大山のときは年々の出生数が今の倍で10代の男子の将棋参加率は80%だった
その頂点に立ったのが大山ということになる
出生数
1905年 145万 木村
1914年 181万 塚田 太田学
1918年 179万 升田
1923年 203万 大山
1932年 218万 二上 加賀敬治
1940年 211万 加藤
1943年 225万 米長
1947年 268万 中原 小池重明
1962年 162万 谷川
1970年 193万 羽生
1984年 149万 渡辺
1990年 122万 豊島
2002年 115万 藤井

10代の将棋参加率は大山から中原までが80%で推移
羽生世代の70年代は50%を切り以後10%台まで低減傾向が続いている

さらに付け加えると、羽生世代の後には奨励会入会試験に合格者がでない(入会希望者のレベルが低い)冬の時代もあった