雪国を読んだ

最初の汽車の窓に映る夕景色の場面を過ぎると結末近くの縮作りの場面になるまで
どこかポルノ小説を読んでいるような気分であった

この小説が人間の意識の重層性・心の歴史的重層性の表現たりえてることを理解するには
縮織りの場面まで待つ必要があった
ここではじめて雪国の長く厳しい生活から生み出される縮織りと
貧しい大家族の一員として生をうけ、芸者として必死に生きる娘の生活とがはじめて一体となる印象だった

冬空にあってどこまでも透明で美しい天の川と、哀しくも透き通った声をした葉子の火災での死
それは駒子の純粋な生き方のひとつの死を象徴したのではないのか
結末の「この子、気がちがうわ。気がちがうわ。」という言葉は冬空のように純粋な駒子の悲痛な叫びではなかったのか