棋戦情報総合スレッド 211
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>>770-771
永世称号の制定年についてちょっとググッてみたら、
達成年と制定年の差で、かなり内情が見えてきた。
結論から言うと、米長の主張とは矛盾しない。
・永世名人(1945年達成→1949年制定)※通算5期
※最初に達成した木村は1948年まで連盟会長だったので、
会長引退後の肩書が必要になったのかもしれない。
・永世棋聖(1965年達成→1965年制定)※通算5期
※棋聖戦は升田と懇意の産経新聞社社長が升田のために創設した。
※永世棋聖も升田の年金代わりに制定したものと言われている。
※そう言っているのが米長なのでアレだが、信憑性はあると思う。
※大山が永世棋聖で喜んだのは、升田への対抗心からだろうか。
・永世王将(1965年達成→1973年制定)※通算10期
※1972年までに大山は17期も王将を獲得しており、
連盟が王将に永世称号を制定する気が無かったのは明らか。
※ところが、1973年に大山が王将を失冠して無冠に転落し、
前名人の称号も期限切れが迫り、別の称号を名乗らせたいが、
永世名人は重すぎるし、永世棋聖は中原も資格取得してるので、
慌てて連盟は永世王将を制定し、名乗らせたものと思われる。
※他の人(特に中原)がすぐには達成できないように、
条件を「通算10期のみ」と異常に厳しくしたものと思われる。
(つづく) (つづき)
・永世十段(1965年達成→1980年制定)※通算10期
※1974年までに大山は十段を8期も獲得しているが、
永世称号は制定されなかった。
※しかし、上記の流れで、他のタイトルにも永世称号を、
という声があってもおかしくない。
特に強欲な読売新聞社が主催する十段戦では。
※いずれにせよ、1980年には永世十段が制定され、
1982年に中原が達成した。
※1988年に九段獲得も合算するように規定が変更され、
九段6期の大山も達成した事になった。
※規定変更時の連盟会長は大山である。
※中原に追い抜かれたのがよっぽど悔しかったのだろうか。
・永世王位(1965年達成→1997年制定)※連続5期または通算10期
※大山も中原もとっくの昔に達成しているのに、
羽生が達成した時に初めて制定された。
※いくつかは事情があって例外的に認めたものの、
名人以外の永世称号を作りたくないというのは本当だろう。
※制定時の連盟会長は羽生の師匠・二上である。
※他にも二上は羽生が達成する度に永世称号を制定している。
※まあ、全て名誉称号がある囲碁界に合わせただけかもしれんが。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています