【将棋を】ここだけ変な日本語を駆使するスレ【打つ】
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麻雀を指す時のコツは敵陣を見ることだと大山康晴19世名人はおっしゃったそうです。
将棋の場合は自陣を見ることが大事だそうです。 師匠の杉本昌隆八段は居飛車党ですが、弟子のほうは藤井システムに代表されるように振り飛車党ですね(゜-゜) 塚田正夫実力制第二代名人。
「塚田が攻めれば道理が引っ込む」と言われたものです。 後手△5七桂左不成
先手▲同銀直
後手△同桂不成
先手▲6八玉
後手△6九桂不成 全裸になって訳の分からない言葉を叫んで疾走していたというY長邦雄永世奇声 藤井聡太の6二銀は、ただのところに銀を引く「うんさ臭い手」であった。
まるで「取ってくれ!」と言っているような手ではないか。
しかし、代わりの手も難しい。
中田宏樹八段(のちに追贈九段)は、ただの銀に飛びついた。無理もないと思う。一番自然な手である。
ちょう丁場をようやく乗り越えて、勝利が目前に迫ってきた時点で想像だにしなかった手が飛んできた。
しかし、7筋にいると竜が受けに効いていて自玉が詰まず、一路ズレただけで即詰みが生じていたとは・・・・・
「詰みを憎んで人を憎まず」という言葉が脳裏をよぎる。 >>16
石田和雄先生が竜王戦挑戦者決定戦で谷川浩司先生と指したのが石田流でしたよね 石田先生惜しかったですね。
終盤に7七桂の鬼手が谷川王位に出た将棋。
竜王獲得に繋げましたね😊 「東海にタイトルを」
板谷進九段の悲願は孫弟子に受け継がれました。
現在の将棋界のタイトルホルダーの平均年齢は21歳。
あと10年したらタイトルホルダーの平均年齢は三十路を超えることでしょう。
稀代の天才棋士の師匠は今やすっかり有名人ですが、同門の兄弟子・スーパー四間飛車を駆使してA級在位通算4期の兄弟子もまた偉大な人物であります。
「コバケン」の愛称で親しまれた棋士。フルネームですと小橋建太でしたね。 タンザニアからやって来た女流棋士のカロリーナだか、そういう名前の人、最近姿を見せませんな(゜-゜) 『マイク二上』と異名をとった演歌歌手の二上達也🎤
『おゆき』を大ヒットさせる。 昔は色んな棋士がいましたね。
二上十段に内藤王将に有吉棋王。
桐山王座に森棋王に大内王位。 加藤一二三棋聖や米長邦雄王座。
あと中原誠叡王ですね。 >>43
タイトルでない時に、王座戦で桐山優勝だけど 昭和50年桐山王座。
同じ頃内藤棋王。
同じ頃芹沢博文名人←エッ😱 芹沢博文と松本博文どこで差がついた☆慢心・環境の違い☆ >>49
しかし一番偉いのは伊藤博文。お札の顔に
なった唯一の棋士。 伊藤能さんが亡くなってしまったのは非常に悲しい。
現在の制度だとプロ棋士になれなかった人だけど、
周りの人を明るい気分にさせる不思議な味わいがあった。
伊藤たっくんは、駒の並べ方も伊藤流だけど、能さんもやはり名前の通り伊藤流だったのかな?
師匠の人は、まず玉を取り、次に金を2つ並べて
「将棋とは良く出来たルールだね。玉の周りに金がちゃんとくっついている。やはり男に向いた競技なんだね」とコメント。
酒が入ってご機嫌になると開チンして『米長玉』を披露。 今でこそ鈴木大介が将棋と麻雀の二刀流で
有名だが、かつては高橋道雄が将棋と
ファミコンの両方で高橋名人になった >>39
コバケンのフルネームは古葉竹識だよ
広島カープの監督も務めた あまりにも有名だが大山十五世名人は空手家と
して極真空手の創設者でもある。将棋会館と
極真会館の設立に尽力。空手界での号は倍達。 花村元司先生は覆面を被ってプロレスラーとしても活動していた。
リングネームは、ザ・コンビクト。 「神田くん! 時間だよ!」と居眠りしていた神田さんを起こしてあげた心優しい木村名人。 高橋道雄永世十段
福崎文吾永世前十段
塚田正夫名誉十段
福崎文吾名誉前王座 内藤國雄は若い頃、カシアス内藤の名でボクシ
ングで活躍した。将棋ボクシングが正式競技に
なっていれば確実にチャンピオンだったろう。 >>62
塚田正夫は塚田スペシャルで十年不敗の木村義雄から名人位を奪った
最後の対局で木村名人は持ち時間八時間のうち四時間十三分の長考をするも敗れた >>58
テレビ放映がない浜松の試合で、素顔のスキン
ヘッドで大木金太郎と頭突き合戦を繰り広げた
ことは古いプロレスファンには語り草になって
いる。そのとき付いた異名が「東海の鬼」。 神吉宏充は大相撲の序の口と序二段で連続優勝した後、将棋界に転じ、プロになった異色の棋士。 若き日の森内俊之青年は将棋に負けてショックを受けて千駄ヶ谷から横浜市内の自宅まで背広姿に革靴のままで走って帰宅。
自らの思わぬ長距離の才能に気付いてマラソンに目覚め、今年の勝田マラソンを2時間54分24秒で走破して見事フルマラソン50回完走を達成。 升田幸三の真似をして「昨年のままで結構女房殿」と言ったら昨年同様シカトされてキレた橋本崇載氏 >>67
木村名人が2年後に奪回した年だけは諸々の事情で3番勝負だったんですね(゜-゜) >>70
前田祐司は大前田の四股名で横綱までいった 桐谷広人さんは競輪選手としてむしろ知られていましたね🚴♂ 升田幸三はあの長嶋茂雄が不調のとき「なに、
野球じゃたった3割で一流打者なのか。将棋は
7割勝たんと一流とは言えん」と喝を入れた。
将棋好きの長嶋は発奮し史上初のシーズン7割
超えで首位打者となった。天才同士は違う。 長嶋茂雄は中原誠16段との6枚落ち対局で中飛車を採用 大介よりずっと前に
空手と将棋の二刀流がいた
どちらも十段になった 順位戦星取表の劔持松二の欄に師匠の名前が「力道山」と書いてあった。 >>75
競輪選手として知られていたのは囲碁の藤沢秀行でしょ 藤沢秀行氏は米長邦雄邸の前に来て「米長居るか〜オ●ンコ、オマ●コ!」と連呼。
内弟子の先崎学が出て来て「米長は居ますが、あいにく女性と一戦を交えている最中で手が放せません」と応える。 >>81
米長は先崎の指し手を「ブタのような手」と大盤解説で講評した 粟野仁雄(まさお)記者の書いた記事は「ブタのような文章」と評していたのは知っています。 将棋指しと日蓮宗の僧侶の二刀流となった
灘蓮照の独特の指し手は「仏陀のような手」
と称された。 酒に酔って木村義徳にしつこく絡んでいた灘蓮照。
老師・川口浩が困って「灘さんが酔って絡んでますよ」と周りに助けを求めたが「ほっときなはれ」と
取り合ってもらえず。
木村義徳「アンタが私を嫌っているのは良く分かった。今は私はともかく、対局者の長谷部さんも迷惑している」と対局場の外に灘蓮照を引きづり出す。 灘蓮照は結局、森信雄さんの弟子になったんでしたね。
>>87
米長先生は一般女性と対局される時は、たいてい8枚落ちです。裸玉で攻められるのが気持ちイイそうです。
最後は『米長玉』を見せて気持ち良く対局終了。 川口浩の筆名が河口俊彦。
芹沢博文の親友だが「カワ、お前は研究会が終わってから来い」
と言われる、打ち上げ要員専用。 森けい二「小生が名人になりましたら故郷の高知に戻ります。
是非とも1局お手合わせに中村にお越しくださいませんか」 鈴木大介から名前をもらったのが大内延介
鈴木大介の得意戦法であるゴキゲン中飛車をヒントに生み出したのが大内延介のツノ銀中飛車 大内延介の弟子の土居市太郎は、木村義雄14世名人から
「キミの師匠は誰かね?」と訊ねられ、
「大内先生です」と応えたら、
「キミ、人様の前では、『大内です』というものだよ。
大内です、と言いたまえ」と言われたそうです。 坂口允彦はA級八段であったとと同時に、チェス
の初代日本チャンピオンでもあり海外遠征もして
暴れ回り「世界の荒鷲」と恐れられた。 坂口允彦先生は柔道日本一の肩書きがあり、当時としては珍しい
大卒(明治大学卒業)だったのですね(゜-゜)
旭化成を経ての将棋のプロ入りでしたね。
2メートルくらい上背があって、将棋界最高身長だった筈です。
巨漢の神吉宏充プロでも180センチ120キロくらいでしたから。 小太刀の名手・丸田祐三の孫が今年の夏の甲子園決勝戦で先頭打者本塁打。
「美白王子」と異名をとる。
青野照市の次男はやはり慶応野球部で補欠選手ながら2008年にベンチ入りを果たす。
同時期に力道山の孫も在籍。 >>98
その小保方晴子と育成会卒業同期だった塚田佐知子のところに婿養子となったのが高群泰明、その娘が塚田恵梨花 小保方晴子は斎田純一氏と結婚して、今は斎田晴子やったね。 田丸昇九段は谷川晴恵女流棋士と結婚して谷川昇と一時期名乗っていましたね。
昭和55年度の順位戦で谷川浩司少年と一緒にB1にW昇級。ちなみに谷川昇さんのほうは「たにかわ」と読むそうです。
B1に上がった頃、30歳でしたが、既に髪の毛は真っ白でした。
いったんB2に降級しましたが1期ですぐB1にカムバック。この時は「田丸昇」と名乗っていました。 「さわやか流」「自然流」「自在流」などの名付け親だった原田泰夫先生は史上初の
2階級カムバック(B2→B1→A級)を果たした棋士です。
若い頃は振り飛車党でしたが、ある時期を境に突如居飛車党に転向。
13年ぶりに帰って来た71年度のA級順位戦は4勝4敗の指し分けで残留。
A級通算10期を達成しました。 >>99
高群泰明と言えば、かつて22連勝の連勝記録を達成。
その高群(現・塚田)泰明の記録を28連勝で塗り替えたのが同じ55年組の
神谷広志でしたね。
「高群の泣く顔が見たい」とコメントしていました。 女流棋士の室谷由紀さんはマラソンランナーの谷口浩美氏と結婚。
室谷さんは初婚で谷口浩美氏は再婚。💒 しかし残念ながら「コケちゃいました」の
言葉とともに離婚しちゃいましたね 瀬古利彦氏「再婚したんだってね。おめでとう!」
谷口浩美氏「またコケちゃいました」
瀬古利彦氏「どういうこと?」
谷口浩美氏「フリーになったということです」
瀬古利彦氏「間違った理由で結婚して、正しい理由で離婚すると言うし、かえって良かったんじゃないか。
米長邦雄先生は『男のミスはミセスから』と言っていたよ。相手は誰だったっけ?」 『泣き虫しょったんの奇跡』良かったなあ。
著者は所司和晴先生。 >>69
この試合、豊登選手が乱入して、無効試合の裁定でしたね。懐かしい。 王手飛車か 王を助けるか飛車を助けるか迷ってしまうな 「5五の龍」や「空手バカ一代」作者の漫画家
つのだじろうとは、ひねり飛車の創始者でも
ある角田(かくた)三男のペンネームだった。 ▲6六金打
△5四玉
▲5五金打
△5三玉
▲5四金打
△5二玉
▲5三金打
△5一玉
▲5二金打
まで、先手の勝ちですね。 >>111
角田は木見一門で
兄弟子に大野八一雄がいる 中学生プロ棋士なるか、と注目されている山下数毅の祖母が
山下カズ子とは最近まで知らなかった。 藤井猛九段や三浦弘行九段、山田久美女流などの師匠が西村京太郎先生。
王位戦や棋聖戦で挑戦者の実績あり。
西村先生の甥が西村博之氏。 関根潤三13世名人の功績は生前に自らの名人を禅譲したこと。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています