【残念】永世称号が惜しくも獲得できなかった事例
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永瀬拓矢 王座戦 連続4期獲得 (連続5期または通算10期で名誉王座)
谷川浩司 棋聖戦 通算4期獲得 (通算5期で永世棋聖)
谷川浩司 王位戦 連続3期、通算6期獲得 (連続5期または通算10期で永世王位)
米長邦雄 棋王戦 連続4期、通算5期獲得 (連続5期で永世棋王)
二上達也 棋聖戦 通算4期獲得 (通算5期で永世棋聖)
升田幸三 九段戦 連続2期獲得 (連続3期で永世九段) 永世称号を獲得した棋士は、次のとおりです。
永世棋聖:大山康晴、中原誠、米長邦雄、羽生善治、佐藤康光
永世棋王:中原誠、羽生善治、渡辺明
永世王将:羽生善治
羽生は、現行7棋戦の永世称号をすべて獲得した唯一の棋士です。 >>80
難しいけど、永世叡王があと4期だからこれが豊島と共に一番近いよ?(高見もだが。一般棋戦時代も考慮されそうだから山崎・天彦もか)
藤井さんはあくまでも彼の中でチェスクロが一番弱いし、永瀬はそうでもない。多少の可能性が残るのは一応これでしょ。無理だけど。
イトタクとかは今からチェスクロを徹底して練習した方が良いだろう。今は順位戦だってB1まではそうだから役立つし、藤井時代でタイトル取れるとすれば名人戦と並行する叡王、上手くすれば永世もナイカ 升田は九段で呼ぶのは流石にってなって実力制○代名人というのを生み出したよな 最近大山ジジイを見ないけど死んだんだろうな
永瀬の失冠や老害の死亡は素直に嬉しい 「永世王将」は無冠になった大山に「現役で」名乗ってもらうために
毎日新聞が1973年10月31日に制定・贈呈したもの
実は引退者用の称号ではない >>88
成る程。
だから他は無理でしょ、大山先生にしか出来ないとだろと思われた異常な難易度の永世なのかな?彼以外に名乗らせる必要がないから。
大山先生は異常な化け物だが、予想外に羽生さん(やおそらく藤井さん)という化け物が再度出てきたってことかな。 王将戦は賞金少ないのに色々とレベルが高すぎる
何十年もずっと残留してる羽生は異常 >>90
リーグから陥落してるよ。新人の誠也に負けたのが痛かった 永世名人以外の永世称号は
永世名人が永世名人を名乗るまでのつなぎみたいな役割で誕生したものもある
永世王将は15世大山のため
永世十段は16世中原のためのような称号だった いずれも通算10期
今は永世十段がなくなったので永世王将だけが高いハードルのようになっているが
1990年代に羽生の活躍で7つ全ての永世称号が出揃って
羽生以降は永世の数を多く集めるのが目的みたいになってしまったが
本来は永世名人を名乗るまでのつなぎの称号
米長が現役で永世棋聖名乗りだしたあたりから流れが少しおかしくなった印象がある
大山は永世王将→十五世名人名乗りで、永世棋聖や永世十段は名乗らず死亡している
永世王位は死後贈呈 永世○冠というものに拘りはなかった
それは実は今も根っこのところでは変わってなくて
羽生は十九世名人 藤井は二十世名人(予定)が最終形態ということになる 永世王将や永世十段は
いろんな人が名乗ることを想定して作られてはいない
だから通算10期と高いハードルで設定したと思われる
称号の趣旨としてはそれが正しいように思う
永世○冠とまとめられてろくに日の目を見ない称号というのもあるだろう
永世王位あたりは18期取った羽生が名乗ってしまうのも1つの手 名誉王座でもいいが
大棋士がその棋士専用の称号かのように使用してこそ称号も生きる
永世王将といえば未だ大山だし、永世十段といえば中原なんである
他に名乗る永世称号のない17世や18世はほんとにイレギュラーな存在 大雑把なまとめ
永世名人 木村義雄を意識して世襲永世名人に連結させて制定されている(1949年)
永世九段 名人への対抗段位として制定された(のちに段位としての九段と同質化)
永世棋聖 産経新聞社長が升田幸三に名乗ってほしくて制定されている(1960年代)
永世王将 毎日新聞が無冠となった大山に贈った(1973年)
永世十段 中原が十段6連覇9期となった時点で読売が制定した(1980年)
永世棋王 米長棋王4連覇時点で制定された(1980年代半ば)
永世竜王・永世王位・名誉王座 1990年代半ば羽生の活躍にあわせて制定された
永世叡王 藤井が叡王タイトルを数多く取ることを意識して制定された(2020年代) <これまでの永世称号など名乗りまとめ>
木村十四世名人 1952年、引退に伴いルールどおりに襲名
塚田(永世)九段 1954年、九段位3期をもって永世九段=棋界初の九段を名乗った(ルールどおり)
→1978年1月、死後の連盟葬の日付で名誉十段を名乗った
→1989年、升田実力制第四代名人誕生の翌年に実力制第二代名人を追贈された
大山永世王将 1973年、現役用の称号として制定されたものをルールどおり名乗った
大山十五世名人 1976年、抜群の実績を持って例外的に名乗った(53歳現役で)
→存命中、永世十段&永世棋聖は名乗らず 死後数年で新規定をもって永世王位を追贈された
升田実力制第四代名人 1988年、引退後70歳をもって名乗った
中原永世十段 1993年、名人失冠後1年経ち前名人の称号切れで例外的に名乗った(47歳現役で)
米長永世棋聖 1998年、非永世名人ながら原則を破り名乗った(55歳現役で)
中原名誉王座 2007年9月、60歳の誕生日にルールどおり名乗った
中原十六世名人 2007年11月将棋の日、、抜群の実績を持って例外的に名乗った(60歳現役で)
中原永世王位 2008年60歳で迎えた新年度初日に原則を破り現役で名乗った
中原永世棋聖 2008年60歳で迎えた新年度初日に原則を破り現役で名乗った
谷川十七世名人 2022年、中原60歳名乗りの先例とあとが詰まっていることを理由に原則を破り名乗った
スタンバイ中 森内十八世名人、羽生十九世名人など、佐藤康永世棋聖、渡辺永世竜王など
資格取得スタンバイ中 藤井竜王・名人(永世棋聖、永世王位などの資格取得に挑戦予定) こうして見ると、米長の自己顕示欲がわりとすごい
おれは大山中原同様に現役で永世称号を名乗れる器なんだ、という主張を感じる
自分で文書に永世棋聖 米長邦雄などと書き出して、周りに認めさせるという流れだったと思う
(周りの棋士達から勧められての名乗りではない)
さすがのキャラである
米長の永世棋聖資格取得は大山、中原に次いで三番目だが名乗ったのは一番早い
(大山が名乗らず 中原も60歳まで名乗らなかった=名乗る必要性がなかったため) 現在の永世名誉称号8つの中で名誉王座だけは
60歳になると現役棋士でも名乗ることができるというルールがある
これは囲碁のルールに引っ張られたものである
囲碁界では60歳になると名誉称号を名乗ることができるようになっている(引退を待つ必要はない)
60歳になる前に名乗るには10連覇(本因坊のみ9連覇)しなくてはならない
ルールがしっかり決められており、ルール破りは存在しない
「60歳になれば名乗れます、その前に名乗りたければ大型連覇して圧倒的強さを示してください」
この点が一貫してる
日経新聞は囲碁の名誉王座と連動させて将棋にも制定したため永世王座ではなく名誉王座となっている
この名誉王座の60歳名乗りルールで中原が名乗ったのをきっかけに
中原は60歳で十六世名人、永世王位永世棋聖も一気に名乗ることになったようだ 羽生が名誉王座の称号を持っているため、今後の永世誕生予定は
2030年9月27日(羽生60歳誕生日) 羽生名誉王座
2030年10月10日(森内60歳誕生日)以降 森内十八世名人
※十六世、十七世が60歳になってから名乗っているので十八世も60歳を待つ必要があるだろう
順当ならばこの順序か
自然の流れに従えば十九世は十八世が誕生したあとか、同時に誕生すると思われる
これは森内が現役を続けた場合であるから
森内が59歳までに引退すれば森内十八世名人はもっと早く誕生する
同時に永世名人2人誕生というのもアレだから、森内は配慮するかもしれない 名乗るタイミングが難しいのは佐藤康光九段だろう
永世棋聖をどのタイミングで名乗るか
1個年下に2人の永世名人がおり、この2人が九段のうちに、お先に永世称号を名乗るということが
できるかどうかということだ
60歳になったからといって永世棋聖を名乗っていいのか?
そういうルールは明文化されていないから悩ましいところだ
個人的にはお先してもいいとは思うのだが、康光の性格的に受けるかどうか おつ
米長永世棋聖就位 1998年5月
米長の順位戦A級陥落 1998年3月 →フリクラへ
フリクラ九段だと各棋戦で何の特権もないから永世称号が必要だったのでしょう
永世名乗れば当時はシードがつきます
むしろA級陥落=フリクラ転出が永世棋聖を名乗るための交換条件だったのかもです
「オレはフリクラに転出するから半分引退したようなもんだろう、永世棋聖を名乗らせろ」
政治力のある人だからこのような駆け引きだったかもです >>101
名乗ること自体にはなにもない
箔がつくだけ
>>96
俺の記憶では週刊文春の連載コラムで唐突に「永世棋聖 米長邦雄」を名乗り始めた
中原の永世十段襲名に対抗しての突っ張りだったように思うが
棋聖通算7期で現役(晩年とはいえ)襲名はいかにも見栄っ張りな米長らしい 誰もが書いてるけど本当の意味での永世称号は名人のみ
本来の意味からいくと十四世名人在位中は十五世名人襲名はない
したがって大山十五世名人襲名は木村義雄存命中であり若干のフライングではあったともいえる
しかし大山の実績と実力名人の制度を考えれば真っ当な襲名であった 中原十六世名人は大山の死後であり真っ当であるが
問題は谷川だな
5期ギリチョンの永世名人で現役襲名は問題だろう
襲名するなら潔く引退してはどうか
永世名人が下部Bクラスで指すとはね
指すなら指すでいいが永世名人の襲名は後送りすべきだろう
名人の名が泣くぞ 結局は大名人がなかなか出てこなかったからこういう問題になるんよな。
その点藤井は久々の大名人や。 引退しろってやつは頭おかしいのか
相撲の横綱のような実力を示す称号じゃないんだぞ
達成した称号だから力が落ちても名乗って当たり前 >>106
どっちかというと104は5期しか取ってないことに問題視してるんやろ
確かに5期で名人の永世称号は貰えるが、大山、突撃はそれ以上に沢山取っている。 >>105
谷川のギリチョン永世を擁護するなら、
・(当時の)史上最年少名人を獲得
・中原名人にリベンジして復位
・羽生のストレート永世を一歩手前で阻止し自らが十七世獲得
の3点なんだが、これだけあっても5期ギリチョンっていうのがね
せめてあと2つ3つ上乗せできていれば >>107
そうそう
せめて(というのもおかしいが)中原逝去後であれば理屈は立つが
十六世は存命中なのでね
5期ギリチョンなら無理に現役襲名するほどのものではないよと
君は大山や中原ほど時代を作ってなかろう、と 全てのタイトルの永世称号規定を「連続5期または通算10期」に統一すれば何も問題なかった 永世名人の通算5期が緩いよく言われるけど、それを難しいとするか易しいとするかは時の第一人者によるんじゃないの
藤井名人の時代に5期は易しいとは俺は思わないけどなあ 俺は名人通算5期が緩いとは思わないんだよ
A級に上がることさえ大変なことなんだから
現代制度ではプロ入り後の飛び級はないからね
名人を5期も取れるくらい強いなら10期もいくだろうと思っているだけ
ただ、規定はやはり連続5期かつ通算10期が妥当だろうなぁ
「または」ではなく「かつ」ね
木村義雄の連続5期は現制度に換算すれば10期相当なので問題なし
仮に10年早く名人戦が始まっていれば木村の通算獲得は大山と同等だったろう 俺は名人通算5期が緩いとは思わないんだよ
A級に上がることさえ大変なことなんだから
現代制度ではプロ入り後の飛び級はないからね
名人を5期も取れるくらい強いなら10期もいくだろうと思っているだけ
ただ、規定はやはり連続5期かつ通算10期が妥当だろうなぁ
「または」ではなく「かつ」ね
木村義雄の連続5期は現制度に換算すれば10期相当なので問題なし
仮に10年早く名人戦が始まっていれば木村の通算獲得は大山と同等だったろう 連投になってすんません
>>111
やはり十七世〜十九世の永世名人乱立に至った戦犯は羽生だろうな
羽生が真に大勝負に強い大名人であれば羽生十七世、名人獲得は大山に並ぶか超えたろう
それがmax3連覇で通算9期では大山どころか中原木村の足元にも達しない 羽生十七世名人
米長から名人奪取して谷川、佐藤、丸山、森内らを相手に10連覇
森内に1期取られるも即復位
そこからさらに10連覇
渡辺に1期取られるも即復位
天彦、豊島らを退けて、最強挑戦者藤井に敗れる
「よき後継者を得ました」と退位
名人通算24期(適当だけど)
史上最強というならこのくらいやってほしかったね 引退しろってのはおかしいという意見もあるけど
本来引退後の称号なのだから、引退前に名乗るほうがおかしいんだけどね
まして名人5期ギリギリで資格条件クリアした棋士に 例外 を適応したら
もう原則が完全に崩れてしまうからねえ
そこを食い止めるのが谷川の役割だったと思うが
かっこつけてても結局毎回自分の得になることしかしてないからね、彼
名乗るなら大山のように生涯A級で名人挑戦に絡むこともなければ
中原のようにAに戻れないと判断してB1を2年戦い順位戦引退フリクラ転出もなし
B2で微妙な成績で指し続け生活がかかってますから、通算勝ち星で大山を追い抜きたいから
全て私欲なのが気になる
続けたいなら九段のまま続けるべきでしょ 仮に谷川がこのまま現役続けて大山の勝ち星を超えたところで
誰も「谷川は大山を超えた」なんて思うわけないのにね・・・ 藤井が1500勝できるのかどうか気になるけど、逆に厳しいのかも知れないと思える。
タイトルを維持する期間によるが、稼げる星が稼げないのもタイトル保持者のジレンマになるから 昔ほど棋戦がないんだし、藤井の勝ち星は積みあがらないよ
8冠をキープして28勝
早指しを2つ取って、だいたい年間40〜45勝デフォくらいだろう
タイトル維持期間によるがあと20年経って1000勝に届くかどうか
覇者にとって勝ち星の多寡は問題じゃないんだよ
肝腎の勝負に勝てるかどうかだから 羽生会長は会長辞めたら永世七冠掲げてもいいと思うけどな >>116
実質この人のせいで前名人や前竜王が無くなった。羽生さんにも責任あるけど。
自分らは名乗った事あるのに。
この人らがそうしなかったら前名人をナベは一年名乗れた。タイトルホルダーに準じる肩書きなので、得られるシードがある筈だから、少しは挑戦出来る確率は増すかもしれない。挑戦力低い彼には必要だったのに。 https://i.imgur.com/niCiOLS.jpg
家族等などに教えて、プラス\4000×人数をGET可能!
tk..tk [あぼーん用] >>51
永瀬の4連覇の当たりはやっぱり緩め
豊島ぐらいしか強敵がいない
藤井はおろかナベすら無しとはこれで永世は言う通り虫が良すぎ
事実藤井が来たらきっちり奪われて阻止されてるわけだし 大山十五世 名人在位18年
中原十六世 名人在位16年
木村十四世 名人在位13年
羽生十九世 名人在位9年
森内十八世 名人在位8年
谷川十七世 名人在位5年 谷川が大山の1433勝を抜いたらしばらくは抜く人間は現れない記録だから更新する価値はある ないない
歴代1位の記録のままならともかく
「対局数多い時代の棋士だから抜けただけだな」と羽生の最多勝もろとも価値が落ちるだけ
なんたって通算勝ち星上位2人羽生谷川2人の名人位あわせても14期
大山18期どころか中原15期にも及ばない
棋戦対局数が多い時代だから数字伸ばせただけのどーでもいい記録 1500勝で特別将棋栄誉敢闘賞が新設されたからどうでもいい記録ではないと思う
谷川が取れば2人目の快挙になる 木村十四世(名人13年) 名人陥落で引退、十四世を名乗る
大山十五世(名人18年) 69歳死ぬまでA級
中原十六世(名人16年) A級陥落後にB1で2期指してフリクラ転出
米長永世棋聖 A級陥落でフリクラ転出
谷川十七世(名人5年) ギリギリ永世が現役襲名してB2で指し続ける ←こいつwww
森内十八世(名人8年) A級陥落でフリクラ転出
羽生十九世(名人9年) B1で2年目A級復帰に向けて奮闘中
佐藤康永世棋聖 B1で1年目
木村「何かな、あの谷川とかいう奴は」
大山「すみません、わたしの指導不足で しかし面の皮の厚い人だ」
米長「オレが生きてればガツンと言ってやるのに」
中原「驚いたね、後輩の森内くんも暗に重圧をかけたのにね」
森内「あ、フリクラ転出した私がバカみたいじゃないですか」
(羽生康光「どないしよ…谷川の真似したほうがそりゃ得だけど…」) 将棋マガジン1992年10月号、「将棋おもしろ雑学事典」より。
2.大山の1433勝を追う加藤
大山康晴十五世名人 1433
加藤一二三九段 1076
中原誠名人 1017
米長邦雄九段 935
有吉道夫九段 893
内藤國雄九段 874
二上達也九段 856
(1992年7月1日現在、1953年度以前は順位戦のみ)
通算勝星記録もやっぱり断トツだった大山十五世名人。それも大山の20~40代は現在より棋戦の数がぐっと少なかったのだから改めて恐れ入る次第だ。大山を追うのは加藤と中原だが、350勝以上も離れた大記録を破るのは難しい。 (中略)
さて現在305勝の羽生善治棋王が大山の記録を破るには年平均40勝ペースで、29年かかる。その時羽生は50歳だから、かなり現実味があるとみられる。 対局数が多い時代にしか達成できない後付の賞なのでどうでもいい 対局数が多い時代でも超えたのが1人、超えそうなのが1人だけという事実は重い
康光クラスでも届かない記録なんだから 通算勝ち星を稼ぐのは1960年代生まれ〜1970年代前半生まれの棋士が一番有利だからね
自分たちが若く元気な20代頃に棋戦数が多くてどこまでも対局数稼げるような勝ち抜き戦もあった
だから彼らは実力以上に通算勝ち星が多い
1940年代生まれまでと1980年代生まれ以降はそこまで勝ち星を稼げない オールスター勝ち抜き戦
1978年〜2003年
1962年生まれの谷川は16歳〜41歳(全盛期もろ被り)
タイトル戦開催
1983年〜1994年 棋聖年2で7タイトルの年間8タイトル戦
1962年生まれの谷川は21歳〜32歳(元気な時期もろ被り)
まあ
カラクリはこういうこと 他にはテレ東の早指し選手権とか、共同通信の天王戦とか、棋戦がとにかく多かった
さらに言うと谷川は名人は5期どまりで順位戦の参加も多かった
(名人のままだと名人戦で4勝が最多 順位戦A級だと強豪は毎年6〜8勝程度が狙える)
谷川や羽生は微妙な強さゆえに勝ち星が多い
棋戦が多い時代に生きることと、番勝負と挑戦争いリーグトーナメントを往復するのが一番勝ち星稼ぎやすい テレ東早指し戦は大山優勝4回、天王戦の前身日本将棋連盟杯争奪戦も大山4回優勝
今はない棋戦の恩恵を受けていたのは大山も同じ
そもそも谷川はテレ東早指しで優勝なしだし それは谷川が弱いせいだろ笑
高齢の大山が4回優勝で谷川0回で偉そうにするなよ笑 >>137
大山谷川両者の参加棋戦の数の違いを確認してからほざいてね 早指し選手権 1972〜2002年
大山 49歳以降
谷川 (10歳〜)プロ入り〜40歳
谷川が有利 名人と竜王は5期連続か10期でいいわ
竜王7期とか完全にブーハー忖度だろ 棋戦が多くてもそもそも論で勝てなければ記録更新は難しい
加藤一二三のように77歳まで現役を続けても1400勝は届かなかったわけで 谷川はプロ入り時に年8タイトル戦開催
加藤はプロ入り時に年3タイトル戦開催
全然違いますよ 高齢になってから棋戦が多くても勝ちを稼げない
弱くなっているから
若くて対局のある時期に棋戦が多い時代の棋士が、通算勝ち星を伸ばす点で最も恵まれている
該当するのが谷川から羽生世代の棋士たち >>143
加藤一二三
1954年12-2
1955年30-9
1956年24-11
1957年33-12
谷川浩司
1977年22-13
1978年29-12
1979年40-11
1980年32-18
デビュー数年の勝数はそこまで離れてない だから谷川が弱いからでしょ
負け数が違うじゃん
それだけ谷川のほうが棋戦の数が多い
ようは加藤のほうが優れているということ >>146
60歳までを比べても勝率、勝数共に谷川>一二三だよ 1棋戦多いだけで年平均2勝とか稼げる勝ち星の数が違ってくる
それが25年続けば50勝差にもなる
頭悪いと理解できんのかな?
同レベル同士の棋士だと3棋戦多いだけで100勝とか軽く違ってくるってこと
羽生世代なんて自分らが50歳越えたあたりで50歳以上限定の達人戦とかまで公式戦にしちゃって
また勝ち星稼げちゃう >>147
若いときに棋戦多い→若いときに勝ち星をいっぱい稼げる→通算勝率も上がる
簡単なカラクリ >>148
1棋戦で勝ち進めば増えるけど、初戦敗退もあるし、1つの棋戦で年平均2勝は少々無理がある仮説だね >>145
その後は差がつくことを分かっていて意図的に隠しているな
おまえ
ごまかしはよくないぞ >>149
一二三の年間成績を見てくればわかるけど、指し盛りの20代や30代でも年間負け越しが何回かある
谷川は44歳まで負け越しなし
機会が多い少ないは関係ないのよ >>152
確実に関係ある
ようは来年度20棋戦になれば藤井の勝ち星は劇的に増える
同一人物で考えればすぐに分かることだ 大山中原あたりは谷川より明確に上
米長升田あたりは谷川と同等かそれ以上
それなのに谷川の通算勝ち星が上に抜けていることが棋戦が多かった恩恵を受けた何よりの証拠である 「機会が多い少ないは関係ない」
えっ?笑
年に1局だけ、10局、20局、50局 一番対局数稼げるのは?
年に10タイトル戦あれば藤井くんは10タイトル稼げる可能性あるけど8タイトルだと8が限界 文系だよな、これ。。。
理系でこの発言はないわな、うん >>156
それを言い出すとタラレバのオンパレードになるだけで意味がないよ
ニコニコでやった天彦糸谷百番指しを公式成績に入れれば勝数対局数で2人が抜け出すけど、それをやってもねって話 「百番指しを公式成績に入れれば勝数対局数で2人が抜け出す」
だから機会が多いほうが有利だよね
自分でゲロってるけど >>157
理系はタラレバありなのか?
羽生のデビュー時に叡王戦かあったら100期超えてたとか、木村義雄のデビュー時から8タイトルあったら獲得100期いってたはずって言うことに何の意味があるというのか… ID:B5iU0EMi だいぶ頭悪いけど自分のことを賢いと思っている人間 意味というか事実だからね
1995年度に4タイトル戦しかなければ羽生は4冠王にしかなれていない
4冠ではなく7冠あるからこそ全7冠王になれた
「機会が多い少ないは関係ない」ということは有り得ない 撤回しなさい >>159
ニコニコ企画は勝っても負けても100番指すルール
公式戦にそんな棋戦はないわけで… IDコロコロ君ばかりで退屈だったな
まあ公式記録が全てってことよ >>163
そういう棋戦が公式戦にあれば勝ち星増えるよね
「機会が多くなれば勝ち星を増やしやすい」のは明白なので
「機会が多い少ないは関係ない」ということはないわけだ 議論に負けると毎回退屈とか負け犬のセリフが出るな、この羽生オタ
こいつは頭の悪さが別格なのですぐ分かるわ 理屈で敵わなくなると罵倒してくるのが羽生アンチの定跡
羽生「時代を担う次世代の子供たちに礼儀作法、論理的思考、創造性、持続力などこれからの社会においても、必要とされるスキルを学べると思います。」(会長挨拶より)
将棋板民は将棋が趣味なはずなのにこれらの要素が一つも備わっていないのが極めて残念 >>143
ひふみんのころって3タイトルしかなかったのか
天才と言われる割にタイトル8期はやけに少ないと思っていたがそういうことか 原則引退後の名乗りとはいっても、原則(引退後)が守られたことがないのだからさっさと名乗ればいいのにね。
羽生とか羽生とか羽生とか。藤井がタイトル統一したし、区切りの一つとしてはいいのではないか。
モテもついでに名乗ってしまえばいいし、奮起を促す意味でナベだって名乗ってもらえばバランスが取れていいだろう。
タニーも一番簡単な永世棋聖を取れてればもっと早く名乗れたような気もするが。 原則引退後の名乗りとはいっても、原則(引退後)が守られたことがないのだからさっさと名乗ればいいのにね。
羽生とか羽生とか羽生とか。藤井がタイトル統一したし、区切りの一つとしてはいいのではないか。
モテもついでに名乗ってしまえばいいし、奮起を促す意味でナベだって名乗ってもらえばバランスが取れていいだろう。
タニーも一番簡単な永世棋聖を取れてればもっと早く名乗れたような気もするが。 森内と佐藤はワンチャンをものにできちゃった将棋界きっての幸運おじさん >>141
当時はそんなつもりなかったろうけど結果的に奇跡のような帳尻会わせになったね 羽生さんも会長として将棋界を少しでも盛り上げるために率先して派手な称号を名乗ったほうがいいね
遠慮してても将棋界は盛り上がらない 一番惜しいのは王将連続5期獲得しているのに永世王将になれない中原だろう。
一律連続5期通算10期獲得なら王将も棋王も永世位贈って貰いたいがな。まあ棋王には通算10期の棋士はいないのだが。
でも中原は名誉王座は特例だったから痛み分けとも解釈は出来る。
まあ永世位の基準改定は今のところ羽生会長しか出来ないだろう。 >>168
年上の大山が80期も取ってるんだから関係ない、純粋に加藤は大山や中原に勝てなかっただけ。 >>178
その頃の棋譜を見たことないからあくまで伝聞だけど、ひふみんは防衛戦は苦手だったようだね。守る気持ちが強すぎて変に力みがある将棋になってしまうって聞いたことがあるよ。 よく分からんよな将棋界の規定
王将がそんな積み重ねるべき意味がある棋戦なのか
棋王が連続性に特化した棋戦なのか
全然そんなことはないのに ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています