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将棋を趣味にしており、アメリカ留学時代、留学生・小熊信一郎と互いに意地を張った結果26時間連続で将棋を指した[381]。100番予定だったが双方疲労の末、75番で切り上げた[382]。
連合艦隊司令長官になっても将棋をやめることはなく、浴衣に着替えると渡辺安次、藤井茂と日課のように将棋を指し、藤井には苦戦した[383]。普段無口な山本だが、将棋を指す時には冗談を交えつつ参謀をからかっている[384]。
真珠湾攻撃の前日にも渡辺と指し[385]、ミッドウェー海戦でも空母「赤城」、「加賀」、「蒼龍」の被弾炎上という急報を「大和」作戦室で渡辺と将棋を指している時に受け取った[254]。

ミッドウェー作戦前の山本の「大和」航海中における生活は以下のようなものだった[注釈 7]。まず午前6時ごろ艦橋に姿を現すと、無言で長官専用椅子に座る[243]。
当時の艦長・高柳儀八大佐、参謀長・宇垣纏と言葉をかわすこともなく、広い艦橋は沈黙に包まれたという[243]。朝食後の作戦会議では、幕僚全員が発言するよう促した[244]。
朝夕30分の入浴習慣は、平時、戦時、停泊中、航海中とも変わることがなかった[245]。午後8時になると艦橋作戦室で参謀・渡辺安次と将棋に興じ、4時間以上指すこともあった[246]。
このため午後8時以降の先任参謀は宇垣や黒島ではなく、渡辺と思われるほどであった[246]。