川端康成総合スレ2@文学板
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文体で勝負してると国内では評価高くてもノーベル賞は難しい。
英訳で読まれるから。 べつに亡くなった人だし、本人が拒絶してるわけでもなし、プライバシーとかどうこうは関係ないと思うけどね。
川端康成という人間を見るための道具としてよりも一つの作品として読みたい。 川端康成の恋人への手紙公開ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/okayama/4025856671.html?t=1405554503811
文豪、川端康成の神奈川県の自宅で保管されていることが明らかになった川端が学生のころの恋人に宛てた手紙が、
16日から岡山市北区の岡山県立美術館で公開されています。
公開されたのは、当時、学生だった川端康成が伊藤初代という女性に宛てた手紙1通と、川端が初代から受け
取っていた手紙10通です。ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/okayama/4025856671_m.jpg
この手紙は川端が晩年まで暮らした神奈川県の自宅に保管されていることが7月、明らかになったもので、16日から
この手紙が岡山市北区の岡山県立美術館で、初めて公開されています。
初代は川端の7歳年下の初恋の人といわれ、公開された手紙のうち川端の手紙は婚約した後に突然、連絡が
取れなくなった初代を心配する内容で、「恋しくって恋しくって早く會わないと僕は何も手につかない」など、
飾らない文章でつづられていて、何らかの理由で投函されずに手元に残っていたと考えられています。
一方、初代の手紙は、「いつまでも愛して下さいませ」などと、川端を慕う思いが切々とつづられていますが、その後、
「私にはある非常があるのです」と初代から婚約を破棄する内容となっています。
岡山県立美術館の廣瀬就久学芸員は、「川端の初期の作品を読み解く上での鍵ともいえる手紙だ。
川端の女性に対する思いを感じとってほしい」と話していました。この展示会は、8月24日まで開かれています。
07月17日 07時21分 2014/07/16「スーパー・N」: 動画 巨匠の目 川端康成と東山魁夷 ttp://www.ohk.co.jp/news/sp/video.php?VNO=1485 ”巨匠の眼特別展”講演会 ( 8/ 3)【18時20分更新】ttp://www.ohk.co.jp/e/news/002.html
日本人初のノーベル文学賞作家川端康成の養女の夫川端香男里さんの講演会が岡山市で開かれました。
この講演会は岡山市の県立美術館で開かれている特別展、「巨匠の眼川端康成と東山魁夷」にあわせて
開かれたものです。講師の川端香男里さんは東京大学名誉教授で川端康成の養女政子さんの夫です。
川端康成の本の装丁を東山魁夷がしたことから2人の交流は始まり、約100通の往復書簡があることなどが紹介されました。
特別展では川端康成が婚約者の伊藤初代に送ろうとした未投函書簡も初めて公開されています。
この展覧会は今月24日まで岡山県立美術館で開かれています。 「川端康成と東山魁夷」作品朗読会 ( 8/10)【21時11分更新】ttp://www.ohk.co.jp/e/news/001.html
ノーベル文学賞作家川端康成と日本画家・東山魁夷のエッセーなどを紹介する朗読会が岡山市の美術館で行われました。
朗読に臨んだのは俳優の真実一路さんなど3人です。
これは日本初公開の川端康成の書簡などが展示されている特別展「巨匠の眼川端康成と東山魁夷」
にあわせて行われたもので、川端康成の短編集や東山魁夷のエッセーが朗読されました。
日本を代表する文豪川端康成と日本画家・東山魁夷の交流は川端康成の本の装丁を東山魁夷が担当したのが
きっかけで、集まった人たちは2人の巨匠の世界観に聞き入っていました。
特別展「巨匠の眼川端康成と東山魁夷」は岡山市の県立美術館で今月24日まで開かれていて、期間中に3回、
朗読会が行われます。 ★2ch勢いランキングサイトリスト★
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※ 要サイト名検索 中学生以来、久しぶりに雪国を読んでみた
風景・情景描写の言葉数が多すぎてウザイと感じた
途中から風景描写は斜め読みして話の要点だけわかればいいや、みたいな読み方になってしまった。
この作品の一語一語をきちんと読み取る意味あるかな?やったら結構な労力が必要 >>338
基本的に向いてない。
会話の異様さに目が向かないようなら川端は向いてない。 作品によって何を重点的に描写するかは、無論変わってくるだろう。
何のために本を読むのか。
まあ、私は楽しむために読む。
雪国は10年くらいをかけて発表した作品をまとめたものだそうだ。
熟成モルトのようにゆっくりと時間をかけて味わいたいものだね。 川端の小品に「それを見た人達」がある。
一体何を見たんだろうねえ。
人達ってことは、何人もが一緒に見たんだろうか?それとも一人づつ順番に…?
まあ、つまんない小説だよ、忘れてくれ(笑) 千羽鶴は茶道をたしなむ人の必読書かも(笑
官能的でエロい。
続編の構想があったらしいけれど、創作ノートが盗難にあって書けなかったらしい。
だから、未完の作品とも言えるわけだ。 川端康成は柳宿 エゴイストで優雅の星
三島由紀夫は亢宿 内向的なレジスタンスの星
この星は安壊の関係で、正反対であり惹かれあうが傷つけあいもする宿命
師弟関係だと皮を剥き合うようないい作用がある
三島と川端は星にもめぐり合わせを感じるのでした >>343
川端の自作追補コメントのようなものは信じない方がいいかと。 >>349
浅草紅団の続編の書き出しとか、雪国の後書きとか、
かなり怪しい。
作品の一部と考えるべきとまでは言わないけど、
けむに巻くつもりがあるのは確か。
終わらせるの苦手だから誤魔化してる可能性もある。 基本的に読書は楽しめればいいんで、事実はどうか、とかあまり気にならないな。
もっとも、
川端は、雜誌なんかに小分けにして作品を発表する、って形式を取っているものがある。
雪国は10年かけて発表した作品だ。だから、定本雪国は短編の寄せ集め。
みたいな事実は知っていると役にたつかも知れない。
でも、小説ってのは読み手をだまくらかしてナンボだろう。作り話なんだから。
また、少なくとも私は小説は心地好くだまされるために読むもんだと思っている。
書いているうちに構想が変化することだってあるだろうし…。
読み方はひとそれぞれだから、怪しむのも信じないのも、別に否定はしない。
楽しめてる?YESならそれで十分だろう。 波千鳥のラストはあれはあれでちゃんと締めてるような
栗本をある意味受け入れて乗り越えてゆく夫婦の姿って事で 川端は何冊か有名な作品を読んだが、おれの感性では理解できなかった。
ある意味天才的な小説家なんだろうな。 雪国のラストってあれ「葉子は駒子のドッペルゲンガーで二人にしか見えてない説」
を念頭にして読むと駒子が自死しようとして出来なかったという話なのかも
火事場で村人が「けが人はなかった」って言ってるのに葉子はその後落ちて来るし >>355
こういう個人名をわざわざ晒すのはやめたら?万一名誉毀損の訴訟を起こされて、
2chのサーバー管理者が協力すればIPから本人特定は可能かもしれないよ。 百人の冤罪者を出しても一人の真犯人も逃すな、が匿名掲示板だろ?w 「伊豆の踊子」(角川文庫) 川端康成
146位/528作品。日本語小説。
新潮文庫の方が売れているようだが、在庫がなかったので角川文庫の方で読んだ。
収録作がちがうようだ。角川文庫の収録作は以下。「伊豆の踊子」「青い海黒い海」
「驢馬に乗る妻」「禽獣」「慰霊歌」「むすめごころ」「二十歳」「父母」。
評価が難しい。花子などという女が出てきたり、ちょっと古びているのだが、
どうせ時代遅れの小説だろうとたかをくくっていたら、ひどくやられてしまった。
というのも、「伊豆の踊子」は全然面白くもない凡作であるが、それ以外の短編はどれも味があり、
かなり面白かったのである。ぼくは恋愛小説というものを読んだ覚えがなかったのだが、
川端康成の短編集「伊豆の踊子」角川文庫こそ、典型的恋愛小説集であると大推薦する。
ぜひ、お読みいただきたいが、新潮文庫はどうなっているんだろうか。
146位でも過小評価だとは思うが、いや、変態紳士といえば川端康成という公式はぼくの中でできあがっている。 自分が著述家でない場合、本というのは私でない誰かが書いたものである
本を読むというのは他人の述べることにとつおいつするという行為である
だから読書するほどの者は謙虚でなければ読書にはならないのである
自分の思想なり表現方法なり知識なりに自信のある者は自分で著述すればよい
面白いのは著述家というのは大体が読書人、それも相当な読書人であることだ
よく読む者はおのれの考えたことにどのような新しさ面白さがあるのかがわかるから
あえてこれを書き著して世間に問うのである
そうでなければ書かないまでで、自分の考えや書き方の陳腐さをしかと悟れぬ者は
ただ恥をかくだけのことである
読むことを能くしない著述家、更に言えば取るに足りない著述家というのは
よく読む者からみれば昔誰かが言っていたことを粗雑な仕方で再話しているにすぎない
その点、川端康成の良いものというのは新しく、そして仕事が繊細である
第一級の著述家の書いたものというのは
いっぺん読んだ切ではなかなかその良さというのは判らないように出来ているものである 代筆させていたってのが許せない。
別にノーベル賞をもらわなかったのならばまだいいが。
ちゃっかりもらって自殺。やっぱそうだったんだろうな。 ノーベル賞はいくら有名でも文学賞。
所詮日本語域内でしか、その評価の正誤を論ずるなんてことはできない。
大江でさえもらっているんだから、あんまり過大評価してもしょうがない。
代筆はどっかにも書いたけど、時代性を考えるんだな。 「伊豆の踊子」(新潮文庫) 川端康成
257位/543作品。日本語小説。
短編集「伊豆の踊子」を新潮文庫、角川文庫、岩波文庫の三種類を全部読んだ。
結果、角川文庫の「伊豆の踊子」がもっともよいと思われる。角川文庫で「伊豆の踊子」を
読まれることを期待する。 違うのかい?
確かなのは最新の全集で読むことだろ?(笑 雪国のモノクロ版映画の動画サイトとか知りませんか?
岸惠子のやつです。 川端は日本の自然や風土、伝統的な文化を題材として取り上げることが多い。
まあ、山川草木は万国共通だけれど、たとえば、竹を単なる植物として取り上げて記述
するのと、鞍馬の竹伐り会を取り上げるのでは、意味合いが異なるのはわかるだろう。
茶道、能、歌舞伎、などなど、さりげなく作品の中で語られている「日本」を読み、理解
するには、そうした背景を学んでおくとちょっとわかった気になるかもしれない。 俺は川端康成のキチガイなところが好きなんで
竹はどうでもいいなw
まあ言ってることは分かるけど。
「眠れる美女」とか「みずうみ」とか「片腕」とかね。 「反橋」 三部作
みづうみ
片腕
たんぽぽ
白馬
このあたり最高! そうですね。ありがとうございます。
全て読みました。
あなたはどこにいらっしゃるのでしょうか これは代筆ってのを上げて欲しい。
それを外して読むから。
でもこの人の小説ってこの人以外に理解できる人って本当にいるのだろうか?
薬物中毒の人以外には解らん内容だろが。 >>375
自分の書いたものを読み直してみろ。恥ずかしくないなら文学は向いてないな(笑 そもそもwwwが多かったが(笑)ってのも散見された時代、
新基軸を求め、(笑 を使いはじめたのは俺だ。
最近、(笑 を使う奴がいるが、馬鹿なレスは俺ではない。
>378のような阿呆には見分けがつかないだろうがな。
ちなみに、本来、(笑 に「よくわからないが…」とか「逃げ」と言う、
軟弱な含意はないのであ〜る。
定義としては、単純にそのままの、笑い、微苦笑、苦笑、あざけり、と定義される。
また、wにダブルバイトを用いるのは邪道。控えめなシングルバイト表記こそが、
その本質なわけだ。
wや(笑 は言語学的に見ると、間投詞に分類するのが妥当と思われるのだが、
アルファベを用いるのは国語尊重の観点からは肯い難い。
かといって(笑)では文末の余韻を殺してしまううらみがある。と言って、括弧抜きでは
混同されやすい。やはり、(笑 を生み出した俺様の卓見に、ひれ伏すがよいだろう(笑 雪国を読んだけど、康成さんは遊び人でもあったのね? 遊び人どころではねーよ
強烈な色魔だぜ
こないだ逮捕された芸人も足元にも及ばねーな 基本的に変態だと思う。
いきな遊び人タイプでは決して無い。
魔界住人だな。 元総理の竹下同様
川端って言語明瞭意味不明の典型だな。
日本語の美しさは認めるが内容はどうでもいい。
古都なんかは自分で睡眠薬中毒で何を書いたか皆目覚えていないときたもんだ。
この人は天才と気狂いの紙一重そのものだったってことで一件落着。 古都を実際に読んで見ればわかるけれど、支離滅裂な精神で完結したストーリーを
作れるわけがないだろう。
山本健吉が京都の風物詩、とか言ったせいで観光案内みたいな印象を持つ読者
ばかりみたいだけれど、たとえば植物の描写のちりばめ方を明確な想定なしに
考えられるかどうか、読んで見ればわかりそうなもの。
ちなみに、新聞と書物化された作品では、特に最初のほうが著しく異なっている。
あとがきに京言葉を直してもらったとあるけれど、内容自体に相当手が入っている。
違和感がないわけではなく、水木真一と竜助ってのは、兄弟の名づけ方としては
おかしい。水木家との交際を考えると、竜助と主人公が初対面ってのも解せない
気がする。
まあ、いろいろあるけれど、古都は数多ある作品中でも上位を占める秀作。 自分と違う見解を持つ者を排除したい、ってのは馬鹿の持つ特性。 森本穣の「魔界の住人 川端康成」と
小谷野敦の「川端康成伝 双面の人」を
図書館で借りてきたんだが、読んだ人いる? 能書きはいらねーよ
どう感じるかだけでいいんだよ。
川端は理解するものではない、宇宙人なんだよ 人間を、つきあったこともない人間を、理解できるはずがないだろう。
お前の妄想はひどいな。
理解を試みることができるのは、作品だけ。
まあ、お前にゃそっちもムリ。 川端康成を読み始めてから 小津安二郎の映画の良さがわかるようになった 。
そのどちらも、在りし日の日本の家庭や其処に生きる市井の人々がとても丁寧に描かれている。 >>389>>390
川端の読者ってこんな馬鹿なのかよ…… 川端作品は支那では小規模ではあるがある程度取り上げられていて、
以前は川端研究会では、支那人による、ちょっと頓珍漢な研究発表も取り上げられて
いた。まあ、日本人の水準にはほど遠かった。
支那は朝鮮同様、ウソ捏造の反日教育をしながら、一方でしっかり日本の研究も
しているところは、やはり孫子の国。悪賢いことこの上ない。
チベットやウイグル、法輪功などに見せる残忍さを考えると、その乖離は理解できない
けれど。
朝鮮はダメだね。日本排斥みたいな単純な忌避行為が政治外交レベルなんだから。
やはりトップの差だろうか。 雪国を読んだ
最初の汽車の窓に映る夕景色の場面を過ぎると結末近くの縮作りの場面になるまで
どこかポルノ小説を読んでいるような気分であった
この小説が人間の意識の重層性・心の歴史的重層性の表現たりえてることを理解するには
縮織りの場面まで待つ必要があった
ここではじめて雪国の長く厳しい生活から生み出される縮織りと
貧しい大家族の一員として生をうけ、芸者として必死に生きる娘の生活とがはじめて一体となる印象だった
冬空にあってどこまでも透明で美しい天の川と、哀しくも透き通った声をした葉子の火災での死
それは駒子の純粋な生き方のひとつの死を象徴したのではないのか
結末の「この子、気がちがうわ。気がちがうわ。」という言葉は冬空のように純粋な駒子の悲痛な叫びではなかったのか >>399
俺はポルノ小説なんて読んだことねーからおまえのブッコいてる意味がわからん。
おまえは死んだほうがいい。くだらーねー下手くその文章をオナニーしやがって >>401
お前さんはポルノ小説も読んだことのないほど高尚かい。作品の出来不出来はべつとして「雪国」は立派な
ポルノ文学、作家の創作意識からすればロレンスの「チャタレイ夫人の恋人」以上にポルノじゃないか。
無為徒食で役立たず、最後には駒子の足手まといになる島村が金にまかせて娘の生真面目な感情をなぶりものにする時点
で、指の匂いを嗅いでいる時点でポルノが成立してんだよ。
ところが好事家は春画を芸術作品と呼び文学愛好家は谷崎や川端のポルノをポルノでないと言い張ることで
お高くとまろうとする。まあどう主張しようが人の勝手だが、そんなに乙に澄ましたければ高尚なお説教でもしながら、
君は神父にでもなってホモるもよし、坊主になって後家の世話をするのもよしだ。 まず葉子は死んでない。
人生経験も軽薄な高校生が無理して精一杯背伸びして書いた感想文ってとこだな。 雪国は風景描写と言葉選びが上手いだけで、物語としては面白くない。
川端氏の良さは市井に生きる人々の情緒の機微にこそ現れる。 >>406
物語でカタルシスってんなら最近は子供向けのマンガあたりがいいんじゃないの?(笑 >>409
程度の低さが露見して憐れだから、もう川端スレには一生レスしない方がいいぞ 子供向けのマンガがいいっていうから、具体例を聞いてやってるのにバカ丸出しのレスしかできないなんて、救いようがないな。
それとも覚えたてのカタルシスって単語を使ってみたかっただけかな? けなしあいになっちゃったが
どこを基点とするかで世の中一転しちゃう
理3に行ける連中からすればここで威張ってる奴なんて白痴同然
文章力が優れてるって?川端や谷崎並みにあればこんな処でくくずっていないでしょう
財力がある?ゆったりと女を囲えるやつがこの板にいるとも思えない
つまり僕が屑なら君も屑というところだよ
でないというなら、はよこの板卒業しろよ こいつ相手にしたらいけない類いの奴だったのか。
威勢よく煽ってくるから、よっぽど大層な反駁でもして楽しませてくれるのかと、僅かでも期待したのが間違いだった。 ある制度の理Vの立ち上げを昔したけど、当初のバラバラ感より
見事にうまくいっている層がある。
ただ文Vの方が歴史伝統は敷居は高い。だけど理三の文学者は歓迎。
たとえばミスの許されない世界で書いたものなんて受けるだろう。
白痴も難しい問題だが若い君らが思うより未来は明るい。 文学板でも「敷居が高い」
って使う人いるんだね。
誤用も時がて一般化することもあるけどね… デコンストラクションに文法破壊。若いころには対決やった。 ユングが文学について書いたものも面白かったよ。
河合先生よりは先に読むといい。 しかし実際問題として、川端文学愛読者がどんなマンガを読むのか気になる。
川端的なマンガがあれば読んでみたくもあります。
ちなみに自分は松本次郎や山本直樹、夢Qや乱歩繋がりで丸尾末広等が好き 「山の音」は確かにいいね、よく弾き込まれたバッハの無伴奏バイオリンやチェロといった趣
これと比べると「雪国」はパガニーニのコンチェルトかな 音楽で語るってのはなんかのセンスがあるんだろうな。俺にはまったくわからん(笑 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています