今の時代なら炎上しそうな棋士の発言
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米長伝説
1(中)道後温泉のホテルで将棋連盟の社員を前にして「よし!明日は頑張ろうじゃないか」と下半身露出
2(二)順位戦で谷川浩司に負けて「悔しい!」と叫びながら将棋会館4階から放尿を試みるも未遂に終わる
3(一)鳥取砂丘で「男四十、鳥取砂丘に立つ」と全裸に。その勇姿は写真週刊誌に掲載
4(三)46歳。王将戦フルセットの激闘を制しタイトルホルダー復帰。打ち上げで歓喜の裸踊り
5(右)記念すべき第一期竜王戦、島朗にストレート負けを喫して金沢ニューグランドホテルの廊下を全裸疾走
6(捕)弟弟子の沼春雄と八ヶ岳に登頂。天狗岳山頂で「ああいいねえ」と言いながら自らの天狗を開チン
7(左)加藤一二三との十段戦。トイレで一緒になった観戦記者の山田史生に「ここだけは加藤さんには負けないんですね」と逸物を見せつける
8(遊)永世棋聖を決めた棋聖戦。打ち上げの席でお酌のために近づいてきた芸者に「これが本当の金一封なんですね」と晒す
9(投)上記ほとんどのエピソードを「将棋世界・米長邦雄追悼号」に書かれる痛恨のミス 追悼号で過去の悪事を複数の棋士から暴露されたのは米長だけだろうな もっとやばいことをやってるけど、それを暴露するわけにはいかないから、チンネタで誤魔化した 先崎学五段(当時)の文章
今月号の米長自戦記。たぶん題名は『温故知新』となっていると思うが、この題に落ち着くまでには紆余曲折があった。とてもじゃないがさしさわりがあってその全部を書くわけにはいかないが、ちょっとだけさわると、最初に米長先生がつけてきた題は温故知新ではなく◯◯◯知新だったそうな。この抱腹絶倒の3文字に将世編集部は議論百出、大いにモメにモメた末にこの題に落ち着いたとのこと。◯◯◯は書いてもいいんだが、マ、書く必要もないのでここでは省略。 これ、清水さんの棋譜に学んだからって理由だったんだよな
今なら大炎上どころじゃないよ >>54
最後ワラタw
個人的には桐谷の婚約者を寝取った、と週刊誌で桐谷自身に暴露されたのが印象深い 瀬戸内寂聴との対談で出家してからセックスしましたか?って直球で聞いていたな >>59
これ、省略して「マ」だけ書いたというレトリックなのか… 本来ならば、これは将棋世界誌上であるからして、このようなことは書いてならないのかもしれぬ。しかし、勝負師の本当の姿を伝えておく必要がある。
あえてここに告白したい。
そのうちの一人は32歳、極めつけの不感症であった。
不感症というのは、肉体的に欠陥があるのではなく、精神的な障害から肉体がそのようになってしまうケースが多い。
これを解きほぐし開放させるのは並大抵のことではない。レイモン・ラディゲいわく「好色とは、行為ではなく、その精神である」”ドルジェル伯爵の舞踏会”より。
気持ちを解きほぐすのに約2時間、肉体をもみほぐすのに2時間37分。最後に私は大きな悲鳴を数回聞いた。本誌は将棋雑誌であるからしてこれ以上は書くことができない。
別れ際、その女性に「ありがとうございました」と言われたその一言は、生涯耳元から消え去ることはあるまい。
不感症の女性に打ち克ったのだから、花粉症の男にも勝てる筈だ。
急に人生が明るくなったような気がした。
そして第4局には、私にとっての名局が生まれたのである。 >>64
出家した後、セックスはされていますか、だったっけ >>66
これ自体はセクハラでもなんでもないから炎上はしないかも
花粉症と不感症で韻を踏みたかっただけだろうけど >>44
アマ時代の林葉にボコボコにやられたので嫌がらせでタバコの
煙吹きかけたってのを大崎善生が本人が書いてたような
昔の新宿道場は特に酷かったらしい 将棋世界1992年4月号、写真家の中野英伴さんの「棋士とその風景 第4回 米長邦雄九段」より。
米長邦雄九段、キの人である。人は誰しもが皆それを言う。字源に拠るとキは、草木の芽が地表にわずかに現出した形を説く。米長少年のその時その芽は、姿正しき甲斐の山山を越えた朝日に、煌やかに眩しく輝いた。キは天からの賜りものである。キは磨くもの、育てるもの、慈しむもの。将棋の道は自ずから成すものと言う。そして頂点に至る人は、早期に脳幹が現れ、錚錚の響きを奏でる。
* * * * *
将棋世界1992年5月号、米長邦雄九段の連載自戦記〔第33期王位リーグ 対 中田宏樹五段〕「危険な安全運転」より。
先月号の本誌を見ていると、歌舞伎役者のような男の対局写真が目に入った。
よくよく見てみると自分ではないか。
中野英伴さんが撮られたもので、成程いい顔だなあとカメラマンの腕につくづく感心させられた。
写真の下にはやはり中野さんによる文章がある。これもまた名文で、いろいろ書いてくださっているのだが、気になった所があった。
冒頭に”米長邦雄九段、キの人である”とある。
おそらくこれは何かの間違いだろうと思っておったのだが、発刊後まもなく中野英伴さんより丁重なるお手紙を頂いた。
”私はキの人ではなく才の人と書いたのです。それでなければ文章そのものがおかしなものになってしまう。とても残念な誤植です”
という風な趣旨のことが書かれていた。
中野さんの人柄がしのばれる。
困ったのは編集部だ。あやまりもしないし、またそれに気が付いてもおらん。
4ヵ所にわたり”キ”という字が出て来るのだからわかりそうなものではないか。もしかしたら編集部では”キ印の人”という風に受け取ったのかもしれない。
* * * * *
将棋世界1992年5月号、大崎善生編集長(当時)の編集後記より。
4月号”棋士とその風景”文中の”キの人”は”才の人”の誤植でした。関係者及び読者にお詫び申し上げます。 (弟子の中村太地について)「自分のタイトル19期を抜けるかは難しいが千人切りは間違いなく抜ける」 >>48
女流弟子に手を出すなんざ今じゃ干されるぞ
今もし豊島が岩佐に手を出したら炎上じゃ済まない エロとパワハラの将棋を知的ゲームのイメージまで上げたタニーと羽生は凄いな 連盟女性職員に会長特権でセクハラするくらいだしな(注意した弟子の理事は解任)
それくらいしないと無理だろう それでも将棋の勝負そのものは汚さなかったからな
文春渡辺、マスク永瀬とは違う >>22
そういうのやるのは※長に決まっとる。
え? 音声流れるの?
これで※長の声が流れてTV局の誤報が完全に決定!
と思っていたら中原先生の声が流れてびっくりしました >>77
中学生とワイセツ行為とか今じゃ逮捕案件
昭和ってなんとも有り許される時代だったの? >>72
キの人
…合ってるじゃねーかwww
「キの人」には「恕」(寛大な心)で対処するしかない
みたいな事を書いたら
「恕」を「怒」と更なる誤植で正反対の意味になってしまった 林葉が将棋マガジンの
私の愛する棋士たちという連載で色々エピソードを書いてたが
中原の回で「ウチの直子が…」と娘の話をした時に
その直子が自分だったら…と妄想するような事を書いてたし、
山田久美の回では林葉が飲んだ缶ジュースを飲もうとした山田に
もし私がエイズだとしたら?と聞くが
直子ちゃんにうつされるなら構わないと
平気で缶ジュースを飲んだと書いてた
中原の林葉へのエイズ発言はこれが下地と思われる 林葉「不倫には深く入り込まず、さっさと別れるべきです。私は、不倫で将棋界からいなくなっちゃった。バカなことをしました。
あれから結婚もせず、交際相手もいませんが、中原先生との子どもを産んでいたら、名人ぐらいにはなっていたかな。
もしかしたら、藤井聡太くんにも勝てたかも」 たかが浮気だので未だに騒いでるのは
そーゆーのに縁のない陰キャばっかの将棋オタならでわだわな よく女や、もてない男の陰キャは浮気を叩くんだけど
男は浮気をするけど、女の方は浮気でも構わないみたいのも多いよ
彼女がいても構わないとか
むしろ彼女や嫁がいるほうが必死になるようなかんじのも >>86
昭和の時代は高校生が校舎の廊下を原付で走ったり生徒が集団で先生を殴ったりしてた 鈴木輝彦の随筆で
棋士仲間と「将棋が強くて女にモテないのと将棋が弱くて女にモテるのはどっちがいいか」との話題になり
行方が「●●×××か●●●●ですね?」と返した話
前者はおそらく村山さとしだったのではないか?と想像がついてアレだなアレ 後ろは誰なんだ。米長邦雄とか島朗とかは(少なくとも最盛期は)両方だろうなぁ。 棋士じゃないが鬼六エッセイで
秋葉原ラジオ会館の七條兼三会長が
湯川恵子もあの旦那の稼ぎじゃ大変だろうから俺の二号にすると言ってたとか書いてたな
旦那の湯川博士がこれ見ても怒らんだろうけど オマンコを見るような真剣な目で将棋盤を見なさい、は本当に名台詞 >>43
藤沢秀行の腐ったオマンコ事件か。
それなりに有名な事件だが、ここまで出てきていないのは不思議だな。
囲碁だからスレチだとみんな判断しているのかな。 大山なんて、コンプライアンス厳しい現代だと盤外戦やる度に叩かれて、八段はおろか七段止まりだったやろうな。 就位式で「来年はヤツが来る」って。
去年ナベが言ったら面白かったけどね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています