大山康晴の現役時代を知る者はこの板にいるのか?
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わざとバカなこと言ってまでかまってもらいたいのか? >>224
ファンあってのプロ将棋だし、ファンの中には「観る将」みたいに
上辺の勝ち負けだけが重要で、本来の勝負なんてどうでもいい
そもそも理解できない連中が大勢いる テレビ棋戦は空気読んでほしいよな。
昭和48年ころのNHKトーナメント。
1回戦で大山九段(たしか)が飛車を振ろうとしたのに
対戦相手が先に飛車を振ったので大山は居飛車にした。
大山が負けてしまったので、将棋ファンはその年はテレビ棋戦で大山の振り飛車を見ることができなかった。
(テレ東のほうの棋戦は放送されない地域も多かった) >>228
大山は飛車を振らなきゃいけないルールでもあるんかい? 昔はまだ角交換振り飛車が無かった時代なので
神埼が大山の振り飛車を避けるために居飛車から一手損で角交換したら
それでも大山は飛車を振ってたな
角交換して風車っぽい陣形に組んでた >>229
プロレス見に行って馬場が16文キックを打たないと観客が納得しないだろ。 >>231
プロレスじゃないんだからそんなことで納得するとかしないとか無いからw >>216
大山15世が亡くなる1ヶ月くらい前の話か。
まだ他人の将棋を批評できるくらいの力はあったんだな。 昔、毎日新聞でA級順位戦載ってたとき毎日、将棋欄の切り抜きしてたな。
大山の棋譜って宝物だったね。
大山vs谷川の「大山の6七金」とか伝説級の一手もよく覚えてるわ。 >>216
へえ、高橋さん、美学派だったんだ。
羽生世代以降とはちがうね。
1期は名人になってほしかったから、惜しいな >>233
たしかに。
お好みの席上対局ならF9にシステムさせないとがっかりだが、公式戦でプロレスするのは逆に邪道 >>224
空気読む必要ないと思うし、空気読まない真剣勝負こそが将棋の魅力。
上は糸谷、丸山、天彦から下は水町まで空気読まないからヒリヒリして見る方はたまらなく嬉しい。
昭和の美学はぬるくて嫌 馬場の十六文よりハンセンのウエスタンラリアート。
ハンセンもわかっているから試合で打てなければ試合後に大暴れして若手に連打。
若手もわかっているから受ける
でも将棋はそういうのいらない 羽生が名人になった時
17世は羽生なんだなと思ってた >>242
いやいや、羽生が雑魚はありえないだろ
大山がそれより上というだけだ そう、羽生は雑魚なわけがない。現代将棋史に輝く名棋士だよ。
ただ、表面的な数字だけで大山を越えたとするのはおかしいというだけ。 >>247
堅さに堅さで対抗して持久戦にするよりサクッと片美濃にでもして手数でいきたいな俺なら てか穴熊相手に桂馬で嫌味をつけたいなら、高美濃か銀冠で十分でしょう 美濃囲いで対抗するとプロでも勝率低いんじゃなかった?
自分は居飛車穴熊には相穴熊で対抗することが多いんだけど、ちょっとしんどいんだよね。
トーチカは試してみる価値はあると思う。 >>251
トーチカにしてもそれは変わらないのでは?
そもそも振り飛車は玉を居飛車の角筋を初っ端から警戒しなくてもよかろうて >>244
名人戦 竜王戦 16勝17敗じゃね
ナベは 12勝2敗だよ 内容が悪すぎ w >>253
?
名人竜王1期でも獲得している時点で全然雑魚じゃないじゃん
大山が凄すぎるだけ 桂馬で嫌みをつけることすらせず存分に組ませて対抗できてた化け物が居たらしい 成り駒を何枚も中段まで引っ張ってきて空中要塞を築き
穴熊の姿焼きをしょっちゅう食ってた化け物がいたらしい >>228
大山さんは振り飛車が有利だとは思っていなかったよ。
序盤が楽だから振っているだけだと本人が言っていた。
連盟会長だったときは、対局日でも日中は寄付金集めの電話や面会で忙しかったので、序盤は考えないで済ます必要もあった。
当時の大山さんの対局で序盤のなんでも無いところに異様に消費時間を使っていることがあるのは他で忙しかっただけ。
対局をおろそかにしているかのように取られかねないので、棋士も観戦記者もそのことに触れないようにしていたが、
新聞に掲載される譜面の消費時間には残ってしまうので、時々”解説”されていた。 もう完全にジジイ化した大山しか知らないけど
普通にタイトル戦に出たり
ガンの手術しながらA級優勝してたので
当時でも今の羽生くらい強かったのは間違いない 修行時代升田に「棋譜持って田舎へ帰れ」と言われて、泣き出した。升田もそんなことに成るとは思わなかったので、ほとほと困ったとか・・
ところがその升田も、兄弟子の大野に負かされるたびに「升田よ、棋譜持って田舎に帰ったらエェがな」と言われて子ども心に、非常につらかったそうだ。 当時は破門されるとき、師匠に1局だけ指してもらえたらしい
その棋譜を記念に持って故郷へ帰るとされていた
だから、「棋譜を持って故郷へ帰れ」というのは、最もつらい言葉だったらしい
大山さんが少年時代の記憶として語っていた 木見先生の奥さんも立派な方で、内弟子たちの面倒をよく見ていた
升田さんの話にも奥さんのことがよく出てくる >>271
ああ、言い忘れたけど大正明治生まれに限定してだった 大山名人の弟さんは、大阪で大山データサービスというIT関連の会社を経営されてたなあ。1970年に大山王位に若き米長七段が王位戦に挑戦した頃から、将棋界を知ってるが、当時中原以外の棋士には、大山はほぼタイトル戦で負けなかった。 >>273
勇さんだね。
IBMの下請けだっけ?
余計なお世話かもしれないけれど句読点の使い方を覚えた方が良いよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています