0071吾輩は名無しである垢版 | 大砲2011/01/22(土) 10:56:34 三島の死後、川端康成は会議や講演などはこなしていたが、健康がすぐれず、新しい文学作品は書かなくなっていった。 そして、三島の自刃から約一年半後の昭和47年4月16日、川端はふらっと鎌倉の自宅を出てタクシーを拾い、 仕事場の逗子マリーナ・マンション417号室へ向かう。 水割りを少し飲んだ後、川端はガス管をくわえガス自殺を遂げていた。遺書はなかった。机には太宰治の本が あったともいわれている。 遺書がなかったせいか、この自殺には諸説あり、なかには他殺説まであり謎のままである。