「善悪を超越した手」ってどういうこと?
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藤井聡太は格別の天才だから人間には到底理解できない手を放ってくるということ 北斗で言えばジュウザがラオウと対峙したときに
防具をはずして勝負に出るような手。 善いか悪いかは別として、見てる者を魅了し、対局相手を悩ませ、解説者に驚きを与える類い稀な妙手。 レオニダスが300の兵を率いて200万のペルシア軍に立ち向かうような手。 >>11
藤井聡太で例えないとみんなわからないよ? 善し(良し)悪しを越える想像もつかない手かな?
善悪というと言葉に倫理的なニュアンスが加わるから適当でないように思う 例えば、駒柱になる手
勝ち負けなんてこの際どうでも良いと思わせる図面になる手のこと 加藤一二三vs中原名人の名人戦だな。
勝負どころで加藤気迫の打ち込み。
しかし読み抜けがあり、ここでの名人の応手が正確なら敗着だった。
加藤の人生を賭けた圧力に名人の読みが屈したこの一着は、手の善悪を超越し、名人位を引き寄せるまさに名手であった。 もし流行語大賞にノミネートされたらすごくないですか? >>15
米長邦雄はちゃんと説明する
と言いますのはね、以下理由を述べる
どういうことなのか、と聞き手もちゃんと突っ込めよ 将棋盤は世界!天使と悪魔との戦いが繰り広げられているのさ!
強くなると善悪を超越して神の視点が得られる 矢吹丈が力石徹に渾身のダブルクロスで勝負するような手のことだよ。 >>13
そうそう。棋理に照らしてという意味でも是非とか正否とかのほうが相応しいのに厨二病チックで聞いてて恥ずかしい笑 将棋では正しい手を最善手、次に正しい手を次善手、
間違っている手を悪手、どうしようもなく悪い手を大悪手、というように
正しい間違いという意味で善悪という語を用いるのが慣例。
だから善悪を超越した手というのは調べれば最善手ではないかもしれないが、
例えそうだとしてもその状況下では渾身の勝負手なのでその価値は
理論上の正誤を超えて評価されるに相応しい凄い手、という意味。
ちなみに、将棋界では昔からある言い回しだよ。どうしてかというと、
悪手であったとしても相手もそれを悪手で応じて結果的に勝てることも
多いのが将棋というゲームだから。渾身の勝負手は「善悪」を超えやすいものなの。 ソフト最善ではないけど、相手が読んでない手ってことだろ
もっと言えば「こいつにしか指せないんじゃないか」と思える程の奇手だけど、なぜかソフトの評価値はそこまで下がらない手
勝負手は相手に正しく応じられると負けるけど(つまりソフトの評価値は下がる)、そうでなければ命が繋がる手って感じだからまた別の概念だと思う 悪手かもしれんけど咎められんなら悪手じゃないよねみたいな 野球やってたところに途中からサッカーし始めるような手だな マスクON=善
マスクOFF=悪
善悪を超越=マスクなどどうでもいい 翌日の全国ニュースで何回も引用されたなんて、すごくないですか? 普通に捉えれば指す価値のある手ってことかなあ
技術的なものかも知れないし感情的なものかも知れない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています