【永井】近代将棋の思い出【圓山】
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詰将棋コーナーには鑑賞室と研究室があった のちの昼の詰将棋と夜の詰将棋
毎月鑑賞室と研究室の全題正解者は名前が載った 研究室を毎月全問解けたらプロ級w 詰将棋入選100回で無鑑査とか
ベテラン甘やかしすぎ ___
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‖ ‖ ◎ ◎ ◎ 週刊誌風の作りにして見映えは良くなったが
中身は昭和のまんまだった 永井さん、ご存命だったら何歳かな
今の時代の将棋について感想を聞きたいな 95歳
中継が増えたが、対局者について知りもせず敬意もない、若いだけの女は嫌だろうな 大内と一緒に縁側で撮った奥さんがパンチラしそうになってたな >>34
森安が亡くなった時
清水トムがダルマが倒れるイラスト描いて
「今回は漫画になりませんでした」って書いてたけど
シャレにならんからネタにするなよって思ったわ 昭和44年度頃の近代将棋で桐山清澄先生のメガネの広告
その頃もトンボメガネをかけていた >>33
NHKのアナだと信じるぐらい上品だったわ
米長に「あなたも強いんだから解説お願いします」みたいに言われても決してでしゃばらなかった >>73
自分も、ずっとNHKのアナウンサーだと思っていたよ。
番組では、初歩的な質問をしてくれていたけど、実際は大学将棋部時代からのアマ強豪だった。 大学からっていうのも語弊があるな
元奨励会員だからね 元奨励会だったんだ、知らなかった。WEBの記事だと、昭和21年入会となってるね、大学在籍中か卒業直後に入会?
1946(昭和21)年に奨励会へ入会。しばらくのち退会。
本人の言によれば、当時の奨励会は入会する子供が少なく(師匠について修行する徒弟制度の慣習が残っていた)、あまり強くなくても入会できたとのこと。 奨励会退会後、学生時代に青棋会を主宰して
奨励会との対抗戦やら研究会などをされてた いい湯だな♪
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|________| 団鬼六さんの原稿が頭抜けて面白かった。
棋聖戦の最中に酔っぱらってた屋敷とか、自宅にプロ呼んでわいわいやった話とか 知人のヤクザが足洗うからチャカ買い取って欲しいと言って買い取ったまではいいが
警察に通報して先崎似の警官が来た時に
ヤクザの名前はどうしても伏せたいと言ったら逮捕されそうになった話とか 自宅に屋敷と山田久美を呼んで将棋の日イベントを見てたら
森安が自宅で殺されてるのが見つかると字幕が流れ
その後長男を保護したとのニュースにも良かったねとは言えず一同呆然とした話とか 鬼六が将棋ジャーナル買い取った時に
編集部で「K社の兵力は3万、ウチは5000!」などと気勢を上げてたから
当時の近将の発行部数は3万なのか
ちなみにジャーナルの発行5000部はあくまでも広告取る為の公称で実売は3000部、
さらに「こんなの返本確実だから書店に出せない」と
取次店で半分が廃棄され書店に並ぶのが1500部
さらにそこから売れるのが…という訳でジャーナルはほどなく廃刊
近将も末期は似たようなもんだろう >>85
君らあ歳なんぼやねんw
70は超えてるやろ 近代将棋でも棋書を出版してた
内藤国雄の妙手探し ポケット詰将棋 とか
この間ヤフオク見たらポケット詰将棋が出品されていた 定価200円が何と24000円入札!
ノスタルジーなんやね 面白い詰将棋を森さんが集めたもので 2000円なら欲しかったなあ ちなみに森さんは編集長森敏宏氏 詰将棋作家でもある 2,3年前の将棋世界に投稿していた 将棋世界も19手以上の中長編掲載があればいいのにね 55の龍の続編が掲載されていましたね。
永井英明さんからは、部誌に寄稿してくださったことがあったなぁ。
懐かしい。 駒形竜はプロになれない展開だったね。
棒銀君がプロ、女が女流にはなってったかな。
あと絵柄が違う美人が出ていたような。アシスタント画かな。 >>96
そうそう。棒銀八段に高美濃六段。
駒形竜は、駒師になっていて、最後は、虎斑桂と結ばれた。 仮に今残ってたらどんな作りになってるんだろう
週刊誌風スタイルだと読みやすい半面、場所を取るし 小池重明の漫画が連載されていた。コミック化はされていないと思う。 こんな感じか 普通のおっさんやん
小池重明の貴重な動画シーン
https://youtu.be/SweCftiYcjM ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています