受賞に納得できなかった芥川賞受賞作
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
70年代以降はほとんどの作品だろ
納得できる作品晒した方が早い 今回の赤染晶子乙女の密告はひどい。
アンネフランクが私はオランダ人になりたいと日記に書いたことが
アンネフランクが誰かに(あるいは自分自身に)密告される理由となったかの
ような解釈は世界中のアンネファンを失望させ反発させることになると思う。
また赤染さんは「日本ではアンネの日記がロマンチックに読まれている」といい
作品のなかの作者の分身ともいえるユダヤ系らしき外国人にも同じセリフを
言わせているが、それはどういう意味だろうか?だれがアンネの日記を
ロマンチックに読んでいるだろうか?結局赤染さんの言いたいことは
「日本人は加害者としての自覚が足りない、反省が足りない」ということ
ではないだろうか?しかしその日本人のなかに作者の赤染さんは入っている
だろうか?作品を読む限り、作者の分身ともいえる主人公のみか子も
もうひとりの分身の外国人の教師も密告する側裁く側で罪の意識のかけらもない。
>>1
ああ、「である」と「だ」の使い分けすらできないでプロやってる珍しい人ね。 >>5
日本人がアンネ・フランクをキャラクター的に消費してることへの違和感でしょ、それは理解できるよ
ただ、「ロマンチックに読まれている」という言い方は意味わかんないけど。つうか読んでないし。
「日本人は加害者としての自覚が足りない、反省が足りない」というのじゃなくて被害者、というより犠牲者の扱い方が日本人はズレてるよなぁってことじゃないの?
提示の仕方が稚拙なだけで、お前らみたいなひねくれものからの支持は得られそうな発想だと思ったが、(馬鹿な一般人を「非難」できるという意味で)そうでもないのか 「ロマンティック」という蔑称がいいかげんに使われすぎ
ロマン主義の迫力を知らないで適当に言ってるだけだな まあ、べつに赤染を支持するわけじゃないが、
はっきり言うと文学史上における“ロマン主義”の概念なんて、
大半の人にとってはどうでもいいことなんだよね。
フリードリヒ・シュレーゲルとロマンティック・アイロニーとか
スタール夫人だとかシャトーブリアンとかヴィクトル・ユゴーとか
はっきり言ってそんなものはどうでもいい
むしろ大半の人にとって大切なのは「レミゼラブル」のコゼットの物語だとか
ドラクロワの絵画とか、ベルリオーズの音楽とかなわけ。
つまり重要なのは“ロマン主義”の語源などじゃなくて、
“ロマンチック”なるものの、現代における受容、あるいはその意味の変容なんだよな。わっかるかな〜 アンネの日記がどう読まれるかとか
はっきり言ってどうでもいいしね アンネの日記がロマンチックに読まれているだろうという独りよがりの偏見によって書いておいて、
それを書いた根拠として提示されても「?」だよな >>14
>「レミゼラブル」のコゼットの物語だとか
>ドラクロワの絵画とか、ベルリオーズの音楽とか
これだって十分強力じゃね >>12
日本人はアンネフランクをキャラクター的に消費しているかな?
そんなことしている人を見たことがない。むしろあまり詳しく知られていない。
人気もない。ましてやロマンティックにとらえたりもしてない。
日本人はアンネフランクを戦争の犠牲者ととらえている。
日本人がアンネフランクを犠牲者として扱うやりかたがずれているかな?
私は全然ずれているとはおもわない。赤染さんまでアンネフランクを
自分の創作のなかで勝手に解釈した人も見たことがない。みんな彼女を
リスペクトしてそっと扱っている。その扱い方が戦争の犠牲者をあつかう
やりかたとしてズレているとは思わない。
そこにあえて民族問題をもちだして(何民族かは知らないが)
日本人のアンネフランクにたいするやりかたを批判するというのはどういう
意味なのかな?赤染さんの示唆しているのは、「日本人は加害者なのに
反省せずにあたかも加害者ではない人間のようにアンネフランクに接している」
ということだと思うな。そして赤染さんの意識は日本人ではない。
主人公みか子は最後に他者としての自分をとりもどし、乙女(日本人たち)とは他者なのに
乙女として「わたしは密告しました」と宣言する。それを聞いて外国人教師は
満足し、密告の罪は乙女全体がかぶることになる。しかし主人公が密告しても
はればれと満足げなのは主人公は乙女(日本人たち)とは他者だから密告の罪の意識を
かんじない。重構造になっているどこをとっても気持ち悪い話だ。
アンネフランクは戦争の犠牲者だがこの小説ではユダヤ民族主義の犠牲者であるかの
ようにもとれるように描かれている。それも誇らしく。アンネが「オランダ人になりたい」
と言ったことであたかもその罰であるかのように密告されたりあるいはアンネ自身が
密告したともとれるような小説が賞をとるとはいったいどういうことかと思う。
最後に話題になったのってモブノリオあたりか?
まあ、あれは間違いなく評価がバラバラだろうけど
何がヤバいってアレ以降は話題にすらしようがないレベルのゴミ揃い >世界中のアンネファン
こういう言い口が自然に出てくるところが自覚のなさの現われだと思うな
ファンって何だよw 川上末映子の「乳と卵」
読語の感想は石原都知事とほぼ同じ。この回で楊逸に芥川賞を獲らせるべきだった。
「時の滲む朝」は政治的な色合いが濃すぎて、純文学に政治を織り交ぜるなって話。
羽田あたりの若い作家にあげて話題を集めればよかったのに。 >>23
いくらなんでも、羽田はない。あの年は受賞作なしでよかった。 舞城と中原昌也はいったいいつになったら受賞するのですか? 舞白とか中原みたいな終わったコンテンツに
なんで芥川をやらなきゃいかんの じゃあ賞もらえそうな旬なコンテンツって誰なんですか? 村上春樹にいまさら与えて辞退されるとかしたらおもしろい 磯崎で保坂和志枠を使い尽くしただろ
終の住処がなければ柴崎だったな >>32
そっかあ
柴崎さんの絵画的な街の描写が好きなんですけど
たしか二回なってますよね候補
三度目はもうないでしょうか >>33
磯崎よりは柴崎だと思うよ。
でも彼女は芥川賞なくてもやっていけそうなんだよね。
あとは朝吹家のプリンセスにやるんじゃね
文壇ってそんなもの
もう諦めてる あり過ぎていちいち上げてられない。
最近の芥川賞受賞作はもちろん、候補作とか読んで思うのは、
「おまえいくら純文学でももうちょっと面白いこと書けよ」
ってつくづくあきれることが多い。
文章、雰囲気、全体的なセンス、そのうちの一つでもいいから工夫して
あれば少しは楽しめるんだけど、
「これはどこが面白いんだ」って印象しか残らないからな。
>>34
何十人何百人が一席を奪い合うわけですから
ほとんど宝くじみたいなところもあるんでしょうね
太宰が芥川賞を取ってないと聞いたときは
文学初心者の自分にもすごく印象的な事実のように映りました
案外そういうもんなんだなーと 辻と遊が同時受賞したやつ
日蝕
終の住処
川上さん両方
女の子二人が同時に受賞した2作 スレ違いなんだけど、逆に納得の受賞作ってあった?
限りなく透明に、は納得だったけど 夏の流れ
そんなに凄いと言う訳じゃないんだけど小説らしさがある
それに硬派だしな >>40にならってスレ違いだが訊いてみたいんだけど、
皆さんが受賞作に求めるものって何ですか? # 第123回(2000年上半期) - 町田康「きれぎれ」、松浦寿輝「花腐し」
# 第124回(2000年下半期) - 青来有一「聖水」、堀江敏幸「熊の敷石」
# 第125回(2001年上半期) - 玄侑宗久「中陰の花」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ←これが分水嶺だったという気がする
# 第126回(2001年下半期) - 長嶋有「猛スピードで母は」
# 第127回(2002年上半期) - 吉田修一「パーク・ライフ」
# 第128回(2002年下半期) - 大道珠貴「しょっぱいドライブ」
# 第129回(2003年上半期) - 吉村萬壱「ハリガネムシ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ←上の4作は許容できる人とできない人が半々くらいに分かれる印象
# 第130回(2003年下半期) - 金原ひとみ「蛇にピアス」、綿矢りさ「蹴りたい背中」
# 第131回(2004年上半期) - モブ・ノリオ「介護入門」
# 第132回(2004年下半期) - 阿部和重「グランド・フィナーレ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ←ここまでの3作は結構騒がれていたと思う、何かと引換えにだが、まだ話題になってた # 第133回(2005年上半期) - 中村文則「土の中の子供」
# 第134回(2005年下半期) - 絲山秋子「沖で待つ」
# 第135回(2006年上半期) - 伊藤たかみ「八月の路上に捨てる」
# 第136回(2006年下半期) - 青山七恵「ひとり日和」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ←あまりに地味すぎてもう話題性も無くしたという感じ
# 第137回(2007年上半期) - 諏訪哲史「アサッテの人」
# 第138回(2007年下半期) - 川上未映子「乳と卵」
# 第139回(2008年上半期) - 楊逸「時が滲む朝」
# 第140回(2008年下半期) - 津村記久子「ポトスライムの舟」
# 第141回(2009年上半期) - 磯崎憲一郎「終の住処」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ←変人気取り♂♀、外人、派遣、ビジネスマンと手当たりしだい与えてみた、という感じ 芥川賞で感心したのは『三匹の蟹』だけだな、とくに後半
芥川賞候補では『風の歌を聞け』まぁこうほさくなんて殆ど読んだ事ないけど 48-49みたいな分析、80年代や90年代にも見たような気がする
結局「若者が堕落し続ける」ように見えるって奴じゃね >>46
綿矢ってどう刷新したの?
史上最年少受賞者で、高校生の話を題材にしただけじゃないの?
何が新しいの? 綿矢みたいなのはむしろアリ
小説技巧みたいなことを言い出すなら直木賞がエンタメの技巧派向けになってるから 46じゃないが高橋源一郎や平野啓一郎などいろんな人の著作で綿矢の刷新性は書いてあ
るからそれ嫁
でもオレは綿矢はいいとも思うけどそれほど支持もしてない
中年以降の世代が目新しく感じるのはわかるけど
いまどきの選考委員は、今までとは違う文体なら、それが優れているかどうかを評価しないで
ただ新しいというだけで、推すんじゃないかい?
そもそも文学とは、文章の芸術だから、問題は中身と文体が芸術性を備えているかどうかだろうと思うが
綿矢リサの文章はその点どうなのかね?
まあオレはガキの書いた小説なんか読みたいと思わんから
綿矢のかいたものなんか読んでないがw 綿矢りさの文章は、文体には何の新しさもないけど
センスがいいなと思いましたですよ、あたくしは。
蹴りたい背中の文庫の解説
誰だったか忘れたけど、言ってることは「あー、たしかに」と思った 文壇のおっさん達は
若いねーちゃんが大好きだから
それだけでも推すよ
まして若くてかわいければ無敵 >>55
同感。
中年以降がああいうのを迎えるのは単にスケベ根性からじゃないの?とまで俺は勘ぐってる。
ガキを嫌う訳じゃなく、単純に食い足りんのよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています