珍記録について語る 3
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>>361
女流足せば高柳じゃない?
島1凸64タナトラ1清水43蛸7で116期 >>363
それこそ草創期から七冠(or八冠)あればって話だな
大野あたりだって取れたかもしれんし >>363
升田がもうちょっと取れていても、大山がその分減る可能性が高いから、
木見一門の数としては、あまり変わらないんでね? 弟子の引退年齢の合計の最大なら木見で間違いない?
大山69
升田61
大野67
山中71 先手後手で、先手ばっかりとか後手ばっかりとかはそうそう起きないよね? >>368
年度単位なら1:3レベルで片寄るのは普通に起こる。
一時期の藤井や大橋が安定の後手と言われたレベル。 >>369
先後を振り駒以外で決定したことはあるのかな?
たとえば自分を後手にさせろとか… >>369
比率もだけど、連続記録とかね
番勝負みたいな交互になるものが入ってくると連続になりにくいが 終了時に自分の駒の最多・最少の記録ってどうなってるんだろう? 勝った側の盤上の駒数が最少、ということかな。持ち駒も含めるのかな?
どちらにしても理論上は2枚だが、実際どうなんだろうか。 >>373
持ち駒を含める、含まないのどちらも珍記録になりうるね >>368
昭和48〜50年の中原は,タイトル戦の振り駒で後手番が続いた。
十段戦・王将戦・名人戦・王位戦・十段戦・王将戦・名人戦とまでは覚えている。 >>375
ほう
振り駒したあと交互じゃなくて毎回振り駒をしてということかな 持ち駒が多すぎて駒台に載せきらなくなった例はあるのかな。 >>377
昔、将棋講座テキストの質問コーナーにあって、枚数は忘れたがとにかく駒台から溢れたので、相手に断って畳の上にハンカチ広げてその上に置いた棋士がいると書いてあったな。 >>377
ひふみんは十段戦で、わざとでなく、歩を1枚落としたままで終局まで指した
影響はない進行だったようだが 女流棋士で1九の香車を持駒にしちゃって負けた人いたよね >>376
もちろん第1局での振り駒です。
第7局まで行ったのは,昭和48年の十段戦・昭和49年の名人戦・昭和50年の王将戦で,
第7局での振り駒は,十段戦が後手だったような覚え。 >>381
1局振り駒で交互なら、先後の数はあまり変わらないのでは?
振り駒の偏りの話ではないのだし タイトル戦の第一局が後手ばっかり続くのが珍しいって話だろ。 瀬川のプロ編入試験、5局とも瀬川は振り駒で後手番だった。 >>383
それはまた、>>368とは別の珍記録の話だねってこと
振り駒連続記録 >>375
中原ぐらいタイトル戦登場回数が多ければ、むしろ振り駒で5回連続後手が1度も起こらない方が珍しい 日数か局数かの議論があった記憶があるが、当スレではなかったのかな >>391
日数だね。局数だと100敗のときの勝数最低記録だから、弱い棋士を探すだけ。これでは珍記録とは言えない
>>390
確か金沢ではあるまいか? 珍記録と不名誉記録は別、と初期に言ってた人がいたよね
確かに >>394
2019/7/20
マイナビ一斉予選 51局
JT杯 1局
合計 52局
とりあえずこれより多いのがあるかどうか >>395
これに加えて他の棋戦が行われていたりはしないの? 竜王戦だが、この時間で25手しか進んでいない
2日制の将棋で、1日目の最短手数になるかも? >>396
連盟サイトによるとこの日はこの2棋戦だけ。
同日に女流王将戦も記載されてるのけどこれはおそらく対局日ではなく放送日。 >1994年王位戦第4局▲郷田真隆五段−△羽生善治王位戦。
>21手目、郷田五段が1時間37分で▲2二角成としたのに対して羽生王位が2時間46分を使って
>22手目△2二同銀を封じ手に。結果は63手で郷田五段の勝ち。
22手が最短記録なのね >>401
この22手目の同銀って10秒で指せそうだけど2時間46分考えたことに凄みを感じる >>401
居飛車党なら親の顔より、よく見る局面ぽい
これで1日が終わるってどういうことだ >>403
同銀と同金の2択なのにね
しかも同金って悪形になるから普通指さないし
今だったら考えすぎってネットでたたかれそう つい最近、それこそナベが竜王獲った頃くらいまでは二日制の初日は儀式みたいなもんだったから
2時間46分のうち2時間36分くらいは今日の晩飯のこととか天気のこととか彼女のこととか盤の木目のこととか考えていたんだろう ならもういっそ1日制で持ち時間8時間や9時間でええやんか。NAGASEし放題や。 通算成績が負け越しの棋士で最強と言えるのは誰だろう? 勝率上は淡路(695-697,0.4993)でタイトル数加味すると森鷄二(2期,勝率略) 大友門下は珍記録の宝庫だけど大友先生は何か珍記録持っていらっしゃるのかな? >>407
A級在籍24期、NHK杯3回優勝、一般棋戦時代の王座戦2回優勝の丸田祐三。 >>410
珍記録ではないがエピソード
40歳前後でB1に降級時に離婚騒動で引退
フリクラなんかまだない
A級在籍も短いにしてはレア
しかし、後に、順位戦以外復帰させてほしいと願ったものの、却下された >>410
七段で初めてNHK杯戦優勝。
前田までしばらく二人目が出なかった。 順位戦の各クラスで両対局者の年齢合計の最大値・最小値は? 全タイトル戦でも最短手数記録
1994年棋聖戦五番勝負第4局▲谷川浩司王将−△羽生善治棋聖(四冠)戦の49手(羽生負け)
竜王戦の最短手数投了(52手)と最短時刻投了(午後0:30)の記録両方持ってるのも羽生
最年少竜王戦1組最年少陥落記録も羽生 >>412
>>413
どうもありがとうございます
郷田さんが初戴冠した時の映像見ると、孫が可愛くて仕方ないおじいちゃんみたいな感じだったけど、ご本人も色々あるんですね 全タイトル戦の最長手数は
2019年王位戦第4局▲木村一基九段-△豊島将之王位(名人)戦の285手
竜王戦の最長手数は
2002年第4局▲阿部隆七段-△羽生善治竜王(王座・棋王・王将)戦の257手 まずは惜しい例
アユムの youtube 情報
2009年の羽生と郷田の67期名人戦第4局
83手まで双方居玉
86手で郷田勝ち
桜井VS下平の5手で投了のは当然、居玉のまま
10手で大五郎が投げた対局は、突撃の⛉4二玉で投了 >>414
A級の最大値は1991年度の大山–有吉戦だろう 73:名無し名人 2020/10/10(土) 12:36:04.11 ID:t9rxbc+a
女流なら2級が五段に勝ったことあったよな?w >>420
C級の最低は、ひふみんの1954年度、未成年の市川とのだろう 最多
C1 1990年度の富沢72丸田70
C2 2016年度ひふみん77桐山69 ひふみん最後の年度
確信はないが >>423
坂口、小堀、山中あたりが現役最後の頃って順位戦で対戦なかったっけ? >>421
2004LOT予選 蛸島五段●―○里見(香)育成会
1988LOT本戦 清水女流名人●―○植村女流3級
男性棋戦でも、森内名人が四段に負けてたはず >>424
坂口(75)VS小堀(71) 1983年6月22日
小堀(73)VS山中(71) 1985年6月11日
坂口(75)VS山中(70) 1984年11月15日 >>426
坂口VS小堀とタイでしたね
失礼しました >>427
失礼!坂口小堀戦の坂口の年齢は74の間違いだ。
坂口允彦…1908年12月11日
小堀清一…1912年2月10日
山中和正…1914年12月15日 タイトル防衛失敗数>タイトル獲得数…内藤國雄(失敗5回で獲得4回)
これどういうこと?防衛失敗するにはその分獲得しないといけないから成り立たないんじゃ? 王座戦が、前回優勝者とトーナメント勝ち残り者で決勝三番勝負をやる方式の棋戦からタイトル戦に変わった最初のときに負けたから便宜上防衛失敗なるんだっけか >>428
ならば70歳代どうしではないが、ひふみんVS桐山が単独で 2010年度C1ひふみんVS内藤69歳どうし
2008年度にはB2で対戦あり
B2最多かも 1983年度B1丸田65VS二上52
確信なしだが最多か >>430
つまり
一般棋戦の王座戦 → 獲得1、防衛失敗0
タイトル戦の王座戦 → 獲得0、防衛失敗1
とうことか >>434
A級よりB1のほうが若くなるのが不思議 >>417
一番手数が長い棋譜
開始日時:2016/11/25
棋戦:10回将棋オープン
戦型:相掛かり
先手:稲葉陽
後手:阿部隆
▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩 ▲7八金 △3二金 ▲3八銀 △9四歩
▲9六歩 △7二銀 ▲3六歩 △8六歩 ▲同 歩 △同 飛 ▲3七銀 △8四飛
▲8七歩 △8三銀 ▲3五歩 △3四歩 ▲同 歩 △同 飛 ▲4六銀 △7二金
▲5六歩 △7四銀 ▲5五歩 △4二銀 ▲6八銀 △8五銀 ▲5七銀上 △8四飛
▲6六銀 △8二飛 ▲7九角 △8六歩 ▲同 歩 △同 銀 ▲8八歩 △8七歩
▲5七角 △8八歩成 ▲同 金 △7四歩 ▲6五銀 △7三金 ▲2四歩 △同 歩
▲同 飛 △2三歩 ▲3四飛 △3三歩 ▲3八飛 △7五歩 ▲7六歩 △6四歩
▲5六銀 △8七歩 ▲9七金 △同銀不成 ▲同 桂 △8六飛 ▲7七銀 △8二飛
▲7五歩 △1四歩 ▲8六歩 △1三角 ▲1六歩 △9五歩 ▲1五歩 △8八歩成
▲同 飛 △1五歩 ▲8五桂 △6三金 ▲1四歩 △2四角 ▲2五歩 △7六歩
▲6六銀 △4六角 ▲同 歩 △9六歩 ▲2八飛 △8四歩 ▲2四歩 △同 歩
▲2二歩 △同 金 ▲2三歩 △3二金 ▲2四飛 △3四歩 ▲3七桂 △8五歩
▲4五桂 △4四桂 ▲4七銀 △3三銀 ▲2九飛 △3七金 ▲3八銀 △2八銀
▲3七銀 △2九銀成 ▲5四歩 △同 金 ▲7一角 △5二飛 ▲3三桂成 △同 桂
▲6三銀 △9二飛 ▲5五歩 △8九飛 ▲7九金 △9九飛成 ▲5四歩 △5六香
▲5二金
まで121手で先手の勝ち >>434
ということはB1に60歳以上の棋士が複数いたことは無いのか。
それは別の意味で面白いな B1に60歳以上複数いたのは2期ある
36期 塚田63 花村60
38期 花村62 丸田60 >>437
どうやって調べたのか分からないけどすごいね
後で棋譜並べてみます >>442
塚田正夫最後の順位戦対局が1977年12月13日の花村戦
63歳と60歳によるB1最高齢対局になった 豊島のタイトル5期で同一タイトルなしは殆ど再現不可だろう
防衛してもだめだし再奪取してもだめ
むしろ勢いで一気呵成にタイトル0期から1年で5連続奪取するくらいしかなさそう >>370
何の棋戦か不明だが下位者先手とかいう棋戦はあったそうで
羽生世代が若手で下位扱いだった頃、異常に先手勝率が高かったと武者野が書いてたな >>417
中原-谷川の日本シリーズで双方居玉があった
あとは30年以上前の順位戦C2でも居玉で終局して夕刊の特選譜にも掲載されてた >>445
オールスター勝ち抜き戦
その趣旨からも仕方がないか >>425
モテが名人の時の1999年、フリクラ四段の伊奈に敗戦 >>41
C1は、ひふみん16VS北村昌21
B2は、ひふみん17VS北村昌22
B1は、ひふみん18VS熊谷27(タニ―19VS前田27より若い)
Aは、ひふみん19VS二上27
結局、皆ひふみんか? 若い強豪棋士が一遍にデビューした頃を探してみたらどうだろう?
55年組や羽生世代のデビュー直後は…
1986年にC2で阿部隆19VS羽生16があるね >>453
しかしそれくらいしかないね。
あとはひふみん絡みになるかも。
55年組は意外に絡まない。昇級時期がバラバラなのが原因かも ひふみんがC2からB2まで上がっていくころ、まだ総当たりでもあったし デビューした棋士の年齢が全て一緒だった年ってある? というか、デビューした棋士の年齢の合計値の最大年、最小年記録が気になる。
同じく引退棋士の年齢の合計値についても。
こちらの最小はゼロ(引退棋士がいない)あるかな? >>456
三段リーグのないころ、1977年の青木清は年度で一人
旧三段リーグでは年度に二人も多い
とりあえず、1967年石田和、勝浦 デビュー最年長とかでは、編入を除外するべきなのか?
B2以下が総当たりの時代には、引退者なしの年はある
例えば、降級点導入の1962年度
引退棋士に、夭折の棋士を含むのか? >>458
三段リーグからに限定したほうがよさそうだね。
>>459
編入はあっていい。
夭折は除くべきだろうね 大山や塚田正夫など、60歳代での現役逝去は、引退といっしょなのかどうか
達のように40歳代前半は?
何歳からが夭折でない? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています