川端康成総合スレ2@文学板
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
新潮文庫の川端康成って、何冊あるんだろう?
アマゾンでチェックしたけど、品切れ本がまだまだあるような気がする。
あの紺色の表紙がいい。 >>609
「羊をめぐる冒険」はトンネルくぐったっけな?
あれも似たようなもんだ >>618
それは世界の終わりとハードボイルドワンダーランドだよ >>583
あれはいいよなあ
もっといいプリントが残ってればなあ 川端、ノーベル賞の前年も三島と共に最終選考の対象に
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20180103-OYT1T50051.html
「優しく神秘的な詩的表現。礼儀正しい伝統、繊細なニュアンスの表現技術がある」 ノーベル文学賞の選考で川端の「古都」と競合したのは、三島の「午後の曳航」か >>626
年長の川端氏が優先されたらしいね
でも内実は… >>627
キーンの推薦の言葉ってだけ
年功序列は 川端康成「古都」のP189です
「ただ、いちどだけでいい、会えるものなら、よそ目にも見たかったのだった。
苗子のみすぼらしい、小屋のような家は、今も、杉の村に荒れてある。
娘が一人でいられないからだ。長いこと、杉山に働く中年夫婦と、小学校に通う少女とが、住んでいる。
もちろん、家賃というほどのものはないし、取れるような家でもない。」
この「娘が一人でいられないからだ。」という文はどういう意味なのでしょうか? 川端康成ほとんど読んだことなかったが
小林秀雄の後の二十一章で古都について書いてあるの読んでから読むようになった
最近東山魁夷の京洛四季を手に入れて泣きそうになってる >>630
一人にさせておけないという意味
「〜からだ」の中の文の主格が少女になってる
変わった主格の置き方は川端の文体の一つの特徴でもある
改稿に伴う変化を研究した論文もあるくらい
この例のように作家の川端がその場面で注目している女性を
小説の構造を無視して主格に置く傾向がある
有名なのが「雪国」の初稿
三人称小説なのに駒子の一人称小説になってる部分があった 話としてまとめると、誰でも飲み込めそうな話なんだよね。
あの世で起きた神の相談。
エバは、イナンナだった女性でモーゼに旧約聖書の作者になってもらうことをお願いして
自分はイシュタルとして身を潜める。
イシュタルは、マリアとイエスが親子だという話を広める為に
イエスにメシアの役を務めるようお願いする。
イシュタルは、マリアや中国の妲己や天照大御神とグループを形成し、
お稲荷さんを始める。※お稲荷さんには重要な仕事があり、悟りを開く前の人間に対し、
誘惑を仕掛ける。また、人間の秘儀参入時の霊界の審査もお稲荷さん中心で開催される。
それが、稲穂を実らせる前の荷物という意味。
此処重要。重要なのに日本人は誰も字の意味を解いてない。
お稲荷さんとは悟りそうな人をそのまま進ませるかどうかを
判定してくれる存在。
現在の課題。
イエスが中心の世界だけれども、イエスはお稲荷さんに呼ばれてメシアになった人で
メシアはお稲荷さんが引き連れている地縛霊に憑依を依頼し、輪廻を終えるカルマが
無くならないように働きかけ、霊界からの支配が継続するように見張っている。← この点を言及してほしい。
王路(引き寄せの法則) おまえらの力が必要だ!
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/atopi/1512118999/ 吉本隆明
「川端文学には作品の根本に揺れ動く浸透力があり、
それが作品世界を動かしていく。
浸透力とは対象である物や人にしみ通っていく力の事。
雪国にはドラマチックな起伏や葛藤はあまりない。
だから浸透力が動いているのを読み取れないと
これほどつまらなく感じられる世界はない。
日本的な美や情緒しか残らなくなってしまう。
文体から浸透力が様々に表現されているのを感受すると
見事な作品に思われてくる。
なまめかしくてつやつやな文体の底に細かい網の目を
通っていくように対象の肌から内蔵に達するような
浸透力の動きが書かれている、」 キンドルで最近、川端康成の小説を読んでるけど、伊豆の踊子って完全に萌え小説だねw
14歳という年齢、踊り子が主人公と対面して、緊張してお茶こぼすところとか、寝姿を見られて正座して頭を下げるところとか、有名な全裸で手を振るシーンとか、
直球王道ストレートな萌え小説
踊り子に萌えられたら面白く、萌えられなかったらつまらないって作品なんだろね
まあ、当時の文学なんて、いまのラノベみたいな扱いだったみたいだし
でも、ここまでド直球の萌え小説を大正時代に書いたっていうのは、評価できる
14歳の少女に萌える小説を発表するなんて、けっこう恥ずかしかっただろうし
読んでるこっちも恥ずかしくなって、ついニヤニヤ照れ笑いしちゃった
先駆者は世間の偏見に晒されて、いつでも恥ずかしいものだ
その恥ずかしさに耐えられたもののみ、先駆者の名誉を得られる
ネットで書評を検索したら、「薫タソ萌え小説」みたいな意見もけっこう見られたし
萌えラノベ全盛の現代だからこそ、再評価できる作品なのかもしれない 文豪エロティカル/末國善己(編)を買って川端の「舞踊靴」を
読んだが、最後のピークの所が伏せ字になってるw
だいたい想像できるから良いけど、後年修正しなかったんだろうか? 川端自殺?大江が書き換えとけよ。トリビュートして。日本の国立から
狭い地域で賞二つは評価できる。選考の方よろしく。子族は。 書きものが文学ではないのだが。書かないといけないんだよ。 対—他者 が文学に取り上げられているわけで、日本式の成功譚や自我を介さないこと。 文学なんて下の仕事だからテキストラクト、哲学文学の、構造を使用人の様にこき使われるいい時代を
過ごせるかどうか。 文学に取り上げられたり、引用されたりする目的でなく、たとえそうでもいいしね。ある部分は。 早く高い大きい仕事に届くように。文学は若さもあって危ういものですが、ウエルテルじゃないけど、
文の芸術、文芸分野も一見あまり進んではいないので、参加も機を見てOK。
文人漫画なんかで冊子をつくれば□のなかに高度なオオネタも批評評論議論ためて、
新しい文芸テクスチュアルが登場する日も近いでしょう。 ある人の世のなかに
読んでみたけれど最後まで読めず、物語がない。
文章は端正で綴りの見本みたいだった。ストリー無いは批判ではないでございます。 雪国ってキツネのはなしだろ。あれでノーベル賞だよ。キツネが。賞金でウハウハ。 >>636
スカスカ感想文で絶望したわw
やっぱ文学的表現ブンブンするだけで
気持ちいい時代なのか... 岐阜市のハツヨゆかりの場所に行ってきた。
結婚の約束をした鍾秀館は地銀の研修所になっていたが、長良川の眺めは変わらず爽やかだった。
澄願寺(西方寺)はこじんまりした静かな寺だった。彼女が手荒れして塗った土壁はもうないようだ。
天満宮の境内を抜けて地元の図書館に寄った。エランのマダム(驚くほど美人)が岐阜で再婚し養女をとった関係でハツヨの写真や逸話が少し残っていた。
笑顔が愛らしく朗らかで優しい一方、情に狎れず冷たい面もあったらしい。川端のことは気味悪がっていたこともあったという。 少年の話題が一切ないからこのスレのノンケ率は100%だな 先日NHKのBSプレミアムで
伊豆の踊子の映画が放送されていました。
原作も読んでみたいと思いました。 >>651
吉本は川端文学というか、川端の文章の「質感」について語ってる訳で、
川端だけでなく、いわゆる日本的なものの曖昧さの本質に触れてる訳だ。
それは西洋の「構造」に対する日本の「質感」やアンビエンス「雰囲気」
と言いたいのではないか?
それは大江健三郎の曖昧な日本の私にも通じる
吉本の言う艶、浸透力の「質感」は具体的には艶=ニスの浸透不可や、浸透性=無数の
微小な穴の存在を指してる。 内藤洋子・黒沢年男の『伊豆の踊り子』は、内藤洋子がガン飛ばしすぎ 自殺する少し前から自分にはあの世が見えるようになった
自分が次に行く場所があまりにも美しいので一日でも早くそちらへ行きたいと願うようになった
それで死んだのです 国境 は、普段通りの川端だったらコッキョウと読ませるよなぁ。文章のリズムをめちゃくちゃ気にした作家だからなぁ >>660
そのうち「国内の小説なのになぜ国境なのか」と言う人が出て来て、注釈がつくようになるだろうね。 >>668
だろ、あれが川端の性格を表していて、なんと言うかな、ちょっと精神に問題ありだね
唐突な終わり方なんだけど、本人はそんな事は微塵も感じていないんだ >>668
>>669
あなたたちに読解力がないということはよく分かりました。カッコつけて純文学なんか読まないで、ライトノベルでも読んでればいいと思いますよ。 川端小説は内容含めて軽いのは確か
ライトノベルの走りと言われればそうかもしれない >>673
もし川端が軽いとするなら軽いで良いんですけど、もっと深く読み込むことができていれば、そんな発言は出てこないと思いますよ。 >>673
軽いラノベの走りで草こういう読書に合わせる作家も大変だな 地の文で全部説明しない作家だから読者のレベルが低いとそう受け取られるんだよなぁ >>676
自らの狭くて浅い読書態度を省みずに、中途半端に攻撃的で的外れな批判をする人って一体何考えてるんでしょうね? 気に入らない、もしくは分かんないなら読まなくていいのに >>669
確かに後味悪いよな。
少女たちの清い心をああいう終わり方で表現されちゃうとね。
>>678
あの火事は一体何を表現していたと思うのか、ぜひ聞かせて貰いたいですね。 >>679
俺はあの火事には青春の火照りを感じたね。
そしてそれを気がちがう・自殺に帰結させ、またそこに美しくも冷たく光る人生の傍観者のような天の河を配したことに、俺は言いようのない後味の悪さを感じたね。
まあどう感じるかは人それぞれだろうね。
>>680
青春、という点には同意しかねますが、あの火事が葉子の熱情を端的に表している、というところは同意見ですね。でもまあやはりあそこの部分を読み解くためには葉子が一体どういう女なのか、というところを知っておく必要があると思いますね。 >>681
火事はその頬を火に照らされて葉子を抱く駒子の熱情でもあるんだな。
人だかりに遮られて若いふたりに近づけない中年の島村は天の河を見上げることしかできなかったんだな。
君はあのラストについてどう思うのよ?後味良いかい?ニダーちゃん。
>>682
お前、ほんとくそみたいな読解力してんな。コロコロコミック読んでろアホ 全集が旧字体なんてアホすぎるな
川端本人は漢字の弊害を自覚していた漢字廃止論者なのに 全集は原稿どおりでいいよ。
文庫は読みやすいように新かなで。漢字を開くことも可。
とは言うものの、岩波文庫の芥川竜之介はやりすぎ。 /\
, @ / .※ > ))
ノ) ∧..∧ ゞ \__/
ノヘY!ヽ / iつ><) * ミ
〃 ` ,.・ 彡〈 丿y⊂}__) @、 o
(___,,_,,___,,_) ∬
彡※※※※ミ !匹 ミ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
\ ぶぅ〜!! / \ 何それ! / ボケー
\ /バカヤロー \ #ひっこめー#
l|||||||||||||| ∩,,∩ ∩,,∩ ∩,,∩ ミ∩ハ∩彡
(,# )(,,# ) # ,,) (# )(# ) コッキョウの長いトンネルを抜けると
雪国であった
こう読んだ方が韻踏んでて好きだ。川端もそのつもりで描いたはずだ http://www.jiji.com/jc/article?k=2019010200388
川端康成「純粋な真の作家」=68年ノーベル文学賞、選考過程公表
2019年01月02日21時43分
【ストックホルム時事】「伊豆の踊子」「雪国」で知られる作家の川端康成(1899〜1972年)が
日本人で初めてノーベル文学賞を受賞した1968年、選考過程で
「日本の文学界における純粋な真の作家」との評価を受けていたことが、
スウェーデン・アカデミーが時事通信の請求を受けて2日開示した資料で分かった。
同賞の選考経過は50年間非公開とされている。
(2019/01/02-21:43) 川端は笹川の幼馴染
笹川はこの時代既に国際的にも高い影響力を持っていた
この辺りの事情が無ければ川端は絶対にノーベル賞取れなかったのに指摘してる人間は俺以外いないんだよな
物事の表面を眺めるだけじゃなく裏側を見透かす目を養わなきゃいかんよ 「山の音」を今読み進めている最中だが、小津安二郎の映画を見ているような感じ >>695
夫婦の絆、親子の関係、老いと死
万人に通じるテーマを見事に捉えているという点で、両者が国際的に評価されるのも納得。 一般書籍だって選択肢があるし、古本屋古書街も選び放題だぞ。東大作家だけでは。 >>696
ノーベル賞は当然
むしろ時間がかかり過ぎた ガキにはわからんよね、その点、小津映画とも共通点はあるな
それと、微妙な国語力、繊細なものを感じる感性、極彩色の大音量の世界になれているものには分からんだろう 最近の中高年にも感性が鈍い人たちが多いようにも見えるが 既にテレビ世代だからね、尊敬に値する老人が本当に少ない。 雪国のどこがいいのか全く分からん
意味不明すぎるだろ クロースアップ現代+
三島由紀夫×川端康成 ノーベル賞の光と影
2019年2月4日(月)午後10:00
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4241/ >>704
たとえばマルケスのマコンドや
フォークナーのヨクナパトーファのような秘境を設定して
西欧風の文明化に抗おうとしたが結局駄目でした、というお話です
ただ散り際の美しさやはかなさが異国情緒あふれるものとして受けているわけです
中上の「路地」も似たようなものだけど
中上の場合は逆張りで「路地」の世界化を目指す
結局は聖性の凡俗化で物語自体が衰弱していくだけで終わったけど
そう考えると川端の描いた滅亡美は捨てたものでもない 川端康成で
少女がお母さんに田んぼで引きずられて、「あたしは今度の亭主は大変な人だよ」みたいなセリフを顔を赤くして周りに言ってる的な描写がある作品があったと思うんですけどどの作品でしょうか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています