>>980
<七番勝負>
1953年01月19日-20日 ●丸田祐三八段 ○大山康晴名人 第1局
1953年01月29日-30日 ●大山康晴名人 ○丸田祐三八段 第2局
1953年02月09日-10日 ○丸田祐三八段 ●大山康晴名人 第3局
1953年02月24日-25日 ○大山康晴名人 ●丸田祐三八段 第4局
日付1953年03月04日-05日 ○丸田祐三八段 ●大山康晴名人 第5局
1953年03月19日-20日 ○大山康晴名人 ●丸田祐三八段 第6局
日付1953年03月26日-27日 ●丸田祐三八段 ○大山康晴名人 第7局
大山康晴名人(30歳)4−3丸田祐三八段(33歳)

以上
大山康晴十五世名人30歳00か月となった1953年3月(1952年度終了)までをまとめました。

木村義雄は引退して「十四世名人」に。
塚田正夫は前名人→八段→「九段(タイトル)」と肩書を変え。
升田幸三は「王将」から「八段」に。
大山は九段(タイトル)→名人・九段(タイトル)→名人→「名人・王将」という状況であります。

十五世名人資格を得る最初の充実期・大山30代前半(1953年度〜1957年度)については
そのうち次スレ以降で。2年ほど升田の反撃があり、その後大山30代後半以降は
無敵時代が訪れます。