反則をもみ消し! 将棋界の歴史上、最悪の待った事件
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「大五郎! 君はそんなことまでして勝ちたいのか」
―――某棋士
河口俊彦『一局の将棋 一回の人生』(新潮社、1990年)より その怪事件は一九七二年二月十八日に起こった。
B級1組順位戦「H八段 vs 佐藤大五郎七段」の一戦。
H八段が7五にある自分(先手)の歩で、
7四にある相手(後手)の歩を取るという手なのだが、
7四の歩を駒台に載せてから自分の歩を空打ちして、
7四ではなく7五地点に置いてしまったのである。
現代の常識では手が離れた瞬間に「不可能着手」による反則負けだ。
「おかしいよ、これは反則じゃないの」という佐藤の指摘に、H八段も自分の失敗に気付き、感想戦が始まった。
ところがそこへ別の棋士(S八段)が飛び込んできてHの耳元で何事かをささやく。
すると空気が一変、Hも反則などしていないと前言を撤回してしまう。
さらに別の長老棋士も加わっててんやわんやの大騒動となり、ついには、
「大五郎! 君はそんなことまでして勝ちたいのか」
こんな暴言まで飛び出す始末。 誰も佐藤大五郎の側に付かない。
それには理由があった。
当時の佐藤は結構活躍しており、羽振りも良かった。
その豪奢ぶりを見せびらかして悦に入るということもあったらしく、
一部の棋士からは毛嫌いされていたのである。
このとき隣の対局の記録を取っていたのが桐谷広人だったが、
理不尽な佐藤攻撃の一部始終を見ていたものの口は挟めない。
桐谷自身も佐藤の普段の行動を快く思っていなかったから余計に口出しできなかった。
(後に「あれは酷かった」と感想を漏らしたそうだが……)
結局H八段の反則は無かったということにさせられ、
先手の▲7四歩を正式着手として将棋は指し継がれる。
こうなると道理も何もあったものではない。
彼は結局、「反則をでっち上げた不届き者」にされてしまったのである。
B1を五戦全勝で突っ走っていた矢先の出来事だった。 しかし大五郎は偉かった。
こんな屈辱を受ければもう精神的にメロメロになり、
普通だったら将棋を指せる状態ではない。
けれども、理不尽な仕打ちにもめげずこの対局に勝ち、
結局、B1順位戦での負けは最終戦の一敗のみ。首位でA級入りを決めたのである。
河口俊彦がこの出来事を書いたのは事件から十五年以上経ってからで、
記事のタイトルは「いじめの構図」。
将棋界では周囲から嫌われるとどんな目に遭うか分からないという例証として取り上げたわけだが、
一方で、佐藤大五郎の名誉のために事実を記録しておくという意味も込められていた。
ただ、当事者については配慮して名を伏せており、アルファベット表記に留めている。
けれど、知りたいではないか。
いったい、「H八段」とは誰なのか?
私は調べてみたのである。
ああ、調べるんじゃなかった。
「H八段」とは私の大好きな棋士・花村元司だったとは!
もっとも、花村は最初は反則を認めており、
周囲にそそのかされて猿芝居に加わったわけで、それはそれで軽率だが、
極悪なのは彼をそそのかしたS八段であり、後から入ってきた長老棋士ということになる。
いったい、「大五郎! 君はそんなことまでして勝ちたいのか」と怒鳴りつけた輩は誰なのか。
これはさすがに調べが付かない。
冥土の河口俊彦に訊いてみたいものだ。 昔の本にはモロに名前出てただろ
鶴の一声で全てをひっくり返せる大物と
B1 の主的存在で大物氏にすぐご注進に向かう中堅
H もS に言われただけなら負けを認めたはずだが
その背後にある大物の名を出されたので
アンチ大五郎側に回っただけ そんな将棋連盟の雰囲気を変えたのは、羽生さんの功績か? ああ、(他の史料に比べると)1つ抜けてる描写があるね
これはS がそそのかしたというのではなく
S は大変なことになった(H が勝ってくれるだろうという空気が元々あった)と
反則を認めると同時に速、大物の元に駆けつけて報告して
そこで密命を受けてH への耳打ちとつながっていく
ので、S の独断専行ではなく(報告に行ったのはS の判断だけど)
大物の指示によるものであったということで
S 本人はこの件で人望を落としたということはなかった 長老体制に最初に反旗を翻したのは内藤・米長・大内で
中原も同じグループではあったが連盟内の政治には関わらないというか
自分の意見を言わないのが基本スタイルだった
棋士は物分かりが良いが、棋士会はそうではない
一人一人に話すと判ってもらえるのだが
あらゆる改革案はつぶされるというので不満がくすぶっていた
その後、中原が名人となり、他もそれなりの実績を積んで発言力がついてきたとこで
徐々に、改革を進めていって「将棋指し」から「職業棋士」の世界になっていったという そして今ではソフト不正騒動で世間に恥を晒し評価値放送で見世物にされる将棋芸人となったのであったチャンチャン 昔は映像はなく棋譜を売るだけの商売だったので
商品である棋譜を汚してはならないという思惑から
待った・時間切れ・二歩などの反則は寛大に見逃すという暗黙の了解があった
アマチュアよりもプロが待ったをしていたのだ
待ったの常連加藤一二三は映像に証拠を残してしまい初めて
処分を受けることになった
近年では映像中継が集中する藤井颯太の待ったが話題になったが
中継のない対局ではお互い多少のことは許すという風潮があるのは想像に難くない あと、対局再開後にはH は普段なら勝負手連発していくタイプなのに
らしくもなくガード固めたままズルズルと下がる負け方をしたのは
自分はあそこで負けで終わりたかったという意思表示なのではと
当時、一部で話題になったものだ >>9
羽生ヲタの無知にいや谷川、と訂正されるまでが様式美 こいつ10手で投了したり順位戦で八百長やったり、とんでもないクズだったな
葬式に棋界関係者が来なかったのも納得 ネット中継対局で待ったしたら
世間に広く知られてしまう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています