも米長にも大山にも二上にも内藤にも負けて2冠がやっとになってしまったから
「弱くなったな」って結論が出てる
多方面を見て考慮した相対的な話なんだよ
中原が弱くなったか、他全員が揃って一斉に強くなったか
前者のほうが有り得るだろっていう簡単なお話
「加藤がどうしても強くなっててほしいんや」なんていう雑魚一匹の願望を聞くスレじゃねえんだわ
そこを理解しろや そもそも加藤がそんなに強くなったのなら名人防衛したり2冠3冠と取ったでしょ
強かった頃の中原は名人9連覇して4冠5冠取るレベルなんだから
それに追いついたなら名人1回防衛3冠くらい達成するっしょ 中原が米長や大山や他には勝ちまくってるのに加藤だけに負けたのなら
それは加藤が強くなった、と言っていいだろうな
実際は中原が加藤のみならず米長にも大山にも、二上にも内藤にも負けて無冠になったんだから
中原が弱くなった、と考えるのが普通かな
加藤が大山や二上にまで負けてるのを考えるとなおさらだ
大して実力アップはしていない >>301
おまえ、ごまかすならもっと頭使えよ
73年から77年まで数字出しといていきなり81年に飛んだら何か隠してるとすぐバレるがなww フルボッコにされたI7K93LCIが可哀想なのでひとつ言葉的なアドバイスをしよう。加藤の81年は強くなったというより単に『絶好調だった』と考えればいいのではないか。もともとそのくらいの地力はあるわけだから。 >>331
1年2年勝率上がったことを「強くなった」と言わないなら、1982年だけを三国時代とは呼べない件 三国だろうと四国だろうと中原と加藤が同位に並び立つ時代なんてなかったと思うよ。加藤は何度か中原を倒したけど単発勝利に終わったんだよ。 米長もな
中原1強に、谷川が挑んで争った やがて羽生登場し、中原の凋落と入れ替わり谷川と鎬削る ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています