川端康成総合スレ2@文学板
伊豆の踊り子は、孤児根性の主人公と死んだ赤子が対応してるってことでいいのかな?お互いを補完しあってるということかな
踊り子一行は水で、冒頭で雨に打たれ、山を下り、海へ出るってことなんだろな 東雅夫の幻想文学講義にあったけど、雪国の登場人物はお化けだとか 14歳のかおるちゃんを混浴で裸にして
可愛い乳房から恥ずかしい所までじっくり眺めたい 虹いくたびで大人になった麻子が父親と一緒に風呂に入る場面には驚愕しました 没後50年だから、新潮文庫が三島の時のように
カバーや解説を新しくしている
『古都』の綿矢りさはイマイチだった え〜踊子さんの身体には手を触れないで下さい〜〜〜w 少年愛とBLは別物だと思うんだけど売るためには仕方ないんだろうなあ 他の古典作品とかでも
女性蔑視に基づいたホモソーシャルな関係を
女の学者が読書に媚び売ってBL!キャッキャ!と解説書いてる時代ですから >>811
こういう特殊な短篇集はすぐ絶版になって入手困難になりやすい
だから早速買ったよ >>811
かなり売れていて、増刷決定らしい
川端ブームか 山の音
とかもちょっとヤバイだろと。H小説でよくあるパターンというか。 千羽鶴もヤバいよな
父とその息子を喰っちゃう女の話だし 女であること さかゑ
美しさと哀しみと けい子
このあたりもヤバい 「菊治ははじめて女を知ったように思い、また男を知ったように思った」
これって実父のことかな?
もしそうなら父親の愛人を介して実父と近親相姦したという妄想??
まあ川端は同性愛者だったらしいからそうなんだろうけど 雪国も冒頭の指でどうこう言うとこでエロさが凄いと思った記憶 俺は昔の文豪のジャンキーエピソード大好きだ何だな。とくに川端康成は深夜にハイミナール
大量に飲んでラリってたり昼間ったから眠剤飲んでラリってたりこういうエピソード話
超大好き!俺も学生の頃はマイスリー、ハルシオンでラリってた今は耐性付いてしまいラリらなく
なっちまったけど(ノД`)・゜・。あともっと凄いのは中島らも!俺もらも先生のマネして
咳止め薬大量に飲んだけど何ともならなかった事がある・・・(ノД`)・゜・。 川端康成異相短篇集
・心中
・白い満月
・地獄
・故郷
・離合
・冬の曲
・朝雲
・死体紹介人
・蛇
・犬
・赤い喪服
・毛眼鏡の歌
・弓浦市
・めずらしい人
・無言
・たまゆら
・感情
・二黒
・眠り薬 令和4年8月頃を予定しておりました第2回川端康成青春文学賞の発表及び表彰式の
実施時期について、応募作品の選考作業や調整作業の進捗が遅れており、
令和4年の冬以降に延期させていただきます。
ご応募いただきました皆さまには、ご迷惑をおかけして誠に申し訳ありません。
時期が確定しましたら、このページにてご報告いたします。
なんだそりゃ。
選考作業はともかく、調整作業ってなんだよ。
オレの傑作を落とす調整すんなよ! 川端康成のスレってあったのね
ポツポツ読んでみようかな 掌の小説に入っている心中
これは不気味という範囲に収まらない
こりゃもうキモチ悪いと言っていい 弓浦市
夕陽が溜っている浦の裏
記憶というのは残照であり
残照とは傍観者に浴びせられた血だ バッタと鈴虫
紅提燈に刻み抜かれた名前
不二夫はわかる
左右対称だもの
でもキヨ子はなあ
子のつく子、いなくなったよなあ 掌より長い短編だと
母の初戀
故人の園
が好きです 野分の長いトンネルを抜けると秋であった。わんこの息が白くなった。 伊藤初代の三男がNHKに出てたな
「非常」についてTVでは語らなかったけど
どういうことがあったか聞いて知ってるらしい 今さらだけど雪国の冒頭さ
「高架橋を抜けたら雲の隙間に青が覗いた」
の方が良かったと思ってる。 『東京の人』読了
だらだら長いメロドラマだが戦後の都会人の孤独を描いたという文芸味はある
新聞小説として読者を楽しませたい意気込みは感じた
いつか映画も観てみたい 短編には面白いのが多いが、
とにかく文章が読みにくい。 >>836
西河は多くの映画を撮っておりとても追いかけきれず未見であるが、出来はどうなのであろう? 山口百恵・三浦友和シリーズが面白くなかったので観ることを躊躇ってしまう >>838
西河は本当に「映画屋」
監督としての作品性ではなく出演者の名前で客を呼んでいた人だからなあ
当時の東京の風景とか、月丘夢路や左幸子に興味があるなら
観ておいても損はないのでは
川端自身は『東京の人』をただのメロドラマではなく
文芸映画に仕立てた監督の力量をほめていたね
もともと自作の舞台化・映画化などには一切注文をつけない人だったそうだが >>839
左幸子はとてもいい女優だな、特に『軍旗はためく下に』とか。まあ西河で見るのはもう少し後かな。それよりも『遠い一本の道』が未見なのでこっちを先に見なくては >>839
今では死語だが「文芸映画」というジャンルがあったね。川端をはじめとして多くの文芸小説が映画化された。もちろんその中には傑作も駄作もある。いまは原作として使われるねはもっぱら漫画か、小説はあってもラノベばかりになってしまった。まあそれでどうという事ではないのだが 私が翻訳したある日本の学術書も過激な主張はないにもかかわらず、なんだかの理由で出版することができませんでした。しかし川端康成の文学は、「世離れ」をしています。
日本の大正から昭和にかけての、戦争がない平和な期間を舞台にしているものが多い。作品の多くが反体制運動や戦争をテーマにしていないので、検閲に通りやすいのです。
さらに、こうした規制による不自由な社会で、人々は川端文学の美しく詩的な情景描写に「癒し」を求めはじめています。
元々、中国では川端康成の類まれな表現力について評価が高く、2012年ノーベル文学賞を受賞した作家の莫言さんも『雪国』の美しい描写に大きな影響を受けたと公言していました。
そして書き上げたのが後に、映画にもなった小説『白い犬とブランコ』でした。1999年の秋、莫言さんははじめて日本を訪れてきた時に、
川端康成が執筆した宿に泊まりたいと言いました。私は彼を伊豆の天城湯ケ島温泉の旅館までご案内いたしました。とても喜んでいました。
現在の中国は、例えば、軍のスローガンをネタにしただけで、コメディアンに二億円の罰金が課されるなど、小説よりも現実社会のほうがもっとも魔術的で、
エキサイティングな出来事が次々と起こるような社会です。残念ながら、小説がそのような現実の刺激には勝てないのです。
そのため、人々は文学に物語の筋立てというよりむしろ、川端文学のように心を豊かにし、生活に潤いを与えるような美しい言葉を求めています。
彼らは文学をまるで「癒しグッズ」のように消費するということで、日々の不満や生きづらさを解消しようとしているのです