大山康晴の現役時代を知る者はこの板にいるのか?
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知ってる
寺内貫太郎のドラマがあった頃大山はまだ強かったがデブで古臭い眼鏡を
かけたイメージでどっちも好きではなかったなぁ 今は尊敬しているが
小林亜星は暴力的な下町親父の役柄だったがあれで慶応の医学部〜経済学部なんだってー
大竹まことが小林亜星を曲楽亜星の徒と呼んで罵っている夢を見たんだが
調べてもそんな事実はなかった 私の脳が勝手に曲学阿世から連想しただけだった 579 自分:名無し名人[sage] 投稿日:2020/07/26(日) 10:41:54.67 ID:LAE1J9RH
>> 577
同意
大山の時代は対戦相手のレベルが現代とは大きく異なるので比較すべきではないと思う
名人獲得前年度の対戦相手と戦績
https://i.imgur.com/fyVjawx.png 大山さん升田さんの著書にはお世話になったな
大山さん強かったな
大山さんの現役の時知らん人いるなんてkopも年取ったな
なんせ69歳だもんな kopは
♪ 僕の父ちゃんは ガッチリ大将です 今日もガッチリ ♪ >>49
谷川が名乗らないと羽生佐藤森内は名乗れないからねぇ
谷川は最後の自尊心で名乗らないでしょ >>89
永世名人名乗る=今後のタイトル獲得をあきらめる
ってこと? これアホにも程があるだろ
大山はタイトル独占してたから対戦相手が無冠だっただけ
羽生は名人戦で負けまくったから対戦相手に名人経験者が多いだけ
579 自分:名無し名人[sage] 投稿日:2020/07/26(日) 10:41:54.67 ID:LAE1J9RH
>> 577
同意
大山の時代は対戦相手のレベルが現代とは大きく異なるので比較すべきではないと思う
名人獲得前年度の対戦相手と戦績
https://i.imgur.com/fyVjawx.png 横溝正史が岡山県へ疎開中に祭りでの村芝居のシナリオや演技指導を頼まれ
そこで指導した若いまあちゃんという女性がお見合いを実家ですることになり
外から村の人達何人かと集まって見ていたらそこにお見合いを終えた相手の男が
自転車の後ろに母親らしき人を乗せて帰っていくシーンを見たことがあった
ちなみにその男が大山康晴でその後東京に帰った横溝が新聞のエッセイで自分
が指導した女性と結婚した大山はある意味弟子みたいなものじゃと書いたら大山
夫妻が挨拶に来てくれそれ以来家族ぐるみの付き合いになったそうだ >>91
自分が名乗るなんておこがましい、ってこと
名人5期の永世名人は史上最低だし 誰か数学に強い人計算して下さい
大山、中原、羽生が八冠時代なら予想されるタイトル獲得数は
あるいは逆に、名人 王将 十段の三冠しかない場合のタイトル獲得数を予測して下さい >>92
単純に当時のタイトル数だって全然違うからな
タイトルが増えれば増えるだけタイトルが少ない時代なら無冠だったような格の棋士にもチャンスが巡ってくるのは自明
名人しかない時代なら100%無冠の福崎(A級未経験)ですらタイトル経験者になれる >>92
少し上のレスをコピペしてしまう奴ってアホの可能性大 福崎は常連じゃないタイトルホルダーの中じゃ強い方だったと思うよ 福崎の十段・王座を取り消しゃいいんだよ
そして大山の相手に特別十段とか認定王座とか追贈しとけ
ま、そんな馬鹿げたことをホントにやるのは無理だけど
大山オタだけおつむの中でやってりゃいい 福崎は穴熊やってくれるから、穴熊好きのアマチュアからの人気が高かった。 福崎・米長の相穴熊はある意味すごかった。
野球にたとえると変化球しか投げない投手。 >>32
>>33
藤井は羽生や大山程度なら余裕で越える棋士になるよ 1951年度は将棋界通算でまだ「11回目」「12回目」「13回目」のタイトル戦が開催されたにすぎない
将棋界通算
1回目のタイトル戦 1937年度第1期名人(木村)
2回目のタイトル戦 1940年度第2期名人(木村)
3回目のタイトル戦 1942年度第3期名人(木村)
4回目のタイトル戦 1944年度第4期名人(木村)
5回目のタイトル戦 1945年度第5期名人(木村)
6回目のタイトル戦 1947年度第6期名人(塚田)
7回目のタイトル戦 1948年度第7期名人(塚田)
8回目のタイトル戦 1949年度第8期名人(木村)
9回目のタイトル戦 1950年度第9期名人(木村)
10回目のタイトル戦 1950年度第1期九段(大山)
11回目のタイトル戦 1951年度第10期名人(木村)
12回目のタイトル戦 1951年度第2期九段(大山)
13回目のタイトル戦 1951年度第1期王将(升田)
14回目のタイトル戦 1952年度第11期名人(大山)
大山が名人になる前年度に対戦したタイトルホルダーが少ないのは当然
大山以外に3人しかいないから
大山の相手の無冠棋士でも丸田などは55年組の雑魚どもよりははるかに上(A級24期)
タイトルホルダーが少ないのは当然 1951年度大山は34局の対局があり
1局が七段相手(松下力)
21局が八段相手
6局が前名人相手(塚田)
6局が名人相手(木村)
段位の九段ってのはいない時代、八段がA級棋士相当
強いのとしか当たっていないのは羽生ではなく大山のほう
大山の勝率が低めなのもそれが理由
対局が少ないってのは「雑魚との下位ラウンドが存在しないから」少ないの
それを理解していない人が多い
どれもJT杯みたいな感じで上位棋士としか当たらない時代 すげえな
そもそも羽生オタって知識が足りなすぎないか?
名人経験者とか言ったって1993の加藤一二三って53歳だぞ 泉、伊藤、小野、豊川、畠山、神崎といった低レベルな相手は大山の対局相手にはいない
大山の時代も羽生の時代も両方興味を持って調べていないとなかなか分からないと思う
大山時代から見ている人間なんてもういないし、いても記憶があやふや
だから現実には若い人間が興味を持って調べてるかで決まる >>95
以前、羽生の81期目の記念本で、
大山を羽生と同じ時代の場合を換算してた。
最大7冠だが、それによると大山は120期。 48歳までに
羽生は220期タイトルを取るチャンスがあって99期
大山は96期タイトルを取るチャンスがあって69期(50代で11期取り、合計80期)
こんな感じだからなあ
大山は48歳までにタイトル戦全勝しても100期取れないからw
100期もタイトル戦が開催されていない
あの時代に80期取るのは物凄いことだと覚えておくといい
40期取れば相当すごい、それを80期取った
大山が40期ならば木村8期〜大山40期〜中原64期〜羽生99期で
「ああ、どんどんタイトルが増えていったからな」と、逆に分かりやすかった
大山が凄すぎて80期も取ってこの感覚が薄れてしまった
だから羽生と大山を同じ土俵で比べる人が増えた、大山が取りすぎたがために
本来は違う、大山には羽生の半分以下のタイトル獲得チャンスしかなかった
最初から圧倒的に超人
だから名人18期、50代でも60代でも強い、元々が強すぎる 木見門下からは将棋史に名前を残すA級棋士を3人、うち2人は超絶的な強さがあった。
この3人は晩年も強かった。
で、ふと思ったが木見門下では中将棋をしてた。
大山はこれでコマの連携繋がりを重視するようになったと言ってる。
升田将棋もコマの利きを盤面全体に張り巡らせるというものだった。
中将棋で培われた感覚が大山升田の根底にあって、この感覚があるから晩年も強い、とか プロ棋士はチェスなんてやってないで中将棋同好会でも作るべきだな
まあ大山もチェスやってたけどw 大山はA級の弟子を二人育てたんだからこちらでも立派
孫弟子は名人にもなってる 羽生は好きな将棋やって無難なことしか言わないという
一番楽なことしかやってないからねえ >>114
この将棋は、升田先生が勝ったようだね。 一度母校の講演でかなり間近で見た
気さくによくしゃべるおじさんだったな
その一年後に訃報を聞いた時はさすがに驚いたよ 大山は素手で牛の角にヒビを入れる事までは出来たが実は牛殺しまでは無理だった。
あくまでも牛殺しは梶原一騎の創作で大山は人殺しすら一切やっていない。 子供のとき父親が取ってた週刊新潮に詰将棋載せてた
肩書は「九段」だったと思う みんな知らんと思うけど、雑誌記者をやっていた姉の話では、大山さんの嫁は姉史上最悪に感じの悪い人だったらしい。
でも性格の悪さでは瀬戸内寂聴には及ばなかったそうだ。
すげーぞ、寂聴。 そんな悪妻であっても戦後しばらくは大山実家の家業である粉屋を手伝って大山を支えていた 大山は脂っけが多く洗濯が大変なんだとぼやいていたな >>122
大山夫人は性格が悪いが美人ではあったのか?
性格も容姿も悪かったのか? >>125
直接知っているけど性格は良い人だと思うよ
良いおばあちゃんって感じ
戦時中の田舎の出身だからか豪快なところがあって、それが人によっては受け付けないのかも知れないが
容姿は若い頃知らないからなんとも言えない むかし、若い大山さんが若い嫁さんを自転車に乗っけた写真見たことある。
容姿は・・・忘れてしまった。 大山さんの結婚式の写真見たことあるが、すでに禿げてた。
34歳くらいだったような。
嫁さんの印象は、農家のおばさんて感じかな。 小学生の頃、高島屋のイベント(将棋まつり的な?)で晩年の大山先生に声をかけていただいたことがある
将棋入門で知ってた優勝100回の大名人に「道場でたくさん指して強くなってね」と言われた時、俺は確信したね。
「この男は実在する」と。 晩年はよく足を崩してゆったりした感じで座っていたが
原田さん曰く、若い頃は足も崩さず立派な姿勢だったと
古い映像で見ると大山名人が背筋伸ばしてピシーッと指す姿が美しい
升田との対戦は本当に絵になってる >>131
普及活動に専念してる大山先生は素晴らしい >>131
確かに実在を疑いたくなるほどの実績ではあるなw 大山さんは引退しなかった人だから、平成四年七月に生きていた人なら知っているのではないか >>22
>>137
桐山には34−17でダブルスコアだが(東西決戦の組み合わせ。突撃の勝ち)
まだしも、ひふみんに67−41
内藤だって、47−24
秀光に22−16
しかも、4戦めで初勝利。3−5から連勝で、やっと勝ち越し >>138
桐山ではなかった?桐山はその世代の誰かに相性が良かったような… 桐山は、有吉や勝浦には負け越しだが、内藤には40−26
木村義徳や高島弘光には、もちろん大幅勝ち越し >>138
秀光さんは
「居飛車穴熊は苦にならない」
と言っていたなあ。
この感覚はとても理解出来ない。
ちなみに自分(振り飛車党)は居飛車穴熊には相穴熊で対抗することが多いが
やっぱりキツイです。 >>142
大山は、自分の振り穴は数年でやめた
対イビ穴を、やはり苦にしていなかった >>141
木村義徳は仮にもA級にまで昇った(9戦全敗で即降級だったが)
大山にも初戦で勝利(以降4連敗)
突撃には2連勝から3連敗
(内藤には未勝利で引退)
桑田投手の生涯打率や通算安打数に劣る一茂よりは、木村義徳のほうが相当に上
一茂と比べるのは、A級に昇らず万年B2の時代にでも疑問、の感じでは >>143
でも藤井猛に言わせると大山は四枚イビアナに強かっただけで
銀を攻めに参加させるイビアナには弱かったらしいよ 全盛期は知らないが、50代以降の大山先生を知っている。
A級順位戦の対戦表で年齢欄に52,53くらいから覚えている。
当時は、スポーツと違って、頭脳競技は年齢がいっても強ければ
活躍できるのかと思っていた。
56歳か57歳で王将位を獲ったときも、それほど驚かなかった。
ところが後年になって、米長・中原・谷川でさえ50代前半で
A級を去って行ったのを見て、改めて凄い人だと思った。 晩年の大山は今のA級は誰でもなれると言ってた
A級のレベルが低かったのは有ると思う
実際羽生世代が上がってきたら
55年組は島以外みんな落ちていったし
タイトル戦にも絡めなくなったので 確か1992かそこらだろ、亡くなったの
子供のころに将棋指してたおっさんなら普通に知ってるよ
全盛期の頃の話になるとお爺さんレベルになってくるけど いつだったか順位戦最終局で康光を沈めてB級送りにしたな 子供のころ実家で読売をとっていて、
将棋欄が十段戦だったけど、
一人だけ変な肩書の棋士がいた。
「十五世名人」とか。 >>153
引退前に永世名人を名乗るなんて認められるなんて異例だからな
偉大すぎるからって理由もまた驚き >>148
他の棋戦では全敗してもいいが
王位だけ30年くらい死守してほしかった。 升田は休場が多かった
しかし、順位戦は3敗までしかしていなかった
初の5敗、負け越しで休場したまま引退
しかし、50歳代で名人戦挑戦者は恐れ入る
しかも新戦法、升田式石田流をひっさげて >>154
異例つっても実力制名人戦になってからの永世名人は大山が2人目
前の木村が現役引退と同時に十四世を名乗ったというだけで
当時の連盟のルールに永世称号を名乗る時期の規定があったわけでも
またそんな規定を設ける必要があったわけでもない >>158
あまり知られてないが、第7局中盤、は升田が勝つ展開があった
名人復位の可能性すらあったという 羽生善治
2010 年度(40) 57 戦 43 勝 14 敗 (0.754)
2011 年度(41) 63 戦 44 勝 19 敗 (0.698)
2012 年度(42) 68 戦 51 勝 17 敗 (0.750)
2013 年度(43) 62 戦 42 勝 20 敗 (0.677)
2014 年度(44) 54 戦 39 勝 15 敗 (0.722)
2015 年度(45) 47 戦 30 勝 17 敗 (0.638)
2016 年度(46) 49 戦 27 勝 22 敗 (0.551)
2017 年度(47) 54 戦 32 勝 22 敗 (0.593)
2018 年度(48) 52 戦 29 勝 23 敗 (0.558)
2019 年度(49) 34 戦 29 勝 20 敗 (0.592)
2020 年度(50) 34 戦 10 勝 08 敗 (0.556)
大山康晴
1964 年度(40) 42 戦 32 勝 10 敗 (0.762)
1965 年度(41) 41 戦 27 勝 14 敗 (0.659)
1966 年度(42) 43 戦 33 勝 10 敗 (0.767)
1967 年度(43) 34 戦 23 勝 11 敗 (0.676)
1968 年度(44) 40 戦 29 勝 11 敗 (0.725)
1969 年度(45) 44 戦 28 勝 16 敗 (0.636)
1970 年度(46) 44 戦 29 勝 15 敗 (0.659)
1971 年度(47) 56 戦 33 勝 23 敗 (0.589)
1972 年度(48) 63 戦 38 勝 25 敗 (0.603)
1973 年度(49) 56 戦 38 勝 18 敗 (0.679)
1974 年度(50) 75 戦 48 勝 27 敗 (0.640) >>131
へえ、大山先生にねえ。
あなたは感激して強くなったかな? >>133
普及活動でも、すごい貢献をしたね。
こら、大山先生からタイトルを次々に奪った突撃、
少しは見習え! 大山を見習うべきは、むしろ羽生
50歳でA級を落ちたりではダメ >>153
朝日新聞取っていたが、観戦記見てこの大山って人だけ段位が無い。
可哀そうと思っていたわw >>158
>升田式石田流
かなりの話題にはなったが、この戦法でも大山が3勝2敗で勝ち越したんだよね。 しかし羽生は大山より10年くらい早く出世してるから
大活躍した年月は50歳時の大山より10年くらい長いことは見逃せないところだ >>167
大山の棋風といっても、振り飛車の時と居飛車の時では異なるような。
まあどっちも持久戦志向なんだけど。 全盛期には二号さんもいたりして、大名人にふさわしく華やかな生活をしていた
渡辺さんや豊島さんも見習ってほしい 木村名人は名人を失ったとき、多くの女性と関係を清算して
帰る家が一軒なのは楽だね、と仰っていたらしい >>170
40代半ばごろからの大山は、対抗形を好み、前例のない局面に持ち込む棋風
(灘との順位戦など、まれに相居飛車に持ち込まれても勝った。丸田とのNHK杯では負けたりしたが。相振りは指さず)
よって、持久戦になり、鋭くは攻めない >>178
ぜんれいのない局面を作ることで地力の勝負に持ち込むことで勝ったのは流石だと思うわ おれの免状は二上会長時代のものだが、
「十五世名人大山康晴」の署名もある。 >>179
羽生が相手の得意受けて
大事な所で負け越すのと大違い www >>179
勝負が長引けば、地力で劣る相手の方がより多く、より大きなミスをする。だから自分が勝つ。
これが大山の勝負術だけど
ここまで傲岸不遜で恐ろしい勝負術はないと思う >>182
木村義徳は、当たって砕けろ、短期決戦
弱いのが強いのに勝つ法 大山さんが認めてたのは中原だけでしょうな
しかし中原が谷川との名人戦で勝ッた時
殆どの人はニュー中原の攻め将棋誉めてたのに
大山さんだけは
中原さんは自分から動くようになった
これから弱くなるだろう
と発言してたら 本当に弱くなりその後は三冠とるのが最高
だッたので やはり別次元の人なんだと感じたね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています