坪内祐三 2 【たいしたことないのに威張ってる】
いま売ってる文芸春秋でチラ裏みたいなこと書いてるな。
林真理子レベルの愚痴のオンパレード。というかリアル中2病患者。 >>248
なんだ、坪内も春日太一誉めてんの?
春日の書いてる事は参考にはなるが(マジ)太秦・時代劇の今後など結局は(それでメシ食ってる)
当の映画TV業界人が考えるべきことだよなあ。
ハッキリ言えば当の連中がだらしない(あるいは精一杯やっての現状である?)以上、
外野の春日が何を書いてもただの無駄でしかないんだよ。
当の映画TV業界人はじゃあどうしたいんだって、そこが本当の問題なのに。
所詮は春日の太秦論・時代劇論など「業界にモノ申すことで自分もそこに関わってるかのよ
うに錯覚したい」マニアやサブカルバカに都合よく消費されてるだけだ。
そういえば坪内も内藤誠と組んで映画まで作ったらしいな。それも自分が主人公の酒場映画?
名家の息子のボンボンが文化的にグレて本読み捲って映画も沢山観て酒場でカルチャー・
サブカル有名人たちと酒飲んで・・・精一杯グレた挙句がこんな、いまだに「文壇」や
サブカル界隈に幻想持ってるバカしか喜ばない(もう観なくてもゴミと分かる!)
クソ映画か・・・それでもうすぐ還暦か・・・ インタビュー
小林信彦 性と映画の『つなわたり』 聞き手・坪内祐三 本の雑誌読んでたら相変わらず
人の文章にケチつけててワロタ
この人って、腐すしか能がないのかな 第二次安倍政権発足時に
「あとさき考えずに言い放つから駄目だ」と言っていたけど、
それは本当に正しい指摘だったなと思う。 ナイン・ストーリーズ
バナナフィッシュにうってつけの日 (「ニューヨーカー」1948年1月31日)
コネティカットのひょこひょこおじさん (「ニューヨーカー」1948年3月20日)
対エスキモー戦争の前夜 (「ニューヨーカー」1948年6月5日)
笑い男 (「ニューヨーカー」1949年3月19日)
小舟のほとりで (「ハーパーズ」1949年4月)
エズミに捧ぐ――愛と汚辱のうちに (「ニューヨーカー」1950年4月8日)
愛らしき口もと目は緑 (「ニューヨーカー」1951年7月14日)
ド・ドーミエ=スミスの青の時代 (「ワールド・レヴュー」1952年5月)
テディ (「ニューヨーカー」1953年1月31日) すえいから坪内に鞍替えしたんではなくて坪内からすえいに行ったのがすごいよね。 人声天語2読んだけど
相変わらずこの人「自分が東京人の編集者だった頃〜」自慢ばっかだね
今までエッセイで何度この文章読んだだろうか
それくらいしか自慢するネタないのかな? 本人ここ見てるんだからお前らもっと書き込めよ
100パー見てるでしょ 湯浅学とのトーク聞いてると意外と音楽にも詳しいな。 このあいだ本屋で白鳥作品集の文庫をみかけたと思ったら
坪内が編集してたね。 今日『自然主義文学盛衰史』を読み終えた。正宗白鳥はずっと読みたいと思っていた作家だ。
この人が岡山の生まれだと巻末の年譜を見て初めて知った。学生時代知っていたら話の種になっただろうに。
でも20歳やそこらでこれを面白いと思うだろうか。40年生きて分かる面白さがある。白鳥は72まで生きた。これを書いたのは60の時だ。
そもそも白鳥に至ったのは坪内祐三の評論エッセイか何かだったように思う。坪内氏からたくさん本を教えてもらった。
読んだ本はどれも面白い。僕がこの世に生まれて出会えた恩人のひとりだ。
坪内祐三の名前を知ったのは雑誌『SPA!』だった。
松尾潔だったと思うが連載エッセイで開店直後の池袋ジュンク堂で立ち読みした坪内氏の『シブい本』と『ストリートワイズ』のことを話題にしていた。
以来折りにふれ氏の著作をフォローしている。
折々にフォローする作家と言えば、橋本治氏もそのひとり。異能の人だ。『蓮と刀』は生涯の1冊として挙げたい本。
橋本氏を教えてくれたのは経済人類学者の栗本慎一郎氏。『パンツをはいたサル』『パンツを脱いだサル』にどれだけ興奮したか。
すべての出発点は栗本氏だったかな。 【書評】『謎の女 幽蘭 古本屋「芳雅堂」の探索帳より』出久根達郎著/筑摩書房/1700円+税
【評者】坪内祐三(評論家)
この作品を読んで私は『渋江抽斎』にはじまる鴎外の史伝三部作を思い起こした。
『渋江抽斎』はいちおう渋江抽斎が主人公のようでありながら、メインのテーマは抽斎の実体をつかまえようとするアプローチにある。
有名無名を問わず様々な人、そして東京を中心に様々な場所が登場する(バブル直前の東京の変貌を描いた作品としても優れている)。
様々な人、と書いたが、『医心方』巻二十八房内という一種のエロ本を覆刻した
「単行本がユニークであったのは、東京芸術大学の高田正二郎筆による体位図を添えたことである」という一節に驚いた。
何故なら高田正二郎は私の祖母の妹の旦那だから。
※週刊ポスト2016年5月6・13日号
http://www.news-postseven.com/archives/20160503_406612.html 坪内祐三著『昭和にサヨウナラ』を作家嵐山光三郎が解説!
http://pdmagazine.jp/today-book/book-review-98/
坪内氏が親しくしていた友人知己との永訣を語りつくす。その語り口はトツトツとして読者の心をたたく。
丸谷才一氏とは中村勘三郎つながりの不思議な縁。雑誌「東京人」編集者時代、坪内氏は丸谷才一氏の担当であったが、
風雪幾年月たち、銀座路地奥のバーで再会した。そのとき丸谷氏は勘三郎と一緒だった。
後日、勘三郎が「オマエさ、丸谷先生の背中にアッカンベーしてただろう」という。してねぇよ、いや、してた。じつのところはベロだけ出した。
編集者中川六平さん、事業に失敗して実家を競売処分した父、古本雑誌「彷書月刊」編集長田村治芳(ナナちゃん)、
怪人松山俊太郎、種村季弘、酒乱の加藤郁乎、赤瀬川原平、野坂昭如、みんな死んじゃったよ。
身ぶるいするのは車谷長吉の項である。車谷氏は直木賞を受賞してからは「反時代的毒虫」を自称して、
敏腕編集者を『銭金について』でマナイタに載せて呪詛した。
堤清二氏を紹介されて西武流通グループ広報室にいたころの車谷氏は、ダンディで軽妙な業界人であったが、
強迫神経症が再発して、怖ろしい小説家になった。
神楽坂の寿司屋で食事をしたあと、車谷氏が坪内氏の手を握り締めてきたので、強く握りかえした。
ツボちゃんがタイプだったんですよ。そういえば、車谷氏は新宿ゴールデン街で男子編集者にブチューっとキスしていたもんな。
(週刊ポスト2016年5.20号より) 東京堂アウトレットコナーにて「坪内堂」完成
2月末に東京堂アウトレットコーナーがリニューアルしました。
これに伴い、「坪内堂」をスタートさせます。
コラム、書評、評論などでご活躍中の坪内祐三先生厳選の書籍を
ジャンルを問わず展開しております。
是非、東京堂に足をお運びいただき坪内祐三の世界″を
ご覧になって下さい。
また、続々と新入荷のアウトレットブックもお見逃し無く。
https://company.books-yagi.co.jp/wp-content/uploads/2016/04/IMG_20160415_161015.jpg
https://company.books-yagi.co.jp/wp-content/uploads/2016/04/IMG_20160415_161028.jpg 東京堂は、店員が客を執拗に万引き犯扱いするから行かないw 坪内がいうには、 天皇は過去の記憶を巧妙に修正している、と。
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2006-08-20
発見されたメモで、天皇はこう言っているS63.4.28:
「ある時に、A級が合祀され」「私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」。
歴史的な経緯はどうか?
S53.10 東條をはじめとするA級戦犯が靖国に合祀
S54.4 これを新聞が報道
。。であるから、S53あるいはS54から天皇は参拝をしていないことになるはずだ。
ところが、昭和天皇はそれ以前から靖国に参拝していないのである。最後に参拝したのは
S50.11.21のことだ。
この日付に天皇の<作戦が透かし見える>。
昭和天皇はS27からS44までに6回靖国に参拝している。それから長い中断を経てなぜ、S50に参拝したか?
それはS50にハト派総理三木が遺族会の票欲しさに8月15日、私人として参拝したからである。
この時以後、政治問題化し、靖国は<この前の戦争>との関連で語られる事になる。<勘のよい昭和天皇はそのことを察知していた>。
だから、同年S50の11月に、駆け込み的に最後の参拝を済ませ、以後、参拝していない。。
つまり、天皇の参拝中止は、<昭和53年のA級戦犯合祀>とは関係ない、というのが坪内のいいたいこと。
「以来参拝していない」それが彼(天皇)の「心だ」。
くりかえすと。。。
「天皇が参拝を中止したのは、A級戦犯たちの合祀以前の出来事であること。
この段階で昭和天皇は、靖国を媒介に、自らと、この前の戦争との関係と、さらに言えば自身の戦争責任に距離を取ろうとした。。」
「参拝を取りやめた3年後、A級戦犯の合祀を知って、昭和天皇は、これでいよいよ自分は太平洋戦争の被害者であると思ったことだろう。
そしてそのことに記憶を執着させただろう」 野呂邦暢小説集成7 水瓶座の少女
初単行本化作品 『水の中の絵馬』『神様の家』『黒板』『島にて』ほか 全十三篇収録
<第七巻>水瓶座の少女 2016年5月30日発売
「水瓶座の少女」「文彦のたたかい」「うらぎり」「真夜中の声」「弘之のトランペット」「 公園から帰る」
「島にて」(*)「顔」(*)「飛ぶ男」(*)「水のほとり」(*)「ドライヴインにて」(*)「赤毛」(*)「神様の家」(*)
「黒板」(*)「公園の少女」(*)「水の町の女」(*)「幼な友達」(*)「ホクロのある女」(*)「水の中の絵馬」(*)
(*は単行本未収録作品)
エッセイ 坪内祐三
解説 中野章子
「……『別冊文藝春秋』や『別冊小説新潮』や『別冊小説宝石』はともかく『問題小説』や『SFアドベンチャー』、
さらにシブいところでは『太陽』や『カイエ』(『ユリイカ』と並ぶカルチャー誌)などに執筆しているのだ。
ただし多作であっても作品の質に乱れは感じない。共通するのは夫婦を中心とした男女の心のスレ違いだ。
……野呂はなぜ忙しくなってしまったのだろう。それはまさに生き急ぎと言って良い忙しさだった。
それを解くカギがこの巻の小説群にある」(坪内祐三 本書掲載エッセイより) 松原 正 (1929年12月22日 - 2016年6月8日)
早大教授時代の教え子に評論家の坪内祐三がいる。
坪内祐三には「(福田恆存の)思想の一番の後継者」と評価される一方、
西尾幹二には「(福田恆存の)文章の癖の強い悪い面だけを猿真似したエピゴーネン」とウェブ上で批判されている。
坪内祐三は大月隆寛との対談の中で、
保守派でありながら同じ陣営の論客を遠慮無く批判していたためにジャーナリズムから追放されたと証言している。 >>270
改装してから意識高い系になった印象。
最近は人文系書籍の品揃えも微妙だしあんまり行かないな。 アウトローズの 坪内祐三 は、ワタシより1歳下の同年代
近田から好きなものを聞かれて ボブ・ディラン と答えたら
近田が異常に食いついてきたんだよね
自分はディランがまったくわからない、英語がわからない人にとっ
てどこが良さなのか?と そしたら坪内がロックの定義をウダウダ
いやいや、そういうことって勉強しないとわからないだろう? と
最初は何で好きになったのか? と畳みかけるわけですよ それで
「要するにディランという情報を知って好きになったってこと?」
ワタシこれを読んで、坪内と福田和也の二人の何がいけ好かないの
かが、何となく分かってきました
近田氏は、音楽は耳から入ってきた瞬間に判断するもの だと
つまり演者のデータには興味が無いんだと 「考えるヒット」の
スタンスも基本そうですよね だから坪内の場合は 音楽も読書
音楽の背景が無いと楽しめないんだろうと分析するわけ そこだ!
直観的に感応的に「この声!」と興奮して、そこから好きになった
資料的裏付けがなく、純粋に音だけで好きなって興奮したことって
あるのか? と それっていわゆる スノッブ ってことだよね
頭で理解して、オレが一番の理解者だと上から目線で語ってさあ
まず入れ込んで あとから理論がついてくる(by竹中労)… の真逆
http://plaza.rakuten.co.jp/hoetaromax/diary/201606140000/ 読書好きの奥様 85冊目
481 :可愛い奥様@\(^o^)/:2016/06/11(土) 20:29:04.61 ID:++MKZP2W0.net
>>480
「罪と罰を読まない」、クラフト・エヴィング商会の「おかしな本棚」で見た。
ネタじゃなくほんとに出版しちゃったんだね。
あの本の坪内祐三、岸本佐知子、三浦しをんとの馴れ合い具合がなんとも…、うーん。
同小の何学年違い、兄貴分、妹分… 出版界のマイルドヤンキーみたいな空気だったわ…。
世田谷区立赤堤小学校
著名な卒業生
坪内祐三 - 評論家、エッセイスト
吉田篤弘 - 作家
荒牧太郎 - 日本のフットサル選手。スペイン1部リーグReale Cartagena所属
落合福嗣 - タレント、コラムニスト。落合博満と落合信子の長男
鴻巣友季子 - 翻訳家
<余談だが、この区立赤堤小学校にはわたしの何級か上に、
のちの評論家坪内祐三さんと翻訳家岸本佐知子さんと作家の吉田篤弘さんがいたらしい (と、お互い後年に知った)>
鴻巣友季子「半歩遅れの読書術」 酒中日記みるとみためはすっとしてるけどお腹出てるな。酒飲みすぎなのね。 鮭罐五平次
坪内祐三の上の弟は博報堂,下の弟(株式会社リョーザン代表取締役社長・坪内通夫)はオリエントファイナンス勤務であったから,
「長男・売文業、次男・ちんどん屋、三男・金貸し」と坪内嘉雄さんが言っていたと.
15 Feb 2016
好きのしるしのkiss
アド街、平井ってシブいなー。
そういえば坪内祐三が“ヤバい”みたいな広い意味で“シブい”って流行らそうとしたけど流行らなかったな。
11 Feb 2017
坪内利八 ー文芸評論家・坪内祐三の祖父ー
http://ameblo.jp/derbaumkuchen/entry-11835140165.html
『まぼろしの大阪』
(坪内祐三、ぴあ:2004、10、10)
「恵方巻き」の関東での仕掛け人が、実は、広告代理店に勤める坪内の弟だったとか(ほんとかどうかは、知らん)、
扇町公園の話とか、阪急百貨店の大食堂の話とか、並みの東京人では話せない話が一杯なので、楽しい。
http://www.ytv.co.jp/announce/dokusho/column/2005/0101-0200/162.html この人にしても、前の奥さんの写真家にしても、現奥さんにしても、恵まれた家庭環境で兄弟もみんなエリートでと庶民とは違いますな。 書評:坪内祐三の文章
http://www.second-opinion.co.jp/column/2017/09/%E5%9D%AA%E5%86%85%E7%A5%90%E4%B8%89%E3%81%AE%E6%96%87%E7%AB%A0/
彼は、三田誠広、中上健次、高橋三千綱のような当時の若手作家には同時代的な感じを持てず、
沢木耕太郎のノンフィクション、椎名誠のエッセイなどの文体に同時代的リアリティを感じていたという。
そして、村上春樹と出会い、「二十一歳になったばかりの私は、ようやく自分たちの言葉を見つけた。」と感じたのである。
批評家坪内は、その三人に通低する「新しさ」を、
それぞれがメタ・フィクション、メタノンフィクション、メタエッセイであるという、その批評性に見出している。
たしかに、村上春樹のデビュー作は、書くことについての小説であり、その通奏低音は、彼の作品の中に常に響いている。 proletarian
SPA!読む。福田和也と坪内祐三の連載巻末対談で先般の解散総選挙で
坪内祐三が生まれて初めて共産党に入れたと言ってたのを読んで自民党は完全に終わったんだなと確信した
2017年10月30日 hanadaに連載もっているのに共産党に入れる男。 赤旗や創価系の雑誌にも寄稿して>>292みたいな反応を楽しんでるって言ってた この人の仕事意味ないな
売れないでしょ
早稲田仲間で仕事もらってるだけだろうな メソメソ顔でなんとなく仕事貰えてるだけで才能ないからな。 たまもの (ちくま文庫)
神藏 美子 (著)
出版社: 筑摩書房 (2018/3/7)
夫と別れスエイさんと暮らし始めた神藏は、元夫とも「特別な関係」として三人承知のうえの奇妙な二重生活を送っていた。
が、有名評論家になってゆく元夫の自我の受け手としての自分に執着し、彼の新しい恋人の存在に憂鬱の淵に落ちる。
ずっと続くと思った生活も関係も変わっていく。
二人の男の自我と自分の自我をみつめながら揺れ動いた5年間を、当時の日記と写真で綴る私的ドキュメンタリー。 「有名評論家」(笑
普通の人は、誰もこんな爺さん知らんだろw 右であれ左であれ、思想はネットでは伝わらない。
坪内 祐三 (著)
出版社: 幻戯書房 (2017/12/22)
1996〜98年、雑誌「諸君!」(2009年休刊)に連載した「戦後論壇の巨人たち」が一つの核をなす。 有田芳生
坪内祐三さんが「自民、希望、立憲、いずれもペケ。
というわけで私は生まれて初めて共産党に票を入れた」と書いている(『文藝春秋』12月号)。
その投票行動に驚きはしなかった。
さすがと思ったのは枝野幸男さんが多用した「まっとうな」という言葉に関した「業界」的な噂情報に詳しいことだった。
坪内祐三「私は池田勇人以降の総理大臣を知っているが、その中で安倍晋三は最悪だと思う。
いや、もう一人いた。麻生太郎。何しろその二人が今の内閣のツートップなのだから」。
戦後政治を実感として見てきた者はたいていこんな感想を抱いている。あとは本誌をお読みください。
2017年11月8日 評論家の坪内祐三(つぼうち・ゆうぞう)さんが13日、死去した。61歳だった。通夜は22日午後6時、葬儀は23日午前9時半から東京都渋谷区西原2の42の1の代々幡斎場で。喪主は妻文子さん。
https://www.google.com/amp/s/www.asahi.com/amp/articles/ASN1G5665N1FUCVL017.html 坪内に作品酷評されたプロ作家、このスレに出てこいよ!
なん十年と月評書いてたんだから、恨み持ってる奴、いっぱいいるだろ! 3年くらい前に
神保町の東京堂書店で見かけたけど
パーキンソン症の人みたいに
よちよちと猫背で歩いてた
いっしょにいたのは奥さんだったのかな 丸岡九蔵●1/19関西コミティア57【K27】
坪内福田のSPA!対談でも、ポーズで無頼ぶってた福ちゃんと比べて
ホントにやばくて放言しまくってるのはツボちゃんの方だった。
読んでない人からすると堅いイメージかもしれんけどエラい評論家ではなかった。うーんじわじわキテるな。
マスコミに表立って出ない人だったので目立ってないですが、
2000年以降の人文系の書き手には相当大きな影響を与えた存在のはずです。巨星堕つ、です。
自分の体験した同時代史とそれより昔の歴史、それと現在を繋ぐ書き手です。
我々世代の坪内的存在はちょっとすぐには思いつかない。
坪内祐三が『1972』を書いたとき、斎藤美奈子が「男はすぐ回想する」みたいに軽く揶揄してたんですが、
それも今となっては貴重なわけで。
あれだけ執拗に自分の覚えてること読んだこと、また同時代の日記を書き遺した人も稀有。
2000年代以降はそういう場がネットに移ったけど、それらは散逸するし…。
あーそうですね、まさに川勝正幸と同じでした。こういう存在は後の時代からはわかりにくくなるし見えなくなりそう…。
最近は「時評」じたいが流行ってないので、どこかの媒体が腰をすえて10年スパンで時評を載せてもらいたい。
2020年1月14日 週刊ポストの美術館の連載の中身の無さには毎回呆れるが
今こんな展覧会やってんのか程度には参考に見てた
早かったね、嫌いだけど SPAの福田氏との対談でも、「血圧は上が200くらい」と言っていたし、心臓に負担がかかっていたのは確かだと思う。
文藝春秋の2月号の「人声天語」を読んだら、昨年亡くなった人たちの追悼文のような内容だった(ここ数年、文学者・評論家達で長生きする人が少なくなってきている、という内容)。 「変死するアメリカ作家たち」に対して「早死にする日本人作家」といったところかな >>317
とは言え、坪内は文学者でもなければ評論家でもない さういふ名前に縛られない、文士だつた、
また文士が1人居なくなつた、合掌 >>320
文士って文筆を業とする人の意味だから、特別な能力はいらない。 文士の条件は教養があり名文家であって、
酒が好きなこと、 夏目漱石や芥川龍之介はあまり飲まない人だった
また堀辰雄は学生時代には友達とは少し飲んだけど
一人ではオレンジエイド、結核以降は飲まなかった 圧倒的な知識、酒席での武勇伝、そして全力疾走――追悼・坪内祐三と過ごした日々 一志 治夫
https://bunshun.jp/articles/-/28191 追悼を絓秀実が書きたいとTwitterで言ってた
ツボちゃん還暦まわってたのね
ハゲてないしスラッとしてるから若いイメージあった
追悼でも、ちょっとセッカチだった、2時間でウイスキー1本、、と言われてる
SPAでも、酔うために飲む、と自身で言ってたか
生涯現役疾風怒濤の人生だったな ショボくなる、老衰する、老いさらばえることなく、その前に逝ってしまった感がある
大病を患えば文体も変わっただろうに そういえば死ぬ少し前に
「私が実際に知っている自民党政権では麻生・安倍政権が最低だ」
と言っていたなあ
そういう断定は高名かつ高齢のな政治評論家が言えば説得力があるのだけど
外交やその他個別経済政策の検証もなしに独断的に批判するのはどうかな?
なんというか、若い頃からお爺ちゃんのような上から目線の独断が多かったね
たしか「鳩よ」の開高健特集で堀切直人と対談をしていたけど
ものすごく偉そうなもの言いだったな
あの当時でも33歳の若造なのに自分の父親世代である開高健を評価していた
同世代でもないくせにあそこまで上から目線で語るのはどうかと思う ウエメセだったね
美術書評みたいのを週刊誌でやってたけど、大したことは言わないんだなw
どこか空威張りなところもあって、知的虚栄心が強かったね
かと言ってハッタリかました後に勉強する風もない
これから大作書くぞって雰囲気だけで生きてた感がある
他方、泉麻人や中野翠に相撲のチケット用意してあげたり、西村賢太をゴールデン街連れ回したり
社交の人でもあったようね
ケンタによる追悼読みたいな だとすると福田ともっと仲良くてもいいだろうにね
ゴーストライター問題?あたりから、福田とは距離おいてたのかね >>341
>どこか空威張りなところもあって、知的虚栄心が強かったね
西村賢太の文庫本解説で藤澤清造の事は今東光の文庫本(東光金蘭帖だったかな)で
知っていたが芥川賞選考委員は誰も知らなかった(呆れた)
と言っていたが、別に東光を出さなくとも
普通に芥川龍之介が議論をふっかけていたりするので(ちくま文庫版全集所収)
文芸批評家である坪内が芥川の論争という基本的な事項すら押さえていない
つまり芥川賞選考委員とそれほど変わらないほど無教養だったことを露呈している
読んでいるこちらの方が恥ずかしくなる 早稲田マスゴミのお仲間意識で支えられて成立していた人だったな
学者にもなれない
批評家とも言えない
つまり古い知的権威にはなれないレベルの知能だった
かといってサブカルに通暁していてあるいは耽溺していて古い権威を出し抜くというタイプでもない
古典的知的権威に従順なんだけど、実力がないのに周りに保護されて守られて傲慢だった人
福田にも心では馬鹿にされていただろうし